第29話 フォボス・グルント
フォボスへ入港する船の船腹を、接舷用の灯が順に照らしていった。
グレアムはその動きを見送り、次に来る船へ目を移した。
細長い貨物船が、外縁の待機位置で進入許可を待っている。さらに向こうにも、こちらへ近づく船の光があった。
TESの試験から、数日が過ぎていた。
追加された熱媒温度の表示にも、外付けタンクを積んだ機体の動きにも慣れてきた。
今日の熱収支には、まだ手を入れる必要がないほどに余裕がある。
グレアム達は、フォボスへ入る船が重なる時間帯だけ外へ出ていた。
接舷をやり直す船や、機関に不調を抱えた船が出た時、格納庫から発進する時間を省けるからだ。
『そっちはどうですか?』
反対側で待機しているダリオだった。
「今のところ、眺めてるだけだ。今日は当たりの日かな」
『こちらもです。エレナさんがもう昼の話を始めています』
『勤務が終わったら何を食べるかくらい、考えていいでしょ?』
割って入った声に、グレアムは口元を緩めた。
「悪いとは言ってねえだろ? 食いっぱぐれた時のことまで考えておけよ」
『だから今のうちに、お腹に何を入れるか決めとくの!』
後席から、パティが次の入港予定を出した。
昼の話を続ける前に、グレアムは画面へ顔を戻す。
「……おい。こいつ、もう入ったことになってるぞ?」
『ちょっと、そこまで食い意地は! ……って、何のこと?』
細長い貨物船の表示が、待機位置から港の内側へ移っていた。
実物はまだ目の前にある。船首を少し斜めに向け、同じ姿勢を保っていた。
「対象を確認します」
パティが船を拡大した。
その外板に書かれた識別番号は、船が発信しているものと同じだった。
自機で測った位置にもずれはない。独立ビーコンを基準に取り直しても、貨物船は待機位置にいた。
その扱いだけが、おかしかった。まだそこにいるのに、既に入港したことになっていた。
「別の船ではありません。船側の位置発信情報も、こちらの観測と合っています」
「港から来てるデータは?」
「入港予定とその進捗状況です。受信は正常にできていますが、実際の状況と一致しません」
グレアムは貨物船から、その後ろへ目を走らせた。
後続の貨客船が接近していた。先の船が港へ入った後に空くはずの場所へと向かっている。
「フォボス管制、外縁の待機位置はまだ埋まってるぞ。後続を入れないでくれ」
パティが実際の位置を送る。
少ししてから進入保留の指示が返り、貨客船の船首脇で短い噴射が光った。
グレアムは二隻の間隔を見ながら、グラディヴスを航路の脇へ動かした。
近づいてから慌てて押し戻すような仕事にはしたくないからだった。
『こちら貨客船。前方に船を確認、減速を継続します』
操縦者の声は落ち着いていた。狭まっていた二隻の間隔が、ようやく一定になる。
グレアムは操縦桿を握り直した。
「……予定を先に進めすぎたのか?」
「まだ分かりません。データの配信時刻は最新です。位置情報の更新が遅れているのか、設備側の状態が正しく渡っていないのか、確認が必要です」
その間にも、別の表示が切り替わった。
係留架の脇にいた作業艇が、航路図から消えている。
しかし光学像では、まだそこを離れていなかった。
「パティ、今はこっちで捉えた船を前へ出すぞ。港の予定は脇へ置いとけ」
「はい。全センサー稼働、情報収集をします」
貨物船の印が、実物の位置へ戻った。航路図から消えていた作業艇も現れる。
見たところ、どちらの船も異常な動きをしてはいなかった。
グレアムは状況を管制へ報告した。
すでに許可を受けて進入中の船がある。
前を見て減速した船がある。
案内の確認を求め、港の手前で待つ船もある。
次が入れなくなり、その後ろの船からも連絡が来た。
『こちらダリオ。そちらへ回る予定の船を止めています。受け入れ位置が空いているか、確認できますか?』
「まだだ、貨物船が残ってる。だが、元へ返すと流れが詰まるな……」
『はい。こちらの待機帯も予定外に使い始めています。なにか、ミスりましたかね……』
グレアムは周囲を見渡した。
宇宙にはいくらでも隙間がある。
だが、安全な場所というものは思ったより少ない。特にフォボスは交通量の多い場所だ。船を横へ逃がせば、その先を通る船の進路に入る。
