第37話 引っ掛かり
連絡船は、ゆっくりと回っていた。
船腹の窓がこちらを向き、やがて見えなくなる。しばらくすると、同じ窓がまた顔を見せた。
ダリオは外部カメラの映像を広げた。
火星圏の外寄りで救援を求めてきた、小型の貨客連絡船だった。姿勢制御機器の一部が故障し、自力で回転を止められなくなっている。
『船内の固定は終わっています。負傷者は1名、今も受け答えはできます』
連絡船の船長が答えた。
船体が回り始めた時に、体を固定するのが間に合わなかったらしい。
気密と生命維持は保たれており、今すぐ船内から逃げなければならない状態ではなかった。
「こちらが船体を押さえます。その間、推進器を動かさないでください」
『了解しました』
ダリオは通信先を切り替えた。
「サルースC、分離準備完了」
『周囲に障害物なし。分離許可』
今度の声は、すぐ横の母船からだった。
MRSSのカリガ級中型救難船。その船腹に外部連結されて、サルースCはここまで運ばれてきた。遠い現場へ着いてからも、作業に使う余力を残しておける。
「連結、解除するわよ」
後席でエレナが確認した。
ダリオは表示が切り替わるのを待ち、短く推力を入れた。画面の端を占めていたカリガの船体が離れていく。
サルースCの推進腕を開いた。
連絡船に合わせて機体を回しながら、少しずつ距離を詰める。星の動きが変わり、代わりに連絡船の船腹が画面の同じ場所へ収まった。
「この辺でどうです?」
「もう少し後ろがいいかな。故障した機器の近くは避けたいわ」
エレナは受け取った船体図と映像を見比べ、安全に固定できる場所を選んだ。
印の付いた構造部材が、ダリオの画面にも出る。彼はそこへ推進腕が届く位置に機体を寄せた。
「ここなら取れる。止めて」
ダリオは相対的な動きを抑えた。
エレナが固定具を掛ける。接触の感触が座席へ伝わり、すぐに収まった。
「固定よし。ゆっくりお願い」
「了解です」
船体から噴流を外す向きに、残る推進腕を振った。
固定箇所へ無理な力を掛けないよう、少しずつ推力を増やす。連絡船と一緒に回っていた景色が、次第にゆっくりになった。
エレナが荷重を読み、ダリオが推力を調整する。
船内の状態を尋ねると、船長から、乗員は固定を保ち、負傷者の様子も変わっていないという返事があった。
「そのまま固定を続けてください。救難隊が入るまで、こちらで保持します」
カリガから接舷準備完了の連絡が来た。
ダリオは連絡船の姿勢を保ったまま、母船が近づいてくるのを待った。
接舷が済むと、専門の救難隊が船内へ入った。負傷者はカリガへ移され、医療担当へ引き継がれた。
続いて応急作業が始まり、その間もサルースCは船体を支えていた。
「固定箇所、異常なし。あと少しね」
「はい」
急がせる警報は鳴らなかった。
連絡船が自分の機器で姿勢を保てることを確かめてから、固定を外す。帰投に向けた確認をカリガ側へ引き継ぐと、ダリオはサルースCを船体から離した。
『ありがとうございました。こんな所まで、助かりました』
「戻る間も、体の固定は忘れないでくださいね」
船長は、今度は全員で気を付けると答えた。
帰りもサルースCは、カリガの船腹へ収まった。
連結を確かめ、ダリオは操縦桿から手を離した。復路の予定を開く。現場で動かしていた時間に比べて、帰るまでの道のりがずいぶん長かった。
「最近、こういうのが増えましたね」
「何が?」
「カリガに乗せてもらって、遠くまで行く仕事です。勤務表だけ見たら、前とあまり変わらないんですけど」
「確かにね。行き先を開くと、思ったより外なのよね」
エレナも復路の表示を見ていた。
「救難船の配置を組み直してるから、まだしばらく続くんじゃない?」
「この辺はソスピタがいた辺りとは、違いますよね?」
「ええ。でも、そっちへ船を回せば、別の場所にも手が要るでしょう」
ダリオは航路の先を見た。
地球寄りの航路で失われた船だった。自分たちの勤務に変化が出るまで、その距離の遠さばかり考えていた。
「帰ったら、まだ飯ありますかね……」
「あるわよ。献立を選べるかは別だけど」
「じゃあ、先に決めないでおきます」
「その方が平和ね」
エレナは笑い、作業記録の確認へ戻った。
ダリオも、連結前に取った機体の状態を記録へ添えた。
