第20話 切断面
サルースCの点検記録を閉じる前に、マーカスから呼び出しが入った。
『ダリオ、エレナ。今の作業が終わったら来てくれ。ヴィクターが話を聞きたいそうだ』
ダリオは、端末の最後の欄へ確認を入れた。
隣でエレナも顔を上げる。
「あの箱の続きかしら?」
「でしょうね。今度は、ちゃんと勤務中ですし」
「まだ気にしてるの?」
「休みは大事ですよ」
端末を手に、二人は作業区画を出た。
コンラッド級貨物船の救難から数日。追加の点検も報告も、普段の仕事の中へ収まり始めていた。
マーカスのところへ行くと、ヴィクターはすでに画面を開いて待っていた。
机の向こうには焼けた制御盤の写真がある。ダリオが見慣れた現地映像と、まだ見たことのない拡大画像が、別々の欄に並んでいた。
「来てくれてありがとう。今日は仕事の時間を借りるよ」
「勤務中だけでお願いします」
「もちろん。そこまで嫌われたくはないのでねえ」
ヴィクターは口元を緩めたまま、空いている席を示した。
ダリオが座ると、鑑定画像の欄が閉じられた。
「先に、拾う前のことを聞かせてくれ」
画面には、サルースCが工場の奥へ入っていくところが映っていた。
外板を運び出し、骨組みを除ける。
その陰から、蓋のない黒い箱が現れた。
「ここまでに、箱を動かしたかね?」
「いいえ。見えたのは、この時が初めてです」
ダリオが答え、エレナが自分の記録を開いた。
「手前の部材を除けたところから、映像は続いてるわ。箱を掴もうとはしたけど、触る前に止めた」
伸びかけた腕が、箱の手前で止まる。
ヴィクターは少し前へ戻し、今度は外板を移送する経路を追った。
「この部材を動かした時、裏側で引っ掛けていた可能性は?」
エレナはすぐには答えず、別の角度を出した。
外板の端と箱の間に、暗い隙間が見える。部材が離れた後も、箱は脇の枠材と同じ位置関係を保っていた。
「少なくとも、この映像に接触はないわ。保持した時の荷重もここ。途中で別の物を引いた変化は出てない」
「操船側は?」
「対象を抜く方向へ機体を置いています。箱の方へ押し込んではいません」
ダリオは当時の姿勢と、推進器の向きを重ねた。
移送中のサルースCから、噴射方向を示す線が伸びる。
「噴流は、この箱へ当たるかね? 特に、切れていた束の辺りだ」
「この位置では外れています。箱を見つけた後も、回収艇の進入方向を空けて、こちらへ噴射を向けない経路に変えました」
次の作業へ向かう航跡を出す。
ヴィクターは画面の端に残っていた箱を指し、その時刻の姿勢をもう一度求めた。
ダリオは指定されたところまで戻した。
自分ならまとめて流す移動の一つ一つを、男は止めて見ていた。
「分かった。では、箱の裏側は見ていないんだね?」
「回したり、ひっくり返したりはしてないわ。こちらが横へ回ったの。重なって見えているだけかもしれなかったから」
エレナが接近映像を送る。
捲れた側板の陰から、線の先が現れた。続いて作業灯の角度が変わる。箱の向きは変わらない。
「切れた面に、工具やマニピュレーターは?」
「触ってない。箱にも未接触のまま、現地班を呼んだ」
「その後は、うちの回収班だな」
ヴィクターが別の記録をつないだ。
背板を支えた保持具が、箱を枠材の脇から引き出している。
「線が枠に近づいたのはここね。機体を振って横から見たけど、接触はしていないわ」
ダリオは映像が動き始める前に、その先を思い出した。
線と枠の隙間が狭くなり、また広がる。容器へ収まるまで、エレナは記録を切らなかった。
「現地での収容後は、そちらの管理です。こちらで確認したのは、蓋が閉じるまでと、基地で受領を照合した時です」
「ああ。間の搬送記録はこちらにある。あんた達に、見ていない間まで保証してもらうつもりはないよ」
容器の収容記録、基地での受領、鑑定へ回した記録が並んだ。
ヴィクターは現地映像の時刻へ照合印を付け、そこで初めて最初の画面を閉じた。
「これなら、回収作業で出来た痕を見ているわけではないと判断できる。位置と向きを残してもらって助かったよ」
「現場では、手を出さない方が疲れたんですが」
「その分、今は俺の手間が減ってる。悪い話ばかりじゃないじゃないか」
ヴィクターは、閉じられていた鑑定画像を開いた。
画面が埋まると、配線の端は現場で見た時とは違う形に見えた。
引き延ばされた導体が細く裂けている。
被覆ごと押し潰された線もある。
途中で抜け、端が見当たらないものもあった。
「周りはこうだ。引っ張られたもの、潰されたもの、接続部から抜けたもの。施設が壊れる時に、ばらばらの力を受けている」
ヴィクターが、分岐した束へ表示を移した。
エレナが現場で止めたところだった。
短く揃った端が並んでいる。