今は、その船を誘導する順番まで狂ってしまっている危険な状態だった。
「管制、もう少し外側に入港待機位置を取れないか? ダリオと俺で、間を見てるから」
『グラディヴス、一度こちらから外部観測で確認する。指示するまでは現位置を維持させてくれ』
返答を待つ間、グレアムは二隻の船長と直接話した。
どちらも自分の船の航法システムは使えていた。受け取った進入許可の内容だけが、うまく反映されなかったようだった。
別の船からの呼出しが重なり、返答が途中で切れた。
「すまないが、対応は一隻ずつだ。今しゃべってる方、続けてくれ」
船名と、現在の位置と、止まれる場所を聞く。
パティが受け取った値を自機の測定と比べ、MROCCへ送った。
空いた場所が確かめられると、管制がそこへ一隻を回す。ダリオの声が、移動を始めた船へ続いた。
『進路は確保しています。そのまま、指示された待機位置へ。こちらからも追っています』
接近していた船の向きが変わる。
グレアムはその先に別の船が入らないことを確かめ、ようやく背を座席へ戻した。
突然、全船舶向けの緊急通報が入った。
『こちらMROCC。フォボス周辺の全艦艇へ、緊急入港禁止措置を通告する。新規進入を停止、接近中の船舶は個別に指定する待機位置へ移行せよ』
回線に短い沈黙ができた。
『管制機能に障害が出ている。接舷中の船舶も、中央からのデータ表示のみで離脱を開始しないこと。港の現地確認が済むまで係留を維持せよ』
入港を待っていた貨物船から、了解の声が返った。
それまで繰り返し来ていた進入許可の照会が止まり、代わりに待機指示の復唱が続く。
港では、接舷用の灯が点いたままだった。
『どうだグレアム、外の船は落ち着いたか?』
マーカスの声が入った。
「どうにかな。入港案内が現実とまるで合わねえ。港の中で何かあったのか?」
『今、港湾の設備担当と照合している。そっちは位置の確認を続けてくれ』
パティが現地からの報告を開いた。
気密扉は閉まっており、通路の圧力も保たれている。
空調と局所電源に異常はない。
画面上のデータには、通報元の区画情報と計器を見た時刻が一つずつ付いていた。
そしてその隣にある港湾情報では、その気密扉が開いた状態になっている。
「どれもデータがでたらめだ……どっちが本当なんだ?」
「最新時刻は港湾情報の方です。しかし現地では、閉鎖を目視した後に圧力を確認しています。データ側の整合性を疑うべきです」
操縦に使う画面には自機の観測を残し、MROCCから受ける外部情報は別の画面へ分けた。
現地計器の報告には、誰がどこで確かめた値かを添える。中央からの表示は、そちらへ切り替えなければ見えなくなった。
「受け取った順に重ねると、現地で確認したデータを古いものとして消してしまいます。分離して、情報源ごとに見ます」
「それがいいな、頼んだ。船の距離データだけは出しといてくれ」
今度はエレナから、係留具についての照会が来た。
港の担当者が手元で確認した固定状態と、中央から届く解除済みの表示が一致していないという。
『こっちはまだ外さないように言ってある。電気も来てるし、操作盤は使えるって。ただ、向こうの端末に何が出てるのか分からないのよ』
グレアムは係留中の船へ視線をやった。
船体を支える架台に変形はない。通路の外側を作業員が移動し、扉の前で止まっている。
映像を拡大すると、携帯灯の光が継ぎ目をたどった。
『……電力の使用状況もおかしい。現地の計器と、中央監視で数字が合っていない。どうなってるんだ?』
『こっちの冷却設備もです。動いているポンプが停止扱いになっています。動いている以上、冷却には問題ありませんが……』
『いや、大問題だろ。間違った値を参照して勝手に保護用の制限が入ったら、フォボスの質量が変わっちまう』
マーカスがつないだ設備担当の回線から、別々の報告が届いた。
情報を集めていくと、航路図だけの話ではなくなっていた。
『各船、現在の待機を継続せよ』
MROCCが通告した後、MRSSへ新しい障害情報が届いた。
港湾設備側と照合した結果、フォボスの中央統合制御が広範囲で正常に動作していないことが分かったという。
問い合わせても応答しない部分があり、応答があっても実機の状態と合わない部分がある。
