第二節 遊星歯車を作るとヴィオナが楽しく回していた
メルカド伯爵邸のガゼボにヴィオナが腰掛けていた。近くに置かれた侍女用のテーブルにはユミナが座り待機していた。
「凄い勢いでレイったら駆けてますね」
ヴィオナは慣れてきた風属性の探知を使いルクレイの動きを見ていた。使い慣れたがまだ親しい人たち以外はふわっとしか探知できていなかった。
「リューウェンやレベナの浜焼き場で子どもたちを探知していた成果が出ています。ふふ、リオとリクは本館でなく工房で授業を継続してるのですね」
伯爵家の子息たちが授業を本館でなく工房で受けているという不思議な状態が続いていた。普通とはいえない状況にヴィオナはくすくすと笑った。
「ヴィオは探知が上達したのですか?」
気配を消し待機していたユミナがヴィオナに話しかけた。
「ふふ、そうなの。工房にいるリオとリクは分かるのよ。レイは工房とたぶん馬車止めをウロウロしてからこちらに向かっていますね」
主人と専属侍女の立場であるが妹のアユナを含めた三人は幼馴染として姉妹のように育った。子ども時代から人がいなければユミナも愛称で呼んでいた。
「そういえば、ユミナの作ってる噂集って新作は増えたの?」
常にヴィオナといるユミナには侍女仲間から多くの噂話が流れてくる。噂は増える一方で多岐に渡るため趣味でユミナは収集し噂集として編纂していた。
「だいぶ増えたわ。リューウェンだとノルド家の侍女たちが一緒だったでしょ? 彼女たちが沢山の噂をしてくれたの。イゼルダ様が楽しそうに読んでいました」
イゼルダ前伯爵夫人はユミナの噂集を愛読していた。大奥様の楽しみを邪魔はできず噂集そのものが伯爵家公認状態になっていた。
貴族家の侍女たちは集めた噂を奥方に伝える事でお小遣いを稼いでいる。ユミナは噂集という形で提供することで少なくないお小遣いを稼いでいた。
「お母様も愛読者になったみたいね。レイの噂は本当に悪い物がないわ。見事なまでに楽しいものばかりです。これは女神様のおかげね」
ヴィオナはルクレイが間近まで来ているのでユミナとの雑談を止めた。これからも噂集を楽しむため噂集の存在はルクレイに内緒だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ヴィー、おまたせー」
ガゼボの入口からルクレイがヴィオナに声をかけた。ガゼボと工房を往復してきたにも関わらずルクレイは息を切らせず平然としていた。
「レイ……なぜ丸太を担いでいるのですか?」
想定外な事態にヴィオナは目を丸くしてルクレイに問いかけた。
「工房の馬車止めに置いてあったんだ。リューウェンから運んだ丸太を置いといてくれたみたい。試したい事があるから今回は伐採直後の持ってきた」
ルクレイはヴィオナに答えた。入口付近の地面に作業用でマット状の水壁を展開し丸太を置き水壁でカットソーを発動し丸太を30mmぐらいで輪切りにした。
ガゼボに設置されている乾燥魔道具を持ち出したルクレイは乾燥部の大きさを確認した。四角い外装に円形の線が描かれ直径が200mmぐらいだった。
「乾燥する有効範囲は二十単位ぐらいか。歯数は直径を定数で割った数だよな。確か……ピッチ?……モジュールだっけか。分かりやすい二にしよう」
ルクレイはメモに色々な組み合わせの数値を書き込んでいった。気になったヴィオナはトテトテとルクレイが展開した水壁に上がり横にチョコンと座った。
『ヴィオナ様のそれはダメです……。いや……ギリ……ダメです。しかし、ダメとは言い難い空気を出すのは反則です。ニコニコし過ぎで言い難いです……』
見た目として地面に直座りしているヴィオナに注意すべきかユミナは葛藤した。ルクレイの横に直座りしている事でヴィオナが嬉しさを滲ませていた。
ユミナは色々と考えたがヴィオナに指摘する事を諦めた。
ルクレイは「うーん」と悩みながらメモに数字を書き込んでいく。ルクレイはブツブツと呟きながらしばらく集中してメモと格闘していた。
『明らかにルクレイ様は挙動不審です。でも横に座るヴィオナ様はニコニコしてて絵面が不穏です。楽しそうにメモを覗き込んでは眉を寄せる真似までしてます』
パッと見でガゼボの入口に直座りしている二人には違和感しかなかった。そして二人の表情まで見てしまうとちょっと怖いと思うユミナだった。
「これなら噛み合いそうだな……あれ? ヴィーはいつの間にこっちに来たの? 集中し過ぎて放置しちゃったみたいでごめんね〜」
メモから顔を上げたルクレイは隣に座るヴィオナの存在に気が付いた。
ヴィオナは「カッコ良かったよ」と笑顔をルクレイに向けて答えた。
「えっ? そうかな。ちょっと歯車の大きさと歯の数を考えてたんだ。ややこしい計算で混乱しちゃうんだよね。数字が出たから試作してみるね」
