第25話 止まらない船
貨物コンテナが、船体の影からゆっくりと出てきた。
移送用の作業機が、それを抱えて向きを変える。
グレアムは通過する角を見届け、視線を航路表示へ戻した。フォボス宇宙港から離れていく船と、接近してくる船が、別々の線を進んでいる。その間で、次の荷役を待つ船が順番を繰り上げた。
『貨物、移送経路へ入りました』
「後ろも空いてる。そのままどうぞ」
グラディヴスは作業域の外側で待機していた。
荷を運ぶのは向こうの仕事だ。こちらは、荷が予定どおり運ばれている間、何もしなくていい。
後席からパティが声を掛けた。
「メルクリウスについて、事故調査の発表が出ています」
「見た。あいつ、俺達に喋る時よりずいぶん行儀がいいな?」
「……今のグレアムも、久々に丁寧な言葉づかいを聞いたように思いますが」
ヴィクターが持ってきた資料と、発表の内容は同じだった。
過去の着陸で残った損傷。後部MMRの異常。最大負荷での構造破断。破壊工作を示す証拠は確認されていない。
「ただ、前の事件との関係を疑う意見は、まだあります」
パティが共有した画面の下に、短い投稿が並んでいた。
事故だと言われても信じられない。次に乗る便は大丈夫なのか。調査で分からなかっただけではないのか。
「貨物船と工場で二度続いたからな。気にはなるだろ」
「調査で示された説明とは、別にですか」
「事故だったかどうかと、みんなが事故だと思うかは別だ。俺達だって、発表ひとつで次の点検を省く気にはならん」
パティは少し間を置いた。
「確認できることを増やす方がよいのですね」
「俺達にできるのは、そっちだろうな」
移送中のコンテナが、指定された経路を抜けた。
グレアムは作業機へ完了を返す。航路の端では、小型の連絡船が離港後の加速へ入っていた。
船影は小さい。
貨物船の長い胴体と並べて見ると、その隙間を行くために作られたように見えた。
次の貨物が動き出す前に、管制の回線が切り替わった。
『緊急連絡。グラディヴス、通常任務を中断。小型高速連絡船から救難要請。主推進停止不能』
グレアムは手を操縦桿へ戻した。
「今、出てった船か?」
『そうだ。停止予定を超えて加速を継続している。対象の航跡を送る』
画面の小さな印が囲まれた。
予定航路から伸びた予測線が、出入港船の使う空域へ近づいている。
「パティ、向こうの状態を」
「受信します。接近経路も出します」
グレアムは作業域から機体を離した。
四本の推進アームが向きを揃え、背中を押す力が増す。視界の端で、荷役中の船が小さくなっていった。
『こちら高速連絡船。停止指令を繰り返しましたが、主機が止まりません。非常停止も、予備系への切替も試しています』
船長の声は早口だった。
グレアムは航跡を見ながら応じた。
「こちらMRSS、グラディヴス。今、向かってる。急に船首を振らず、現在の姿勢を維持してくれ」
『このままでは、航路を外れます』
「管制が前を空ける。向きを変えるなら、こっちにも知らせてくれ。横から近づく」
『了解。姿勢を維持します』
通過予定だった場所から、別の船の進路が外された。
MROCCが出港と接近の順を組み替えている。近くにいる作業機はすぐに退けても、遠くから入ってくる船の航路は、同じ速さでは変えられない。
パティが、推進系の記録を前席へ出した。
「停止指令は正常に出ています。信号経路にも異常はありません。制御装置は、主燃料弁へ閉止を要求し続けています」
指令の線は、予定されたところで下がっていた。
その下に重なった実流量の線だけが、途中で下がるのをやめている。
「燃焼室圧力も残っています。推力は停止指令前より低下していますが、加速を続けるには十分です」
「命令は届いてるが、閉じてないのか」
「燃料系の物理的な閉止不良が疑われます。船内から使用できる遮断手段は、すべて実行済みです」
