第3話 性能試験
MRSS基地を離れたグラディヴスは、火星軌道上をゆっくりと進んでいた。
四本の推進モジュールは船殻を中心に均等に開き、それぞれが細かな姿勢修正を繰り返している。機体は静かだったが、表示の中では四肢の数値が休みなく動いていた。
グレアムは操縦桿を軽く倒した。
ほとんど間を置かず、機体が横へ滑る。
入力を戻せばぴたりと止まる。余計な回転も、進行方向への流れも残らない。
「意外と素直だ。サルースCより使いやすいかもな」
「リミッターによって、通常使用において扱いやすい範囲に収めています」
後席からパティが答える。
統合表示には、四基の推進モジュール、反動推進器、AEドライブ、マスリデューサー、電力、熱の状態が絶えず更新されていた。
だが、グレアムがそれらすべてを直接操作しているわけではない。
操縦桿から与えられた機動要求を基に、パティと機体制御系が必要な推力と質量軽減率を計算し、四肢へ配分している。
これなら、初めて乗る機体でも動かすだけなら難しくない。
なにより、直感的だった。
しかし動かせることと、使い切れることは別だ。
問題は、その先だった。
「これよりテストプロトコルを実施。まずは最大加速からいくぞ」
「了解しました。スロットル操作に反動推進器とAEドライブの出力を合成します。パイロット保護用リミッターを再設定」
表示の一部が黄色へ変わった。
乗員区画を囲むマスリデューサーも出力を上げていく。
ただし、一気に軽くするわけではない。パティは乗員区画のMEF均一性とグレアムの循環状態を監視しながら、軽減率を段階的に上げていった。
機体だけを軽くして加速すれば、その中にいる人間は加速度をそのまま受ける。
そのため、グラディヴスでは、コクピットそのものを独立したMMR区画として制御していた。
乗員と座席、装具、区画内の空気までをまとめて作用領域へ収め、機体の加速に対して人体内部へ掛かる慣性負荷を抑える。
それでも負荷が完全に消えるわけではない。
「推進モジュール軸固定。いくぞ」
四本の推進モジュールが後方へ揃う。
グレアムはスロットルを押し込んだ。
同時に、四基の反動推進器が一斉に点火する。
身体がシートへ押し付けられた。
背中から胸へ、重さが一気にのしかかる。
「……っ!」
視界の端に並ぶ数字が、一気に跳ね上がっていく。
2。
3。
まだ上がる。
普段乗っているサルースCなら、とっくに性能限界を越えている領域だった。
だがグラディヴスは加速を止めない。
乗員区画のMMRが負荷を削っている。それでも加速度が上がるにつれて身体へ伝わる圧迫感も増していく。
グレアムは腹へ力を入れ、さらにスロットルを押し込んでいく。
5。
8。
10。
そして表示が12を示したところで、加速が止まった。
「……っはぁ!! なんて加速だ、殺す気か!!」
スロットルをゼロへ戻すと、反動推進器の出力が落ちる。
身体を押さえつけていた力が消え、グレアムは大きく息を吐いた。
「12Gまでの到達時間、推進剤消費量、熱蓄積量。想定内数値です」
「……お前一人で動かした方がいいんじゃねえか? これじゃ、先に人間が駄目になっちまう」
「設計時のシミュレーションでは、私単独での機動も考慮されています。自壊限界付近での許容最大加速度は40Gですが、その際には稼働時間が大幅に短縮されます」
グレアムは思わず後ろを振り返りかけた。
「40……?」
「はい。設計上の非常条件では、機体主要部を約75%、乗員区画を90%まで軽減します。乗員への慣性負荷だけなら、先程と同等です」
耳を疑う数字だった。
マスリデューサーの効果を自分の身体で受けるのは、これが初めてだった。
理屈として知っていた質量軽減が、いまは背中に残る圧迫感と一緒に現実のものになっている。
「今更だけどよ。昔あれだけ事故った生体MMR、本当にもう問題は潰れてるんだろうな?」
「はい。過去の事故原因は、急激な質量係数変更とMEFの不均一です。グラディヴスでは、独立した均一作用領域と段階制御、循環監視によって既知の危険要因は解決されています」
パティは続ける。
「なにより、現在あなたが生きているのが、その証左になるかと思います」
「怖いこと言うんじゃねえよ、ったく……。で、G以外の稼働時間減少の要因はマスリデューサーの発熱か?」
「はい。AEドライブも同様です。もっとも、AEドライブは主に巡航・微調整用なので反動推進機と同時に稼働させることは少ないと思いますが」
「……熱か、どう足掻いても変えられない現実だな」
グレアムは正面へ向き直った。
現在の速度が表示されている。
たった数十秒前までの相対速度とは、もうまるで違う。数字だけ見れば気持ちがいい。だが、その数字の先には減速も帰還もある。
「しかし、とんでもない俊足だ。下手に加速したら僚機との足並みが揃わねえ」
「揃えれば航続距離は伸びるので、総活動時間が増えます」
「あんな、勤務時間が延びても人間は死ぬんだ。覚えとけ」
「単純な巡航であればこちらで行えますので、その間に睡眠を取って下さい」
「人間、寝るだけが休息じゃねえんだ。覚えとけ」
「わかりました」
試験表示が次の項目へ進む。
グレアムは気を取り直して操縦桿を握った。
「次は機動性の確認だ。この先に航行用ビーコンがある。それを目標にして接舷手順を行う」
「了解しました」
パティが周辺宙域を走査する。
