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ECCENTRIC ORBIT  作者: きんかん


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第36話 フォボス・グルント8

「入ってきたのは、そちらの通路ですね?」


 ダリオは、旧フォボス表面保存区の入口を示した。

 到着した火星圏航路保安庁――MNSAの係員が、端末に開いた見取図へ印を付ける。


「はい。点検班と一緒に入りました。紙に気付いてからは、ここで止めています」


「発見後に、誰か柵の向こうへ入っていますか」


「いいえ。紙にも触っていません」


 隣で、エレナが記録の送信を終えた。


「最初に撮った映像はこれです。周囲の分も続いています。元の記録は残してあります」


 係員は受領を確かめてから、ダリオの示した位置と映像を見比べた。

 別の係員が、紙へ向けてカメラを構える。彼らが柵へ近づく間、ダリオは後ろに残る点検班を見ていた。


 見学路の入口には、港湾保安の職員が付いた。

 新しく来た者はそこで用件を聞かれ、入る場所と人数を記録されている。さっきまで二人が案内していた通路を、自由に通り抜ける者はいなくなった。


「設備の点検は、続けてもらって構いません。ただ、ここの状態を変える前に連絡をください」


 係員が設備担当者へ言った。


「与圧を保つために必要な作業まで止めるわけではありません。触る場所と、作業前の状態を残してください」


 設備担当者がうなずき、自分の作業図へ範囲を入れた。

 エレナが、点検班の通れる経路を確認する。ダリオは柵から離れた手すりへ移り、後ろの班をそちらへ通した。


 頭上の観光用与圧ドームには、星が見えていた。

 誰もそちらを見上げなくなっていた。


「この場所を映している監視カメラの記録は?」


 MNSAの係員が尋ねると、港湾保安の職員が端末を差し出した。


「取り出せた分は保全しています。ただ、ここの監視カメラは止まっていました」


 係員は表示を指で送った。

 紙へ向けていたカメラを下げ、もう一人の係員も画面をのぞき込む。


「停止したのは、フォボスの中央制御システムの異常が表面化した時間帯です」


「復旧作業のために切ったものでは?」


「その確認も含めて調べています。今分かっているのは、停まっていたということです。つまり、紙を設置した時の映像は出せません」


「原因は未確認、と。残っている記録も、加工せずに渡してください」


 ダリオは、空いた通路へ点検班を送り出した。

 手すりをつかみ損ねかけた設備担当者の腕を支え、次の持ち手を示す。相手が体を落ち着けたのを見て、手を離した。


「急がなくていいですよ。もう追い立てられてませんから」


「すまん。まだ、さっきの調子が抜けなくてな」


 その返事を聞き、ダリオも手すりを握り直した。

 港で船を待っていた時から、指にはずっと力が入っていた。


 最後の担当者を通すと、エレナが戻ってきた。


「入口側は引き継いだわ。私たちも抜けていいって」


「やっと飯ですか」


「その前に報告よ」


「……そうですね」


 エレナは端末をしまい、入口の方へ体を向けた。

 ダリオも続いた。振り返ると、柵の前には係員が残り、紙と周囲の撮影を続けていた。


 保存された地表を囲む柵が、さっきより遠くに見えた。




◇




 グレアムは椅子へ体を固定してから、ようやく息をついた。

 港の一室に入っても、端末からは作業の声が聞こえてくる。グラディヴスを預けた整備班が、これから確認する箇所を読み合わせていた。


「お前も座れよ」


 隣で端末を開いていたパティが顔を上げた。


「はい。すぐに終わります」


「その返事、さっきも聞いたぞ」


「今、送信済みになりました」


 パティは画面をこちらへ向け、受領の表示を見せてから隣の席に収まった。


 グレアムは自分の手を開いた。操縦桿はもうないのに、指の曲がり方が同じままだった。


 救難記録の確認が始まると、MNSAの担当官が画面に現れた。

 保守側の責任者も、別の場所から加わっている。


『作業お疲れさまでした。記録をお預かりする前に、確認したい箇所があります』


「まだあんのか?」


『判断の根拠が分かれているところだけです。表示と実際の状態が違っていた、とあるので』


 パティが、該当する記録を開いた。

 フォボスの中央制御システムが返した表示と、現地計器の値が別々に並ぶ。その下には、火星航路運用調整センター――MROCCから受け取った観測があった。