『原因は調査中だ。生命維持、気密、局所電源は現地で動作を確認している。自動接舷システムは使用禁止。中央統合制御への機体の直接接続も行わないこと。指示があるまで、これは最優先だ』
グレアムは指示を復唱した。
パティは自動接舷への切替を無効にし、自機航法と独立ビーコンで位置を保った。MROCCの外部観測は、データの出所を確かめたものから受け取っている。
「何かが丸ごと止まったんなら、もうちょっと分かりやすいんだがな……」
「現地で動いている設備も、中央の表示では区別できなくなっています」
フォボスには、警報に見合う変化がなかった。
港の壁面に並ぶ照明も、係留中の船もそのままだ。待機を続ける船から、入港の再開見込みを尋ねる声が来た。
彼らにグレアムが返せるのは、まだ確認中だという言葉だけだった。
航路脇へ移った貨客船の船尾が、視界を横切った。
その向こうに、外殻へ沿って敷かれたレールが見えてきた。
レール上の大型推進器の周囲が、ぼんやりと明るい。
照明の反射かと思い、グレアムは拡大した。細い光が、据え付けられた胴体の縁に残っている。その少し先にも、似た光があった。
「……おい、パティ。なんかおかしいぞ」
見ている場所を指定した。
それはフォボスの軌道変更用大型AEドライブユニットだった。
パティが赤外線の像を呼び出すと、ユニットとその周囲の冷却設備が強く浮かんだ。
その駆動に伴う電磁波も、自機のセンサーが拾っていた。
「発光状況から推測すると、高出力で運転しています」
「今、あれを使ってるのか!? 船がこんなに来てる時に!?」
返答を待たず、グレアムは見えているレールをたどった。
複数のユニットが架台へ固定されている。
向きはばらばらではなかった。合成される推力をパティが計算すると、公転方向と逆を指す。
「発生している推力は減速側です」
グレアムはMROCCを呼んだ。
「こちらグラディヴス、緊急だ。フォボスの軌道変更用AEドライブが動いてる。こっちで見える分は、減速する配置だ。軌道補正の予定を確認してくれ」
『確認する。観測データを送ってくれ』
映像を送る間も、推進器の光は消えなかった。
しかし港の中で機器がうまく連絡できないことと、あれを今わざわざ回すことが、グレアムの中でつながらない。
「パティ。外から取れるデータ、全部集めろ」
「取得元を分けて集めます。中央のデータは使いません」
パティがMROCCへ外部測位を求め、現地計器の報告先を確認した。
自機ではAEドライブの状態を追い、独立ビーコンの信号を取り続ける。
『軌道補正は予定されていない。他の観測点でも、減速方向の配置を確認した』
MROCCの返答へ、設備担当の声が重なった。
『ドライブの停止要求を出しているんだが、エラーが返される』
『こちら環境設備。確認した区画は空調継続。減圧なし』
パティが報告を振り分ける。それをグレアムが一つ読み終える前に、次の通報が入った。
『全域MMR、独立計器上では質量軽減率50%。非常最大の運転状態に入っている』
「50%? 今の値か?」
「現地で読んだ時刻が付いています。中央監視からの値ではありません」
グレアムはその時刻と、AEドライブを撮り続けている映像を交互に見た。
『こちらダリオ。待機船の間隔は維持しています。接舷中の船も、現地確認が終わるまで動かしません』
それに答えようとしたところへ、外部測位の速報が来た。
フォボスの位置と速度が、予測から外れ始めている。パティは自機の測定と照合し、次の観測を待った。
「減速を確認しました。こちらとMROCC、別々の測定で同じ傾向が出ています」
次に届いた測位でも、速度の差は減っていなかった。
パティはそのデータを手元に残し、現地からの報告をもう一つ開いた。
AEドライブの停止確認の報告は、まだ来ない。
グレアムは、港と待機船の両方を見られる位置に機体を保った。
フォボスの灯りが、画面いっぱいに広がっていた。扉は閉まり、空気は保たれ、船を支える係留具も働いている。
その外側で、大型の推進器が動き続けていた。
「どうなってんだこりゃ……」
後席からの返事はなかった。
パティは、まだ届く報告の時刻を確かめていた。




