第六節 ガラス騒動は惨事手前でヴィオナがアゲアゲ
海岸航路を連絡船が西に向かい帆で風を包み込み海原を疾走していた。
「結構バタバタとリガレアを出たけど、このペースで進めばリューウェンに日が落ちる前に入れそうだね。計画性がなくてごめんね」
ルクレイはテーブルを囲んでいるヴィオナに謝った。
◇ ◇ ◇ ◇
歯車を使った車軸が完成した足でブカゾール鍛冶工房を訪れた。工房に入るとかなり暑くルクレイはガラスを作っているブカゾール工房主を目撃した。
「おぉ、ルクレイ殿。ガラスの材料は順調に溶かすことができてますぞ。ただ、この後の工程をどうするか知らず少々困ってますな」
ブカゾール工房主はガハハと笑いながら頭を掻いた。
『恐ろしいまでの見切り発車……溶かした後ってガラスはめちゃ熱いからまずいって。溶かしちゃったらもう先に進むしかない……カレット作りに逃げるか……』
「溶かしちゃったら冷やすしかないよ。ちょっと大きな桶とかない? 水を張ってそこにガラスを流し込んで冷やそう。じゃないと暑くて倒れちゃうよ!」
「大きい桶ならありますぞ。鍛冶も冷やす工程がありますからな」
ブカゾール工房主はガハハと笑いながら鍛冶で使う冷却用の桶を引っ張りだし水を張っていく。水は樋を通って流れ込んでいた。
『あぁ、給水魔道具は本館の湯殿しかないからか……。魔石の供給が増えたら魔道具に切り替えた方が良いのかな。魔石頼り切りも危険という話はあるからなぁ』
ブカゾール工房主は炉を倒し溶けたガラスを冷却桶に流し込んでいく。猛烈な水蒸気が工房内に満たされそうになりルクレイは水壁を発動した。
『超熱いガラスを無造作に流し込んだ! やばい桶の水が足りてないよ! 魔力くん、あの桶に水を補給するよ!』
ルクレイは魔力くんのサポートを受け冷却桶に水を流し込み始めた。
「おぉ、暑くなくなりましたな。どんどんガラスを冷やしますぞ」
『ちょっと! どんだけ原料をぶち込んだんだよ! いくら水を補給しても終わらねぇ。魔力くん頑張ろうね。もしできるなら水蒸気を回収したいんだけど……』
ルクレイは冷却桶からガラスが溢れかねないと懸念しながら水を補給し続けた。ブカゾール工房主はガハハと笑いながら溶けたガラスを流し込んでいく。
水蒸気は魔力くんの管轄外なのか減ることもなく工房の出入り口から盛大に吹き出していた。周囲から人が集まり喧騒が工房街に訪れた。
『何とかなりそう。ていうか一回に作るガラスとして適切なのか? 水蒸気は外にガンガン漏れてるから事故だろこれ……。まぁ、起きたことは諦めよう』
何とか溶けたガラスは冷却桶から溢れることはなかった。ただ、明らかに半壊していた。ルクレイは原料の投入量と桶の拡張のどちらが妥当か考えていた。
『原料を減らす一択なんだけど……本業ではないからなぁ。あの桶を何とかして水蒸気も対策できたら透明なカラットはかなり量産できる……』
「ブカゾールさん、後の工程を考えないで作業するのは危ないよ。鍛冶ならそんなことしないでしょ? とりあえずその桶を何とかしようよ」
ブカゾールさんは「面目ないです」とショボーンと項垂れた。
ルクレイはブカゾール工房主の肩をポンポンと叩き桶からガラスを適当に取り出し検分した。分析した結果は『ガラス』と浮かんだ。
『やっぱり方向性として経緯は分からないけど、言葉が一致しているか前世の世界にないものは疑問形にならない感じだな。微妙な仕様だけど仕方ないか……』
「一応はガラスって感じだね。当面は新しい撥水糸に使うので粉末状にするよ。色を付ける添加物を入れる場合は量を量って管理する感じかな」
ルクレイはブカゾール工房主に利用目的を伝えた。
「撥水糸はリューウェンで話を聞かないとだな。沢山送り込まれる前に添加物の話もキメランさんとしないとまずそうだし……行くか」
ルクレイはブカゾール工房主にサンプルは受け取ったと話した。方向性が決まったらお願いに来ると伝えて鍛冶工房を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
「昨日はバタバタしてたよねー。リオたちは今日だと流石に駄目ってお母様に言われてションボリしてたし。リドルくんも今回は残ってるよね」
「約束してたから悪いかなって思うんだけど片付かないからねぇ。魔道具工房、硝子工房、製布工房を周るからちょっと忙しい」
ルクレイは双子とリドルを連れて来るには急すぎたと反省はしていた。しかし色々と積み上がるタスクを減らすにはリューウェンに赴く必要があった。
「あと、メダル船長いると良いね」
「うん。リドルの話だとリューウェンで待機してるみたいだから会えるはず。レオナールさんに届け物もお願いしないとだから子爵邸に顔出さないと」
ヴィオナの話にルクレイは笑顔を返して答えた。
「何言ってるの? レイのお付き合いだと顔を出さない選択肢はないわ。あと、話していた小型推進魔道具も気になってるでしょ? 造船工房も行きますよ」
ルクレイは「はーい」と笑顔で答えた。
「それにしても、ノルド家の連絡船は凄いですね。船特有の臭いがないです。消臭魔道具はすごいです」
ヴィオナは話題を変えて船特有の臭いがない事を持ち出した。
「消臭と調湿はナンダル船長たちに回してもらってるから快適だと思うよ。それにお義母さんが話してたってお義父さんたちが笑ってたよ」
