第一節 騎士たちの矜持は崩れ霧を纏う森
メルカド伯爵領は庭園と小山を造成する事になった事で若干の喧騒が生まれていた。従僕たちが入れ代わり立ち代り造成地で活動していた。
小山の造成地に森から繋がる入口の近くにタープが張られていた。テーブルや椅子もありちょっとした拠点として整備されていた。
「実践的な鍛錬場ですか?」
メルカド伯爵家騎士団の騎士団長がルクレイに聞かれた事をそのまま返してしまった。言葉にした騎士団長は「申し訳ありません」と謝罪を口にした。
「ん? 気になる事はちゃんと聞いてね。お互いに勘違いしてたらまずいからね。実践的というのは坂だけで良いのか?って気になったからだよ」
ルクレイは思い付く騎士の鍛錬を騎士団長に話した。思い付く鍛錬の多くは鍛錬場で行えるものである。一般的と思っている物を上げて確認した。
「ルクレイ殿が上げたものは実際に行なっています。途中にあった『うでたてふせ』や『ふっきん』というのはどういう鍛錬か分かりませんでした」
「あっ、呼び方が違うかもだね。ちょっとやってみるから確認して」
ルクレイは作業用マットの水壁を地面に展開した。マットに移動して腕立て伏せと上体起こしを実演した。確認すると行っていなかった。
「下半身の鍛錬は駆けているけど腕や肩とかを含めた上半身は武器の鍛錬で鍛えてる感じか。武器は槍が多いよね?……だよねー。腰もちょっと怪しいか」
ルクレイは顎に手を当てた。武器を振り回して鍛えるのが悪い訳ではないが効果の実感が得られ難いというのが欠点だとルクレイは思っていた。
「ヴィーは寝る前に体操を続けてるよね?……ヴィーのスタイルは良いもんね。あれはバランスも鍛えられるけど体型を整える効果があるからね」
暗にヴィオナのスタイルは好みとルクレイは言っていた。スタイルを褒められたヴィオナは赤くなりながらも嬉しそうにルクレイを見つめた。
『なぜそこで体型をさらりと褒めるのでしょうか。寝る前は毎日イヤーカフでイチャイチャしてるのですから体操してるとルクレイ様は知ってますよね?』
イチャを自然体で差し込んで来るルクレイにユミナは呆れていた。ヴィオナは毎日の通話で何回やったかを細かく報告し褒められるのを楽しみにしていた。
「少し鍛錬でする事を増やすか騎士団長には考えて貰います。後で鍛錬場に移動して見本を見せるので検討してね。……やっぱり坂だけは微妙だな」
顎に手を当て武器を闇雲に振り回す姿をルクレイは考えた。
「坂は作りますがもう少し鍛錬設備を増やそう。特にバランス感覚を鍛える物と腕力や背筋の強化は必要だね。肩や腹や腰は鍛錬場で賄えるから除外と……」
ルクレイは腕を組み目を瞑って造成する小山に配置する鍛錬設備を考えた。
「ボルダリングは要るかな?……必要だな。あれは鍛えるというより不足してる部分が炙り出される。今だと上半身が全然不足してる気がする」
ルクレイの呟きに「ボルダリングって何ですか?」とヴィオナが尋ねた。
「えっ?……壁を登る鍛錬? 壁に突起物を設置して突起物を使って登るんだよ。基本は手足に負荷が掛かる鍛錬なんだけど全身を使う感じなんだよね」
聞かれたルクレイはボルダリングの説明をした。
「ヴィー用の壁は工房の方に用意するね。ケガしないようふかふかマットの風壁魔道具が欲しいなぁ。まぁいつも一緒だから僕が水壁のマットを出せば良いか」
そのままヴィオナ専用の壁は貴族区間に作ると独占欲がチラリと顔を出す。
「そうだ! 直ぐではないけど水練の場所も整備する。水練で鎧は……必要だな。という事はロープを腕力だけで身体を持ち上げるぐらいは必須だな」
ルクレイの前世の記憶にある落水時にロープだけで船上に戻る大変さを思い出した。ソロセイリングで命綱なしはナシなので付けるが落ちると大変だった。
『ロープの長さが足りずに船尾のステップまで行けなかった時は死ぬかと思ったからな。ロープ登りは鎧ありを経験させないとダメなヤツだよな』
ルクレイは追加でロープ登りの設備も必要と考えた。そして前世の記憶から雲梯も入り込みロープで亀裂を渡るイメージも入ってきた。
「そうだな……ロープを利用できる設備もいるな。ジャンプ力を確認する場もあった方が良い。……ん? 飛び石みたいな感じの設備は水路に繋げるか」
ルクレイの頭の中では頂上に向け攻め込む騎士たちの姿が浮かんでいた。鍛錬しながら攻め上がり防衛側は水流や突風で邪魔をしていた。
「これはちょっと時間が掛かりそうだ。まずは造成して坂を用意するのが良いか。少しずつ改造すれば十分?……いや、ボルダリングは早めに必要だな」
頭の中で造成した小山と麓の水路の横に飛び石がある浅い池が形となった。小山の側面にはクライミング用の壁を置いてボルダリングも可能と考えた。
「おおむね小山の方向性は分かった。鍛錬場でやる鍛錬に関して実演に向かおう。地面の上でやれるし設備も不要だから見て鍛錬に採用するか決めてくれ」
ルクレイは席を立ちヴィオナに手を差し伸べた。手を受けたヴィオナが笑顔で鍛錬の内容を聞き出そうと笑顔で話しかけ二人は鍛錬場に向かった。
唖然としていた騎士団長と副団長たちは慌ててルクレイたちを追い掛けた。