グレアムは、停止操作の記録を確かめた。
船長が同じ指令を何度も出した跡がある。別の経路へ切り替わった後にも、流量は残っていた。
グレアムは、停止指令の欄から機関部の配置へ目を移した。
「外から止める。レスキューデータを開いてくれ」
「外部緊急遮断部を確認しました。船体後部、側面から接近できます」
船体図に、細い区画が示された。
主燃料配管を、外の作業機から挟める場所だった。船内から推進を止められなくなった時に、その部分を壊して供給を断つ。火星圏の民間船に設けられている、規格化された犠牲区画だ。
グレアムは遮断部と、その周囲の固定点を見た。
管は触れる場所にある。問題は、そこへ追いついて手を留められるかだった。
「残推力と加速度を更新。取り付いた後の荷重も出せ」
「表示します。推力に変動があります。接近中も補正を続けます」
事故船は、助けを待って漂っているわけではない。
こちらが速度を増している間も、向こうの速度は増え続けている。
グレアムは、船の現在位置へ向かう線を選ばなかった。
この加速が続いた場合に船が通る位置へ、斜めから近づく。そこで向きと速度を揃え、最後は船体の横へ入る経路を取った。
パティが噴流の広がる範囲を重ねる。
事故船の真後ろから延びる領域が、接近線の内側を塞いだ。
「もう少し外だ。取り付く時に腕を畳みたくない」
「修正します。外部遮断部へ作業機構を向けた状態で、相対速度を合わせます」
グレアムが機体を傾けた。
事故船の目標印が画面の中央からずれ、代わりに、その先の何もない空間が中央へ来る。
船長から、また通信が入った。
『停止の表示は出ているんです。なのに、まだ押されてる!』
「こっちでも流量を見てる。表示だけじゃ済ませないから、そのまま姿勢を保ってくれ」
外部カメラに、船体の輪郭が見え始めた。
短い胴体の後端が明るい。推力は落ちていても、噴射は終わっていなかった。
グレアムは相対速度を落とした。
後ろへ流れていた船影が遅くなり、やがて画面の同じ場所へ留まる。
推力を抜けば、すぐにまた離される。
パティの補正を受けながら、グレアムは相手の加速へグラディヴスを合わせ続けた。
「船長、外部緊急遮断を行う。全員、固定を確認してくれ。主機は、この後使えなくなる」
『構いません。止めてください。船内の固定は確認します!』
返答を待ちながら、グレアムは船体へ寄せた。
外板に記された遮断部の位置と、図面の印が重なる。パティが近接画像を広げ、固定点と作業機構の先を同じ画面へ収めた。
「ここから先、右の噴射を制限します」
「左へ回してくれ。押す方向は変えるな」
船体へ噴流を当てないよう、アームの配置が変わった。
空いている側の推進器が出力を増し、作業側が静かになる。
『固定確認。負傷者はいません。こちらは現在姿勢を維持します』
「了解。触るぞ」
固定具が、事故船の構造点を捉えた。
接触の小さな振動が、操縦席まで伝わる。
グレアムは推力を急に抜かなかった。
つながったからといって、グラディヴスの重さをそのまま相手へ預ければ、固定部へ余計な荷重が掛かるからだ。
荷重の表示が上がりかける。
彼が推力を足すと、上昇が止まった。
「固定、安定しました。作業を開始できます」
パティの報告を聞き、グレアムは遮断部の拡大画面へ目を移した。
作業機構が、外装の下へ入った。
覆いを開くと、保護された配管と、その周囲の支持が見える。触れてよい場所は、船体図で示された短い区間だけだった。
グレアムは管を挟む位置まで先端を進めた。
奥へ押し込まず、手前へ引かず、管の両側へ当てる。
「燃料側、位置一致。支持部への干渉はありません」
「配管を潰すぞ。流量を見ててくれ」
ここを先に切れば、タンク側から燃料を放出する。
止めるための作業で、別の噴射を作るわけにはいかなかった。
