第32話 フォボス・グルント4
新しく届いた識別信号には、MRSSの所属が記されていた。
グレアムが光学像を重ねると、避難船の列から離れた場所に見慣れないサルースが見えた。その脇を、白地に赤い帯の入ったファーベルが進んでくる。
『あんたが例のグラディヴスか。交代要員として来た、外周担当を引き継ぐ。現在の待機位置を送ってくれ』
パティが、独立ビーコンを基準にした航路図を渡した。進入中の船、出港を待つ船、その間に取ってあるサルースの待機位置。
グレアムは図の端に残った補給船を指した。
「そいつは推進の確認待ちだ。動かす時は、先に声を掛けさせてくれ。あと、中央の予定表は絶対に信用するな。空いてるはずの場所にも船がいるからな」
『現地と外部観測で照合するようにする。港からの離脱は、どちらへ流している?』
グレアムは進入船が寄りやすい場所と、直前まで使っていた離脱経路を示した。パティが各バースの現地連絡先を添え、MROCCが今通せる経路を確認する。
新しいサルースが減速し、グラディヴスの少し外側で姿勢を揃えた。
遅れて、次の班からも到着の連絡が入った。
送られてきた編成には、火星圏の別々の担当区域が並んでいる。通常待機から回された班も、予備として控えていた班もあった。
「増援は助かるが、そっちの留守は足りてるのか?」
『勿論、初動に出せる班は残してある。予備はかなりこちらへ回したみたいだがな』
グレアムは救難船の向こうを見た。まだ接近してくる機影がある。
その数だけ、別の場所で待っていた機体が減っている。
ダリオから連絡が入った。
『グレアム、港内はこっちで回せます。外の引継ぎが済んだら、保守班の方へ行ってください。出港の連絡も、次から後着班へ渡します』
ちょうど港から出てきた小型船へ、新しいサルースが付いた。船が十分に離れると、機体は次の進入船も見える位置へ戻る。
グレアムはそこまで見届けて、担当を渡した。
「……そろそろ帰りてえな」
操縦桿を握り続けていた指を、片方ずつ開く。
後席でパティが顔を上げた。
「帰ったら、まず食事ですね」
「ああ。その次に寝る。お前はバッテリー残量は大丈夫なのか?」
「機体からの供給があります」
「んだよそれ、ずりぃわ!」
画面へ、保守班との合流指示が出た。位置は、港を離れてフォボスの外殻に沿って回った先だった。
グレアムは肩を動かし、操縦桿を握り直す。後を任せた機体の進路を空けてから、グラディヴスをそちらへ向けた。
「まだ休ませてくれないみたいだ」
「帰ったら先に、残業申請ですね」
◇
ダリオの前では、小型の補給艇がまだ係留されていた。貨物を降ろした与圧区画へ避難者を入れ、最後の乗船確認をしている。
港湾職員から届いた映像には、手すりをつかんで接続口を越える人々が映っていた。大きな鞄を抱えた男の後ろで、子供が脱いだ青い上着を丸めている。
『通過人数、船側と一致。ハッチを閉めます』
人影が途切れた後も、すぐには船が離れなかった。
両側の扉を閉め、気密を確かめ、接続通路を退かせる。係留具が外れたことを職員が現物で確認してから、ようやく出港の声が来る。
「サルースC、作業範囲から退避しました。出せます」
ダリオは機体を架台の脇へ寄せた。補給艇がゆっくり離れていく。船腹に残った斜めの補修跡が、作業灯の下を通った。
その船尾が抜ける前に、次の入港船から問い合わせが来た。
『こちら、受入待機中。まだ接続通路の試験が終わらない、手伝って欲しい』
港の担当者が答えた。
空いたバースでは、通路を次の船へ合わせ直そうとしていた。可動部が少し伸び、そのまま止まる。職員が手元の操作をやり直しても、動かなかった。
「エアロックの駆動部のところね。作業員が呼んでる」
エレナが外部カメラを向けた。足場に固定した職員が、通路を指している。
