第26話 次に壊れる船
窓の列が下へ回り、代わりに船腹がこちらを向いた。
グレアムは、そこへ伸ばしかけた作業アームを止めた。
固定点の印が横へ逃げる。追いかけて先端だけを伸ばせば、触れた瞬間に腕を持っていかれる。
「先に、こっちを合わせる」
グラディヴスが姿勢を変えた。
船体の並進へ合わせながら、回転軸の周囲を回り込む。こちらを向いていた固定点が裏へ回らないよう、機体ごと付いていく。
「残推力を更新。回転はまだ増えています」
パティが、主機の噴流と接近できる範囲を重ねる。
止まらない主機は一基だけだった。その噴射口が回るたび、近づいてはいけない領域も向きを変えた。
グレアムはアームを開いた。
自機の噴流が事故船を掃かないように、推進器の位置をずらす。姿勢を合わせる操作と、横へ回り込む操作を重ねると、画面を流れていた外板が遅くなった。
『まだ回っています!』
「分かってる。止める前に、取り付く。船内は?」
『全員、座席に固定したままです。客室から、気分が悪いという連絡が来ています』
「歩かせるなよ。回転が落ちても、こっちから言うまで固定は外さないでくれ」
パティが客室の加速度を前席へ出した。
船体図には座席の位置もある。回転軸から離れたところほど、押される力は強くなっていた。
急に回転を止めれば、その力の向きまで変わる。
グレアムは手を動かしながら、抑える速さを確かめた。
「この範囲で落とす。固定が取れるまでは、向こうに付いていくぞ」
「了解しました。接触時の相対運動を抑えます」
窓の列が、同じ角度で画面に収まった。
外の星と、遠くの宇宙港が回っている。止まって見えるのは、目の前の船だけだ。
グレアムは機体を寄せた。
固定具を構造点へ沿わせる。横滑りがなくなったところで閉じ、パティの確認を待った。
「固定成立。支持部の荷重は許容範囲です」
「少し抑える」
空いているアームの推進器が向きを変えた。
座席へ掛かる力が、わずかに横へずれる。グレアムは荷重の増え方を見て入力を止め、同じ強さで支え続けた。
回転の増加が収まった。
だが、手を離せばまた増え始める。片側の主機は、まだ船を回す方向へ押し続けていた。
「燃料側へ入る。船長、姿勢制御はそのまま使ってくれ。こちらで合わせる」
『了解!』
パティが遮断部の位置を広げた。
グレアムは作業機構を入れ、止まらない主機へ通じる配管を挟んだ。先ほどの船とは、管の向きも固定点からの距離も違う。
先端を合わせ直してから、圧潰を始める。
「流量、低下。燃焼室圧力も下がっています」
グレアムの手に返る荷重が変わった。
回転を抑えていた自機の推力を緩めても、相手の姿勢は崩れない。
連絡船の小さな姿勢制御器が噴いた。
それまで押し負けていた噴射が、今度は船体の回り方を変え始めた。
「船側で回転を減らせています。こちらの補助を落とします」
「合わせてくれ。急がせるな」
グレアムは固定部の荷重を保った。
窓の列は目の前に留まり、その向こうを回る星が、少しずつ遅くなる。
最後まで残っていた主機の噴流が消えた。
パティが供給停止を確かめ、グレアムは圧潰部より下流を切り離した。タンク側の閉止と漏出がないことを確認してから、作業機構を抜く。
『回転、落ちてます。こっちで抑えられています』
「そのまま続けてくれ。あと少しだ」
視界を横切っていたフォボスの縁が、ようやく同じところへ収まった。
グレアムは相手の姿勢制御へ任せる割合を増やし、残った揺れだけを支えた。
船長が客室へ呼びかける声が、開いた回線に重なった。
固定を外さないでください。状態を教えてください。
船長が次の問いを出すまでに、少しずつ間ができた。
「姿勢保持可能。周辺船との危険な接近も外れています」
パティが報告したところで、管制から新しい情報が入った。
『大型貨客船から燃料系圧力異常の報告。弁位置も指令と一致していない。自動保護で主機は停止済み』
グレアムは、止まった窓の列を見たまま聞いた。
「パティ、そっちを確認してくれ」
「予備遮断弁は閉止しています。乗員区画、現在軌道とも安全。直ちに外部処置を行う必要はありません」
彼は短く頷いた。
目の前の旅客船では、まだ船長が客室との確認を続けている。こちらの固定を外しても、船自身で姿勢を保てる状態にはなっていた。
「管制、旅客船の主機停止、姿勢回復。回収側へ引き渡す」
『支援艇を接近させる。処置記録を送ってくれ』
パティが記録を渡す間に、グレアムは自機の残量を見た。
