第15話 ゴミ拾い
「なんでこんなしょうもねえことに、MRSSが駆り出されてんだ……」
グレアムは前席の表示を眺めながら、背もたれへ身体を預けた。
火星を背に、白っぽい板が一枚、ゆっくりと回っている。正面を向くたびに太陽光を返し、横を向けば薄い線になる。どこかの船か施設から外れた部材らしいが、遠くからではそれ以上分からなかった。
「次の定期便がこの付近を通過するまでに、到達して回収を終えられる機体がグラディヴスだけだからです」
「作業艇は?」
「間に合う位置にはいません。回収能力の問題ではなく、配置と所要時間の問題です」
「だからって、俺らがゴミ拾いかよ」
「航路安全確保です。ゴミ拾いではありません」
後ろから返ってくる声には、いつもどおりの落ち着きがあった。
今回の任務は、定期便の予定経路と重なる漂流物の除去だった。管制では通過経路の変更も準備しているが、回収出来るなら、後の便にまで危険物の監視を引き継がずに済む。
乗員のいない板を拾って帰る。
依頼書の用件は、それでほとんど全部だった。
「第三世代の先行統合試作機だぞ。もうちょっと、こう……」
「最近、業務中の不平が増えています」
「そんなもん数えてるのか?」
「数えてはいません。傾向として認識しています」
「……後席の感じが最近、少し変わったからだな」
「私の責任ですか?」
「聞いてくれる相手がいると増えるんだよ、こういうのは」
「では、少し減らしてください。接近経路を出しました」
表示に重なった線へ機首を合わせる。パティはグレアムの入力に応じて推力を配分し、四本のモジュールを接近用の配置へ動かした。
板との相対速度が落ちていく。拡大された映像には、折れ曲がった角と、裏側を横切る補強材が見えてきた。薄い外板の一部が剥がれ、回転につれて持ち上がっている。
「外装か。どこのだ?」
「表側に識別表示は見当たりません。裏側を確認します」
対象の回転に合わせ、映像の向きだけが滑らかに補正された。裏面に残っていた表示は擦れており、所属を特定出来るほどの文字は読めなかった。
「押してどけるだけなら、すぐ終わるな」
「直近の通過経路からは外せます。ただし、変更後の軌道も継続して監視する必要があります。捕獲して持ち帰る時間も残っています」
画面に二つの経路が出た。片方は板だけを押し出す案、もう片方は機体と一緒に基地まで運ぶ案だった。
グレアムは、板だけが離れていく予測線を目で追った。
今度の便には当たらない。だが、それでこの板がなくなるわけではない。
「後で別の誰かを呼ぶのも面倒だ、持って帰る。割れそうなところは触らせるなよ」
「固定位置を提示します」
薄板の表面から表示が消え、裏の補強材に印が付いた。
回転を止める前に、まず相手と一緒に動く。グレアムは板の裏側へ回り込み、角の動きを表示の同じ位置へ収めた。右上のモジュールを前へ送り、先端の指を開く。
「右の縁から取る。左は反対側へ――」
「右の縁は外板と一緒に曲がっています。内側の横桟なら、剥がれた部分へ荷重を掛けずに保持出来ます」
「そっちにする。左も合わせてくれ」
固定位置の印が内側へ寄った。グレアムが接近角度を変えると、左側のモジュールも、板の端を避けて裏へ回る。
指先が補強材へ触れた。
パティが接触荷重を表示へ出す。グレアムは横桟を握り潰さない強さで保持し、もう一方の手が掛かるまで相対位置を保った。二点の固定が揃ってから、機体ごとゆっくりと回転を抑えていく。
それまで画面の中を巡っていた火星の縁が、次第に動きを止めた。
「回転停止。保持箇所の変形は確認されません」
「外板が浮いてる。あれも押さえてから帰るぞ」
「固定索を外側へ回せます。締めすぎると縁が割れるので、支持する程度に留めてください」
空いている下側のモジュールを使い、回収用の索を板へ回した。補強材ごと包むように留め、薄い表面を締め付けず、離れかけた部分だけを元の位置に支える。パティが別角度の映像を前席へ送り、グレアムは索の掛かり方を確認した。
そのまま少しだけ機体を動かす。
板はついてきた。剥がれかけた外板にも、余計な動きは出なかった。
「これでいい。帰りはこの姿勢のままだな」
「保持した状態での帰還経路へ更新しました。加減速は捕獲物の固定荷重に合わせます」
「了解。周りをもう一度見てくれ」
パティが観測範囲を広げる間、グレアムは板の裏側を見直した。
取付部の穴が、一箇所だけ外へ引き延ばされている。そこを中心に拡大し、欠けた断面へ照明を当てた。
「ここも残しておいてくれ。外れる前から曲がってたのかもしれん」
「回収前の状態として記録します。破断の順序は、現物の確認が必要です」
「そっちは詳しい奴に任せよう。俺らがまた拾いに来なくて済むように調べてもらえ」
