第2話 グラディヴス
「ダリオだけを現場に行かせるって、どういうことだ」
グレアムの抗議を受けても、マーカス・レインは手元の端末からすぐには顔を上げなかった。
MRSS火星軌道運用部長。グレアムが新米だった頃から、二人の操縦も、無茶の仕方も、その後始末まで知っている男だ。
「お前には別の仕事を頼みたい」
「だからって、あいつを一人で出すのか? 今回の対象は姿勢制御が死んだ貨物船だろ」
一人では荷が重い、とグレアムが言いかけたところでマーカスは続けた。
「ソロでは出さん。エレナ・ヴォスと組ませる。機体はQR-12C【サルースC】。今後も、基本的にはその編成だ」
グレアムは言葉に詰まった。
エレナなら技量に問題はない。船体固定も、切断も、外部作業機の操作もできる。ダリオとの訓練経験も十分だった。
反対するための理由が、一つずつ潰されていく。
「ダリオには、あいつの機動能力を活かす仕事を回す。エレナなら横で支えられる」
「俺では無理みたいな言い方だな」
「お前は止めるより、隣で別の無茶を始めるだろう。二機揃って整備班に怒鳴り込まれた回数を数えてもいいぞ」
反論しかけ、やめた。
マーカスなら日付と損傷箇所、その費用まで並べかねない。
「それで、俺は地上で報告書でも書いてろと?」
「溜まってるものを書く気があるなら頼みたいがな。お前には別の機体へ移ってもらう」
薄い情報端末が机の上を滑ってきた。
表示されていたのは、見慣れない機体の設計概要だった。
四基の可動推進モジュール。細分化されたミスリル・マス・リデューサー。遠隔受電機構。小型AEドライブ。
流し読みしていた視線が、次第に画面へ吸い寄せられていった。
個々には既存の技術だったが、それらすべてが一機のクアドリガへ搭載されていることに違和感がある。項目を追うほど、救難機という言葉の輪郭から外れていく。
「なんだ、これ……?」
「第三世代クアドリガ先行統合試作一号機、【グラディヴス】だ」
「新型なんてもんじゃないだろ、これは。救難、修理、接舷、長距離巡航、おまけに戦闘まで想定してる。一機でどこまでやらせる気なんだ」
「それを確かめるための実証機だ。今日から実験的にMRSSへ配備される。俺は実証運用責任者、お前は前席搭乗員だ」
「全部盛りの試作一号機を、実際の救難現場で使えと?」
「試験して、任務を終えて、生きて帰れ」
「注文が多いな」
「それができる人間を選んだ」
なぜ自分なのかまでは、マーカスは説明しなかった。
グレアムが問い返すより先に、彼は部屋の隅へ視線を向ける。
「それと、新しい後席搭乗員がいる」
そこで初めて、グレアムは小柄な少女に気づいた。
飾り気のない、身体の線に沿う簡素な服装。肩口で切り揃えられた青い髪。幼く見える顔立ち。
だが、子供らしい所在なさはない。手持ち無沙汰に周囲を見るでもなく、静かにドアの横で待機している。
「……まさか、その子じゃないよな」
「彼女はPilot-Adaptive Tactical Intelligence。通称P.A.T.I.だ」
少女は静かに一歩前へ出た。
「製造番号No.003。登録呼称はパティです。本日よりグラディヴスの後席へ搭乗し、機体統合制御と任務補佐を担当します。よろしくお願いします、グレアム・ヴェイル」
「部長、冗談きついぜ。まさか、この子が後席だと?」
「冗談じゃない。お前は現場を教えろ。パティはお前に機体を教える。それと、お前の無茶を止めるのも彼女の仕事だ」
「火星の人手不足も、とうとう児童労働に頼るところまで来たのか」
「私の任務能力は訓練結果から判断してください。子供ではなく、グラディヴスの後席搭乗員として扱うことを求めます」
パティは軽口に動じず、まっすぐグレアムを見返した。
表情にも声にも、怒った様子はない。ただ訂正すべき情報を訂正した、それだけに見える。
その横で、マーカスが額を押さえた。
「機体も後席も、扱いが難しそうだな」
「今日からお前のパートナーだ。仲良くしろよ」
「簡単に言う……」
「ダリオと初めて組んだ日にも同じ顔をしていたな。それが十年近くもったんだ、今回も何とかなる」
昔を持ち出され、グレアムは小さく顔をしかめた。
端末を脇に抱え、そのまま椅子を離れる。
「実物を見てくる。文句はその後で」
「合理的な指摘であれば、試験項目へ反映します」
「お前に言ったんじゃねえよ」
パティは特に答えず、グレアムに続いて部屋を出た。
◇
「それで、お前は具体的に何をするんだ?」
ハンガーへ向かう通路で、グレアムは尋ねた。
「通常の機動と任務判断はあなたが担当します。私は4基の推進モジュール、AEドライブ、機体のマスリデューサー出力、電力、熱、作業装備を統合し、損傷時には残存機能を再構成します」
「俺が行き先を決めて、お前が機体の手足を動かすってことか」
「概ね合っています。ただし、操作不能や帰還不能につながる場合は警告し、代替案を提示します。実行そのものが成立しない場合は拒否します」
「現場では、数字どおりにいかないことも多いぞ」
「理解しています。あなたには、通常の計算では救助不能とされた状況から生存者を回収した記録があります。同時に、帰還余力を予定以上に減らした記録もあります。私は経験則を否定するためではなく、その判断を機体が実行できる形へ収めるために搭乗します」
返ってきたのは、教本どおりの反論ではなかった。
思っていたより話は通じる。
「長く組んだ相手なら、短い言葉でも分かるんだけどな」
「私には、まだ共有された経験がありません。当面は確認が増えますが、不要な確認を減らせるよう適応します」
