第八節 再びの釣りに挑戦し鍛錬で昼寝した
快晴の海岸航路を大型の連絡船が全帆を展開し右舷から風を受け東に帆走していた。大きく開いた四角い帆は上段と下段に分かれて八枚の帆が競っていた。
ルクレイは少し左舷に傾く事から無意識に右舷側にいた。下甲板から船尾楼に上がる階段の最上段付近で手すりに手を置き大海原を眺めていた。
「風は強いけど気持ち良いわね。髪を纏めておかないと大惨事ですけどね」
横に並ぶヴィオナが束ねた髪が暴れないよう手を添えてルクレイに微笑みかけた。ここは船尾楼の風壁魔道具の範囲外で風を感じられる場所だった。
「ヴィーが髪を纏めてドレス風乗馬服を着て風を受けているとまさに風の女神様だよね。裾がたなびいても乗馬服だから安心だけどちょっとドキドキする」
ルクレイは安定のヴィオナ女神様認定を口にした。
「ふふ、ありがとう。レジンの髪留めも可愛いリボンもドレス風乗馬服もレイがわたしにくれたもの。プレゼントを身に纏えるのは幸せよ?」
ヴィオナはルクレイにふわっと表情を和らげルクレイの肩に頭を預けた。
「ヘブラナの浜焼き場は漁師ギルドが音頭を取ったらあっという間に形が整ったよね。工房も動き始めたしエレーネさんに対する信頼も凄かった」
何気なくルクレイはヴィオナの頭を撫でていた。
「そうですね。予定していた以上に今回の訪問は成功しました。しばらくはリューウェンまでの定期運行も決めてましたからね。連係が密になります」
ヴィオナは子ども同士の顔合わせも十分に目的以上の達成と考えていた。船尾で釣りをしている男の子たちにチラリと視線を投げた。
「また切られたみたいだね。それでも切られる回数が増えてるから悪くない結果だよね。みんなの仕掛けが魚にアピールできてる証拠だからね」
ヴィオナの頭が動いた事で意図を察しルクレイは船尾で釣りをしている男の子たちに視線を向けた。七人の子どもたちの中にレイチェルが混ざっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
ヘブラナで行われた『浜焼き場の予定地確認』は盛況の中で幕を閉じた。
工房主や漁師ギルド長はそのまま付いてきて伯爵邸でやる事の詳細に入った。エレーネ伯爵夫人に執事長が加わり各工房の役割なども確認された。
この場にはルクレイとヴィオナは参加していない。あくまでもハールベン伯爵領の領務に関わる事だからである。代わりにレイチェルが参加していた。
「レイチェルなら話は理解できるし調整役として動けますよね。エレーネさんの片腕として動けますよ。あと、レイチェルもレンデールまで来ませんか?」
相変わらずのルクレイは訪問団の更なる増員をエレーネに持ち込んだ。
「えっ?……そうですね……レイチェルは五歳でリドルくんと同い年ですから十分にやれますね。この打ち合わせの後に執事長にマナーを見てもらいなさい」
同い年のノルド家長男リドルが親の付き添いなしでこの場にいた。ここで年齢を持ち出せば色々と面倒になる可能性があった。
ここはルクレイに託してレイチェルの成長に繋げようとエレーネは決めた。
「分かりました! ハールベン伯爵の長男として恥ずかしくない立ち振舞ができるよう執事長に確認してもらいます」
レイチェルの言葉は力強かった。ただ顔が完全に満面の笑みになっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ルクにぃ! 釣り糸が切れる最大の原因はなに?」
突然レイチェルがルクレイに質問を投げかけてきた。
「えっ?……最大の原因かー。僕が思う最大の原因はこの辺りで仕掛けに食いつく魚が……デカいって事かなぁ」
ルクレイの回答に「えぇー大きいの?」とレイチェルは目を丸くした。そのままレグルスたちに大きい可能性を告げて対策会議を始めた。
見ていたヴィオナがくすくす笑いながら「大きいの?」とルクレイに尋ねた。
