第31話 フォボス・グルント3
フォボスを離脱していく旅客船の向こうから、次の船が姿を現した。
船腹には運送会社の大きな印がある。貨物を降ろすために来た船だったが、港から渡された新しい予定には、乗船する人の集合区画が記されていた。
緊急入港禁止の措置は、避難輸送に回された船だけを個別に受け入れる運用へ切り替わっていた。
『接続場所の確認待ちにつき、進入はまだ許可できない』
バースの担当者が答え、MROCCがその船を外側の待機位置へ回した。
空いた架台が見えていても、そこに次を入れられるとは限らないからだ。
グレアムは待機位置へ向かう船を追った。
航路図の印と、実物の船腹が同じ方へ動く。パティがビーコンを基準に取り直した位置も、それに重なった。
『こちらは気密確認完了。次便、受入可能』
別のバースから声が来た。
MROCCが進入順を変え、待っていた小型船へ新しい経路を渡す。港の壁面に沿って並ぶ係留設備が、別々の職員の手で動き始めていた。
「入れ替えるたびに呼んでくれ。こっちでも船を見てるから」
グレアムは回線を開いたまま、グラディヴスを進入経路の脇へ移動させた。
港内では貨物の取扱いが止まり、作業艇が荷役用の推進機材を片づけている。
外へ出る船には、区画ごとに集められた避難者が乗っていた。出港を待つ船の列は、先ほどより長い。
危険接近の警告が鳴った。
進入中の中型貨客船と、港を離れる船。その先へ伸びる予測経路が、同じ場所で重なっていた。
『進入船、直ちに減速。離脱船は現針路を維持せよ』
MROCCの指示へ、別の船からの照会が重なった。しかし、進入側からの返答が来ない。
呼出しが繰り返される間も、貨客船の船首は港へ向かって進んでいた。
『こちら進入船、減速します』
ようやく進入側からの返答があり、その船首脇からの噴射が強くなった。
パティが予測を更新する。軌道が交差する場所は変わったが、交差する事実は変わらない。
「船側の最大減速を入れても、安全間隔を確保できません。反転しての主機による減速も間に合いません」
グレアムは二隻の船と、自機との位置を比べた。
進入船の方が自分に近い。その船腹へ回り込む経路もクリアだった。
「出る方はそのまま通せ。入ってくる方を俺達でずらす。パティ、横へ逃がさなきゃいけない分を出してくれ」
両船の航行質量とMMRの稼働状態が届いた。
パティは姿勢、相対速度、今使える推力を照合し、周囲を通る船も考慮に入れて計算する。
「この方向での軌道変更が必要です。必要な速度変化と、接触位置を出します」
進入してくる貨客船の横へ、短い矢印が重なる。その先には空間があったが、その奥を作業船が通過しようとしていた。
「管制、作業船を待たせてくれ。こいつを押した先へ作業船を入れたくない」
『作業船、待機指示受領。軌道修正先の空間を確保する』
グレアムは貨客船へ呼びかけた。
「MRSSだ、船腹へ付く。荷重を受けられる場所を教えてくれ。あと、こっちが接触している間は姿勢を変えないように」
『了解。外部作業用の固定座を使ってください。位置と許容荷重を送ります』
送られた図と、カメラの像が重なった。
外板の継ぎ目に沿った先に、船体構造へつながる固定座があった。
グレアムはそこへ機体を寄せ、船腹を流れていく塗装の文字を画面の中央で止めた。
接近速度を落とす。展開したアームの先端が、固定座へ静かに当たった。
座席の下から、小さな振動が伝わった。
「接触した。荷重を掛けるぞ」
「固定確認。船側の推進と合わせます」
パティがアームの角度を整えた。推力を伝える方向が、船の重心から大きく外れない位置へ収まる。
グレアムはスロットルを上げ、グラディヴスで船を押し始めた。
船体は目に見えて跳ねたりはしなかった。固定部の荷重だけが先に増え、計器に横方向の速度が積み上がっていく。