もともとの取付具が今も同じように使われているなら、次は別の板が外れるかもしれない。誰の物か分からないまま捨ててしまえば、持ち主も外れたことに気付かず終わる。
パティは取付部の画像を記録へ加え、管制へ回収完了を送った。
『対象の捕獲を確認。定期便は予定経路を維持する。帰投経路を送る』
「了解。こいつは外で引き渡す。受け入れ側に固定状態も送ってくれ」
グラディヴスが板を抱えたまま、緩やかに向きを変えた。機内には低い作動音が続いている。帰還経路の表示は、終わった作業の予測線よりずっと簡素だった。
少し後に、定期便から管制への了解が届いた。出発を待つ乗客がいるのか、積み降ろしを待つ荷物があるのか。グレアムには便名以上のことは分からないが、向こうも余計な迂回をせずに済む方がいいだろう。
前席の端へ作業表示を寄せると、板を持った二本の腕が並んで映った。修理の済んだ赤と白の機体に、擦れた灰色の板。不釣り合いではあるが、今日の持ち帰り品はこれだけで済んだ。
「なあ、パティ。これ、普通に拾い終わったよな」
「はい。機体と捕獲物の固定状態に異常はありません」
「だったら報告も、普通に短く済ませたいな」
「そのための記録は揃っています」
グレアムは満足して頷いた。
◇
漂流物を基地の外部作業班へ引き渡し、機体を戻してマーカスの部屋へ行くと、またヴィクターがいた。
「なんでお前がまだいるんだよ?」
「悪いね、仕事だよ」
「なら、自分の職場でやれや」
「ここにも用があるんだ。あんた達が留守だったもんでね」
くたびれた作業服の男は、椅子に座ったまま端末を持ち上げた。グレアムはそちらへ行きかけた視線を、マーカスへ戻す。
「工場の追加照会だ。必要な記録の確認と、この報告への同席は俺が許可した。先に今日の仕事を済ませろ」
「ゴミ拾いは終わった。定期便の通過前に回収、外部作業班へ引き渡し済み。以上」
「航路安全確保、一件完了です」
パティが隣で報告を引き継ぎ、端末から記録を送った。
「回収物は外装部材と推定されます。識別表示の一部と取付部が残っているため、所属と脱落原因の確認を依頼しました。作業中、新たに離れた破片は確認していません」
「ほう」
グレアムは無視した。
マーカスが受領した画像を開き、引き渡し先からの連絡と照合している。グレアムはその脇へ固定箇所の映像を出し、索を外す際の注意を伝えた。
「浮いてる外板は、あの索で押さえてる。受け側にも言ってあるが、先に横桟を固定してから外せと」
「ほうほう」
マーカスは頷き、報告の確認欄を埋めた。
「航路上の対象排除を確認。回収物の調査は担当へ渡す。機体の追加整備は?」
「通常点検の範囲です。帰還時の保持荷重も――」
「ほう」
「……さっきから何なんだ、ウザってぇな」
グレアムが振り向くと、ヴィクターは不思議そうに眉を上げた。
「聞いてるんだよ。黙ってると、話を聞いてるのかって怒る人もいるからねえ」
「お前に報告してるんじゃねえ」
「そりゃ分かってる。だが、ただのゴミ拾いにしちゃ丁寧じゃないか。持ち主探しまで始めるとはね」
「あんなものが外れたのに、持ち主が気付いてねえと困るだろ」
「なるほど。拾って終わりじゃ困るわけだ」
ヴィクターは、マーカスが開いた回収記録へ視線を戻した。
「最初から持って帰るつもりだったのかね?」
「見てから決めた。押してどける案も出したが、後の監視まで付いてくる。捕まえられるなら、その方が早く片付く」
「その二案は、どちらが?」
「私が経路と所要時間を提示しました。グレアムが回収を選び、その後の接近で保持位置を変更しています」
パティが該当箇所を示すと、ヴィクターはグレアムへ顔を向けた。
「これは、あんたが?」
ヴィクターの指が、画面の右側を示した。グレアムが最初に取ろうとした縁へ、一時的に印が付いている。
「そっちはパティだ。そこを持つと薄いところまで引っ張る。だから内側へ変えた」
ヴィクターは記録を少し戻した。提案された位置と実際に指を掛けた位置を見比べ、今度はその間の短い会話を再生する。
「言い直したところまで残ってるんだねえ」
「操作だけでなく、変更の理由も記録しています。後から確認する際に必要ですから」
「誰が何を見て変えたかも分かる、と」
「お前、仕事を見に来たのか、俺のあら探しに来たのか、どっちだ?」
「今のところ、文句の多い仕事人を見てるねえ」
ヴィクターの口元が緩んだ。
グレアムは言い返しかけたが、マーカスが先に記録を閉じた。
「通常業務の報告は以上だ。追加の照会があるなら続けてくれ」
「では、お嬢さん。工場の件で、もう一つ頼みたい」
パティがヴィクターへ向き直った。
「火星へ降りた後、救助された人達と話をしてるな。物が置いてあった、何が置かれていたかは分からない、という辺りだ。あの会話の元記録を、時刻情報ごともう一度確認したい」