ルクレイは照れながらヴィオナに説明した。
「魔力くん作業始めるよ。先ずは内歯歯車と外歯歯車をざっくりと切り出そう」
ルクレイは丸太の輪切りが入る防塵用の水壁を展開した。水壁の防御面が内側にある構造で粉末果物を作る粉砕魔道具を真似したものである。
丸太の輪切りを置き『200mmの円柱』とカットソーを発動して円板を切り出す。さらに『178mmの円柱』として中心軸を合わせ円板の内側を切り離す。
「綺麗に切れてます! これはメモにある内歯歯車になる部分ですね」
ヴィオナは綺麗に切り取られた円形の板を見てパチパチと拍手した。
「そうそう。まだ歯を付ける前だけど内歯歯車用の部品だよ。内側に九十個の歯を削り出す感じ。ほとんど目分量で適当だけど調整すれば大丈夫なはず」
同様に別の輪切りを置いて外歯歯車用に62mmの円板を四枚切り出した。
防塵用水壁を解除して円板を取り出して木屑の掃除が必要とルクレイは気が付いた。横から「木屑を掃除します」とユミナが声を掛けた。
「ありがとう。掃除する準備を忘れてた。ユミナはよく掃除するって分かったね」
「レベナの浜焼き場で作業していたのを見てましたから」
ユミナはルクレイから礼を言われ照れながら答えた。照れ隠しのように作業用マットに散らばった木屑を集め小箱に入れた。
「あっ、乾燥させる前に細かく切り出しちゃった。乾燥させると縮んだり割れる可能性があるの忘れてた……。切り出した物は戻せないから諦めよう」
ルクレイは首を小さく振り乾燥魔道具を引き寄せて眼の前に置いた。
「乾燥魔道具で乾燥させる時に圧力を掛けて圧縮しながらやるか。外装は頑丈だから上から押すだけで十分……重しになるものはないから水壁で押すか」
乾燥魔道具に内歯歯車用の円板を置いて魔道具を起動する。掌に紐付けた水壁を発動して上から円板に圧力を掛ける。圧力は文字通り手加減で調整した。
円板は30mmぐらいの厚みがあったがギュッと押され厚みが圧縮され薄くなっていく。ルクレイは乾燥魔道具の外装が壊れないようにだけ注意した。
「厳密な密度とか分からないから自由水を抜き切るぐらいだと……三割ぐらいは圧縮できそうかなぁ。加圧木材って結構な値段だったような気がする」
通常の自然乾燥で自由水を抜く過程では収縮はほとんど発生しない。樹脂などに含まれる結合水を強制的に抜き取る時に繊維の細胞が破壊され収縮していく。
しかし乾燥魔道具は強制的に自由水を奪うとルクレイは解釈していた。果物を乾燥させると縮んでいく事から大きく外していないと判断していた。
そのためルクレイは意図的に加圧して細胞を壊す方法を採用してみた。一定の方向に意図的な破壊を進めれば割れが回避できるのではと期待していた。
「これぐらいにしておくか。乾燥魔道具は外で使う前提でかなり頑丈に作られているけど……これ以上の圧力は感触的に壊れそうな気がする」
ルクレイは乾燥魔道具を停止して円板を手に取りジッと見つめた。
『杉? 外径203mm、厚さ22mm、重量80g(全乾時60g)』
ルクレイはうんうんと頷いて部品をヴィオナに渡した。受け取ったヴィオナは円板をクルクル回しながら「綺麗に切れてるね」と手際を褒めた。
「その状態でも乾燥前よりは硬めになってると思う。まだ乾燥させてない外歯歯車用の円板と見比べても結構薄くなってるでしょ?」
外歯歯車用の円板もヴィオナに渡しルクレイも円盤をジッと見た。
『杉? 外径62mm、厚さ31mm、重量68g(全乾時32g)』
「ほんとだー。かなり薄くなってるわ。これって乾燥されてるのよね? 乾燥の検証って本当に必要なの? 乾燥すると何が良いのかよく分かりませんけど」
ヴィオナはルクレイが話していた検証という言葉に引っ掛かりを覚えた。
「じゃ、木材を乾燥させるとどんな感じになるのかを見てみよう」
ルクレイが乾燥魔道具に外歯歯車用の円板を三枚並べた。その時、ルクレイに横からユミナが控えめに声を掛けた。
「ルクレイ様、その作業であればガゼボ内のテーブルで可能だと思います。その……入口で直に座ってやるよりは見栄え的に好ましいかと思います」
ルクレイは目を丸くして周囲を確認した。
「確かに。丸太が持ち込めなかったからここで始めたけど……部品に切り出した物はテーブルで作業できるね。ヴィー、テーブルで作業しよう」
ルクレイは頭を掻きながらヴィオナに声をかけエスコートした。ガゼボの席に誘導しヴィオナを隣の席に座らせた。
ルクレイは仕切り直して三枚の円板を水壁で圧力を掛けながら乾燥させた。
『分析をしたまま乾燥を進めれば……んっ、見えてる数値も変わっていくな』
三枚の円板を分析しながら乾燥させ良い加減で乾燥を止めた。
『杉? 外径62mm、厚さ22mm、重量43g(全乾時32g)』
