第二節 暴風で流された先の港にいた異質な帆船
煌めく海原を疾走する連絡船『グラナム号』は一路陸を目指し北上していた。
『激遅い。ランニングと言ってもリーフじゃこんなもんか。とはいえ、サイドステイが切れたのを補修しただけだし、マストも怪しい。無理できんのが船だ』
少年は伸びをして「風は気持ち良いよなー」と独り言ちた。
「坊主はあんま船に乗ったことねえのか?」
近くに座っていた船員が話し掛けてきた。
「覚えてないんだ、さっきから思い出そうとしてるんだけど名前も思い出せない」
「おいおい、でーじょうぶか? 船医に診てもらうっか?……ここだけの話、ホントに船医なのか知らんけど」
『ぐはっ、大丈夫かよ!』
「あー、船医さんだと思い出せそうにないから、大丈夫……たぶん」
船員が「船長のが感染ってっぞ」とゲラゲラ笑い出した。
『笑いのツボがわからねぇ』
「向かってるのレベナですよね? どんなとこですか?」
船員は「坊主は貴族様か?」と首を傾げた。
「覚えてないから分かりません」
少年は『丁寧すぎた?』と、内心焦った。
「分からんかったら、平民ってこっただ。くだけた感じにしっとけ。そな言葉聞いとっと緊張してまぞ」
少年は少し考え、その提案を受け入れることにした。
「分かった、頑張る」
船員は「おぉ、きばれやー」と言い、ゲラゲラ笑う。
「で、レベナってどうなの?」
話を戻すため再度質問した。
「おぉ、レベナかー。良いとこだぞ」
少年は「えっ? 終わり?」と聞いてしまった。
「船から降りんからなぁ。飯屋と娼館ぐらいっだわ。坊主にゃ、はえーやろ?」
船員はニヤニヤしながら返した。
「船員さんってだいたいそんな感じ?」
「だなー、すっきなやつぁ、娼館とか造船工房とか行っとけど、ほとんど船内にゴロゴロしてっな」
『あかん、船員たちは何となく船に乗ってるだけだ。船の中では情報集まらん。船長か陸に上がるまでは、大人しく船を見てよう』
「ちょっと船長さん探してくる」
少年は立ち上がり声を掛け、その場を離れた。
まず、少年は船首に向かった。連絡船は平甲板のため見渡せるが、ごつい巻き上げ機に興味が湧いた。
『人力で回すタイプか、四軸ぽいけど……錨はそれほど重そうには見えない……。これ、直巻のうえに、滑車がないから引くときの抵抗がきついのか……』
巻き上げ機を回り込み船首に出る。
『バウスプリットは3mぐらいか。バウステイは、あまり強固さを感じないな……って、これ裏打ったときにジグ緩んで壊れかけでは……』
少年は冷や汗が出てきた。
『このまま港なら、ランニングだから行けそうだけど……。これ、ヤードをブレースしたらヤバくないか?』
少年は、風向きが変わり、帆桁を旋回させようとしてマストが倒れる姿を幻視し、心臓がドクドクと鼓動を速めた。
『サイドステイが切れたとき、点検してるよな? 伝え方が難しい。でも伝えるなら陸が見える前だ。陸が見えると意識が切り替わっちまう』
少年は、ソロ航海で一番注意していたのは、接岸よりも陸が見えたときの気の緩みだった。緩んだ緊張や集中力は容易に戻らない。
『暴風に流されたんだから、このまま港前はまずナシだ。絶対に逸れてる。東西のどちらでも、アビームでブレースしない道理がない……』
左右のどちらに舵を切ったとしても、その後は横風になる。マストは耐えるかもしれないが、耐えられなければ、最悪、沈む。
少年は意を決してゆっくりと船長を真面目に探した――。
船尾までの視界に船長が見えず、寛いでいた船員に船長の所在を確認した。
「船長さんって、どこにいるかな?」
船員の一人が、「あー、たぶん船倉だぁ」とキョロっと見回して答えた。
