第一節 リベルグでは主導権争いと不穏なヴェルナー
アスグレイヴ侯爵領の港町のある湾に突入した。オランド号は全ての帆を畳み船底風壁を発動して滑るように湾内を奥に向け航行していた。
リベルグが擁する湾は湾口はあまり大きくなく全体的に奥行きがあり湾内の波は穏やかだった。出港は他の港町と同じ早朝の陸風にかなり依存していた。
桟橋は貴族家が持つ連絡船の出入りを優先させるため貴族専用桟橋が湾の奥に設置されていた。一般用桟橋は湾の東岸に湾口に寄せ少し斜めに設置されていた。
それもありリベルグの街は湾の東岸に広がっていた。街並みは古風といった風情で木材よりは石やレンガが多く使われていた。
これはこの地域の特色となっていた。アスグレイヴ侯爵領は平原が多く森林が少ない王国内では珍しい地域である。そのため木材を入手するのが難しかった。
少ない森林は重要な水源となり古くから間伐のみで大規模な伐採が禁止されてきた。海岸航路で森林資源が少ない唯一の港町といえる。
「レベナやリューウェンとは全然違う風景だね。ヘブラナも木を感じたけどここは石とレンガの街だね。リューウェンは石灰を使ってるからまた違うけど」
ルクレイは船尾楼の右舷側から港と後ろに控える街並みを眺めていた。
「習った範囲ではアスグレイヴ侯爵領は森林が少ないと聞いてます。その結果は考えもしませんでしたけど……街の風景に反映されているんですね」
隣に立つヴィオナも初めて見た風景に知識から得られない感触を得ていた。
「リューウェンは高台に連なる街並みだから外壁を保護するのに石灰を使ってた。レベナやヘブラナは木材をそのまま使ってたけどここは木材が使えないんだね」
ヴィオナの知識を聞いたルクレイは視覚情報と知識を擦り合わせた。
「最近レベナはリガレアの街並みを参考に壁を塗り始めましたよ。思った事は壁を塗れるだけの余裕がなかったんだと……反省しているところです」
少ししょんぼりしたヴィオナの頭をそっとルクレイは撫でた。
オランド号は貴族専用桟橋に吸い込まれるように接岸した。周囲に出てきていた誘導船たちはこの後の回頭に向けて周囲に展開しロープのやり取りを始めた。
渡し板が設置されルクレイたちは桟橋に降り立った。
◇ ◇ ◇ ◇
桟橋にはアスグレイヴ侯爵家の執事が待機していた。軽く同行者を紹介し代官屋敷に移動を開始した。
基本は騎乗移動する事を事前に伝えてあるので執事や護衛の騎士たちも騎乗で迎えに来ていた。侍女と従僕たちは荷物を荷車や荷馬車で運ぶことになる。
今回持ち込む荷物を降ろし終わるとオランド号は船首の向きを変える。港内作業で一番大変なのがこの向きを変える作業である。
ただリベルグの湾は奥に深いことで貴族専用桟橋付近は潮の流れが弱い。そのため向きを変える作業が一番楽な港と言われていた。
ルクレイはチラリとオランド号が桟橋から引き抜かれる作業を見ていた。
訪問団はゆっくりと街中を進んだ。街中では夜に向けた慌ただしさが満ちていた。一団を見て手を振り歓迎の言葉があちらこちらから聞こえた。
この地はとある伯爵家が治める領都だった。紆余曲折があり王命でアスグレイヴ侯爵家が治める事になった。そういった歴史は既に風化し消えていた。
門を潜り代官屋敷に入ると庭園の先に本館が見えた。レベナの代官屋敷とは規模も格調も上だった。広い庭園には木が植えられ芝生が整えられていた。
代官屋敷の本館も伯爵家規模であればマナーハウスと言えそうな規模があった。
貴族家の子どもであるリドルとレイチェルとマルセリオとフィリクスは代官屋敷の規模に驚き四人で目配せをして馬を寄せて話をしていた。
貴族家の背景が分からないクラムたちは大きな庭園に目を丸くした。