推進剤も電力も残っている。熱の表示は上がっていたが、次の接近を妨げるところには達していない。
支援艇へ船内の情報が渡り、曳航準備が始まった。
引き継ぎの確認が揃うと、グレアムは固定具を外し、船体から離れた。
『ありがとうございました。皆にも、救難機が来たと伝えました』
「無理に動かさないで、後の人に診てもらってくれ」
船長が了解を返した。
グレアムは、遠ざかる窓を見た。もう傾いてはいなかった。
その直後に、回線が再び割り込んだ。
『緊急連絡。中型作業船、主推進停止不能。港外の待機船群へ接近中』
グレアムは操縦桿を握ったまま、管制の表示を開いた。
新しい目標は、さっき離れたばかりの宇宙港の近くにいた。
「港の設備保守に従事していた船です。船内の停止操作では遮断できていません。推力の向きは、ほぼ安定しています」
パティが接近経路を出す。
回転はない。推力も最初の高速連絡船より小さかった。
だが、その進行方向には、待機している船の印が並んでいた。
『周辺船へ退避を指示した。グラディヴスは現場の安全確保を頼む』
「了解。作業機も、対象の前から退けてくれ」
グレアムが推力を上げた。
先ほどの旅客船は、支援艇とともに表示の後ろへ外れた。
待機船の印が動き始める。
自分で離れられる船が、指定された方向へ退いていく。荷役機も作業を止め、持っていた荷ごと危険域から抜けた。
中央の大きな船だけは、ゆっくりとしか動かなかった。
『大型船、移動を開始。退避完了まで時間が掛かる』
パティの示した事故船の予測線が、その船の側面を横切る。
相手が退く動きを含めて計算しても、まだ線は船体の外へ出ていなかった。
「間に合わねえな。こっちでずらす」
『こちら作業船。姿勢は維持できます。主機だけが止まりません』
「そのまま保ってくれ。取り付いて、港から離れる側へ押す。こっちの動きと喧嘩しないように、合わせてくれ」
パティが操作予定を事故船へ送った。
船長の了解と、姿勢制御の状態が返る。
作業船は、外へ張り出した器材を抱えていた。
グレアムはその先端と、向こうにいる大型船を同じ画面で見た。自分が入りやすい側から取り付くと、押した先が大型船に近づく。
機体を反対側へ回した。
事故船の主機の噴流を外し、張り出した器材にも触れない位置へ入る。
「手前の固定点を使う。遮断部は後だ」
「そちらからは直接届きません。進路変更後に、作業側を回します」
「それでいい」
船体へ触れた。
グレアムは固定の確認を待ち、空いているアームを開いた。パティが、押す力を船体の支持へ分ける。
推力を掛ける。
事故船の予測線が、大型船の中央から端へ動いた。
「もう少し」
グレアムは出力を足した。
固定部の荷重が増え、船長の声が途切れる。呼びかける前に、向こうから姿勢維持中との報告が戻った。
グレアムは加速度の表示を見た。
船内の固定条件には収まっている。押すのをやめれば、相手が退ききるまでにぶつかる。
大型船の外板が、画面の中で大きくなっていた。
船首の向きは変わり始めているが、長い胴体はまだそこにある。
予測線が、ようやくその端を越えた。
「衝突予測、解消。ただし、このまま残推力が続けば、次の航路へ入ります」
「今止める。作業側、回せ」
グレアムは押す力を落とし、固定した場所を支点に機体の向きを変えた。
パティが作業機構を外部遮断部へ通す。その間も、別の推進器が事故船の残推力を受け、進路の広がりを抑えていた。
配管を挟んだ。
力を掛けると流量が落ち、燃焼室圧力が下がる。グレアムはそれに合わせて自機の出力を絞った。
主機が止まった。
「供給停止を確認しました」
「下流も切るぞ」
閉止した側を保ち、切断器を入れる。
パティが漏出と再流入のないことを確かめ、グレアムは作業機構を戻した。
大型船の側面が、横へ流れていった。
その長い胴体の終わりが見え、次いで船尾の向こうに空間が開いた。
グレアムは、そこで初めて肩の力を抜いた。
『作業船、主機停止を確認。船内の気密に異常なし』
「了解。再起動はするな。ここから曳航へ渡す」
航路図から、重なっていた警告が消えていく。
MROCCが事故船の現在位置を基準に交通を組み直し、退いた船へ新しい指示を出していた。
パティは、グラディヴスの固定部を確認していた。
グレアムも、その表示が揃うのを待った。
管制が、次の報告を告げた。
『大型輸送船、燃料弁の応答異常。主遮断は不完全だったが、予備遮断弁で停止した。現在、航行上の危険なし』
グレアムは返事をせず、画面へ目を戻した。
最初の高速連絡船。
大型貨物船。