貨客船は、まだ港へ向かって進んでいる。その動きへ、離脱船の経路から外れるための速度が加わった。
予測線の重なりがほどけた。
だが、もう少しマージンを稼がないといけない。
「あと少しです。そのまま」
グレアムは操縦桿を動かさず、荷重の偏りを見た。船側の減速噴射に合わせ、パティが推力の配分を変えている。
「必要量に達しました。押すのを止めてください」
推力を落とす。固定部に残った荷重が抜けてから、アームを離した。
グレアムは、離脱船も同時に見える方向へ機体を退かせた。貨客船は与えられた横向きの動きを保ち、離脱船の経路から外れていく。
先に旅客船が通り過ぎた。
その後ろを、貨客船の船首が十分な間隔を空けて抜けていく。
画面の警告が消えても、グレアムは両方の船尾が離れるまで目を外さなかった。
『こちら離脱船。針路維持、航行に異常なし』
『進入船、軌道の修正を確認。次の指示を待ちます』
「管制、受け取ってくれ。こっちは経路の脇へ戻る」
MROCCが貨客船の進入予定を組み直した。待たせていた作業船も、間隔を確かめてから動き始める。
グレアムは、止まっていた出港待ちの列を見た。
先頭の船へ許可が出る。これで、次の人間を乗せることが出来るようになった。
『外は忙しそうですね』
ダリオから通信が来た。
「見てたんなら手伝えよ」
『無茶言わないでくださいよ。こっちも順にやってますからね』
「確実に乗せ終わったのを寄越せよ。空っぽのまま追い出しても仕方ねえからな」
『問題はそこなんです。船はありますが、乗船作業が追いついていません』
ダリオの声の後ろへ、エレナの報告が入った。
『次の便、係留の解除を手元でやり直してる。こっちは支えておくから、作業員が離れるまで待って』
『了解。こちらで保持します』
ダリオの返答は、さっきの軽口より短かった。
グレアムが港内の像を拡大すると、船腹の脇にサルースCが見えた。長いアームを架台の方へ伸ばし、離脱前の船を押さえている。
『解除できた。外の作業員、全員退避。接続通路も離れてる』
エレナの声で、サルースCが少し姿勢を変えた。支えていた船が、ゆっくり架台から離れる。
『グレアム、そちらへ出します。その後はこちらも作業員の搬送へ回ります』
「わかった、受け取る。船が来る方ばっかり急がせても駄目だな」
『空いたら呼びます。空く前から並ばせないでくださいよ?』
「それは管制にも言っとけ」
離脱船の行く先を確かめているうちに、外側から別の救難要請が来た。
待機位置へ入ろうとしていた補給船が、推力を保てずにいた。
噴射が途切れるたび、予定した減速が足りなくなる。船自体はまだ、ほかの船から離れているのが幸いだ。
グレアムは、そちらを先に片づけることにした。
「あの補給船が内側へ流れる前に止める。近くの進入船は待たせてくれ」
パティが接近経路と、待機状態を保つために必要な推力量を出した。
グレアムは船の横へ付き、応答の確かな推進器だけを使うよう船側へ伝える。
機体の固定を取り、足りない減速分をグラディヴスで受け持つ。船の動きが落ち着くと、MROCCが外側に取り直した待機位置へ運んだ。
補給船の船長は、まだ人を乗せられると言った。
「乗せてから動けなくなったら困るだろ? 先にそっちの具合を見てくれ。直ったら、また頼む」
グレアムは返答を聞き、固定を解いた。
次は、古い進入予定情報のまま近づいてきた船だった。
こちらには機関の異常はない。グレアムはその船が離脱経路へ入り込む前に呼び止め、パティが新しい待機位置データを渡した。
復唱された位置をMROCCが確認し、実物の船もそちらへ向きを変える。
続いて、入ってくる船と出ていく船の間が危険なぐらいに狭くなった。
今度は早く気づけた。グレアムが進入側へ付き、パティの示す修正を船へ送り、接触する前に間隔を広げる。
