第16話 フォボスデート
「休暇申請をお願いします」
マーカスは端末から顔を上げた。
「休暇?」
「ですから、休暇です。グレアムのものも同時にお願いします」
机の向こうで、パティが二人分の予定を提示した。
マーカスはその日付を見て、勤務表を開く。
「この日は、お前たちの班は非番だ。ダリオもエレナもな。申請はいらん」
「追加の休暇には当たらないのですね」
「ああ。他の班と当直は普通に動いているが、お前たちの勤務は入っていない」
「分かりました。では、申請を取り下げます」
パティはあっさりと表示を閉じた。
「待て。グレアムは了承しているのか?」
「これから説明します」
「……こういうのは先にそっちを済ませろ」
「はい」
返事にためらいはなかった。
マーカスは、扉へ向かう背中を見送った。
廊下の向こうから、ちょうどグレアムの声がした。
「俺に何の用だ?」
マーカスは次の書類を開き、部屋の扉を閉めた。
◇
「なんで俺の休みを、お前が決めてんだ!?」
グレアムは、目の前へ出された行程表を見た。
フォボス宇宙港、旅客・商業区。
服飾店。
昼食。
映画。
出動予定とはずいぶん違うものが並んでいる。
「行き先の候補です。変更は出来ます」
「行くかどうかの話をしてるんだよ!」
「仕事をしていない人間の行動を、実際に見てみたいのです」
パティは端末を少し下げた。
「私が皆さんと過ごす時間は、操縦中や救難中、勤務の前後に偏っています。知識として知っていることと、その人が実際に何を選ぶかは同じではありませんから」
「……それで、買い物と映画か」
「はい。グレアムは私が最も長く行動を共にしている人です。分からないことがあった時に尋ねる相手として、適していると判断しました」
「その判断、見直した方がいいぞ」
「見直すためにも、実際に同行していただく必要があります」
「どう転んでも俺が行くじゃねえか……」
「あら、いいじゃない」
背後から覗き込んできたエレナが、行程表を見て笑った。
「買い物して、ご飯食べて、映画。ちゃんとデートになってるわね!」
「私は人間の社会行動を観察する予定です」
「うん。デートも社会行動だものね」
「俺はただの案内役だ」
「あれぇ、まだ行くって言ってなかったんじゃないのぉ?」
グレアムは口を閉じた。
パティがこちらを見ている。
「……今回だけだぞ」
「ありがとうございます。では、集合時刻を送ります」
エレナが横で、うんうんと頷いた。
「んだよ……」
「別にぃ。楽しんできてね!」
その笑い方が気になったが、何を聞いても余計なことしか返ってこない気がした。
非番の日になっても、基地の通路にはいつもどおり人が行き交っていた。
出勤してきた顔見知りへ片手を上げ、グレアムはパティと待ち合わせた。
パティは普段と同じ簡素な服装だった。
今日のために何か準備してきたのかと思えば、端末に行程表が入っているだけらしい。
「忘れ物はありませんか」
「仕事じゃねえんだから、そんなに持ってく物もねえよ」
「では、行きましょう」
返答を待つより先に、パティが歩き出した。
フォボスは火星を回る小さな衛星だ。
だが、グレアムたちにとっては天体の名前より、宇宙港として口にすることの方が多い。
貨物船だけでなく、火星へ向かう人間を乗せた船も出入りする。
シャトル発着場の旅客側へ出た途端、聞こえてくる音が変わった。
案内放送に、店先の音楽が重なる。
荷物を引く車輪の音。食器の触れ合う音。すぐ横を通り過ぎる人の笑い声。
作業服姿の男たちが食事を並べた卓を囲み、その向こうでは、子供が店の窓へ両手をついていた。親らしい女性は一度通り過ぎかけたが、呼び止められて戻ってくる。
別の一団は、行き先の表示を指しながら通路を横切った。
パティが足を止めたので、グレアムはその肩へ軽く手を添え、通路の端へ寄せた。
「ここで止まると邪魔だ」
「すみません」
パティは脇へ移ってから、もう一度人の流れを見た。