さっき引き渡した旅客連絡船と、その間に報告のあった大型貨客船。
今つかんでいる作業船。
そこへ、もう一隻の情報が加わった。
「……なんかおかしいだろ、これ」
パティが六件の記録を並べた。
どれも、今の勤務に入ってからフォボスの近くで起きている。
「故障内容は一致していません。停止不能、片側の推力残留、閉止遅延、圧力異常。予備系への切替が有効だった船もあります」
グレアムは、報告の順に並んだ船を見た。
目の前で止めた船と、管制から聞いただけの船。その大きさを思い出し、交互に指で追った。
「ヤバいの、小さい方ばっかじゃねえか?」
パティが、船の外形を同じ縮尺に揃えた。
高速連絡船も旅客船も小さい。今つかんでいる作業船はそれより大きいが、大型船三隻と比べれば、まだ小さかった。
「でかい奴は、自分で止まってる」
「主推進系の仕様を照合します」
並んだ図に、燃料の流れる経路が重なった。
配管が太くても、その先の弁まで同じ太さとは限らない。パティが取り出したのは、燃料を調整する弁と、それを動かすための細い流路だった。
「外部処置が必要だった3隻は、燃料制御に使う流路や弁の径が、比較的小さい構成です。ただし、同じ型の装置ではありません」
図の中の細い箇所が示された。
「例えば、同じ大きさの異物が入れば、小径の方が閉止に影響しやすくなります。ですが、異物を確認したわけではありません。船が小さいだけで、止まらなくなるとは言えません」
「ああ。大きけりゃ安全だ、って話をしたいんじゃない」
グレアムは作業船の船内表示を確かめた。
主機は停止したまま、姿勢も保てている。曳航側の機体は、もう近くまで来ていた。
さっきまでと同じだった。
この船を渡せば、自分たちはまた空く。次に呼ばれたところへ行ける。
だが、呼ぶ声が次も間に合うとは限らない。
「何か一つでも、重なってるものはないのか」
「共通原因を特定しますか?」
「違う。次に壊れる奴を探せ」
グレアムは、作業船の向こうへ目を向けた。
交通の戻り始めた空間を、別の船が通っている。その船は警告の付いていない航路を進んでいた。
「ここで一隻ずつ待ってたら、次は手が届かねえかもしれん。まだ飛んでる奴の中に、同じことになりそうなのがいないか見てくれ」
「了解しました。発症前の船を絞るために、6隻の運用履歴を照合します」
パティの画面が切り替わった。
船の図が小さくなり、それぞれの下へ記録が並び始めた。
製造元。主機と燃料制御系。運航会社。整備した場所と日付。
「管制、今までの異常船6隻について、直近の運用記録をお願いします。出港と補給の履歴も含めてください」
『何か共通するものがあるのか?』
「まだ確認中です。次に同様の異常を起こす可能性がある船を探します」
記録が追加された。
パティは手元の救難情報と突き合わせ、時刻を揃えていく。グレアムには、空いていた欄が埋まっていくように見えた。
製造元で揃えた船が、主機の情報では別々に分かれた。
同じ運航会社の欄へ目を移しても、六隻すべては集まらない。
「船型、メーカー、運航会社には、6隻すべての共通項はありません。整備会社と直近の整備内容も一致していません」
「制御は?」
「主機の制御系も、ソフトウェアも共通ではありません。同じ停止処理の不具合だけで、全件を説明することはできません」
グレアムは、先ほど握り潰した配管を見た。
最初の船では閉止指令が出ていた。旅客船でも、作業船でも、止めようとする信号は届いていた。
それぞれの船の中に、止まらない理由が残っている。
『回収機、固定完了。こちらで保持する』
グレアムは画面から顔を上げた。
作業船の反対側に、引き取りに来た機体がいた。パティが遮断箇所と船内情報を渡し、荷重を移す。
グレアムは一つずつ固定を外した。
最後に作業側の先端を確かめ、船体との距離を取る。
「パティ、機体の方は?」
「続行可能です。推進剤、電力、熱の余裕を残して、次の対象へ向かえます」
彼は頷いた。
まだ行ける。行く場所だけが決まっていなかった。
パティが、出港と補給の記録を前へ出した。
出港した時刻は揃っていない。六隻の線を過去へ戻していくと、港内で使った設備の欄へ行き着いた。
その一つが、並んだ記録すべてに付いていた。
「直近の液体メタン補給です」
グレアムは六つの欄を見比べた。
設備の識別が同じだった。
「全部、そこで入れたのか」
「はい。6隻とも、フォボス宇宙港の同一LCH4補給設備を使っています」
船型も、使う主機も、整備を受けた場所も違う。