そうやって船を一隻送り出すたび、別の問題が視界へ入った。
次の呼出しが来るまでの短い間に、腹が鳴った。
グレアムは座席へ背を押しつけ、ようやく自分が空腹だったと気づいた。
「……腹減ったな。お前は、飯とか要らねえのか?」
「要りません」
後席から、素っ気ない返事が来た。
「こないだ、食ってたじゃねえか」
「以前にも言いましたが、基本的にはバッテリー残量があれば問題ありません」
「んだよ、便利だな。今だけ代わってくれよ」
「操縦ですか」
「腹の方だよ。俺にもバッテリーを分けてくれ」
時刻を見る。
パティに休憩を勧められてから、思っていたより長く経っていた。船を追っている間は、次の接近までの時間しか見ていなかった。
「身体改造には相応のリスクがあります。次の船が来ます」
グレアムは時刻の表示を閉じ、背を起こした。
地表往還機が、腹の広い船体をこちらへ向けて近づいていた。
船側からは、介助を必要とする避難者を受け入れられるという返答が入っている。
港では、大型船用の架台に小さな船影が付いていた。
使う係留具を寄せ、接続通路を合わせる作業を、パティが現地報告とともに示した。
『接続はできます。ただし、通路の確認が済むまでは次を入れないでください』
空いた大きな場所へ回せば、それだけで乗船が早くなるわけではなかった。
港内の連絡へ切り替えると、区画ごとの集合確認が流れてきた。医療班が搬送の順を伝え、MNSAの誘導担当が通路を空ける。
手荷物をまとめ直す人がいるらしく、職員が荷物の引受場所を繰り返し案内していた。
『こちらダリオ。次に出る往還機は、座席への移動に時間が掛かっています。出港枠を後ろへずらせますか?』
「わかった、こっちで合わせる。乗る方を急かすなよ」
『急かしたところで、歩けるようになるわけじゃありませんからね』
出港予定が入れ替わり、別の船が先にフォボスを離れた。
その船長が、受入先の確認を求めてきた。パティはMROCCの指定と船側の航法データを照合する。
航路図の外側には、大型船の待機位置が増えていた。
フォボスへ直接付けず、小型船から人を受け取るという。往還機が使う経路と重ならない場所へ、管制がそれぞれを振り分けている。
補給船から、貨物の受渡しを後へ回し、空いた客室を使えると返答が来た。
作業船は、同行する人間を減らして収容できる場所を作っている。
火星へ向かっていた貨客船は針路を変え、到着予定と、その後も輸送を続けられるかどうかを送ってきた。
グレアムの前では、それら報告の一つずつが、実際の船影になっている。
船首の細いもの、幅の広いもの。よく見る塗装も、名前を知らない会社の印もあった。
向こうから届く識別信号へ光学像が結びつき、待機している船のさらに後ろへ、新しい船が並ぶ。
『港湾管理より。現地で使用可能と確認した設備は、避難輸送へ優先して割り当てる。各バースの担当者は、受入可能時刻を個別に報告せよ』
返答は、一つの声にはまとまらなかった。
通路が空いた場所から、次を呼ぶ。
まだ扉を閉められない場所では、出港を待たせる。
その合間を縫って、ダリオとエレナが作業の終わっていない架台へ回っていた。
グレアムはフォボス外殻のAEドライブへ目をやった。
運転の光は、消えていなかった。
そこへ向かう経路を見ようとした時、航路図に新しい警告が点いた。
「パティ、近づいてるのはどっちだ?」
「外側の進入船です。まだ、船側の修正で離せます」
ダリオからも、別のバースで係留具が外れず、そちらへ回るという連絡が入った。
出港を待つ船が、また増える。
グレアムは、AEドライブの映像を脇へ戻した。
「こっちは外を見てる。出せるようになったら呼べ」
船は、まだ大量に来る。
グラディヴスはその列へ向かって姿勢を変えた。
港から出てくる船のために、次の隙間を空けに行った。