「どっから入ったらすぐ会えそう?」
甲板には三箇所ほど階段がみえたので、念のため少年は問い掛けた。
「おう、右舷の後方にあるとっから入れや」
少年は「ありがとー」と笑顔で礼を言い右舷後方の階段に向かった。
階段まで来た少年は階段を覗き込んだ。
「ナンダル船長さん、いますかー」
階段下から「おう、なんだ!」と返事が戻ってきた。
少年は上がってきた臭気に『うわっ、クサッ』と後ずさった。
「ケホッ……少し気になったことがあって、船長さんに話しておこうと思ったけど……忙しそうですね」
階段下に足音が生まれ、ナンダル船長が階段を上がってきた。
「坊主は気くばり屋だな」
ナンダル船長は少年の頭をポンポンして笑い出した。
「船長はなぁ、船の全責任をおっとる。聞くも聞かぬも船の上なら俺の自由ってもんだ。だからな、俺は聞くことっにしとるぞ」
『責任の所在は徹底してるんだな』
「さっき、船首を見てきたんだけど、ロープが揺らっとしてて気になったんだ」
「はぁ? 揺らっとって、緩んどるんか?」
「元が分かんないから、緩んだのかは、分からないよ。でも、みんなピンとしてるから、何となく気になったんだよ」
船首に向かい話していると、すぐに船首に着いたので巻き上げ機を回り込む。
「なっ……船首静索が破損しとるやんか! マズイ」
船長は駆け出し、大声で船員に集合を掛けた。
「船首静索が壊れてっど! 帆を畳め! 帆が閉じったら修理に掛かっぞ!」
船員たちが慌ただしく動き出した。
少年はコソコソと側舷に移動して座り込んだ――。
「いやー、助かったぞ」
ナンダル船長が修理の経過を確認し間があったので少年のところに顔を出した。
「やっぱり、緩んでたの?」
ナンダル船長は「緩んどったわ」と返し、ガハハと笑い出した。
『笑えるなら大丈夫そうだな』
少年は「直りそう?」と尋ねた。
「直るが、無理はできんな。右舷からの横風は、どやっても無理だぁ。リューウェン側やったら、諦めてリューウェンに入るしかねぇな」
ナンダル船長はため息をついた。
『ため息って……入りたくないのか?』
「そのリューウェンって、面倒な港なの?」
少年は不安げな表情で問い掛けた。
「あ? そんなこったねぇ。この海岸航路で一番の港や。凄えでけえ。ノルド子爵家には三本マストの大型外洋船もあんぞ。ありゃ、王国一優美な船やで」
『三本マストか、かなり実用性の高い帆船みたいだ』
しばらく話していると修理の完了を船員が伝えに来た。ナンダル船長は確認し、縮帆での帆走を再開させた――。
グラナム号は縮帆のまま海面を静かに帆走を続けた。陸地が見え現在位置を確認するため監視が強化された。
少年は船首の片隅で陸地を眺めていた。
「船長! 港があります! あれは……ヘブラナです! ハールベン伯爵領に入ってます!」
「はぁー、隣まで流されたんかー」
ナンダル船長は呆然と固まった。
「ナンダル船長さん、ヘブラナってどこですか?」
少年は、ナンダル船長の服の袖をツンツンと引っ張り問い掛けた。
「あー、レベナの東側にある隣の港だぁ。ハールベン伯爵領の領都っで、一日分流されとったわ」
『暴風で一日分かぁ。まぁ、あり得るけど……ガッツリ巻き込まれて、よく無事だったな』
少年は「入るの?」と不安げに問い掛けた。
「もう日が暮れっど、入るしかねぇな……はぁ」
「どうしたの?」
「こっちなら、だましだましレベナに向かえっど、一日でたどり着かん。造船工房に出張ってもらわんとあかんぞ……はぁ」
『笑いも出ないとか、かなりヘコんでるな……。巻風の裏打ちは回避はできるもんでもないから、気分を切り替えるのが良いんだけど、キツイのは確かだ』