帰着してから残す仕事は、少ない方がいい。
◇
サルースCを整備班へ渡し、報告を済ませてから、ダリオはエレナと基地の回転居住区へ向かった。
廊下の先から食事の匂いがした。献立を選ぶ気は、もうすっかりなくなっていた。
職員用の休憩スペースに、見慣れた二人がいた。
グレアムはテーブルへ肘をつき、空になりかけたカップを持っている。隣のパティが、入ってきた二人へ顔を向けた。
「ダリオ、エレナ、お帰りなさい。任務、お疲れさまでした」
「ただいま。そっちはもう終わったの?」
「はい。グラディヴスの点検は終了しています。記録の整理と提出も済みました」
「何だか俺まで点検されたみたいだな」
グレアムが言った。
「グレアムの分は終わっていません。報告の確認が一つ残っています」
「……くそ、今やるよ」
端末を手に取るグレアムを見て、エレナが笑った。
ダリオは食事を受け取り、二人の向かいへ座った。
「今日はどこまで行ってたんだ?」
「いつもより外です、カリガと一緒に。現場の作業より、行き帰りの方がずっと長かったですよ」
「向こうの連中は無事だったのか?」
「乗員が1人けがをしてました。カリガの医療担当に引き渡してます。船の方も、応急作業で姿勢を保てるようになりました」
「そうか。そりゃよかった」
グレアムは端末を閉じた。
パティが一度うなずいたので、今度こそ確認も済んだらしい。
ダリオは食事に手を付けた。
温かかった。それだけで、帰りの間に想像していたものよりずっとましだった。
「どう?」
隣へ座ったエレナが聞いた。
「……食べる前に聞くの、やめません?」
「先に食べた人の意見って大事でしょ」
「じゃあ、うまいです」
「じゃあ、って何よ」
エレナは自分でもひと口食べた。
何も言わず次をすくったので、それが答えだと思い、ダリオも食事へ戻った。
フォボスから帰ってしばらくは、休憩中にも向こうの状況を確かめることが多かった。今は、次の出動や機体の点検の話をしている。
サルースCを整備へ渡す時にも、今日使った固定具と推進器の状態を伝えればよかった。
「ただ、こうも遠いのが続くと、こっちにいる時間が短くなりますね」
ダリオが言うと、グレアムは空のカップを置いた。
「船が一隻抜けりゃ、その分どこかが動くからな。すぐ隣じゃなくても、回り回ってこっちへ来る」
「ええ。仕事の中身はいつもどおりなんですけど」
「帰ってきたら飯が終わってるってか?」
「そこまでじゃないです。今のところは」
「なら、食える時に食っとけ」
言われなくても、そのつもりだった。
ダリオが食事を続ける間に、グレアムはカップを持って立った。パティに何か飲むかと尋ね、二人分を取りに行く。
壁の画面では、ニュースが流れていた。
音は大きくない。向かいの席が空いたところで、聞き覚えのある地名が耳に入った。
『――フォボスの中央制御システムに起きた異常について、現在も調査が続いています。現地では施設の復旧作業が進められています』
ダリオは顔を上げた。
港の外観が映っている。作業を終えて戻ってくる時、自分たちも見た場所だった。
『旧フォボス表面保存区に残された犯行声明について、MNSA、火星圏航路保安庁は、環境保護や反開発を掲げる過激思想との関連を調べています』
フォボスの土。
その署名が読み上げられた。
報道は、実行した組織や人物は特定されておらず、声明と事件の関係についても調査が続いていると伝えた。
やがて画面が切り替わり、惑星間救難船ソスピタの捜索と調査、その喪失を受けた救難船の配置見直しの話になった。
喪失原因について、確定した発表はなかった。
ダリオは少しの間、食べる手を止めて続報を聞いた。戻ってきたグレアムも、カップを置いて画面を見ていた。
ニュースは別の話題へ移った。
ダリオは残っていた食事を口へ運んだが、さっき聞いた言葉が頭に残っていた。
旧フォボス表面保存区に残された、犯行声明。
柵の前まで進んだ時に見えた、白い紙を思い出した。
向こうには岩肌と細かな土があった。頭上の与圧ドームを通して、星が見えていた。
あの時、観光客はいなかった。
後ろにいたのは、設備の点検に入る人たちだった。
「……あれ、誰に見せるつもりだったんですかね」
ダリオの声に、エレナが顔を向けた。
「何を?」
「犯行声明です。保存区にあった」