レグルスは双子の姉であるミレーユを通してヴィクトリア侯爵夫人にも会いタウンハウスにも行ったことがあるので驚きは少なかった。
アスグレイヴ侯爵家はフェルノート王国の情報の中枢と言える家である。
王国の情報戦の主戦場は女性陣のお茶会である。その女性社会においてもっとも影響力を持つのがヴィクトリア侯爵夫人だった。
姉のミレーユがそこに食い込み頭角を現しているためレグルスも何度か巻き込まれていた。そういう意味では訪問団の中で一番知られている存在だった。
本館の玄関先に近づくと男性三名と女性一名が出迎えで出てきていた。
ルクレイは「これは……」と小さく零した。前席に座るヴィオナも後ろは振り返らず「きっちりやりましょう」と小さくルクレイに声を届けた。
ルクレイは玄関先でニロンを止めスッと地に足を降ろした。前席に乗っているヴィオナに手を差し伸べ「お手を」と言葉を発した。
ヴィオナはその手に重ね「ありがとう」と応え左足に不自然にならないよう力を入れる。ルクレイは右手を腰に添えふわっとヴィオナを浮かせた。
そのまま自然に力を流し回してきた足を揃えヴィオナは静かに地に降りた。エスコートする手は左手から右手に変わりヴィオナの手がそっと乗せられていた。
ルクレイがスッと軽く身体を傾け「訪問団の責任者ルクレイです」と告げた。
「メルカド伯爵家長女で訪問団の補佐でヴィオナと申します」
ヴィオナは裾を摘み緩めのカーテシーの体勢で玄関先で待つ四人に挨拶した。
四人は目を丸くしてルクレイとヴィオナを凝視した。騎乗から挨拶までの流れがどうやって行われたのかまったく分からなかった。
真っ先に再起動した男性が「んんっ」と小さな音を発した。
「……すまん。アスグレイヴ侯爵家長男のオスカーだ。こちらの女性は妻のエリオットという。あと……」
オスカー侯爵子息は完全に主導権を取られていた。本来の流れをルクレイとヴィオナが壊した面はあるが手順が完全に頭から抜け落ちてしまった。
「アスグレイヴ侯爵家次男のヴェルナーです。少し手順が混乱してしまいましたがアスグレイヴ侯爵家を訪問いただきとても嬉しく思います」
ヴェルナー侯爵子息が軽く身体を傾けてルクレイとヴィオナに挨拶した。
「アスグレイヴ侯爵家が一本取られましたね。僕はレグルス。ヴェルナーさんはお久しぶりです。そしてオスカーさんの話は色々と聞いています」
ルクレイの横にレグルスがスッと入り二人の侯爵子息に軽く声を掛けた。
「久しぶりだね。母上のところに遊びに来た時に何回か会ってるよね。王宮で行われた突発お茶会でも会ったし……アルフォンスは元気かな?」
ヴェルナーは既知のレグルスに笑顔で話し掛けた。
「元気にレストール領を蹂躙してると思いますよ。それより挨拶を続けた方が良いかな。オスカーさんも主導権を失ってそれはちょっとまずいですよ」
オスカーも何とか気を取り直して挨拶を受ける体勢を整えた。
「メルカド伯爵家長男のマルセリオと申します」
「メルカド伯爵家次男のフィリクスと申します」
「「以後お見知りおきのほどよろしくお願いします」」
マルセリオとフィリクスが前に出て挨拶の口上を述べた。
「アスグレイヴ侯爵家長男のオスカーだ。本日の訪問は望外だが本当に嬉しく思う。父ローレンスに代わりお二人の訪問を歓迎する」
オスカー侯爵子息は前に出てマルセリオとフィリクスと握手を交わした。
「後はリドルとレイチェルが自己紹介して終わりだね。リドルは慣れてるからレイチェルに見本を見せてね。レイチェルは初の訪問だから勉強してね」
ルクレイの物言いにレイチェルは「はい!」と元気に答えた。
リドルはジッと見られながら自己紹介をさせられた。レイチェルは執事長の確認を経た挨拶を見事にやり遂げた。