拡大された導体と被覆には、押し込まれた部分と、そこから切り離された面があった。
「こちらは、工具で挟み込んで剪断した時の変形と一致する。周りと同じ荷重で、たまたまこう切れたとは考えにくい」
「機械的に切られたんですね」
「その可能性は極めて高い。ただし、この形だけで工具の持ち主までは分からんがね」
ヴィクターは画像の切断面へ枠を付けた。
脇に、表面を調べた結果が出る。
「それから、焼け方だ。黒いのは被覆の側面だけじゃない。切れた面そのものに煤が付き、酸化と熱変色も出ている」
ダリオは、隣のエレナを見た。
彼女は写真から目を離さなかった。
「面が外へ出てから、焼けた?」
「そう見るのが妥当だね。少なくとも、この高温に晒された時には、切断面はすでに露出していた可能性が高い。工具で切られ、その後に火災へ巻き込まれた。その順で、形と焼け方の両方が説明できる」
ヴィクターは現地の静止画も並べた。
あの時は、ただ黒い端に見えていた。
「エレナさん。あんたの違和感は、正しかったようだ」
「当たってほしくない方だったけどね」
ダリオは映像の中の枠材へ一度目をやり、拡大画像へ戻した。
焼ける前の箱を思い浮かべた。
「これはどこの線だったんですか?」
ヴィクターが元の設備図面を出した。
溶解・保持炉区画と電力変換区画。その境界の補機・安全系制御盤へ、回収した箱の輪郭が重なる。
「特定の安全動作と、補助制御に関わる線だ。全部の束が切られたわけではない。切られたものを元へ戻すと、機能の偏りが出る」
図面には、切断を確認した部分だけに印が付いた。
残った線も、同じ束の中を通っている。
「ではその機能に関わる場所を知っていた、ということですか?」
「切った本人が知っていたとは限らない」
ヴィクターは図面の拡大を戻した。
「必要なのは、どの区画へ入り、どの盤を見るか。そこからどの束を選ぶかだ。意味まで理解していなくても、そこを教えられていれば手は届く」
「作業をした人と、教えた人が別かもしれないのね」
「ああ。今は両方を見ている。箱を壊した人間だけ探しても、その前で止まってしまうかもしれんからね」
ダリオは設備図面を見直した。
施設の全体図では小さな点になる場所へ、さっきまで画面を埋めていた配線が収まっていた。
「施設の中の人間なら、そこまで分かるものですか?」
「職員全員が、すべての配線を知っていると思うかね?」
「いえ。俺も、うちの設備を全部は知りません」
「そうだろう。保守の担当、メーカーの技術者、施工業者、検査に入る人間。以前その設備を扱った者もいる。中へ入れた人間と、資料を見られた人間は、同じ一覧にはならない」
ヴィクターは二つの欄を作った。
入れる者。知り得る者。
どちらにも、名前は表示しなかった。
「内部の人間がやった場合と、内部の情報が外へ渡った場合。どちらかを、今ここで捨てる理由はないんだよ」
次に映ったのは、フォボスへ向かう貨物船の航跡だった。
ダリオは椅子から少し身を起こした。
港へ近づいていく線と、そこへ取り付いたサルースC。自分がその場にいた記録だった。
「こちらも、情報の方から見直している」
ヴィクターが別の表示を重ねる。
フォボスの軌道変更設備の定期整備。その期間へ、貨物船の到着予定が入っていた。
「港が動けない時期を知っていた。そこへ船が来る時刻も知っていた。それだけでなく、船の主制御を止めた後、独立したバックアップまで使えなくしている」
「一度は、予備側が生きたのよ。その後で、そちらも潰された」
エレナが制御経路の記録を指した。
ヴィクターは頷いた。
「一つずつなら、入手できる情報もあるだろうね。だが、必要な条件を揃えて使ったなら、ずいぶん内側に詳しい。今度の施設でも、そこが見えてきた」
「まさか、同じ連中なんですか?」
「それは、まだ分からん」
返事は早かった。
ヴィクターは二つの資料を並べたが、間を結ぶ線は引かなかった。
「実行者が同じか、後ろにいる組織が同じか。何を狙ったのかも、それぞれ調べなければならない。今、比べられるのは、犯行に内部事情へ近い情報が使われた可能性だ。そこから同じ犯人へ飛ぶには、まだ足りない」
ダリオは頷いた。
どちらの現場も知っている。それでも、この部屋で初めて見せられたものがある。
「先日のコンラッド級は?」
「あちらは、報告の通りだよ。固定具の疲労亀裂が進んで破断した。工作の痕は出ていない」
ヴィクターは机の上の端末を少し寄せた。
「物が壊れれば、救難の仕事にはなる。俺の方では、それが事故なのか、誰かの行為なのかを調べる。続けて起きたからといって、全部を同じ箱へ入れるわけにはいかんだろう」
「今回の箱は、別だったわけね」
「そのために、最初から見直してもらったんだよ」
ダリオは現地映像の一覧へ目を戻した。
