第三節 二人の甘め寄りの鍛錬と湯殿での雑談
メルカド伯爵邸の鍛錬場に金属音のような甲高い音が響き渡っていた。音は区切りもなく引っ切り無しに鳴り不思議な喧騒となっていた。
「ヴィー、風壁に頼り過ぎだよー。本来の動きが阻害されて回避のテンポが悪くなり始めてる。風壁を減らすか出す位置をもっと調整してー」
ルクレイはヴィオナに突きの連打を打ちながら指示を出す。立ち位置は目まぐるしく動いているが棒の突きだけが突然現れるようにヴィオナに襲い掛かる。
ヴィオナは棒で突きを弾きながら手を使い払うが突きは止まらなかった。
攻撃を捌くのに一杯になりそうになる度にヴィオナは風壁を使い位置を変えていた。しかしルクレイはスイッと攻撃の距離に入り仕掛けてきていた。
「ありゃ、リオとリクの鍛錬は終わっちゃったのかい」
ガゼボにイゼルダ前伯爵夫人が入ってきた。鍛錬場から楽しそうな声が聞こえたので見学するために足を運んできていた。
「ルクにぃの鍛錬は」「とっても厳しいの」
さすがに大好きなお祖母様が顔を出してもマルセリオとフィリクスは身動きできなかった。声だけで「「お祖母様いらっしゃーい」」とだけ挨拶した。
「くく、ルクレイのは厳しいというわけではないぞ。あれはリオたちを動かすように立ち回ってるから釣られると動いて体力を消耗していく流れじゃ」
「「えー」」「ルクにぃに」「また謀られた!」
イゼルダ前伯爵夫人は楽しそうに双子にヒントを与えていた。
「それにしてもヴィオとルクレイの鍛錬は凄いのぉ。歳のせいか二人の動きがたまにブレる。歳は取りたくないものだのぉ」
イゼルダ前伯爵夫人がお年寄りムーブを繰り出してきた。
「イゼルダお祖母様、あれは普通に目が追いつかずにブレて見えてます。お祖母様の目が衰えたわけでもないのに反応し辛いボケは勘弁してください」
メルカド家に馴染んできたリドルがイゼルダ前伯爵夫人に突っ込んだ。
「くくく、リドルも言うようになったの。確かにあの二人の動きは常識の範囲から出てるわな。ヴィオの動きがたまに変なのは魔法を使ってるのかい?」
リドルはノルド子爵家という他家の子どもである。ルクレイについてメルカド伯爵家に来たがイゼルダ前伯爵夫人は孫のように気に入っていた。
「風壁という魔法です。元々はアル兄さんとリュミ姉さんが作った魔法です。ヴィオナ嬢はソフィア様から空中を移動する形で伝授されたようです」
リドルが簡単にヴィオナが使っている魔法の解説を伝えた。
「ほんに面白いのぉ。英雄さんたちは魔法の常識を気にもせんな。それがヴィオに伝染してる辺りが本当に面白い。おや? 空中戦になったみたいだのぉ」
笑顔を見せていたイゼルダ前伯爵夫人は目を細めて鍛錬の流れを見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「地上での動きは問題ない感じだよね? 場所を空中に変えてヴィーが攻撃の主導権を取るように仕掛けて。僕の水壁は踏んじゃだめだよ?」
ルクレイは地上での戦闘訓練を終わらせ本格的な空中戦をヴィオナに促した。
ルクレイの指示にヴィオナは棒をポイッと落として風壁をばら撒いた。ルクレイの攻撃を回避しながら風壁を駆け上がって鍛錬場の上空に出た。
ルクレイは地上スレスレに出した水壁を蹴り飛ばして一気に上空に舞い上がった。そしてヴィオナより上空から攻撃を繰り出した。
「ちょっ、一気に上を取るのはズルいです!」
上空からの攻撃を手で弾きながら回避していくが地面の方に押し込まれていく。
「棒を手放したなら風壁も防御に使わないと詰んじゃうよ。棒の長さがヴィーの守備範囲を広げてたのを忘れないで」
ルクレイはヴィオナが棒を手放した事で減った守備範囲を指摘した。守備範囲が減ることでルクレイの攻撃に使える空間が相対的に増えていた。
「そうでした!」
指摘されて気が付いたヴィオナは移動用とは違う防御用の風壁をルクレイの突きの前に展開し防御に参加させ始めた。
「ガギャーーン!」
先程まで棒同士がぶつかる金属的な音が空中戦になりなくなっていた。そしてヴィオナが風壁を防御に使い出すことで金属音とは少し違う音が響いた。
「ちょっ、防御用に出した風壁を割らないでください!」
移動用の風壁を駆けながらヴィオナがルクレイに苦情を入れた。