『点検口を開けたい。外から支えられるか?』
ダリオは機体を寄せ、エレナが指定された支持位置へアームを当てた。荷重が掛かるにつれ、伸びかけていた通路の揺れが収まる。
「保持しています。駆動は止めたままでお願いします」
固定を確認した職員が、点検口へ手を伸ばした。
内側の待機区画からも連絡が来た。
こちらへ乗るはずの避難者が、前の便の出港に合わせて集まっている。その後ろへ、別の居住区からの一団が着き始めていた。
映像の端で、医療班の搬送寝台が止まった。先へ進めない人の列が、隣のバースへ向かう通路まで張り出している。
「新しく来る人を、手前の集合場所で止めてください。搬送の道を空けたい。次の船は、隣の大型バースへ回せませんか?」
『そちらは受入可能。船型も合う。MROCCへ振替を要請する』
返答を聞いても、ダリオはまだ機体を動かさなかった。こちらが支えている通路の下で、職員が作業を続けているからだ。
エレナが内側の担当者へ別の図を送った。
「人を移す方は、ここの角で分けて。医療班が通ってから、待ってる人を隣へ送ってください」
MNSAの誘導員が交差する通路へ入り、列の先頭を止めた。後ろの人がつられて進まないよう、もう一人が途中へ入る。
寝台がその間を抜けた。付き添っていた女が、鞄を抱え直して後を追う。
『次の乗船口へご案内します。この列は、係員について移動してください』
港湾職員が先頭に立った。
すぐに動き出す人もいれば、端末に出ていた乗船口と違うため立ち止まる人もいる。誘導員が同じ案内を繰り返し、角を曲がった先の職員が手を上げた。
列が短くなり始めた。
ダリオは、搬送寝台が次の接続口まで届いたのを確認した。待機区画への入口も空き、そこで止めていた人々を、今度は別の列へ案内できる。
「ここの修理が終わるまで待たせなくて済みましたね」
「うん。でも、隣が出たら次はここ。のんびり直してる暇はないよ」
エレナの視線は、アームの荷重表示から離れていなかった。
点検口の奥で職員が部品を戻す。通路を支えたまま、動作確認を一つずつ進めた。
隣では気密確認が終わり、乗船が始まっていた。
こちらへ来る予定だった船が、人を受け入れている。ダリオが作業姿勢を保っている間にも、離れたバースでは別の船の係留が解かれた。
通路の試験を終えて次便を受け入れた頃、別の場所で出港予定がずれた。
介助の必要な人が座席へ移るのに時間が掛かっている。
その間に、先に扉を閉めた船を出す。入ってくる船の経路と重なれば、外周のMRSS班が待機位置へ付き、MROCCが順番を組み直した。
ダリオとエレナは、作業の終わっていない架台へ回った。
どこも、船を入れればすぐ人を乗せられるわけではなかった。空の船を待つ列と、空いた通路を待つ船が、港の別々の場所にできている。
『集合区画、確認終了。遅れていた方が着きました』
呼出しの向こうで、息の上がった男の声がした。
『店の戸締まりがまだなんだ。明かりも点いてるし、すぐ戻れると思って』
『残っている職員に引き継ぎます。今は乗船口へ。この船を逃すと、次のご案内になります』
職員が付き添い、男を船へ送った。
居住区から来る映像には、いつもどおりの明るい廊下が映っていた。空調も止まっていない。集合を促す案内だけが、同じ区画名を繰り返している。
やがて、その案内も次の区画へ移った。
乗船済みの報告が積み上がるたび、港湾管制が滞在人口の集計を更新した。
ダリオは数字を追うより先に、待機区画の様子が変わったことに気づいた。
さっきまで人に隠れていた壁が見える。床の誘導表示も、入口から接続口まで途切れずに見渡せた。
空いた場所には、別の居住区から人が入る。
その人々も、次の船が出る頃にはいなくなった。
しばらくして、外装に斜めの補修跡がある補給艇が戻ってきた。