その船が、港では同じ設備へつながっていた。
グレアムは航路表示へ目を戻した。
「そいつから入れた船は、ほかにもいるか?」
「補給設備側の利用履歴を確認します」
今度は六隻の名前からではなく、一つの設備から記録が開かれた。
新しい船の識別が、下へ増えていく。
パティはそれを、現在位置と重ねた。
大半の印は港内に残った。補給を終えても、まだ接続されたままの船がある。作業待ちの船も、主推進を使わず待機していた。
「既に異常を報告した6隻を除きます。残りのうち、離港済みで、主機使用が迫っている対象が1隻あります」
港の外へ、一つの印が残った。
小さめの船体図が出る。グレアムは知らない船だった。
「そいつの制御系は?」
「小径の燃料制御系を使用しています。外部処置が必要だった3隻に近い構成です。補給後の主機使用履歴はなく、これから最初の予定噴射に入ります」
補給量と、タンクに受け入れた記録も表示された。
設備へつながっただけの船ではない。燃料を受け取り、それをまだ主機へ送っていなかった。
「現在、異常報告はありません。ですが、優先して確認すべき対象です」
グレアムは、その印を選んだ。
「管制、この船の最新位置をくれ」
『対象は正常航行中だ。故障報告も出ていない。現在のテレメトリにも異常はない』
「分かってる。位置を寄越せ。同じ設備で燃料を受け取ってる。今まで止まらなかった奴らと、制御系も近い」
パティが、照合結果を管制へ送った。
六隻の補給履歴と、これから主機を使う一隻。その船だけが、今はまだ異常の欄を空けていた。
『確認した。最新航跡を送る。対象船にも連絡を回す』
「港内の同設備利用船一覧も送ります。現在位置と主機使用の有無を添付します」
パティの報告に、管制から受領が返る。
グレアムは、指定された接近経路へ機体を向けた。
目標の印は、予定航路の中を進んでいた。
主機の継続噴射を示す警告も、増えていく回転もない。
グレアムは推力を上げながら、その先に入っている噴射予定を見た。
「主機を使う前に待たせられるか」
「連絡中です。こちらも回線を要求しています」
近くにいる。
それでも、画面で船を選んだだけでは、声も手も届いたことにはならない。
パティは相手機のレスキューデータを開いていた。
まだ閉じている外部緊急遮断部と、その周囲の固定点が表示される。グレアムは、到着した時にどちらの側面がこちらを向くかを見た。
「船型が違っても、そこは使えるな」
「はい。接近時の推力と姿勢が分かれば、固定条件を更新できます」
管制が間の航路を調整した。
グレアムは機体を傾け、目標へ寄せていく。今度の相手は、予定されたところにいた。
光学像が形を結んだ。
外板は破れていない。船首は安定し、推進器も静かだった。
機体を壊してでも止めた三隻と、同じ補給設備を使った船。
それ以外には、まだ何もなかった。
「異物が入ったかどうかは、まだ分からないんだな」
「はい。補給設備の利用は一致していますが、何が船へ渡ったのかは確認できていません。この船に同じ故障が起きると、断定はできません」
「外れてりゃ、それでいい。予定を遅らせた文句は聞く」
パティからは、了解とだけ返った。
減速の開始位置が前席へ出る。グレアムはアームを回し、相手に並ぶための推力へ切り替えた。
目標船の後端に、噴流が現れた。
「対象、主機点火。予定噴射に入りました」
推力が立ち上がり、船が加速を始める。
船首は乱れなかった。燃料流量も燃焼室圧力も、上昇中の指令へ追随している。
『こちら連絡を受けた船です。現在、異常はありません。主機を停止するようにとのことですが――』
「そのまま停止指令を出してくれ。燃料系に異常が出る可能性がある。こっちからも見てる」
『了解。主機停止』
指令値が下がった。
グレアムは作業姿勢へ移りながら、実流量の線を見た。
下がらない。
「主燃料弁、閉止位置へ到達していません」
パティの声は変わらなかった。
燃焼室圧力が残り、船は加速を続けている。船長からもう一度、停止指令を出す声が聞こえた。
『主機が停止しません! 非常停止へ切り替えます。救難を要請します!』
「聞こえてる。こちらグラディヴス。すぐ横にいる」
グレアムは、噴流を避けて船体の側面へ回った。
パティが残推力を受けて接近経路を更新する。画面の固定点は、もうそのまま狙える大きさになっていた。
「船内の固定を確認しろ。こっちは、取り付く準備ができてる」
作業灯が点いた。
光の中に、まだ傷のない緊急遮断部が浮かび上がった。