箱を見つけ、手を止め、向きを変えずに待った時間が、時刻付きで残っている。
「これからは、誰が入れたかを確認するんですか?」
「それと、誰が知り得たかだね。出入りと勤務、保守や施工の履歴。図面や内部資料に触れた記録も照合する。業者との接触や、事件の前後に誰と連絡を取ったかも見ることになる」
ヴィクターは公開した説明図を閉じた。
「フォボスの方も、条件を揃える情報を持っていた者から確かめ直す。ただ、誰を調べているかまで、ここでは話せないよ」
「分かりました」
ダリオも、自分の記録の確認を終えた。
コンラッド級では全員を生きて渡せた。それでも、カリガへ入っていった担架の数が減るわけではない。
「起きる前に対処できれば、俺の仕事も減りますね」
「同感だよ」
ヴィクターは短く返し、聴取の記録を確定した。
「今日はここまでだ。ありがとう。また確認したいことが出たら、声を掛ける」
「今度も、勤務中にお願いします」
「わかったよ」
エレナが呆れたように息をついた。
ダリオは端末を閉じ、席を立つ。
机の向こうでは、ヴィクターが別の作業記録を開いていた。
画面はこちらを向いていない。ダリオは自分たちの確認が終わったことをマーカスへ伝え、エレナと部屋を出た。
◇
グレアムは、カリガが離れていく映像を止めた。
接舷部の荷重が抜け、二機の推力配分が変わる。
事故船の回転は増えていない。隣のパティが、同じ時刻の操縦入力と後席の処理記録を揃えた。
「また本社に送るのか?」
「元の運用ログは提出済みです。これは、比較して読めるように時刻を揃えた補足です」
「んなもん、データ見りゃ分かるだろ」
「どこを見たかが揃っていなければ、同じことを聞かれます」
グレアムは少し考え、画面を戻した。
「じゃあ、ここも付けてくれ。ダリオが推力を変えた後だ。俺が先に戻さなかったところ」
「その前の通信も含めます」
サルースCからの連絡、グラディヴスの入力、事故船の反応が同じ列へ入った。
前回の地球出張から、こうして本社へ渡す記録は増え続けていた。
「向こうは、読むだけでも大変そうだな」
「質問が減ると、こちらも助かります」
「そこは同感だ」
補足の確認を終えたところで、マーカスから呼び出しが入った。
『グレアム、パティ。手が空いたら来てくれ。本社から話が来ている』
「……今度はなんだ?」
『来れば分かる』
グレアムは送信待ちの欄を見た。
「……早えな。まだ送ってねえぞ?」
「それとは別件でしょう」
パティが端末を持って立ち上がった。
マーカスが示した文書の冒頭には、AOE地球本社の名があった。
グラディヴスの追加評価に関する正式な要請。
グレアムはその下の対象欄を読み、マーカスを見た。
「また分解するのか?」
「今回は、前と同じ検査じゃない」
マーカスが評価の目的を開いた。
「前回は実任務後の総点検と、機体と後席を合わせた運用を分けて調べるのが中心だった。その後も、火星での記録は送り続けている。先日の大型船の安定化と、二機連携の分も含めてな」
「それで?」
「今度は、地球圏の標準軍用クアドリガと比較したいそうだ。グラディヴスだけの記録を読むところから、一段進める」
パティが資料を受け取った。
グレアムの端末にも、比較対象の型番が表示される。
「OSQ-34、ミレスです」
「……前に地球で見た奴か」
「はい。地球圏で広く運用されている標準軍用クアドリガです」
四機が、同じ間隔のまま航路を流れていった。
工廠では、外された部品の代わりが迷いなく同じ場所へ収まっていた。
グレアムはその二つを思い出し、資料の機体図を見た。
「あっちは、同じ物がいくらでもあるんだったな」
「比較の基準が揃っている、ということでもあります」
パティはグラディヴス側の提出項目を開いた。
グレアムも隣の欄へ目を移す。さっきまで整理していた自分たちの記録の先に、あの機体を置くつもりらしい。
「で、また地球まで行けって?」
「そうだ。機体と、前後席の両方だ」
「向こうの都合なんだから、こっちへ出向くのが筋なんじゃねえの?」
「評価設備も比較機も向こうにある。こちらの勤務は調整する」
グレアムが返事をする前に、パティの画面は日程へ移っていた。
移動条件、機体の輸送、持参する記録。確認済みの印が、上から増えていく。
「もう準備してるのか?」
「条件を確認しています。前回と同じでよい箇所もありますので」
「手際が良くなったな」
「二度目ですから」
マーカスが、二人の端末へ要請書を送った。
グレアムは受信を確認し、もう一度、比較対象の欄へ戻る。
ミレス。
前は、別の航路を通り過ぎていく機体だった。
今度は同じ評価の中に、グラディヴスと並べられている。
「……はぁ、また地球かよ」
そう言いながら、グレアムは機体図を閉じずに、次の頁へ進んだ。