「中央制御システムの表示だけでは、設備の状態を確定できませんでした。実際の出力は現地計器を、フォボス全体の動きはMROCCの外部観測を使っています」


『こちらの色分けは?』


「作業中に私が整理したものです。機器から得た値や通信の記録は、別に残しています」


 担当官は、原記録の所在を一つずつ確かめた。

 グレアムが覚えている作業は、画面では短い項目になっていた。保持、移動、再固定。その途中で何度も手を止めたことまで、通信の声を開けば出てくる。


『制御システムへ停止要求を出した後も、推進は継続していたんですね?』


『そうです。通常の操作では止まりませんでした』


 保守責任者が答えた。

 映像の中で、フォボスの軌道変更用大型AEドライブが光っている。まだグラディヴスが台車へ触れる前の記録だった。


『台車を動かしたのは、その後です。走行と位置決めの自動制御を切り離し、給電と冷却は残した。移設のために操作した箇所はこちらにあります』


 担当官が、救難のために変更した部分へ印を付けた。

 元から起きていた異常と、助けるために自分たちが変えた状態が、画面の中で分けられていく。


「動かした後の映像も、全部入ってる。現地で触った連中の確認もな」


『受け取っています。今後、思い出したことがあれば、この記録へ直接書き足さず、追加の報告としてお願いします』


「分かった」


 パティも受領先を確認し、作業図を閉じた。

 保守班へ渡した時には、次に触る者のための記録だった。同じ記録が今は、何が起きたのかを確かめるために開かれている。


 担当官の向こうで、別の職員が資料を差し出した。

 画面の端に、設備と保全状況の一覧が出る。隔離された中央制御システム、保守端末、通信記録、外周のAEドライブ周辺。

 確認を終えた場所でも、一般の立入りは認められていなかった。


『無人になった区画へ入る班から、アクセス支援の要請が来ています』


『MRSSへ回してください。機器の操作と記録の保全は、担当者が付いてからです』


 担当官は指示を返し、保守責任者へ向き直った。


『AEドライブが高出力のまま止まらない。フォボス全域の有効質量を軽減するMMRも、非常最大の状態に入った。これらを、別々の故障だけで説明できますか?』


『今の資料では説明がつきません。どこから異常が広がったのかも、まだ切り分けている最中です。もしシステムのバグなどであれば、復旧まで相当な時間が掛かるかもしれません』


『念の為、人為的に制御へ手を加えられた可能性を含めて調べます。通常の故障処理だけで記録を上書きしないよう、各班へ伝えてください』


 グレアムは背を預けたまま、その話を聞いていた。


『ただ、仮にこれが人為的なものだったとして、その割には残っているものが多いんです』


 保守責任者が別の図を出した。


『生命維持と気密は、大部分が保たれています。局所電源も、独立ビーコンも動いていた。だから避難を続けられたわけですが……』


『ここまで深く制御システムに影響を与えられるなら、もっとやりようはある……ということですか?』


『ええ。もし全部に手が届いていたなら、です。触れなかったのか、途中で失敗したのか。そこも分かりませんが……』


 担当官は、残っている設備の側を見た。


『何を壊そうとしたのかも、調べる必要がありますね。壊れたものだけで目的を決めないようにします』


 グレアムは、避難船へ続いていた通路を思い出した。

 たしかに制御を奪えたのなら、そこだって閉じてしまえばよかったはずだ。


 そうすれば、もっと多くの人命を巻き込むことだって出来たはずだ。




「……いや、ちょっと待て。さっきから話が、今回のは事故じゃないって言ってるみたいに聞こえるんだが?」


 グレアムの問いに、担当官が紙の画像を開いた。


 柵と岩肌が一緒に写っている。これはダリオたちが撮ったものだと説明された。


『これは表面保存区で見つかった犯行声明です。署名は、フォボスの土となっています』


 グレアムは文面を読んだ。

 最後まで目を通してから、地表を浄化する、という箇所へ戻った。


「……フォボスを、火星に落とすつもりだったってのか?」


『声明は、そう読めます』


 担当官が、画面の別の一行を示した。


『元あった火星の土へ還す、とあります。これは巨大な隕石の衝突で火星から飛び散った物質が集まりフォボスになった、というジャイアント・インパクト説でしょう。声明は、それを決まった事実として扱っています』


