第七節 棘が抜けたメルカド家と冒険デートの準備
「ただいまー。ヴィーの鍛錬は終わった感じ?」
ルクレイがガゼボに戻るとヴィオナがガゼボの中で二人分の紅茶を淹れて座っていた。専属侍女のユミナはいつものように隅に座り気配を消していた。
「ふふ、レイが戻るのに気がついたので鍛錬を終わらせましたの。でも探知の鍛錬は続けてますよ? レイが門を通る辺りで分かりました」
「すごーい。今日始めてもう探知できるなんてヴィーは才能高き努力家だよ。でも、僕だから探知できたっていうのだったら嬉しいな」
『もう始まった!……やっぱりルクレイ様が無意識か天然か判断が難しいですが糖度高めの原因というか切っ掛けです。間違いありません!』
「あら……バレてしまいました。探知の練習台をしてくれたユミナと……レイしかまだ分かりません。実は……リサから近しい人は分かりやすいと……」
ヴィオナは頬を染め俯き気味に視線を落とした。
「ヴィー、とっても嬉しい」
ルクレイは夕陽が綺麗に見えそうな場所を確認した。やはり鍛錬場の上と判断した。淹れてもらった紅茶を飲んでヴィオナに話しかけた。
「そうだ! 水壁に乗るのはヴィーが最初だから一緒に乗って沈みゆく夕陽を観よう。乗馬服だから人目を気にしないで済むよね」
ルクレイはヴィオナに手を伸ばしエスコートする形でガゼボを出た。鍛錬場に入り水壁を階段状に発動していく。エスコートのまま階段を登っていく。
「うわー、夕陽が綺麗に見える〜」
階段の上まで来ると視界が開け左手には海原が見えた。正面には山の峰に沈もうとする夕陽がキラキラと視界を優しく朱色に染めていた。
ルクレイは最後に広めの水壁を発動した。生まれた水壁が朱色の光を取り込みキラキラと乱反射した。エスコートでヴィオナを促し登りきった。
ヴィオナはそっと座りルクレイはその横に腰を下ろした。
「突き抜けないか心配で少し硬めにしたけど大丈夫そうだね。この感じだともう少し軟らかくしても大丈夫そうな気がする……」
ルクレイは『もう少し柔らかくなって…』と魔力くんに伝えた。
「うわー、柔らかくなった。少しふわふわ感があるよ!」
ルクレイは歓声を上げて騒ぐヴィオナに笑顔を向けた。
『何で浮いてるのか分かりませんが乗馬服にこだわった理由は分かります。下から二人が丸見えです。ヴィオナ様がドレスで風壁だったら目が入院でした……』
ユミナはルクレイがヴィオナをエスコートする辺りから既に奥歯の奥が痒くなっていた。そしてユミナの思考は異常な事態をスルーするほど壊れ掛けだった。
風壁や水壁がそもそも信じがたいのに二人は楽しそうに乗り上空にいる。ユミナにとって現実が目に優しくなく容赦なく痛かった。
◇ ◇ ◇ ◇
ルクレイとヴィオナは本館に戻り身支度のために別れ湯殿に向かった。
「ふぅ。今日はバタバタしちゃったな。巻上魔道具は頼まれたわけではないけど資料を見せて貰った義理は果たさないとね」
ルクレイは顔にお湯を掛けて身体を横たえて天井を見た。
「それにしても歯車という概念がないのはなぜだろう……。資料上には明らかに歯車が書かれていた。起きている事象には何らかの理由はあるけど……」
歯車という概念が危険とはルクレイは思えなかった。
「歯車が届いたら陣図を描いて動作確認するしかない。思ってたよりも北方の丸太不足は深刻になってる気配が強いからゆっくりしてるとまずそうだよなぁ」
思考の先を丸太輸送に逸らしていく。
「ユリウスさんから聞いた亀裂の丸太が欲しいかな。でも亀裂から丸太を持ち出すのはちょっと目立ってるから避けたい。ここは『深緑の湖』に期待するか……」
ルクレイはもう一つある手段も試そうと思考を纏めた。