「到着する人と、出発する人だけではないんですね」
「ここで働いて、ここで暮らしてる奴もいるからな」
店の窓を見ていた子供が、今度は親の手を引いた。
二人で店へ入っていく。
グレアムもその背中を見送った。
以前、コクピットの表示で見たフォボスは、接近してくる貨物船の進路の先にあった。今は人の肩越しに店の看板が見え、その奥から温かい食べ物の匂いが流れてくる。
「あの時、ここにいた人たちも助かったのですね」
「いた奴もいるだろ。今は普通に買い物してる。それでいいんだよ」
パティは少しの間、その店先を見ていた。
それから端末を持ち直す。
「最初の店は、あちらです」
「おう」
今度はグレアムも、隣に並んで歩き出した。
服飾店へ入ると、パティは棚の間をゆっくりと進んだ。
並んだ服を一枚ずつ見て、時折、布の端へ指で触れる。
グレアムは入口に近い場所で、早くも手持ち無沙汰になった。
「これは、どうでしょう」
パティがカーディガンを広げて見せる。
淡いブルーグレーだった。
「どう、って言われてもな。寒いのか?」
「いいえ」
「なら、着なくてもいいだろ」
パティは手元の服を見た。
すぐには棚へ戻さなかった。
「……着てみたいのですが」
「ああ。なら、着てみりゃいい」
通りかかった店員に試着室を教えられ、パティは頷いた。
そのまま別の棚へ向かう。
「それ一枚じゃないのか」
「合わせてみます」
「俺に聞くなよ。先に言っとくぞ」
「今は店員の方に尋ねています」
グレアムは黙った。
試着室のそばには椅子があったので、そこへ座る。
少し離れた鏡の前で、別の客が二着の服を交互に身体へ当てていた。連れの男が何か答えると、どちらも棚へ戻され、また別の一着が選ばれる。
己の案内役としての適性を、いよいよ疑い始めた。
「グレアム」
呼ばれて顔を上げる。
返事が、一拍遅れた。
生成りのインナーに、さっきのカーディガン。
濃紺のパンツは足首へ向かって細くなり、淡い灰色のローカットシューズへつながっていた。肩には小さなバッグが掛かっている。
パティは鏡へ身体を向け、袖口を軽く引いた。
普段の服では意識したことのない布の揺れを、目で追っている。
「どこか、おかしいですか」
「……いや。別に」
グレアムは立ち上がった。
「いいんじゃないか。いつもと違って……」
「違って?」
「仕事に行く感じがしない」
「今日は非番ですから」
「だから、いいって言ってるんだよ」
店員が横で笑った。
余計なことを言われる前に、グレアムはパティの手元へ目を戻す。
「それにするのか?」
「はい。同じ形で別の色もありましたが、こちらの方が好ましいです」
「そっか」
「理由は、まだうまく説明出来ません」
「着たいんなら、それだけでいいだろ」
パティは鏡の中の自分を見直した。
「そうですね」
会計を済ませると、そのまま着ていくことにした。
脱いだ服を袋へ収めてから、パティは鏡の前でもう少し待つよう言った。
肩口の青い髪を後ろへ集め、小さく結ぶ。
短い毛先が、首の後ろで僅かに動いた。
「まとめられるんだな、それ」
「この程度なら。店員の方に髪留めを見せていただきました」
パティは顔を左右へ向けた。
結んだところを確かめるように、一度だけ後ろへ手をやる。
「こちらも、今日はこのままにします」
「そうか」
グレアムは入口へ向き直った。
「……忘れ物はないな?」
「仕事ではありませんが、確認は必要です」
「分かってるよ。行くぞ」
パティが袋を持ち直し、隣へ来た。
「――グレアムさん?」
店を出てしばらく歩いたところで、横から声を掛けられた。
手提げ袋を持った女性が立っている。
グレアムと目が合うと、相手の顔に笑みが広がった。
「やっぱり。パティさんもご一緒だったんですね」
声で分かった。
「あんた、モジュールにいた……」
「はい。ノーラ・リードです。あの時はどうも」
軽く頭を下げられ、グレアムも頷いた。