先に連絡船で戻ったカリスタ伯爵夫人がバルテア伯爵とイゼルダ前伯爵夫人に伝えたが上手くは伝わっていなかった。
「お父様もお祖母様も乗ってないから分かってないのよ。これは革命的よ? わたしもお母様も甲板の船首側からは動きませんでしたから」
ヴィオナが力を込めて告げる姿をルクレイは苦笑を浮かべて見ていた。
「それに、リガレアから一日でリューウェンというのも凄いです。あの時間に出港してほとんど変わらない時間に到着って騙されてるようです」
「確かに、レベナは陸風に乗らなくても出港できる強みが生きてるよね。ニロンもレベナまで急いでくれてありがとうね」
傍に寛ぎ空間を設置してのんびりしているニロンにルクレイがお礼を言う。
「早めにうちの連絡船にも船舶風壁を付けて運用に慣れてもらわないとだよね。三隻分の魔道具はあるんだけど……まだ調整方法を習ってなかった」
ヴィオナは「コツコツよ」とくすくす笑いながら答えた。
夕陽と水平線がまだ離れている時間に連絡船はリューウェンの湾に進入した。
「カーン、カーン、カーン」
連絡船が入港を知らせる三連鐘を打ち帆を畳みノルド家の桟橋に向かっていく。
「綺麗……。この時間のリューウェンは本当に綺麗だわ。あの坂は正直に言うと辛いけど海から見たこの景色は本当に素敵……」
「僕も初めて見たときはちょっと泣いちゃった。でも、夕陽に照らされてるヴィーはもっと可愛いよ。リューウェンの街が背景になって主役はヴィーだよ」
ルクレイはヴィオナを優しく見ながら少し赤くなっていた。そして言葉を理解したヴィオナは真っ赤になって俯いた。
『ぐはっ、真面目な話をしていたはずなのに最後の最後でトドメですかっ! リューウェンの風景が背景って奥歯の奥が痒いです。無言で寄り添い始めたし……』
ニロンの寛ぎ空間を借りて隅に座っていたユミナは二人を唖然と見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
連絡船が桟橋に到着しルクレイとヴィオナがニロンを伴って桟橋を歩いていくと前方が騒がしかった。
「ティアが思いつきで突撃するから連絡が届くわけないだろ! さすがにクラムにこの坂は厳しい。担いでも良いけどもう少し考えろよ!」
ルクレイが視線を向けると男性が女性に食って掛かっていた。ルクレイは集団の方に進路を変えて近づいていく。
「えー、クラムくんは私が抱えて行くよー。なぜこの案が却下されるのか意味わからないよ? カノンも少し落ち着こうよ」
「どうされましたか?」
ルクレイがヴィオナの前にスッと出て集団に声を掛けた。
「経緯か分かりませんが男性が……あれ? 男性……ではないような……あれ?」
「あー、遠目で誤解を生んだか。俺は一応女性だ。カノンといって『涼風の旋律』という冒険者パーティーのメンバーだ。こっちはティアーヌで同じパーティーだ」
「きゃぁー、『涼風の旋律』は知ってますー。とってもファンです。カノン様は剣士様ですよね。ティアーヌ様は治療師をされてますよね」
ヴィオナのテンションが突き抜けルクレイは「知ってるの?」と目を丸くした。
「あっ……すみません……。冒険が好きでタウンハウスでたくさん『涼風の旋律』の話を聞いてました。まさか活動停止している方々に会えるとは思えず……」
「ところでなぜここで揉めていたんですか?」
ルクレイはヴィオナの頭をポンポンと撫でながらカノンに話し掛けた。
「あー、いやちょっと……」
「カノン、巻き込んで足を止めさせてしまったのよ? 説明は必要でしょ? 端的に言うと、カノンの子が調子悪いから子爵邸までどう移動するかって話てたの」
ティアーヌがカノンを諭し理由を説明した。
「なるほど、僕たちも向かうので……ニロン良いよね?」
ニロンがブルルと鳴いた。
「お子さんはニロンに乗ってもらえば負担は少ないでしょう。ヴィーは後席に座って。落ちないように支えてあげて欲しいかな」
ヴィオナは「良いよー」と答えニロンの鬣を撫でてヒョイッと後席に座った。
「あら……助かります。カノン、お言葉に甘えてクラムを乗せてもらいましょう。灯光魔道具はあるけど明るいうちに入れると嬉しいわ」
ティアーヌがカノンを説得するため声をかける。
「ふふ、ニロンの背中はとてもゆっくりできるよ」
ルクレイはクラムと呼ばれた男の子に声を掛けた。年頃はそれほど変わらない感じだったがルクレイは気にすることなくヒョイッとニロンの前席に座らせた。
カノンが「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「ヴィー、僕は先触れでグレアルさんに声を掛けてくる。『涼風の旋律』さんたちも到着したことを伝えるから後をお願いね。道はニロンが覚えてる」
ヴィオナは「分かったわ」と答え手を振った。
坂道を駆け上がりながらルクレイは少し考えていた。
『冒険派のヴィオナがファンということは有名なパーティーなのは分かる。居た場所もノルド家の区画だからマナーハウスに向かうのも変ではないが……』
会話の中でルクレイはちょっとした違和感を覚えていた。
『そっか、ヴィーのタウンハウスって言葉が引っ掛かったんだ。王都に来てたのは三歳まで。つまり十年近く前になる。活動停止も含めて違和感があるのか……』
ルクレイは子爵邸が見えたので考えるのを止めて速度を上げた。