乾燥した円板の一枚をヴィオナに渡した。ヴィオナは受け取り乾燥させていない円板と比較すると「軽くなってます!」と目を丸くした。
「乾燥って水を取り除くでしょ? 果物を乾燥させて乾燥果物にした時に軽くなるのと一緒で乾燥させて水分を抜くとその分だけ軽くなるんだ」
ルクレイの説明に「確かにそうでした」とヴィオナは頷いた。
「で、検証が必要かどうかという話に戻すね。検証したいのは乾燥した時に歪んだり割れたりするかどうかなんだ。僕が圧力を掛けたのはズルなんだよね」
ルクレイの言葉に「ズルなのですか?」とヴィオナが首を傾げた。
「そそ。真っ直ぐ上から圧力を掛けてるからまず歪まない。そして割れる前に押し潰してるから割れるという状況も抑え込んでるんだ」
ヴィオナは顎に手をあてて言葉の意味を考えた。
「なるほど。真上から水壁で押すことで問題を回避したのですね。そして水壁が使えない人が乾燥させるためには別の工夫が必要となるので調べるわけですか」
ヴィオナは意味が分かり大きく頷いた。
「乾燥魔道具や粉砕魔道具は本来の目的では簡単に使えるでしょ? あれは作ったアルフォンスさんが加減を検証して設定を決めてくれてるからだよ」
ヴィオナは「感謝です」と手を合わせた。
「後は歯車の歯を付けようね。歯は切るというより削って歯の形にしていこうと思うからまずは削る時に迷わないように印を付けていくよ」
外歯歯車用の円板にペンで歯の印を付けていく。モジュールを2としたので歯の高さは4.5mm程度が目安になるが目分量なので5mmぐらいとした。
「こういう時に使える製図用具や工作時の治具も揃えないとだな。というか物差しがそもそも必要だな。直線定規や三角定規とかも後で作るか」
ブツブツとこぼしながら内歯歯車用の円板にも歯の印を付けていく。
「あとスライド丸鋸やテーブルソーみたいな設置型も将来的には欲しいか。僕自身にはたぶん不要だけど便利に使えるようになるからなぁ」
木工工房を覗いた時に多くは単純な工具だとルクレイは見ていた。
「レイ、先程からブツブツしているのはエルフ族の叡智ですか? どういった物か知りたいのですけど……」
「あー、独り言してたか……。名前だけだと難しいから実物で説明するね」
ヴィオナの指摘で独り言に気が付いたルクレイは先の話として約束した。
歯の印を描き込んだ内歯歯車用の円板を防塵用水壁の中に入れて『2mmの円柱』とトリマービットを発動した。円板を動かして削り進めていく。
「とても細かい作業ですね。大きなサンダーでしたっけ?……あれはわたしでも発動できましたけどこれは難しそうです」
眉を寄せたヴィオナがルクレイの手元を見つめていた。
「ヴィーの風壁で形や回転を再現するのは十分にできるよ。どちらかというとヴィーはレジンを削ったり切ったりの方が多くなりそうだから試してみれば?」
小物作りが中心のヴィオナには木材よりレジンで試すように勧めた。
「そうでした。色付けはリンダさんに教えてもらいますがレジンは糸ばかり作ってますね。もう少し違う形の物も作ってみた方が良いですね」
ヴィオナはルクレイの提案に乗りユミナと一緒にレジン液を用意し始めた。
内歯の削り出しが終わったルクレイは四枚の円板を全て重ねた状態で削り始めた。発動位置を固定したトリマービットは使い勝手が良かった。
外歯の削り出しが終わったルクレイは仮組みに着手した。作業用マットにリングギアを置きプラネットギアやサンギアを配置していった。
「レイ、完成したのですか?」
レジン液の濃度を調整していたヴィオナが声をかけてきた。形だけ組み上がっている遊星歯車を覗き込み指先でツンツンと突き始めた。
「細かい部品が足りてないけど動きを見ることはできるよ」
ルクレイはヴィオナに中心にある歯車を回すように促した。ヴィオナが手を掛けたのでルクレイはリングギアが回らないように手で抑えた。
ヴィオナはそっと中心にある歯車に触り右方向に回してみた。
「うわー、中心を回すと周りの三個の歯車が綺麗に回るわ。回りながら位置も変わっていくのね。動きがとっても綺麗!」
ヴィオナがサンギアを右回りで回すと周囲にある三個のプラネットギアが左回転し始めた。そして三個のプラネットギアは勝手に右回りで移動を始めた。
ヴィオナは回転する歯車たちをうっとり眺めた。
「ヴィー、楽しいところを切っちゃうのは辛いんだけど僕はカンコールさんのところに向かうね。戻ったら完成させるから夕食後にまた意見を聞かせてね」
ルクレイの言葉に歯車から顔を上げたヴィオナは微笑みを浮かべて「うん」と答えた。ルクレイはそっと頬に軽いキスをしてガゼボから出ていった。
「もう……突然はダメって言ったのに」
言葉とは裏腹にヴィオナは頬を赤くして口角が上がっていた。――そのときユミナは気配を察してそっぽを向きつつ「糖分過多です」と嘆いていた。