「意識がまだ移動用のままだよ? 防御用の風壁にしては脆すぎるから意識の切り替えが出来てないだけ。割れても別に困らないから気にしない気にしない」
単に風壁の強度が弱いとルクレイが指摘してどんどん割っていく。
「割れたら気になります! なんかお皿を割ったような罪悪感が湧きます!」
◇ ◇ ◇ ◇
「始まりました。大奥様、もう少しで鍛錬は終わります。冷やした紅茶が良い感じですがお出ししてよろしいでしょうか?」
気配を消していたユミナがイゼルダ前伯爵夫人にお茶出しの確認をした。
「ん? 冷えたのは良いのぉ。冷たいので頼む。ところで『始まった』というのは何か始まったのかえ?」
ユミナは冷えた紅茶を用意し始め「イチャイチャし始めました」と軽く答えた。
「くくく、そっちかい。確かに動きは相変わらずおかしいが雰囲気が変わったな。二人とも笑顔で駆け回ってるな。駆け回ってる事もおかしいんだがな」
イゼルダ前伯爵夫人は楽しそうに鍛錬場に視線を戻した。
「ルクにぃとヴィオナ嬢の鍛錬を見ているとアル兄さんとマティルダ様の模擬戦を思い出します。初めて見た時に衝撃を受けましたが二人も凄いですよね」
リドルも鍛錬場を見て独り言のようにイゼルダ前伯爵夫人に話し掛けた。
「ほぉ、マティルダ様の模擬戦をリドルは見たことがあるのか! いいのぉ。私も見てみたいもんだ。それにしても英雄さんとの模擬戦かね」
「公爵家では風物詩的な感じでした。公爵様も騎士団の人たちも楽しそうに見てました。決着が付かなくていつも時間切れでしたけど」
模擬戦がマクシミリアン公爵家の風物詩とリドルは話を続けた。
「ほぁ……英雄さんはマティルダ様と模擬戦で戦いきれるのかい?」
分家筋とはいえマティルダ公爵夫人と面識のあるイゼルダ前伯爵夫人は目を見開いた。王国で一番強いマティルダ公爵夫人と渡り合える時点で異常だった。
「そうですね。マティルダ様と模擬戦で勝負がつかないのはアル兄さんだけって話でした。アル兄さんは『手加減されてるよ』って言ってましたけど」
リドルは「王都では有名ですよ」とイゼルダ前伯爵夫人を少し揶揄った。
「はぁ、模擬戦は模擬戦さね。英雄さんも全力は出さんだろ。マティルダ様に押し切る機会を与えないだけで破格なのは確定しておる」
模擬戦で全力を出し切ることは不可能である。特にマティルダ公爵夫人が全力を出せば防壁ぐらいなら吹き飛びかねない強さであった。
◇ ◇ ◇ ◇
「そろそろ終わりにしよう。防御用に展開した風壁の強度もいつも通りに戻ってるし鐘半分ぐらいはやってるよー」
ルクレイが鍛錬の終了をヴィオナに伝えた。
「はーい」
ヴィオナはルクレイに返事して足元の風壁を解除して地上に向けて落ち始めた。
スイッとヴィオナの横に現れたルクレイがヴィオナを横抱きにした。そのまま水壁を階段状に出して感想を言い合いながら階段を降りてガゼボに向かった。
「流れるようなイチャイチャだのぉ。あれは見ていて飽きんな。飽きんが……さすがに文字として残すのは苦行か?」
イゼルダ前伯爵夫人はイチャ見聞録の執筆を断念したユミナにこっそり尋ねた。ユミナは唇に指を立てて「はい」と小さく答えた。
「その気持は分かるのぉ。ありゃダメだ。自然にイチャイチャしとるわ」
イゼルダ前伯爵夫人は「くくく」と忍び笑いを漏らしながら二人を見ていた。
「お祖母様、見学に来られていたのですね」
ガゼボの入口でルクレイはヴィオナを降ろしエスコートして入った。イゼルダ前伯爵夫人に気が付いたヴィオナが声をかけた。
「お疲れだよ。中々に良い鍛錬だったね。あの風壁という魔法は面白い。リドルに解説してもらってやっと風壁の意味がわかったぞ。リドル、ありがとな」
イゼルダ前伯爵夫人の言葉にリドルが軽く頭を下げた。
「ユミナ、ヴィーはだいぶ汗をかいたから身支度をお願い。身支度が終わったらイヤーカフで教えて。本館まで迎えに行くから。エスコート楽しみ」
ルクレイがヴィオナの身支度をユミナに頼んだ。
「僕たちも汗を流しにいくよ〜」
ルクレイは長椅子に寝ていた双子を縦抱っこしてリドルも誘いガゼボを出た。
「ルクレイは甘やかしすぎじゃ」
イゼルダ前伯爵夫人の突っ込みにルクレイは頭を掻いた。手が動いた方に座っていたフィリクスから苦情が出て「ごめんごめん」とルクレイが笑顔で答えた。
◇ ◇ ◇ ◇