腕立て伏せや上体起こし、エビ反りやスクワットなど負荷の掛かる基礎的な運動をルクレイが実演したので騎士たちにも参加するしかなかった。
「レイが楽しそう。笑顔で指導して実演してるわ」
鍛錬場が見えるガゼボでユミナと席に座り冷えた紅茶を飲んでいた。やりたい顔をしたがルクレイがやんわりと止めた。
『ルクレイ様は笑っているけど……騎士たちは膝とかが笑ってるわ。何人かは倒れたままですし腕立て伏せや上体起こしは単調ですが……あれキツそうです』
ユミナは戦闘侍女に向けた鍛錬をするに当たりヴィオナから寝る前の軽い体操を習った。双子のマルセリオとフェリクスも行っているのでキツくはない。
しかし最初の数日は筋肉痛に苦しんでいた。
『ルクレイ様は見た目は軽いのに地味にキツい鍛錬を知り過ぎです。騎士たちに指導している鍛錬もあれは明日動けない騎士が多数でるに決まってます』
既に動けない騎士が多数になり始めているが追加で背筋運動や椅子に手を置いた変形の腕の屈伸など騎士を攻め続けた。騎士団長は青い顔をしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「坂がないからやっぱり鍛錬不足だったのかなぁ。思ったよりもへばる騎士が多いのは気になるよね。あと鍛錬場の傍に水浴び場が必要だね」
ルクレイはヴィオナをエスコートしながら中断した小山の境界を作るため掘削して岩を置く作業に戻っていた。雑談を楽しみながらの作業だった。
『あー、日差しも強くなってきてるし日傘が必要だよなー。ん?……日傘って庭園のBBQ会場のテーブルに付けるのアリだな……って暑いならミストだな!』
ルクレイは話しながら陽射しから日傘をさす可愛いヴィオナを幻視して作る事を決心した。そして前世の記憶に暑さ対策であるミストが浮かび上がった。
「ちょっと思い付いた魔法があるんだけど。あっ! 前に試してみようって話した水やりの魔法もあった。試そうねって言ったのに忘れてた! ごめんね」
ルクレイはミストの再現を考えたが忘れていた事も思い出した。
「大丈夫よ。忘れていてもレイはちゃんと思い出したもの。水やりはわたしも忘れてたけど思い出したならやりましょう! あっ……でも境界の外でね」
ヴィオナも思い出し楽しそうにルクレイに微笑んだ。
「雨みたいな感じで水を撒く水属性の魔法ってあるのかな? あと霧のような魔法とか。水やりはありそうだけどヴィーは知ってる?」
困った時のヴィオナ頼みで魔法の有無を確認した。
「水属性魔法大全はもちろん読んでますが記憶にはないですね。水を撒く場合は造水で出したものを撒けば済むと思うのですが違うのですか?」
睡魔に負け越しているがヴィオナは大全シリーズの一覧に書かれていた魔法は覚えていた。覚えないと冒険禁止とペナルティが重かったからである。
「確かにそれで事は足りるね。僕が考えたのは今日みたいに陽射しが強い時に使うの。小さな水滴を撒くとキラキラして綺麗かなって」
ルクレイが答えるとヴィオナは「それ見たい!」とテンションが上がった。
『可愛い……って失敗したらこの陽射しなのに曇っちゃうよ。魔力くん、ヴィーの陽射しを陰らさないためにもシャワーのように水を撒くよ!』
「散水!」
ルクレイは小山の境界外に向けて思い付いた発動言語を唱えた。
「きゃぁ~綺麗! キラキラして色々な色が光ってるわ!」
空中にシャワーで水を撒いたような小さな水滴が森に向けて吹き出した。森に届いた水滴は「ザァー」と音を立てた。
『……ヴィオナ様は綺麗で頭が一杯のようですがルクレイ様がやらかしてますよ? 大全にないと言ったのはヴィオナ様です。責任取って突っ込んでください』
何やら不穏な発動言語にユミナは突っ込みを入れていた。
「レイ! とっても綺麗です! レイの水を浴びれた木々たちが嬉しそうに葉を揺らしてお礼してますよ。それに風も涼やかな風でレイを祝福してます!」
ヴィオナはエスコートを受けているのを忘れてたぴょんぴょんと跳ね喜びで満面の笑みだった。そのままどさくさ紛れにルクレイに抱きついた。
「そうかな? 思ってたより水滴が大きかったけど喜んでもらえて嬉しいよ。もう少し水滴を小さくしてみるね。そうだ、ヴィーはそよ風を森に流して」
抱き着かれたルクレイは片手で優しくヴィオナを抱きしめ髪に軽くキスをした。そして二人での共同作業をさらりと提案した。
「そよ風!」「散水!」
『ちょっ、ヴィオナ様違います。一緒に魔法を発動する前にルクレイ様に突っ込むとこです!……それはいつのもそよ風と違います! えっ? 霧?』
小さくなった水滴はさらに小さくなり霧状になった水滴が森に流れ込んでいった。そよ風は森の中の空気をかき乱し霧の流入を後押しした。
「素敵……森と霧はとても幻想的です。まるで早朝にレイと森林デートしているようです。でも、いつもよりそよ風が強くてちょっと幻想感が減ってます」
「そんな事ないよ。この強さだから霧状の水滴が森に入れたんだよ」
ルクレイは発動の時にヴィオナから解いた手でヴィオナの頭を撫でた。そよ風が止まると森から風が盛り返し気温が下がった風が造成地を包み始めた。