「正式調査へ提出した記録に含まれています。該当する範囲を示して再送出来ます」
「頼めるかね。発言者ごとの整理は分かりやすいんだが、今度は会話が実際に進んだ順番で見たい。前後のやり取りも切らずに、そのままで」
グレアムはヴィクターの端末を見た。画面には既に、提出された資料の参照箇所が並んでいる。
「まだ何かあるのか」
「それを調べるのが俺の仕事でね」
「こっちの話は根掘り葉掘り聞くくせに、自分は何も言わねえな」
「捜査中だよ。今ここで話せることは、前に伝えたとおりだ。追加で知らせる必要があれば、マーカスを通す」
声の調子は変わらなかった。
パティがマーカスを見て、短く頷かれると記録を開いた。提出済みの資料と元の会話を対応させ、記録時刻の読み方を添えて送る。
ヴィクターは受け取ったファイルを開いた。その場で先頭と末尾を確認し、一箇所だけ時刻表示を拡大する。
「この表示は、録った時のものだな。整理し直した時刻じゃなく」
「はい。記録時の時刻情報を維持しています」
「助かるよ」
その返事には、余計な相槌が付かなかった。
グレアムの頭に、赤い砂の上で集まって話していた人々の姿が浮かんだ。
何が置いてあったのか、誰も確かな答えを持っていなかった。思い出せる範囲のことを、それぞれ言ってくれただけだ。
その先を調べる人間が、目の前にいる。
「……だったら、ちゃんと調べろよ」
「そのつもりで来てるんだがね」
ヴィクターは端末を閉じて立ち上がり、マーカスへ挨拶した。グレアムにも軽く手を上げたので、そちらには何も返さなかった。
扉が閉まり、部屋がようやく静かになる。
「本当に、いつまで居座る気だ。こっちは板を拾っただけだぞ」
グレアムがぼやくと、隣でパティがこちらを見た。
「ヴィクターの滞在に対する不平は、今ので三回目です」
「数えてるじゃねえか」
マーカスが端末を伏せた。
「そのカウントを、これ以上俺の部屋で増やすな。報告は受けた、二人とも今日は上がれ」
グレアムは口を閉じた。
ここで言い返せば、今度は上司への不平として数えられかねない。
「……お疲れさん」
「お疲れさまでした」
パティが頭を下げるのを待ち、グレアムは部屋を出た。
廊下では、工具のケースを抱えた整備員とすれ違った。挨拶に片手を上げ、そのまま格納庫の前を通る。
開いた扉の向こうで、グラディヴスの脇へ作業用の足場が寄せられていた。コクピットの照明はまだ点いている。引き継いだ整備員が、後席の表示を覗き込んでいた。
グレアムは歩調を緩めた。
「固定索も、受け側に全部渡したな?」
「はい。受領の確認も済んでいます」
「なら、いいか」
今度こそ足を進める。
通路の先で誰かが笑っていた。勤務を終えたらしい二人が、壁際で立ち話をしている。
何の話かまでは聞こえない。ただ、一人が大げさに両手を広げ、もう一人が首を振った。
グレアムたちへ気付くと、二人は少し脇へ寄った。
「お疲れさまです」
「おう、お疲れ」
それだけ交わして通り過ぎた。
グレアムは肩を回した。背中の筋肉が引っ張られ、ようやく操縦席から降りた気がした。
「飯でも食うか」
「食堂はまだ開いています」
「知ってる。お前はこの後どうするんだ?」
「充電と自己診断を済ませます。その後の予定は、まだ決めていません」
「そうか。なら、そっちも今日は終わりだな」
パティはすぐには答えなかった。
さっきすれ違った二人の方を、一度だけ振り返る。
「随分、楽しそうに話していました」
「仕事が終わったんだから、気も楽になるだろ」
「グレアムも、仕事の話をしない日がありますか」
「あるに決まってるだろ、俺を何だと思ってんだ」
「例えば、何の話を?」
「……飯とか。休みの予定とか」
そう答えてから、さっきまで自分が何を話していたか思い出した。
「あいつの話は別だぞ」
「まだ何も言っていません」
先回りしすぎた。
グレアムは小さく咳払いをした。
「まあ、仕事なんてのは今日みたいなのでいいんだよ」
「『しょうもねえこと』ですか」
「ああ。毎回、誰かが死にかけてたらたまんねえだろ?」
歩きながら、胸元に残っていた留め具を緩める。
「文句だけ言って帰ってこられるなら、その方がいい」
「それは、私もそう思います」
パティの返事は短かった。
食堂へ曲がる角まで来て、グレアムは足を止めた。
「じゃあな。ちゃんと休めよ」
「グレアムも、食事中に記録を開き直さないでください」
「分かってるよ」
手元の端末をポケットへ押し込み、片手を上げる。
パティも小さく手を上げた。
食堂では、返却口で食器が触れ合う音がしていた。
グレアムは空いている席を探しかけ、その前に今日の献立を見上げた。
少し迷ってから、温かいものが並ぶ列の後ろへついた。