グレアムが閉じる入力を入れた。
パティが先端の姿勢を保ち、管へ力を掛ける。
丸かったパイプが、ゆっくりと平たくなった。
作業機構の負荷が増す。そのすぐ後で、流量の線が下がり始めた。
「燃料流量、低下しています」
燃焼室圧力の表示は、まだ高いところに残っていた。
グレアムは管を挟んだまま待つ。
船体を押し続けていた力が弱まり始めた。
同じだけ推力を出せば、今度はグラディヴスが相手を押す側になる。グレアムは出力を落とし、固定部の荷重を戻した。
「燃焼室圧力、低下。ですが、流量がまだ残っています」
管は潰れていた。
それでも、形を見ただけでは閉じたことにはできない。グレアムは実流量を見ながら、もう少し力を足した。
先端が狭まり、配管の隙間が閉じていく。
流量の線が、ようやく下へ落ちた。
「供給が止まりました。圧力の低下を確認中です」
ノズルの画像では、まだ噴流が残っている。
潰した位置より先にあった燃料が使われ、その間にも圧力は落ち続けた。
グレアムは操縦桿を握り直した。
船長からの通信も途切れ、狭いコクピットには送風の音だけが聞こえていた。
噴射が消えた。
事故船の加速度が下がり、グラディヴスの推力もそこへ追随する。固定具を通して伝わる力が抜けたところで、グレアムは息を吐いた。
「主機停止を確認。燃焼室圧力は低下を継続。加速は収まっています」
『こちらでも確認しました。……止まりました』
「ああ。推進系には触らず、そのまま待ってくれ」
船はまだ、加速で得た速度のまま飛んでいた。
予測線は伸び続けているが、先端が外へ広がる動きは止まった。グレアムは周辺船との位置関係を見てから、遮断部へ戻った。
「下流を切り離す。手を離しても供給が戻らないところまでやるぞ」
「切断位置を表示します。残圧低下、確認しました」
パティが、潰した場所より主機に近い側を示した。
タンク側の閉止を保ち、切断器を入れる。
短い管が分かれた。
主機へ通じていた一本の経路に、隙間ができる。タンク側からの噴出はなかった。
グレアムは切り離した側を支えながら、作業機構を少しずつ戻した。
圧潰部は閉じた形を保っている。パティが近接画像と流量を照合し、切断部周辺にも漏出がないことを確かめた。
「遮断完了。燃料の再流入はありません」
そこでようやく、グレアムは作業側を配管から離した。
今度は、押されなくなった船を安全なところへ渡さなければならない。
「管制、主機を停止した。現在の運動から曳航へ移れる経路を頼む」
『了解。受け取り側を誘導する。それまで、指定の待機軌道へ移してくれ』
新しい経路が届く。
グレアムは他船との交差を確かめ、必要な分だけ推力を掛けた。
事故船の主機は黙ったままだった。
今はグラディヴスの噴射が、つながった二つの船体を動かしている。パティは固定部の荷重を見ながら、姿勢を崩さないよう推力を配った。
危険な交差が、予測から消えた。
グレアムは推力を絞った。
「船内、どうだ」
『気密、生命維持とも正常です。全員に確認を取りました。怪我をした者はいません』
「よし。主機は再使用禁止。回収機が来るまで、こっちで持つ」
『了解。……本当に助かりました。切ってしまったところは、戻ってから交換すればいいんですよね?』
グレアムは潰れた配管を見た。
指定された区間の外へ、傷は広がっていなかった。
「そこは、こういう時に交換するための場所だ。弁の方は、整備に見てもらってくれ」
『はい。そうします』
船長の声が、さっきよりゆっくりになった。
グレアムは固定を維持し、パティのまとめた処置記録を確認した。
「停止指令、非常停止、予備系。どこまで試したかも残しておいてくれ」
「記録しています。閉止要求と実流量が一致しなかった区間も、処置前の状態で保全しました」
