第21話 アークライト・オービタル・エンジニアリング
見覚えのある通路の角で、グレアムは足を止めた。
「こっちじゃなかったか?」
「前はね。今回はあっち」
ケラーが端末で別の通路の先を示した。
要請を受けて数日後、三人はグラディヴスとともに火星を発った。
輸送船での旅を終え、再び入ったAOEの工廠は、覚えていた通りの匂いがした。
「こんなに早く戻ってくるとは思わなかったぞ」
「私もよ。もう少し記録を読む時間があると思ってたわ」
「移動中もずっと読んでただろ」
「読んでる間に質問が増えるのよ、あなた達のは」
隣を歩くパティが、何か言いかけた。
「今ここで答えなくていいからね」
「では、評価の後に」
「帰りも仕事かよ……」
「あなたが返事をしてくれれば、私は早く終わるわ」
ケラーは先に扉を抜けた。
総点検用のドックへ向かう通路が、背後へ遠ざかる。案内表示の行き先は運用評価区画に変わっていた。
区画の観察窓から、待機中の機体が見えた。
揃った外装。その脇に収まった兵装。
「ミレス、か」
「はい。比較対象機です」
前は、この機体が整備されるところを見た。
今はその向かいで、赤と白のグラディヴスが輸送用の固定を解かれていた。
「前は見るだけだったんだけどな」
グレアムは窓から離れ、ケラーの後を追った。
説明室の画面には、火星での救難映像が並んでいた。
回転する事故船。
接舷部へ寄せる機体。
別々の方向へ伸びた推進モジュールと、重なって変化する荷重表示。
「加速性能の基礎データは、これまでの試験で得られています」
地球側の評価担当者は、映像の横へミレスの機体図を出した。
「今回は、相手も動く条件で比較します」
「事故船も動いてるだろ?」
「こちらの捕捉を外そうとはしません。接近しようとする進路を、意図的に塞ぎもしない」
グレアムは、机に置いていた腕を少し引いた。
「対象を追い、次の位置を計算しながら、機体と外部装備を同時に動かす。火星での記録では、後席の支援を含めて成立しています。その対象が回避し、こちらへ干渉してきても、同じように判断と制御がつながるかを見たいんです」
「要するに?」
「模擬戦です」
ケラーは驚かなかった。
グレアムは隣のパティを見た。こちらも、資料の次を開いている。
「俺、救難屋なんだけどな……」
「承知しています。実際の救難運用をしているお二人に、乗っていただく必要があります」
「よく分かって言ってるのが、余計に嫌だな」
グラディヴスへの搭乗を済ませたグレアムの前で、外部映像が開いた。
整備員が保持具で運んできた物が、右前肢のそばで止まる。
細長い本体と砲口。
機体のマニピュレーターに合わせた把持部。
横に付いた管理票には、地球側試験施設の貸与品であることが表示されていた。
「……おい。こんなもんを持たせるのか?」
「はい」
後席のパティが答えた。
『こちらで通常のクアドリガ訓練に使っている模擬銃です。機体側の受け入れ確認をお願いします』
評価担当者の声が入る。
火星から運んできた荷物には、こんな物はなかった。
「……くそ、仕方ねぇ」
グレアムが保持位置を選ぶ。
右前肢が動き、マニピュレーターが把持部を包んだ。保持を確認した整備員が、補助の支持を離す。
装備認識。
接続確認。
その下に、見慣れない欄が増えた。
外部映像へ照準が重なる。
試験用の目標表示を囲む追尾枠。その先にずれた予測位置。砲口から伸びる線の脇には、射撃が許可されていないことを示す表示が出ていた。
「待て」
グレアムは手を止めた。
今触れた操作器と、その先の表示を見比べる。
「なんでこいつ、FCS積んでんだ?」
『ご存じなかったんですか?』
「んなもん使ったことねえよ」
通信の向こうが、わずかに静かになった。
『MRSSでは救難機として運用されていると聞いていましたが。射撃制御まで、最初から組み込まれていたんですね』