火星の砂の上で会った時より、ずっと顔色がいい。
「もう普通に出歩いていいのか?」
「ええ。仕事も、出来るところから戻っています。今日は買い物です。部屋の物が色々切れてしまって」
ノーラが袋を少し持ち上げる。
中には日用品の包みが見えた。
「お二人も、お買い物ですか?」
「私は人間の社会行動を観察しています。今日はグレアムに付き添ってもらっています」
「あら。デートではなく?」
「違う」
グレアムが答えると、ノーラは小さく笑った。
「そうなんですね。ごめんなさい。とても楽しそうだったので」
反論すれば、別のところまで否定することになりそうだった。
グレアムは口をつぐむ。
「これからお昼を食べる予定でしたら、ご一緒しませんか。ちゃんとお話もしたかったんです」
パティがグレアムを見た。
グレアムは、少し先にある食事処の看板を指す。
「あそこでいいか?」
「はい」
パティは行程表を閉じた。
三人で店へ向かう間、ノーラがカーディガンの色を褒めた。パティは袖を見下ろし、自分で選んだことを話していた。
◇
エレナは、向かいの店がよく見える席へ腰を下ろした。
少し遅れて、ダリオが座る。
「来てよかったでしょ?」
「まだ、そう思えるところまでは」
「見た? 髪まで結んでたのよ。グレアム、さっき変な顔してたし」
「普段と違えば、驚くくらいはするでしょう」
「それを見に来たんじゃないっ!!」
「俺は呼ばれただけです。そもそも、どうして俺まで必要なんですか?」
エレナは飲み物の注文を済ませ、端末を置いた。
「一人で見てたら、私がただの変な人になるでしょ」
「……二人なら違うと?」
「一緒に買い物に来ただけよ」
「エレナさん、何か買いましたっけ?」
「今、飲み物を」
ダリオが椅子の背へ身体を預けた。
せっかくの非番なのに、と小さく呟く。
向かいの店で、グレアムが席を引いた。
パティと、さっき合流した女性も同じ卓へついている。
「知り合いだったのかしら、あの人」
「そう見えますね」
「なら、本人に聞いてみたらどうかね?」
横から声がした。
ヴィクターが飲み物を持ち、空いている椅子の背へ手を掛けていた。
「……なんであんたもいるのよ」
「いやぁ、気になるじゃないか」
ヴィクターは椅子を少し引き、二人の顔を見た。
エレナが肩を竦めると、そのまま腰を下ろす。
「あの男が、仕事以外でどんな話をするのかねえ?」
「あんたが行ったら、文句しか言わなくなるでしょ」
「だろうねえ。だから、ここで大人しくしていようと思ってね」
「俺は帰っていいですか……?」
「もうすぐ飲み物が来るわよ」
「飲んだら帰れます?」
エレナが返事を考えている間に、注文したカップが運ばれてきた。
ダリオはそれを受け取り、もう一度だけ向かいを見た。
グレアムが何か言い、同席の女性が笑っている。
パティも二人へ顔を向けていた。
「……楽しそうではありますね」
「でしょ!?」
「本人たちに混ぜてもらえばいいのに」
「それじゃ、あの顔は見られないのよ」
ヴィクターがカップへ口をつけた。
「なかなか難しい趣味だねえ」
「あんたも同じ席にいるんだけど?」
ダリオのため息が、二人の間へ落ちた。
◇
料理が運ばれてくると、ノーラは卓の端へ寄せていた袋を足元へ移した。
豆と野菜の煮込みに、小さなパン。
パティの前にも、量を少なくした同じ皿が置かれる。
「食うのか?」
「味を確かめてみたいので」
「そうか」
パティはスプーンで少しだけすくい、口へ運んだ。
飲み込んでから、もう一度皿を見る。
「どう?」
ノーラが尋ねた。
「香りが、思っていたより強いです」
「ここ、香草を多めに使うんです。パンと一緒に食べてもおいしいですよ」
パティはパンを小さくちぎり、言われたとおりにしてみた。
「……こちらの方が好きです」
「それならよかった」
ノーラも自分の皿へ手を伸ばした。
食事の間、話は仕事から買い物へ移り、パティの服へ戻り、また別の話になった。