◇ ◇ ◇ ◇
ルクレイはリドルに子どもたちの身支度を頼み執事に先導されて湯殿に向かった。ルクレイたちはラウンジに案内され少し話すことにした。
「いやはや見事にやられたよ。これだと母上の呼び出しがあるかもしれない。ルクレイ殿やヴィオナ嬢の話は聞いていたのにまだまだ経験不足だな」
オスカーは紅茶を一口飲むと苦笑してルクレイに負けを認めた。
「兄上が家格に沿った手順を踏めば良かったんです。僕たちがちゃんとラウンジで待ってればスムーズに進んだのに悪戯心を出すからいけないんですよ?」
ヴェルナーが兄に巻き込まれて自分も呼び出されると愚痴った。
「大変失礼かなと思いますがエリオット様はオスカー様と婚姻式を済ませているという事でよろしいでしょうか? 連名でしたし先程の紹介で……」
ヴィオナが兄弟を放置してエリオットに顔を向けて尋ねた。エリオットは微笑んで頷きオスカーに視線を向けた。
「あー、陛下から許可は頂いて婚姻式は済ませている。発表はまだしていないが特に内密という事はないよ。母上がどうせ王都で広めてると思う」
「つまり……失礼ですがご懐妊なされて急いで婚姻したという事ですね」
内密でないと言質を得たのでヴィオナは身も蓋もなく突っ込みを入れた。
オスカーは苦笑いを浮かべエリオットは頬を染めて俯いた。そして「その通り」とオスカーは婚姻の背景を認めた。
「おめでとうございます! さすがヴィーの見立て通りだったね! 今回のお土産はヴィーが選んだホルンミルクとスッキリする『爽快の実』です」
ルクレイは慧眼のヴィオナを褒めてお土産の中身を伝えた。
「あー、それで荷物の中にホルンミルクがあったのか。三家のお土産にしては少ないなって思ってたらそういう事なのか」
レグルスもエリオットにお祝いを伝えた後に疑問の答えを口にした。
「ホルンミルクはリュミ姉も本気で妊婦さんに届けようと動いてたからね。僕の知る範囲でも王宮はその方向に舵を切ってたよ」
レグルスはホルンミルクの品質保証を違う方向からエリオットに伝えた。しかし王宮も動いてるという点にオスカーたちも目を丸くしていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「なるほどねー。誰も『涼風の旋律』に関して教えてくれなかったんだけど王都筆頭の冒険者パーティだったのか。で、アルフォンス殿の母上がメンバーと」
オスカーはなるほどと頷いていた。今回の訪問団にあった人員リストの謎がやっと解けた。確実にローレンス侯爵は気が付いているが息子に伝えてなかった。
「で、レグルスくんはアルフォンスに勧められてリドルくんに会いに来てたと。縁の繋がりはアルフォンスなのにルクレイのところに集まってるのが面白いね」
ヴェルナーは面白そうに口を挟んだ。ヴェルナーは王立学園でアルフォンスと同級生だった。二年になる前に王立学園が閉鎖となり育成学校に編入していた。
今回は義姉となったエリオットに顔見せのためリベルグに来ていた。
「エリオット義姉さんは子どもの頃によく遊んで貰ったから兄上の奥さんになること自体に違和感はないよ。むしろもっと早く婚姻しとけば良かったと思うね」
ヴェルナーのオスカーに対する評価は遅すぎるというものだった。
「で、挨拶したら王都に戻るつもりだったんだけど兄上に泣きつかれたんだ。最近になって魔物の増加が認められる場所の対処を僕に押し付けてるんだ」
そして何気なく危険物をこのラウンジの中に転がしてきた。
ルクレイとヴィオナの視線が少し厳しくなる。レグルスも不穏な情報に考える仕草を見せた。三人の視線が数瞬だけ絡まった。