「衛星がどう出来たかって話だろ? それで、下にいる人間まで巻き込むのか?」


『この文章では、そこまで浄化に含めているように見えます。人工物を取り除き、火星へ戻すことが正しいと』


 紙の向こうに写った岩には、何も書かれていなかった。

 グレアムは文面から顔を上げた。保守責任者も、しばらく返事をしなかった。




 保存区から届いた監視カメラの停止記録も、声明の画像と並べられた。


『停止の原因は引き続き調べてください』


 担当官は同席する職員へ指示を返し、調査用の記録を開いた。


『環境保護や反開発を掲げる過激派が関わった、という線で調査を進めます。声明の内容は、実際にフォボスを減速させられた経過とも合います』


 グレアムは、署名へ目を戻した。

 担当官の記録にも、その署名が加わった。


『今は、これが調べるべき有力な証拠です。逆に、これしか手掛かりがないとも言えますが』


 担当官はその条件も添えて、記録を送った。

 グレアムに戻ってきたのは、作業中の接触箇所についての最後の確認だった。彼は覚えている範囲を答え、分からないものは現地の保守班へ聞いてほしいと伝えた。


 記録の受領が済むと、画面から呼出しが消えた。


「……終わりか?」


「はい。今回の聞き取りはこれで終了です」


「よし、飯にしよう。もう、話してるだけで腹が減る」


 パティが端末を閉じた。

 グレアムは椅子の固定を外しかけ、まだ通信を聞いていた自分に気付いた。もう次の質問は来なかった。




 食事は、港の残留要員に出しているものを分けてもらった。

 グレアムは容器を手元に留め、ひと口を飲み込んでから、ようやく味を確かめた。


「……何だこれ?」


「献立を確認しますか」


「いや、いい。うまいってほどじゃねえが、今はなんでもうまいからな」


 パティが自分の容器を見た。


「それは、少し分かりにくいです」


「ちゃんと飯を食えてるだけで天国ってことだよ」


 グレアムはもうひと口食べた。

 噛んでいる間は話さなくていい。目の前のものを飲み込んでから、次へ手を伸ばす。それだけで済むのがありがたかった。


 廊下を通る声が聞こえた。

 食事の受取り場所を尋ねる者と、そこまでの行き方を答える者だった。グレアムの端末は黙ったままで、パティも画面を開かなかった。


「……ところで、お前の肩は本当にこらねえのか?」


「人間と同じ仕組みでは、こりません」


「そりゃ、うらやましいな」


「ただ、定期的な点検は必要です」


「点検、ね。人間も似たようなもんだ」


 パティの口元が少し動いた。

 グレアムも笑い、残りの食事へ戻った。


 容器を閉じた頃、端末が鳴った。

 マーカスからだった。


『記録の引き渡しは済んだか?』


「ああ。今、飯が終わったところだ」


『そうか。二人とも、そのまま聞いてくれ。別件の報告がある』


 グレアムは、使い終えた容器を脇へ留めた。


「また仕事か。今度は何を運ぶ?」


『安心しろ、出動指示じゃない。……いや、安心ってのも変な話か』


 マーカスの声に、グレアムは端末へ目を戻した。

 パティも顔を上げていた。


『地球―火星間航路の惑星間救難船、ソスピタが喪失した。アウクシリア級2番船だ』


 グレアムの手が止まった。

 脇へ寄せた容器から、まだ指を離していなかった。


「……ソスピタが、救難に出たんじゃなくてか?」


『船そのものの喪失報告だ』


 グレアムは指を離した。

 容器が動かないのを確かめてから、画面を見直す。


 先日見かけた、トゥテラと同じクラスの救難船だった。

 地球寄りの航路にいると、パティから聞いていた。


「中の人間は?」


『乗員、乗客とも、個別の状況は確認できていない。原因についても確定した情報はない』


「喪失ってのは、どこまで分かってる?」


『まだ報告を受けた段階だ。今ある情報から、それ以上のことは言えん』


 グレアムは口を閉じた。

 マーカスはしばらく待ち、二人の端末へ報告を送った。


 パティが端末を開いた。


「受領しました」


『お前たちには、今から動いてもらう話ではない。機体も人も、まず休ませろ。確認できたことが増えたら伝える』


「……ああ。頼む」


 マーカスの回線が閉じた。

 グレアムは、パティが受け取った報告を見た。そこにある文を読み終えても、知りたかったことは分からないままだった。


「何人、いたんだろうな」


 パティはすぐには答えなかった。

 グレアムも、答えを求めて彼女を見ることはしなかった。


 眠るつもりだった。

 今も眠気はある。背中を伸ばすと、肩の奥が同じように痛んだ。


「グレアム」


 パティが、閉じた食事の容器を指した。


「それは、私が戻してきます」


「助かる」


 彼はうなずき、手元を空けた。

 彼女に容器を受け取ってもらってから、椅子へ背を預けた。


 目を閉じる前に、端末の呼び出し音量を確かめた。

 続報が来れば、聞こえる大きさだった。


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