「このまま入港するの?」
ナンダル船長は、ハッと気が付き、矢継ぎ早に入港の指示を出し始めた。
「入港すっぞ! 船首、両舷監視! 操舵手、接岸操船準備!」
船員たちが持ち場に駆け出し、監視から報告がどんどんと上がってくる。
「貴族専用桟橋、確認しろ!」
「停船してます!……あれは……オランド号です!」
「なにー! オランド号が入ってんのか?」
ナンダル船長が船首に駆け出した。少年もフラフラと船長に付いていく。
『えっ? この距離で船名分かるの?』
「オランド号だ……」
ナンダル船長が呟き、港を見続けた。
『何かありそうだけど、このままなのはマズイ。子どもで行くしかないか』
「ナンダル船長! オランド号ってなに?」
「あっ?……あー、ちょっと待て。入港コース確認しろ! 桟橋が埋まってっから沖で止めるぞ。小舟の用意を進めろ! 操舵手、指揮を渡すぞ!」
操舵手から「接岸操船! 帆を畳め!」と大声の指示が飛んだ。
『あぁ、接岸の指揮権は操舵手に渡すのか。珍しい運用だけど、理に適ってるんだよね。ある意味で、洗練した運用だな』
帆を畳んだ帆船は惰性で進み続ける。
『主機のない船の停船って、経験したことも、見たこともないんだよな。沖止めのブイがあるわけでもないし、どういう基準なんだ?』
「カーン! カーン! カーン!」
グラナム号の鐘が鳴らされた。
「カーン! カーン!」
波止場から鐘が打ち返されたが、少年には意味は分からなかった。ただ、『返答が二回か』と回数に違和感は覚えていた。
「隣の桟橋に許可が出たぞ! 操舵手、入れっか?」
「沖止めなんで、届かないっす!」
ナンダル船長が操舵手に確認したが、桟橋まで届かないと聞き、船長は「二回!」と大声を出した。
「カーン! カーン!」
『うわっ、やっぱりブレーキがないのは難しい。むしろ、指示が遅れたのに沖止め速度で帆を畳んだ判断がめちゃ良いってことだ』
少年は、帆船は船長と操舵手が肝と理解した。
ナンダル船長が「オランド号は……」と、桟橋を見つめながら話し始めた。
「ノルド家の大型連絡船だ。あの大きさで、船尾楼が付いてる船はオランド号だけだ。ノルド家が保有する連絡船の旗艦で当主御座船……なんだが……」
『うわ、普通になまってない! 貴族相手の言葉でもなさそうだし……感情が抜けたのか』
「大型連絡船ですか?……見た目からずいぶん違うけど連絡船の一種なの?」
「ん?……あぁ、連絡船ってのは、河川を遡上できる外洋船の総称って感じだぁ。あんの大きさで、セトリアナ大河を遡上できるんやぞ」
『えっ? 明らかに20m超えた……30m近い帆船が遡上! ムチャぶりし過ぎだろ。橋なんて掛けられないじゃん』
「まあ、重いっけ、速くはねぇっど頑丈な船だぁ。オランド号なら、裏打ち喰らっど静索が切れっとかねぇな。おまけに、優美やろ?」
「オランド号は別物にしか見えないよ?」
『凄え。デカいに気を取られてたけど、船尾楼は普通でも船首側が別もんだろ。巻き上げ機は見当たらないし、二段階で嵩上げしてる。設計思想が別物……』
少年の目には、前世の記憶でも記憶にない形の帆船に驚きを覚えた。スッキリした船首、立ち上がりが綺麗な船尾楼は視覚的に異質だった。
『この20m級の連絡船だって一本マストとしてはギリギリだと思ったのに、30m級で一本マストとか、造船技師のネジ飛びすぎだろ!』
貴族専用らしい桟橋に停泊していたオランド号は、異質な空気を纏った大型船だった。船首の甲板は真っ平ら、マストの傍は更に嵩上げされ真っ平らだった。
少年は、この世界の帆船はどういった流れなのか、オランド号を見て分からなくなった。