「あんなもんは誰でもいいのよ」
「……誰でも?」
エレナは壁の画面を見てから、ダリオへ視線を戻した。
「つまり、場所に意味があるのよ。柵の向こうに土を残して、保存だって言ってる。あの文章にぴったりじゃない」
ダリオも、それは分かる。
紙には、保存ではなく標本だと書かれていた。人工の外殻や建物に覆われたフォボスで、天然の地表だけを眺められる場所だった。
それを象徴する場所に置きたい、という理屈は通っている。
「そうなんですけど、あそこ、人がいなかったでしょう?」
「そりゃ、退避した後だったもの」
「ええ。俺たちも点検班と行かなかったら、あそこへは入ってません」
フォボスで人を通した場所なら、いくつも思い出せた。
船へ向かう通路。待機する人の列。次の便を案内した分岐。
保存区は、そのどこからも外れていた。
「読ませたいなら、もっと人のいる所でもよかったんじゃないかって……」
「でもな、今は読まれてるぞ?」
グレアムが言った。
カップを手に、さっきまでニュースが流れていた画面を見る。
「隠してたわけでもないんだから、遅かれ早かれ見つかっただろ。で、見つかった後に広まればそれでいい、って考えもあるんじゃねえか?」
「……そうですね」
「俺には、そこまでおかしいとは思えんがな。わざわざあの場所に置いた理由も、文章にはあるんだろ?」
「あります」
ダリオは答えた。
誰かが後から見つけるつもりで置いたのなら、説明はつく。
点検する人間が来ることを見込んでいたのかもしれないし、単にいずれ見つかると考えたのかもしれない。
そこは、誰にも分からなかった。
「ダリオ。入口からでも、紙は見えていましたか」
パティが尋ねた。
ダリオは答えかけ、保存区へ入った時のことを思い返した。
「……どうだったかな。柵の前まで行って、そこで気付いたんです」
「あの時は見学路を確認してたわよね」
エレナが言った。
「ええ。点検班が進めるか見てました。だから、離れた所から見えなかったのか、俺が見てなかっただけなのかは……」
言い切れず、ダリオは首を振った。
白い紙に気付いた瞬間は覚えている。その前、入口からどう見えていたかは曖昧だった。
「平時であれば、そこへ見学に来る人はいますか」
「そうね。岩を見に来たら、柵の所までは行くでしょう」
エレナがパティに答えた。
「それなら、一般の見学者が気付くような配置だった可能性もあります。ただ、置いた人が誰に読ませようとしたのかは、今の情報では判断できません」
パティはそこで言葉を切った。
「何か別の理由がある、って言いたいの?」
エレナの問いに、ダリオは首を振った。
「いえ。俺も普通に見つけましたから。ただ、犯行声明って聞いたら、何か引っ掛かったんです」
「あの時は、そんな話しなかったわね?」
「現場保存のために、紙に触らせないことで頭がいっぱいでした」
「そうね、私もよ」
エレナはうなずいた。
位置を残し、周囲を撮り、後ろから来る点検班を止めた。
MNSAの係員が来てからは、設備の点検を続ける人たちを別の経路へ通した。渡すべきものを渡し終えると、ようやくあそこを離れられた。
なぜ柵のあの位置だったのか。
そんなことを考える前に、仕事は次へ進んでいた。
「まあ、思い出したことがあるなら、伝えりゃいいさ」
グレアムはそう言って、飲み物へ口を付けた。
「まだ、何か思い出したわけじゃないんです」
「じゃあ尚更、急いで答えを出すこともねえだろ」
ダリオはうなずいた。
食事は終わっていた。エレナが空の容器を寄せるのを見て、自分の分も重ねた。
壁の画面に、別の港の映像が出ていた。
案内表示の前を、人が通り過ぎていく。ダリオは何となくそれを見てから、手元の端末を取った。
紙の文面なら、記録に残っている。
けれど、今もう一度読みたいわけではなかった。
見学路へ入って、何を見ながら進んだのか。
どこで柵が目に入り、どこで紙に気付いたのか。
思い出そうとすると、もう紙があると知っている自分が先に立ってしまう。
もう一度行けば、ただの思い違いだと分かるかもしれない。
ダリオは端末を開かず、テーブルへ戻した。
自分が立っていた場所を、入口から見てみたかった。
「エレナさん」
「ん?」
「あの保存区、もう一度見に行けないですかね?」