「レーダーにてビーコンを捕捉。画面に出します」
航路標識として設置された無人ビーコンが、正面表示の中央に小さな枠で囲まれた。
実際の救難現場なら、そこにあるのは遭難船だ。
回転しているかもしれない。
姿勢制御を失っているかもしれない。
推進剤を撒き散らしながら、不規則な軌道を描いているかもしれない。
静止して待ってくれる遭難船など、ほとんどない。
「接近する。アーム展開、減速準備」
後方へ揃っていた四本の推進モジュールが開く。
その内の一本が前方へ回り込んだ。そして別の一本が横へ。
減速と姿勢保持を同時に行う配置へ、機体が姿を変えていく。
モニター内のビーコンが急速に大きくなる。
「最大減速開始」
前方へ向けた推進器が点火した。
「ぐっ……!」
今度は身体がベルトへ押しつけられる。
内臓だけが前へ抜けていくような感覚に、グレアムは歯を食いしばった。
「ぐっ……ハァ!! こっちもキツいぜ。中身が全部出るかと思った」
「正規の進入速度ではありません。運用規定に反しています」
「だが必要になる時が必ず来る。そん時に出来ませんじゃ話にならん」
速度表示が急激に落ちていく。
「このまま微調整に入る」
「目標との相対速度を合わせます」
ビーコンに対する速度差が消えていく。
グレアムは操縦桿を細かく動かした。
右。
上。
機首を数度。
どの入力にも機体は正確に応じた。
入力した分だけ、狙った方向へ動く。余計な挙動はパティと機体側が先に消している。
まるで自分の身体を動かしているようだった。
ビーコンまでの距離が詰まる。
接舷を想定すれば、あと数秒で固定作業へ移れる位置だった。
「……緊急回避!」
グレアムは突然、操縦桿を大きく倒した。
グラディヴスがビーコンから離れる方向へ跳ぶ。
「危険な状況ではありませんが」
「そういう想定だって話だよ」
例えば、接近中に相手の姿勢制御器が突然噴いた。
外板が剥がれた。
デブリが飛んできた。
現場では、予定どおりにいかないことの方が多い。
「さぁ、お釣りを制御するぞ……」
大きく横へ振った機体の運動を打ち消すため、グレアムは反対方向へ操縦桿を入れようとした。
そこで手が止まった。
「……全然流れてないな」
機体はすでに静止していた。
正確にはビーコンとの相対運動が、ほぼ完全に消されている。
「既に制御済みです」
パティの声はいつもと変わらない。
「……お前に頼ってたら、操縦が下手くそになりそうだ」
「アシストを切りましょうか?」
それを聞いて、グレアムは少し考えた。
目の前の機体は、自分が入力した動きを実行している。
だがその裏で何が起きているのか、自分にはほとんど分からない。
軽く操縦桿を倒しただけで綺麗に止まる。その綺麗さそのものが、急に気になった。
四本の推進モジュール。
反動推進器。
AEドライブ。
細分化されたMMR。
それらをパティが一つにまとめているから、この動きが出来ている。
「一度試してみたい。切ってくれ」
「了解しました」
モニター表示に警告が出た。
統合機動補助解除。
「アシストを解除します」
「よし」
グレアムは、先ほどと同じ程度に操縦桿を倒した。
次の瞬間。
「なんっ……だこりゃ!?」
機体が大きく傾いた。
一基の推進モジュールが生んだ回転を、別の推進器で打ち消す。
さらにその反動で船殻が流れる。
さっきまで一つの入力に見えていたものが、急に四肢それぞれの力へほどけた。
グレアムが修正を入れる。
修正した分だけ別の軸がずれる。
「おい、待てクソ、そっちじゃねえ!」
四本の推進モジュールは、それぞれが強力な推進器だった。
しかも位置も向きも刻々と変わる。
一基の推力方向を変えれば、機体全体の重心に対する力の掛かり方も変わる。
マスリデューサーの軽減率まで、各部位ごとに変化するからだ。
サルースなら経験で追えた。
だがグラディヴスでは、操作一つに対して変化する要素が多すぎる。
グレアムが操縦桿を戻した。それでも機体は止まらない。
「くそっ……!」
「統合制御を復帰しますか」
「まだだ!」
姿勢を戻そうとする。
一度は収まるかに見えたが、次の瞬間には別方向へ流れた。
数度繰り返したところで、グレアムは諦めた。
「……わかった、戻してくれ」
「了解しました」
統合制御が復帰する。
今まで暴れていたグラディヴスの動きが、一気に収まった。
グレアムは操縦桿から力を抜いた。手のひらに、無駄に力を入れていた感覚だけが残っている。
「こりゃ練習が必要だな。とんでもなく優秀な機械だ」
「統合制御によるアシストは、切る必要は無いと思います」
「馬鹿言え、機械ってのは壊れるもんだぞ」
グレアムは画面に表示された四肢の状態を眺めた。
「そん時にお前無しでも使えないと、俺がいる意味がねえだろ」
後席からの返事が、少しだけ遅れた。
「……グレアムは壊れますか」
「あ?」
「機械は壊れるものだと、今言いました」
「ああ」
「グレアムも、故障する可能性がありますか」
グレアムはしばらく黙った。
機械が壊れる話をしていたはずなのに、問いはそのまま自分へ返ってきた。
それから、小さく笑った。
「勿論。その可能性だってあるだろう」
事故に遭う。
負傷する。
意識を失う。
死ぬ。
人間だって、動けなくなる。
「そん時は、お前が何とかしてくれ」
「わかりました」
短い返答だった。
だがグレアムには、それで十分だった。