晩餐の時間になりルクレイはヴィオナを迎えに行きエスコートしながら食堂に向かう。二人で見た沈みゆく夕陽の素晴らしさを称え合った。
「製材工房に顔を出しました。やはりまずい状況と思ったので木材の出荷予定を数字で提出するように頼みました。外洋船に使う北方産は特に注意しましょう」
ルクレイは食事を進めながらバルテア伯爵に話を振った。
「外洋船?……そうか修理用木材か。失念していた。グラナム号の件でハールベン伯爵家には借りがあるのだからいざとなれば支援が必要か……」
「あと、僕が拾われた僕には恵みとも言える暴風ですけど……あれで損傷を受けた外洋船もいると思います。そちらの修理で木材が必要になっているはずです」
ルクレイの指摘にバルテア伯爵は顎に手を当て少し整理して考えた。
「ルクレイはその辺りでどれぐらい動きがあると思う?」
「他家から打診が来てないので枯渇までいってないですね。でも、全体で見れば北方の木材は在庫に偏りが出てると思う。領地間で在庫の調整が必要になります」
バルテア伯爵は「そこは同意だな」と答え考えを深めた。
「ヴィー、明日の午前中に馬車を解体する話をしたよね。解体した後に色々と手を入れる予定だから午後に相談に乗ってね」
ルクレイがヴィオナにお願いすると「任せて」と嬉しそうに頷いた。
「おや、ルクレイは馬車を解体するのかい? もしかして倉庫に入れてあった故障してる六人乗りの大きいやつかい?」
イゼルダ前伯爵夫人が話を耳に入れるクレイに尋ねた。
「はい。結構大きい馬車ですよね。車軸は交換したと聞きましたが左に曲がろうとするので歪みが出てるのかなって思います。今は離れの馬車止めに置いてます」
「良い馬車を貰ったね。あの馬車は当主用だから特別製だよ。古いのは確かだが構造的には良い出来……とベリオナルが言ってたねぇ」
イゼルダ前伯爵夫人は懐かしさを目に宿し伯爵夫妻とヴィオナは目を見開いて唖然としていた。ルクレイは場の空気を感じて会話を続けることにした。
「お祖母様、ベリオナルという方はもしかしてお祖父様ですか?」
「おっと、そう言えば話してなかったね。ベリオナルは旦那で五年前に他界したよ。とっても良い男で武勇に優れ領民を慈しんでレベナの整備に尽くしたよ」
イゼルダ前伯爵夫人は優しい声で懐かしむように話した。
「そうですか。リオとリクは会えなかったんですね。僕としてはそこがとても残念です。お祖父様が手掛けたレベナを今はリオとリクが手掛けてます」
ルクレイの言葉にイゼルダ前伯爵夫人はうんうんと頷いた。
「あぁ、本当に嬉しいよ。製糸工房は旦那も心を痛めていた。漁業もそうなんだが産業面でやり残した事が多いと少ししょげていたよ」
「漁業はかなりまずいです。漁師ギルドがないため情報が散逸してると思っています。でも、漁業はヴィーの旦那になる僕が何とかテコ入れします」
ルクレイは「リオとリクも巻き込みますけど」と伝えクスッと笑った。
イゼルダ前伯爵夫人は「くっくっく」と声を漏らし笑い始めた。
バルテア伯爵とカリスタ伯爵夫人は目に涙を溜めヴィオナは完全に泣き出していた。ルクレイはスッと席を立ちヴィオナの頭をそっと胸に抱いた。
「食事中にすみません。ちょっと不用意に話を進めてしまいました。ユミナ、ヴィーの身支度をお願いします。僕は食堂にいるのでこちらに誘導して」
ルクレイはヴィオナの頭をポンポンと叩き「待ってるから」と声をかけた。
ヴィオナは小さく頷き断りを入れてユミナと食堂を一時的に退室した。
「ヴィオには悪い事をしてたね。私が旦那を亡くして抜け殻になってるのを見て心を痛めていたんだね。まったく、自分のことながら情けない限りさ」