『中継船への引渡し完了。もう一度、乗せられます』
ダリオは船腹を確かめてから、空き状況を送った。
港の予定に、新しい乗船枠が入る。
「なら、さっきと同じ場所が使えます。接続の確認が済んだら、次の人をお願いします」
エレナが、戻ってきた船へ作業灯を向けた。
乗船を待つ区画では、誘導員が次の列の先頭に立っていた。
◇
大型船は、フォボスから離れた安全な待機位置に留まっていた。
青い上着を抱えた子供は、その接続口の脇にいた。
補給艇から移った人々が、手すりに沿って客室へ案内されていく。乗ってきた艇の扉はもう閉まり、次の一団を迎えに戻っていた。
「今度は、どこへ行くの?」
子供が尋ねると、父親は乗船時に渡された案内を見せた。
「地表へ降りる小さい船に乗るよ。ここで少し待つんだ」
子供は上着を片腕へ通そうとして、抱えていた袖を裏返してしまった。父親が鞄を留め、空いた手で袖口を直した。
別の接続口では、医療班が寝台ごと人を受け取っていた。
送り出す側の職員が状態を伝え、受け取る側が記録と本人を確かめる。呼ばれた付き添いの人が、寝台の横へ移った。
全員を受け入れたことが確認されてから、小型船は接続を解いた。
案内板には、火星地表へ降りる便のほか、ダイモス方面や別の軌道施設へ向かう便が並んでいた。
変更の入った行の前で、船員が行先を説明している。
水を受け取って、ようやく鞄を開く人がいた。
家族と連絡のつかない人は、端末を握ったまま順番を待っていた。
小型船の窓の向こうには、まだフォボスが見えた。
そこを離れた船が近づいてくる。その脇を、空になった船が反対向きに進んでいた。
フォボスの外殻の一部はいまだ、動き続けるAEドライブで光っていた。
◇
グレアムの前を、避難船が航跡を残して通り過ぎていく。
ただ、今はそれより大きく、外殻に固定された大型AEドライブの姿が画面へ映っている。
合流した保守班の映像を、パティがグラディヴスの観測データと照合していた。
AEドライブの停止に向け、保守班は工具と固定具を揃え、作業に使う足場の状態を確かめていた。中央から届く設備図だけでは、どこが触れていい場所なのかわからなかったからだ。
グレアムはグラディヴスのカメラで外側を見せ、保守員が手元で確かめた場所と合わせていった。
『港湾管制より。現在確保している船と後続便で、一般避難者の大部分を搬出できる見通し。乗船案内は継続する』
続けて、居住区の巡回報告が入った。
避難済みになった区画から、最後の職員が戻ってくる。入口を閉じ、次の担当へ確認結果を渡している。
グレアムは、通信で流れてきた巡回映像へ目をやった。明かりの消えていない通路を、確認員がひとりで進んでいた。
開いたままの店の前にも、集合を待つ人はもういない。靴音と、居室を確かめる声だけが届いた。
残留人員の連絡には、AEドライブの保守班、MMRの運用担当、生命維持設備を見ている職員が並んでいた。
港湾管制も、医療班も、救難と誘導の担当も、まだフォボスを離れていなかった。
『こちらダリオ。次の便も出せます。乗り遅れた人の確認を続けています』
その報告を、外周のMRSS班が受け取った。
グレアムは回線を聞きながら、保守艇との間隔へ目を戻した。
「パティ、こっちの準備は?」
「機体の状態は確認できています。保守班から作業位置の指定を待っています」
窓の外では、AEドライブの光が消えずに続いていた。
人を乗せた船が何度離れても、フォボスへ掛かる減速推力は変わらない。
保守員の手元では、まだ確認を終えていない図面が開かれている。
グレアムは機体を保守艇の横で保持した。
「準備できたら呼んでくれ。こっちはここにいる」
港から、また船が離れた。
グレアムはその行先を仲間に任せ、光の消えないAEドライブへ機首を向けていた。