「それでいい。向こうで、同じことを一から聞かれなくて済む」
壊れ方は妙だったが、船は止められた。
グレアムは作業機構の状態を見た。
配管を挟んだ先端にも、固定具にも、次の作業を妨げる異常は出ていなかった。
回収機が接近してきたところで、管制から別件の報告が入った。
『大型貨物船で燃料系の異常を検出。停止時にバルブの閉止遅延が出ている。情報を送る』
パティが受け取り、事故船の表示の横へ開いた。
グレアムは新しい目標の位置を見た。今度は、港へ接近する側にいる。
「そっちも止まらないのか?」
「主機は停止しています。予備遮断系が作動し、タンクの隔離も完了。現在は安全な軌道を維持しています」
閉止は遅れたが、圧力と流量はともに停止時の範囲へ収まっていた。
「即時の救難処置は不要と判断します。船内の状態にも異常は報告されていません」
「了解。そっちは監視を続けてもらおう」
管制へ返答し、グレアムは目の前の船へ意識を戻した。
回収機が固定を取り、パティが処置済みの配管と、使ってはいけない系統を伝える。
『受け取り確認。こちらで曳航します』
グレアムは固定部へ残った荷重を抜いた。
相手が支えているのを確かめ、一つずつ外す。最後の固定具が離れた後も、連絡船は同じ姿勢を保っていた。
『グラディヴス、ありがとうございました』
「気をつけて戻れよ」
グレアムは手を上げかけたが、相手にこちらの姿は見えていない。
代わりに、船の側面から少し距離を取った。
「こっちも、向こうも燃料系か……」
「はい。ただ、貨物船は予備系で遮断できています」
「こいつも、そこで止まってくれりゃよかったんだがな」
パティが処置記録を送信した。
管制から返った受領表示には、高速連絡船と大型貨物船が、別々の案件として並んでいた。
グレアムは、保留していた通常任務の表示を呼び戻した。
貨物の移送は続いている。さっき監視していた荷は、すでに受け取り側へ収まっていた。
「終わってるようだな」
「次の作業までに、こちらの点検を済ませられます」
「さっきやったところもな。自分が止まらなくなったら、笑えん」
「戻ってからの説明も、長くなりそうですね」
「それはもっと嫌だな」
グレアムが姿勢を戻しかけた時、新たな通信が入った。
『緊急連絡。グラディヴス、優先救難要請。小型旅客連絡船、主推進器の停止異常。船体の回転が増えている』
開きかけた点検画面の前に、新しい航跡が重なった。
グレアムは手を止め、目標へ機首を向ける。
「パティ」
「受信しました。主機1基が停止指令に追従していません。他の主機は停止しています」
推力の表示が片側だけに残っていた。
短い船体図が向きを変える。姿勢制御の噴射が入っても、回る速さの増加を抑えきれていない。
『旅客は座席に固定しています。姿勢制御が追いつきません!』
新しい船長の声だった。
さっきの連絡船とは違う声が、同じように、息を詰めて話していた。
「こちらグラディヴス。今からそっちへ行く。固定を維持して、全員そのまま座らせておいてくれ」
『了解。お願いします!』
グレアムは進路を変えた。
曳航されていく船が後方へ外れ、四本のアームが新しい加速方向へ揃う。
「船内加速度と回転を監視します。接近経路を表示。外部遮断部は、回転軸から外れています」
今度は、追いついて速度を合わせるだけでは手が届かない。
グレアムは船体図の回り方を見た。触るべき場所が、こちらを向いては裏へ隠れる。
「どこから入れるか見てくれ。先に横へ付く」
「了解しました」
「……なんなんだ、今日は。厄日か?」
外部カメラが、小さな船影を捉えた。
側面の窓が並び、その列が斜めに傾いていく。向こうを向いたノズルの噴流が、船体の縁からはみ出した。
それが消えないまま、窓の列はさらに傾いた。
グレアムは推力を上げ、回る船へ近づいていった。