「「ルクにぃ」」「僕たちの動き」「どうだった?」
体を流し湯船で寛いでいると双子がルクレイに質問した。
「かなり良くなっているよ。身体のバランスがとっても良い感じになってるから足元のぐらつきで大きく乱してなかったよね」
「「やったーーー」」
ルクレイの高評価に双子は歓声を上げて水面に大波を作った。
「あと、二人は連携の時に意思疎通ができている感じだね。リオとリクが実際に戦う事があるかは分からない。でも、いざという時に協力できるのは大きいよ」
「「おおーーーー」」
連携する時に言葉なく視線などで意思疎通している点も評価された。双子は少し恥ずかしくなり少しだけ水面から沈み込んだ。
「これから身体も大きくなってくる。良く食べて良く寝てきちんと鍛錬を続ければどんどん強くなれるよ。まぁ、結局は継続できるかどうかで決まるけどね」
「「あいあいさー」」
双子は嬉しそうにルクレイの言葉を受けて継続を誓った。
「ルクにぃ、昼食を食べたらレベナに向かうね」
「「ルクにぃ」」「僕たちも」「レベナいきなのー」
リドルに加えて双子もレベナに向かうと聞いてルクレイは目を丸くした。
「リオとリクも行くの?」
勉強が詰まっていて萎れていたはずの双子にルクレイが確認で聞いた。
「「僕たちは頑張った!」」「レベナ行きを」「勝ち取った!」
「伯爵夫人から許可は取ったみたい。ブカゾールさんから昨日連絡があって乾燥魔道具と加熱魔道具を持って行く準備も整ってるからリオたちはそっち担当」
リドルが苦笑を浮かべながらルクレイに説明した。
「そっかー、王宮が動けば製糸に関しては目立って前に進みそうだね。厄介草の在庫を減らせれば製糸の工程は随分とスッキリすると思う」
「製糸の工程?」
ルクレイの言葉の中の引っ掛かりにリドルが反応した。
「ん?……あぁ、厄介草は水辺に生えるでしょ? 刈り取る工程もたぶん大変だと思ってる。川が閉じてないから間に合っているけど楽にできるならしたいかな」
「はぁ……思い至らなかった」
リドルは製糸工房を立て直して終わりと考えていた事に気が付いた。
「……今のはちょっと失敗したな。これは忘れないで、製糸に興味を持った三人なら必ず刈り取るところにも気が付いていたよ。僕は自信を持って断言できる」
「「僕たち気が付かなかったよ?」」
少し目がウルウルしている双子がルクレイに訴えた。
「それは製糸工房の件がまだ終わってないからだよ。僕は確かに視野は広いと思ってる。でもね、製糸工房を三人に任せたから刈り取りに目を回せたと言える」
ルクレイは少し流れを変えた方が良いと判断した。
「そうだなー。何か問題が発生している事があったとするよね? 問題を解決すると別の場所で問題が発生することが多いんだ。理由は分かるかい?」
ルクレイの質問に三人は目を見合わせて小さく相談し始めた。
「もしかして……問題があったから問題が隠れていた?」
代表してリドルがルクレイに答えた。答えを聞いたルクレイは大きく頷いた。
「そう。製糸工房で時間が掛かっていた作業が改善された。この場合、厄介草を刈る前の工程と糸にする後ろの工程に負担が集まってくるんだ」
「繋がっている作業は全体を調整しないと問題が大きくなるってこと?」
リドルが工程の流れを想像して結論を導き出しルクレイに尋ねた。
「そうなるね。ただ、今はちょっと別の問題が発生しそうだ。リオとリクが沈み始めてる。ちょっと長湯しすぎたから急いで拭いて冷やさないと」
ルクレイとリドルが話している間にマルセリオとフィリクスの顔が赤くなり沈み始めていた。ルクレイは二人を抱えて湯殿を出て介抱する事になった。
ラウンジで双子に風を送っているとヴィオナからイヤーカフを通した連絡が届いた。長湯で双子が茹だったと聞いたヴィオナは急いでラウンジに向かった。
ユミナが介抱に参加し双子の手当が進んだ。
「ヴィー、そよ風をベースに風を強めでヒエヒエな感じって想いながらちょっと発動してみてもらって良いかな?」
ルクレイのお願いにヴィオナは首を傾げ「良いよ」と答えた。
ヴィオナは目を瞑り眉を少し寄せて「魔力ちゃんヒエヒエね」と小さく呟き手を前に出し「そよ風」と発動言語を唱えた。
ラウンジの中に涼しい風がそよそよと漂った。ルクレイがヴィオナをいつものように賛美しヴィオナは口角が上がっていた。