イゼルダ前伯爵夫人は珍しく頭を掻いて自身に愚痴をこぼした。
「ルクレイはその事に気が付いてたんだろ? 私の一言を拾ったのは良い機会と思ったんだろうけど良い判断を瞬時にするところは旦那に似てるよ」
イゼルダ前伯爵夫人は「くっくっく」と笑みをこぼした。
「その一言は嬉しいです。ヴィーはお祖母様とニロンのことも心を痛めてました。バタバタしていて完全に渡し忘れてましたがお土産を後でお渡しします」
「はぁ、その色々と先読みするところは旦那以上だね。リオとリクが『製糸工房は立て直す』と二人で私に宣言してたよ。四歳の一言に思わず呆けちまったさ」
楽しそうに笑い声を上げてイゼルダ前伯爵夫人が伯爵夫妻に目を向けた。
「腑抜けてて悪かったね。本当なら領務を叩き込むべき時期に何もしなかったさ。慣れない領務に王命の出陣、そして王立学園の閉鎖と力になれずすまなかった」
「母上……」「お義母様……」
バルテア伯爵とカリスタ伯爵夫人の目から涙がこぼれ落ちた。
「さてと、バルテアはこれから叩き込むかね。カリスタは十分に仕切れてるから手伝ってもらうよ。鍛錬も再開するかね……ルクレイの相手はしないぞ?」
ルクレイは「残念です」と苦笑を浮かべ肩を竦めた。
◇ ◇ ◇ ◇
伯爵夫妻とイゼルダ前伯爵夫人は「後は任せた」とルクレイに断りを入れ、今後の予定を精査すると話しながらラウンジに向かった。
スッと執事長がルクレイに近寄った。
「ルクレイ様ありがとうございました。棘のように刺さってしまった先代様を救って頂けました。此度のなさりように感謝の念しかありません」
頭を深く下げた執事長の足元に水滴が落ちた。
「棘ではありませんよ。みなさんの深い愛情が絡まって上手く回らなくなっていただけです。絡まった糸が解けるちょうどそんな時だったと思いますよ」
『旦那の死で家がおかしくなるのは理解してる。前世の親父が死んだ時にうちは壊れた。母親が悪いわけではないけど壊れたらもう修復できない……』
「五年間も耐えたメルカド家の想いの強さこそが今の姿です」
ルクレイは前世の記憶と共に壊れなかったメルカド家を素敵だと感じていた。
食堂の扉がノックされヴィオナが入ってきた。
「ヴィー、お祖母様たちは領の再建計画を見直すために先にラウンジに向かったよ。僕たちはゆっくりと食事の続きをしようね」
ルクレイはニッコリとヴィオナに笑顔を向けて声をかけた。
「うん。中座してごめんね。レイを待たせちゃったし」
「問題ないよ。ヴィーを待つのは会える前提だから楽しみしかないよ?」
ヴィオナは真っ赤になりながらルクレイの隣の席に座った。
『恐ろしい。一瞬というか一言で食堂の糖度が爆上がりした……。しかもわざとらしさを欠片も感じなかった……これは計算? 天然? 全然分からないわ』
ヴィオナの夕食を配膳し直しながらユミナは戦慄しかなかった。
ルクレイはイゼルダ前伯爵夫人から聞いたベリオナル前伯爵の話をヴィオナに話した。双子がその意思を継いで結果的に頑張っている点も伝えた。
「なんか、気が付いたら領のことは何とかなりそうだよ? もちろん僕がやる分はちゃんと残ってるけどね。でも、二人で冒険デートに出ても大丈夫そうな感じ」
冒険デートに出れると話すとヴィオナの顔が緩んでフニャっとなった。
『うはっ……。息が止まったよ。めちゃ可愛いって言葉しか残ってない……』
心臓まで止まりそうな感覚を受けたルクレイが固まった。冒険デートまでに準備は大量にあるがコツコツと済ませるのが楽しみになってきた。
ヴィオナからニロンに似た混ぜガラスの置物をイゼルダ前伯爵夫人にプレゼントした。当面はルクレイに必要だからとニロンの貸出は延長された。