「そうだろ。救難機じゃねえのか?」
『救難にも使える試験機よ』
ケラーの声だった。
『第三世代クアドリガ先行統合試作機。救難専用に作ったわけじゃないわ』
「その差、今初めて聞いたぞ」
『名前は最初からそうだったでしょう? 接舷も回収も、構造物を動かすのも、外部装備を扱うのも試験の範囲。その装備が火器なら、指向と射撃の制御が必要になる』
グレアムは、画面の右端に残っている赤と白の前肢を見た。
その先だけが、いつもの仕事と違っていた。
「何でも持たせる気かよ」
『持てる物と、運用を成立させられる物は別よ。そのために今、確認してるの』
「対象を追跡して、将来位置を計算し、装備をそこへ向ける処理には、通常作業との共通部分があります」
パティが追尾枠を示した。
グレアムが試しに指向を変えると、前肢の姿勢と射線が一緒に動いた。目標の位置を外せば、射撃条件の表示も変わる。
「最後に撃つかどうかが、だいぶ違うだろ」
「そこはグレアムが判断してください」
「急にいつもの仕事みたいに言うな」
評価担当者から、同じ操作をもう一度求められた。
今度は前肢の動きだけでなく、後席から機体へ渡る制御情報も記録に加えるという。
『装備を認識した後、射撃制御用に別の調整を入れましたか?』
「認識した装備条件を反映しています。今この場で、別の制御を追加したわけではありません」
『……分かりました。そのまま記録を続けます』
パティの返事を受け、確認項目が増えた。
グレアムは、貸し出された模擬銃をもう一度見た。
『今回、射撃性能は双方ともMOI-40Cと同じ条件に設定します。ミレスの標準主砲です』
準備完了を待つ間に、判定方式の説明が入った。
初速、弾道、有効射程、発射間隔、想定威力。
双方の設定が、同じ欄へ並べられる。
『実弾も模擬弾も発射しません。射撃した瞬間の砲口方向と時刻、両機の位置と速度、姿勢、追尾状態から仮想弾道を計算します』
「撃ち合いごっこか。当たったら終わりか?」
『命中箇所と想定損傷によります。兵装の無力化や推進器の喪失も判定しますが、勝敗が決まるのは戦闘継続不能となった時点です。先に相手へ撃墜判定を与えた側が勝ちです』
「宇宙を飛ぶのは本物。撃った結果だけ計算か」
『そうです。最初は1対1で行います』
グレアムは操縦席へ深く座り直した。
慣熟のために指向操作を繰り返す。機体の動かし方は変わらない。それでも、いつもは保持具の位置を確認するところで、今日は射撃条件を見なければならなかった。
「向こうは、これで飯食ってる奴だろ?」
『通常の訓練を受けた軍用クアドリガの搭乗員です。特別な選抜要員ではありません』
「俺は通常の訓練も受けてねえんだけど。相手にならねえだろ」
『その差も含めて評価します』
「便利な言葉だな、評価って」
後ろでパティが、自分たちの確認項目を閉じた。
「準備完了です」
グレアムは外部映像へ目を戻した。
試験空域へ向かう経路が開いていた。
工廠が遠ざかると、ミレスは背景の星に紛れる大きさになった。
識別表示の中で、拡大映像だけがその向きを伝えている。
相対位置を合わせ、開始条件へ入る。
グレアムは指を操作器へ添えた。
『両機、準備確認。単機比較を開始します』
射撃条件の制限が切り替わった。
ミレスの噴射が見えた。
横へ流れ始めた識別枠を追い、グレアムも機体を動かす。距離を詰めようとしたところで、予測経路へ射線が掛かった。
「もう狙ってんのか」
「その進路を続けると、相手の射撃条件へ入ります」
グレアムは推力の向きを変えた。
ミレスは追い掛けてこない。こちらが進路を変える間に、少しだけ姿勢を回していた。
砲口が、またこちらの進む先を向く。
照準を合わせ返そうとすると、相手の予測位置が外へずれた。砲口を追わせ、今度こそ重なったと思った瞬間には、こちらの回避表示が割り込んできた。