ノーラは日用品を買いに来たはずなのに、店先で見たカップを一つ買ってしまったのだと言った。
「家にもあるんですけどね」
「使えるなら、いいんじゃねえか?」
「そう思うでしょう。そうやって、使わないものが少しずつ増えるんです」
グレアムは笑った。
パティは足元の袋へ視線を落とし、ノーラが取り出した包みを見た。
淡い緑色の、ごく普通のカップだった。
ノーラは持ち手へ指を掛け、ちょうどいいでしょう、と笑う。
「朝、これでお茶を飲もうと思って」
「今までのものと、順番に使うのですか」
「しばらくは、こればかり使いそうですね」
ノーラは包み直し、袋の中へ戻した。
その指の動きを見ながら、グレアムは火星での会話を思い出した。
あの時の彼女は、救助員に支えられて立っていた。疲れ切った顔で、それでもパティへ礼を言っていた。
今日は自分の足で買い物に来て、明日の朝に使うカップを選んでいる。
「本当に、戻れてよかったな」
思ったまま口にすると、ノーラが顔を上げた。
「ええ」
少しだけ声が静かになった。
「あの時は、降りている間が長くて。今、何が起きているのかも、中からは分からなかったんです」
ノーラはパティを見た。
「でも、声が来ると安心しました。次にどうなるか、何をしていればいいか、ちゃんと教えてくれたから」
「皆さんからの返答があったので、内部の状態を確認出来ました」
「そうだったんですね。私、聞かれたことに答えるだけで精一杯で」
「それで助かりました」
パティは、卓の上へ視線を戻した。
それからもう一度、ノーラを見る。
「今日は、こちらからもお話を聞けてよかったです」
「私もです。あの時は、落ち着いて話せる状態じゃありませんでしたから」
ノーラの笑顔に、パティが小さく頷いた。
給仕が空いた皿を下げに来た。
ノーラが礼を言って椅子を少し引くと、卓の上が広くなった。
「この後は、どうされるんですか?」
「映画を観ます」
パティが作品の紹介画面を見せた。
ノーラが、あ、と声を上げる。
「これ、私も好きです。古い映画ですけど、また上映しているんですね」
「ご覧になったことがあるのですか」
「何度か。うまく格好をつけたつもりで、全部裏目に出るところが好きで」
「……俺に何か言いたいのか?」
「映画の話ですよ」
ノーラが笑い、グレアムも肩を竦めた。
「初めてでしたら、余計なことは言わないでおきますね」
パティは紹介画面を閉じた。
店を出ると、人の流れが来た時より少し増えていた。
ノーラは二人と反対側へ向かうらしく、通路の分岐で足を止めた。
「お引き止めしてしまって、すみません。映画、楽しんできてください」
「そっちも元気でな」
「はい。またお会い出来たら嬉しいです」
「私もです」
パティが答えると、ノーラは嬉しそうに手を振った。
日用品の入った袋を持ち直し、人の流れへ入っていく。
グレアムは見えなくなるまで見送ってから、パティへ顔を向けた。
「上映、間に合うんだろうな」
「はい。急がなくても大丈夫です」
「じゃあ、ゆっくり行くか。食ったばかりだしな」
パティも隣へ並んだ。
映画館の入口には、次の上映を待つ人たちが集まっていた。
グレアムたちもその列へ加わり、案内に従って中へ入る。
席へ座ると、パティは足元へ袋を置き、背もたれに身体を預けた。
服の袖が肘掛けへ触れる。指先で軽く直してから、スクリーンへ顔を向ける。
「ここへ来る必要はあったのか? 映画なら、基地でも見られるだろ」
「こちらを選んだのは、上映中の観客の反応も見られるからです」
「映画の方も見ろよ」
「そのつもりです」
場内の明かりが落ちた。
隣の声も、後ろの話し声も、小さくなって消える。
画面の中では、一人の男が大きな荷物を抱え、待ち合わせの場所へ急いでいた。
中身は、帰りに修理へ出すつもりの古い靴だった。それが、遅れたことをごまかそうとした一言から、相手への贈り物ということになってしまう。