「分かった。最初のうちは、なるべく詳しく言う」
「協力に感謝します」
パティはそれ以上何も付け足さず、一定の歩調で隣を歩き続けた。
グレアムが胸元のカードキーを端末へかざすと、ハンガーの隔壁が開いた。
その奥に収められた機体を目にした瞬間、グレアムは足を止めた。
「これが、グラディヴスか」
中央船殻から伸びる四基の推進モジュールは、従来のクアドリガより長く、可動域も広い。単なる脚ではなく、それぞれが推進器であり、作業腕であり、装備架でもある。
しかし一番の違いは、待機状態であっても人型で保持されていることだった。
船殻上面と下面にそれぞれ二本ずつ装備されている推進モジュールが、まるで胴体から手足が伸びているように見える。
ハンガーの照明が、灰色の外装を鈍く照らしていた。
巨人のようなシルエット。止まっているのに、今にも動き出しそうな気配があった。
「まるで人間みたいだな」
「第二世代クアドリガを発展させた次世代実証機です。ミスリル・マス・リデューサーを各モジュールへ細分配置し、反動推進器に加えて小型AEドライブを備えています。AEドライブは急激な機動には向きませんが、推進剤を消費せずに継続的な加速が可能です。対象船との速度同調や精密接近、長距離巡航では、反動推進器の消費を大幅に抑えられます」
「遠隔受電もできるんだったな」
「一定距離内であれば、母艦や軌道施設から電力の供給を受けられます。ただし、電力が確保できても排熱能力には限界があります。活動時間が無制限になるわけではありません」
「何でもできるが、何でも一度にはできない、ってところか」
「はい。マスリデューサー出力、電力、排熱、推進剤、機体強度のいずれかが先に限界へ達します。任務に応じて、何を使い、何を残すかを選ぶ必要があります」
グレアムは機体の下まで歩き、外装の継ぎ目や推進モジュールの接続部を見上げた。
外装には整備用の点検口が幾つも並び、その周囲には最終確認を終えたばかりのマーキングが残っていた。
MRSSの救難機は、規定で赤と白に塗られる。
しかしこの機体は、まだそれすら完了していなかった。軍用機を思わせるグレーのみを纏っている。
試作機という言葉が、急に現実味を帯びた。
「なるほどね。わかった、残りは動かしながら教えてくれ」
「起動前確認と緊急操作だけは先に行います」
「話が早くて助かる」
二人は昇降設備を上がり、船殻前部にある複座の座席へ収まった。
コクピット内の基本配置は既存の第二世代機と同じだった。
見慣れた位置に見慣れた操作系がある。その一方で統合画面には、四肢の状態、電力、熱、推進能力、作業装備が重ねて表示されている。表示される情報量は、既存機とは比較にならなかった。
「本当に、何でもできそうな顔をしてるな」
「対応可能な任務を増やした結果です。ただし、機能を競合させれば性能は落ちます」
推進へ電力を回せば、作業装備に使える余裕が減る。
高速機動を続ければ排熱が追いつかず、対象へ到達できても救助作業を始められない。
目の前の作業を優先しすぎれば、帰還に必要な推進剤や予備機能を失う。
できることの一覧というより、選択を迫るための画面に見えた。
グレアムは表示を眺めながら、ふと口にした。
「ダリオの方が、こいつを上手く飛ばすと思うけどな」
「純粋な限界操縦能力では、その評価が正しいでしょう」
「そこまで正直に言うか?」
「しかしグラディヴスの前席に必要とされた能力は、それだけではありません」
グレアムは正面を向いたまま尋ねた。
「じゃあ、なぜ俺なんだ」
「グラディヴスは、限界まで飛ばすための機体ではないからです」
パティはそこで一度、言葉を切った。
「複数の機能が競合した時、何を使い、何を温存し、何を諦めるか。あなたは、その判断能力が高いと評価されています。任務を終え、機体と搭乗員を帰還させる。そのための前席です」
グレアムは、画面に並ぶ数値を見つめた。
できることが多いほど、選ばなければならないことも増える。
目の前の性能を使い切ることと、任務を終えて帰ることは同じではない。
マーカスが詳しく説明しなかった理由を、ようやく理解した。
「……ずいぶん面倒な機体を任されたもんだ」
「先ほどの器用貧乏という評価を覆すのが、あなたの仕事です」
「言ってくれるねえ」
起動前確認は簡潔に進んだ。
パティは必要な時だけ説明し、正しい操作には口を挟まなかった。グレアムが一つ操作するたび、統合画面の表示が静かに切り替わっていく。
最後のチェック項目を終える。
「起動前確認、完了しました。主電源を投入してください」
グレアムがスイッチを入れると、低い駆動音が船殻を伝った。
足元から背中へ、かすかな振動がシート越しに上がってくる。
独立していた機能が接続され、一つの機体として目を覚ましていく。
「XQA-01【グラディヴス】、起動シーケンス開始。前席搭乗員、グレアム・ヴェイル。後席搭乗員、No.003 P.A.T.I.。全システム正常です」
「了解。よろしくな、パティ」
「搭乗員と機体の生還を優先して補佐します。よろしくお願いします、グレアム」
事務的だが、背中を預ける相手として不足のない返答だった。
発進許可が届き、正面のハンガー扉が開いた。ここから与減圧区画を経て、宇宙空間へ出る。
その先に、火星軌道の暗い空がある。
グレアムは操縦桿へ手を置いた。
「行くぞ、パティ」
「はい」
四本の推進モジュールが展開し、その巨体が係留架からゆっくりと身を起こした。固定具が外れ、微かな推進光が四肢の先に灯る。
グラディヴスが、初めてその四肢を動かし、火星軌道へと踏み出した。