「右、射線が通ります」
パティの声に、グレアムは加速を横へ逃がした。
画面を仮想弾道が横切る。今の進路を続けていれば、そこにいた。
背中へ掛かる力が変わった。
グレアムは姿勢を戻し切らず、模擬銃を振り向ける。
「こっちだって――」
射撃入力。
模擬銃の先には、何も飛び出さなかった。
表示の中を弾道が伸びる。
その先で、ミレスの予測位置が割れた。相手の横向きの加速が増し、仮想弾は、機体のいない場所を抜けていく。
「外れました」
「見えてる」
ミレスの砲口は、こちらへ残っていた。
避けながら向けている。それも、グレアムが狙い直すために寄りたい側へ。
近づけば射線に入る。
外へ逃げれば、照準を合わせる前に距離が開く。
グレアムは一度、推力を落とした。
「思ったより嫌な飛び方するな」
「こちらの加速には追従していません。射撃できる位置を保っています」
その説明は分かる。
だが、次にどちらへ振れば相手の狙いを外せるのかは分からなかった。動くたびに、相手が待っていた場所へ自分から入っている気がする。
グレアムは追尾枠の隣へ、相対速度の表示を寄せた。
「パティ。こいつ、次に何をしたいんだ?」
「行動は確定できません。取れる位置なら出せます」
ミレスの先へ、幅を持った予測が伸びた。
その中に、相手の砲口がこちらを捉えられる範囲が重なる。
グレアムは、照準から一度目を離した。
機体の姿勢。噴射方向。すでに付いている横向きの速度。
見慣れたものが、そこにあった。
回転する船へ取り付く時も、今見えている場所へ向かうわけではない。
手が届くまでに、どこへ動くかを見る。こちらの機体が、その時どんな速度を持っているかを決める。
相手がなぜそうしたいのかを、全部理解する必要はない。
「要するに、あいつが次にどこへ行くか分かりゃいいんだろ?」
「予測は、相手の操作で変わります」
「変わった分は見ろ。こっちの進路も重ねてくれ」
グレアムは、ミレスから横へ離れる経路を選んだ。
相手へ詰め寄る加速をやめ、横向きの速度を増していく。
ミレスが姿勢を変えた。
砲口を残しながら、開き始めた距離を追う。
「追ってきたな」
「今の距離を維持する方向です」
予測の幅が動く。
ミレスが射撃を続けようとするなら、その中のこちら寄りへ進んでくる。
「相手がそこに来たいなら、行かせりゃいい」
グレアムは、まだ進路を変えなかった。
ミレスの射線と、自分が選んだ経路が近づいていく。
「このままでは、捕まります」
「分かってる。銃はあっちに残せるか?」
模擬銃の指向先を置き、機体には別の加速を入力する。
パティが推進モジュールの配置を組み直した。
「可能です。右前肢の指向を維持。機体姿勢の変更に合わせます」
「じゃあ、抜けるぞ」
グレアムが入力を深くした。
それまで横へ流れていた経路に、別方向の加速が加わる。
ミレスと自機の進路が作っていた面から、グラディヴスが離れ始めた。
中央船殻が傾く。
模擬銃を持つ右前肢は、その動きに合わせて関節を開いた。残るモジュールも噴射方向を変え、砲口を相手へ残したまま機体を押し出す。
姿勢の表示が回った。
追尾枠は外れない。
グレアムは、操縦入力を止めなかった。
構造物から手を離さず、その荷重を逃がした時と似ていた。腕を向けておく場所と、機体を運ぶ先を分ければいい。
「……こう使うのかよ」
ミレスが反応した。
こちらを追う姿勢変更と、進路を外す噴射が重なる。
遅いわけではなかった。
だが、すでに付いた速度まで、その瞬間に消せるわけでもない。
「相手、外へ逃がしています。予測を更新」
パティが新しい幅を出した。
グレアムはその先へ指向を送り、機体の加速をわずかに緩めた。
追い越してしまえば、また大きく向け直さなければならない。