訂正する機会が来るたびに格好をつけ、事態は余計にややこしくなっていく。
最初の笑い声が客席に広がった時、パティの顔が少しだけそちらへ動いた。
グレアムは黙って画面を見ていた。
男が見栄を張り始めるたびに、よせばいいのにと思う。思ったとおりに失敗して、それでもつい笑ってしまう。
やがて、男がようやく本当のことを言おうとした。
今度は相手が勝手に勘違いし、最後まで聞いてくれない。
グレアムの口から、抑えきれなかった笑いが漏れた。
横から視線を感じて、隣を見る。
パティと目が合った。
何だ、と声に出さず口だけ動かすと、パティはスクリーンへ顔を戻した。
グレアムも正面を向く。
映画の後半、同じ荷物がまた別の場所から出てきた。
男が何か言う前に、客席のあちこちから笑いが起こる。
今度のパティは、そちらを振り向かなかった。
丁寧な包装の中から、底の剥がれた靴が取り出される。
男が靴底を手で押さえ、まだ何かごまかそうとするところまで、じっと見ていた。
明かりが戻っても、すぐに立ち上がる人ばかりではなかった。
連れと顔を見合わせる者、まだ流れている文字を追う者、足元の荷物を拾って通路へ向かう者。
パティは、最後の文字が消えるまで座っていた。
「どうだった?」
人の流れが落ち着いてから、グレアムが尋ねた。
「あの荷物が戻ってくるところを、もう一度見たいです」
「そこかよ」
グレアムは笑いながら立った。
パティも袋を取り、後へ続く。
「全部説明すれば済んだ話なんだがな」
「何を隠そうとしているのかは、途中から相手にも分かっていたようです」
「本人だけが分かってねえんだよ」
「グレアムは、いつ分かりましたか」
「最初に余計なこと言った辺り。ああ、こいつは駄目だと思った」
「それでも、笑っていました」
「駄目になるところが面白いんだろ」
出口へ向かいながら、グレアムはさっきの男が言い訳をした時の顔を真似た。
パティがその顔を見て、一度立ち止まった。
「よく似ています」
「顔まで似てるみたいに言うな」
「今の表情です」
「分かってるよ」
通路へ戻ると、飲み物の店から香りが流れてきた。
グレアムはそちらを見て、パティへ顎をしゃくる。
「少し座ってから帰るか」
パティは端末へ手を伸ばしかけ、止めた。
「はい」
壁際の席へ並んで座る。
パティは温かい茶を選び、両手でカップを持った。
「今日は有意義でした」
「報告書みたいに言うな」
「では、楽しかったです」
グレアムは飲みかけていたカップを下ろした。
パティの顔を見てから、小さく頷く。
「……そっか」
「また来たいです」
「次は、もう少し歩かせない予定にしてくれ」
答えてから、グレアムは隣を見た。
パティがこちらを向いている。
「次も付き合うとは、まだ言ってねえからな」
「では、次もご一緒していただけますか」
「俺の予定も聞け」
「それを、今伺っています」
グレアムはしばらく黙った。
それからカップへ口をつけ、温かいものを一口飲む。
「……非番が近くなったらな」
「はい」
パティは、それ以上予定を詰めようとはしなかった。
膝に落ちていたカーディガンの裾を整え、通りを見ている。
店の前では、買い物袋を持った二人が立ち止まり、何か相談していた。
片方が道の先を指す。もう片方は少し考え、頷いて歩き出した。
グレアムも飲み終えたカップを置いた。
「……帰るか」
「はい」
立ち上がったパティの肩で、小さなバッグが揺れた。
グレアムは空いた席へ忘れ物がないか目をやり、それから歩き出す。
人の流れが途切れたところで、パティが隣へ来た。
「あの荷物ですが、中身は最初から変わっていなかったのですね」
「そうだよ。本人が余計なことするから、あんなことになるんだ」
グレアムはもう一度、映画の男の顔を思い出して笑った。
パティが次の場面の話を始めたので、そのまま聞きながら帰りの通路へ曲がった。