相手が通る場所を、こちらの射線が先に横切る。それだけのずれを残す。
ミレスの砲口が動いた。
こちらを捉え直そうとしている。
右前肢の先は、もうその先の位置を向いていた。
「射撃条件、成立」
グレアムがトリガーを引いた。
砲口の先の暗がりには、何も飛び出さなかった。
HUD上だけを、仮想弾道が伸びていく。
ミレスがさらに姿勢を変える。
グレアムは指向を追わせ、入力を続けた。
最初の弾道が、相手の外装をかすめる位置へ届いた。
命中表示。それでも終了の声は来ない。
次の弾道が、回避する機体の中央へ重なった。
『ミレス、撃墜判定。第一試験を終了します』
グレアムは指を離した。
追尾枠の色が変わり、射撃の受付が止まる。
ミレスはそこにいた。
外装は剥がれず、破片も出ていない。相手も推力を落とし、試験前に指定された離隔を取り始めていた。
グレアムは、機体の加速を戻した。
背中を押す力が弱まる。
「……終わり?」
「第一評価は終了です」
パティが答えた。
「第一?」
グレアムは、射撃表示の消えた場所を見た。
試験空域の案内は、まだ残っていた。
◇
評価室では、終了の通知から少し遅れて椅子が動いた。
「撃墜判定、成立しています」
判定を確認した担当者が、同じ結果を別の画面へ出す。
ケラーはその隣で、グラディヴスの右前肢の角度を追っていた。
「……射撃は、本当に今日が初めてなんですね?」
評価担当者に聞かれ、彼女は顔を上げた。
「あの反応を見たでしょう?」
「機体の加速余力では、上回ると見ていました。ただ、最初は照準を合わせるより先に、回避へ追われていたので」
ミレス側の記録が再生された。
序盤、グラディヴスは相手の射線へ繰り返し進もうとしている。ミレスの操縦は、そのたびに必要な分だけ先へ動いていた。
「搭乗員の訓練差は、明確に出ていたんです」
「途中から、見ているものが変わったわね」
ケラーが時刻を合わせる。
グレアムが相対速度の表示を寄せたところ。その後、パティから前席へ渡る予測と、前席が選んだ進路を並べた。
最後の機動だけを見れば、大きな加速差が目立つ。
しかし、その前からグレアムは、相手を追っていた進路を変えていた。
「後席が、射撃まで操作しているわけではないんですね?」
「入力を見て。撃つ判断は前席よ」
グレアムの操作から伸びた記録が、機体の動作とつながる。
その間を埋めるように、パティが指向と推進の配分を変えていた。
ケラーは表示をさらに前へ戻した。
試験空域へ出る前。貸与された装備を認識し、射撃制御が立ち上がったところまで。
「装備の受け入れから、全部つないで確認しましょう。最後の加速だけ切り出しても、同じ結果にはならないわ」
評価担当者は頷いたが、すぐには画面を切り替えなかった。
模擬銃を持った赤と白の機体。そのそばに、前席と後席の記録が並んでいる。
「救難の記録とも、照合したいですね」
「ええ。あの二人がいつも、どうやって仕事を通しているかも含めてね」
ケラーは比較用の記録を開いた。
帰りの船で聞くことが、また増えていた。
◇
待機位置へ戻ったグレアムは、右前肢の映像を残していた。
長い模擬銃が、機体の動きに合わせて静かに向きを変える。
「あいつ、最後まで狙い返してきたな」
「はい。こちらが先に射撃条件を作れました」
「あと一回向け直してたら、結果は逆だったか」
パティは答える代わりに、最後の相対位置を出した。
グレアムはそれを見て、鼻から息を抜いた。
画面の端に、新しい識別表示が入る。
別のミレスが、試験空域へ向かっていた。
「……まだやるのか?」
『単機比較は終了しました』
評価担当者の声が戻ってきた。
『次は、標準運用条件で行います』
グレアムは表示を広げた。
進出してくる機体の後方にも、もう一つ機影がある。
同じ型式の識別枠が、並んで開いた。
「あと何機出す気だよ……」