「大きいのは確か。仕掛けを食べて逃げに入った時にテーブルの足の辺りがブチって切れてるからね。恐らくリューウェンで釣ったヤツぐらいはありそう」
ルクレイは作ったレジン糸の強度を考えて大きさを概算した。リューウェンで使った糸は少し細いが撥水加工がされ強度的には上がっていた。
「リューウェンの時は魔力で誤魔化して切られないで済んだ面があるんだ。あれは普通に釣ってたら確実に切られてた。恐らく同じシイラだと思う」
ヴィオナは話を聞いて「なるほど」と小さく頷いた。
「対策会議をしてるから改善案が出れば声をかけるでしょ。船首区画に行ってニロンとナンニのご機嫌を見に行かない? ユミナも来て。紅茶にしよう」
ルクレイとヴィオナはユミナを伴って船首区画に向かった。船首区画ではニロンとナンニが寛ぎ騎士たちの馬は少し緊張気味だった。
「ニロン、『爽快の実』を持ってきたよー。ちょっとリガレアに戻るのが遅くなりそうだから持たせないと帰路で枯渇しちゃうから注意してね」
ルクレイがニロンに『爽快の実』のお皿を渡した。ナンニはユミナから違う果物が振る舞われていた。騎士の馬たちにも果物を振る舞った。
ニロンがブルルと鳴いた。
「えっ?……ニロンは良く見てるね。確かにお土産の『爽快の実』は多めに積んでるんだよね。バレちゃったし帰路の分もちゃんとあるよ」
ルクレイがおどけてニロンに返すと脇腹をニロンが突き始めた。刺突を避けるルクレイと刺突を続けるニロンを見てヴィオナは笑い始めた。
「帰るまでには一匹ぐらい釣れると良いですね」
「そうだね。誰でも良いから釣れれば良い思い出になる。次のリベルグに子どもはいないはずだからレンデールで遊覧して釣れたら良いかもしれない」
レンデールのアルデン侯爵家には二歳の女の子がいると聞いていた。リネット侯爵令嬢で長男コンラート侯爵子息の娘と聞いていた。
「二歳だとちょっと注意しないとオランド号に乗せられないかもしれないか。その場合は帰路で釣れれば良いか。乗れそうだったらその時に釣りたいね」
ルクレイの希望を聞いてヴィオナは目を細め「対策するの?」と尋ねた。
「対策の選択肢は多くないよ。ある意味で加減と言った方がいいのかな。方向性はみんなで出せるから出てくるのを待てば大丈夫」
ルクレイはヴィオナに説明すると「あっ」と小さく声を上げユミナを手招きして座らせた。そして昼食に仕込む悪戯をヴィオナとユミナに話した。
その後はルクレイは積み込んである生木の間伐材で輪切りになっている物を持ち出した。カットソーで棒にしてサンダーで削ったり磨いたりしていた。
ヴィオナは細いレジン糸を作る鍛錬を再開した。たまに太めのレジン糸といった双子たちの要望を聞きルクレイとヴィオナは作って提供していた。
「今は棘のある釣り針を封印してヘブラナで貰った釣り針にしてるけど次のリベルグで買い足さないとだなぁ……漁師ギルドに頼むのが無難かな?」
「リベルグは元は伯爵家の領都でしたから鍛冶工房はあると思いますよ? でも魚粉は漁師ギルドを巻き込んだ方が早そうな感触でしたよね?」
乗り気が薄いルクレイにヴィオナはどうせ会うから諦めろと諭した。
「そうなんだよねー。さてはて連名って婚姻なのかどうか分かるけど……もし婚姻していたらどうする? エレーネさんに濁して聞いたけど未婚だよね?」
最初から逃げ道がないのを理解していたルクレイは思い出した本題に入った。
「婚姻していたらお祝いを渡しますよ? ちゃんと用意してます。リドルくんにお願いしてホルンミルクを回してもらいましたし『爽快の実』の粉末ですね」
ヴィオナは手抜かりなしと言いながらお祝いの品が色々と問題があった。妊婦さんに良いというホルンミルクとスッキリ感のある果物は一つの結論を指した。
「やっぱり妊娠で慌てて婚姻したと思う?」
ルクレイは『できちゃった婚』は致し方ないと思ったが対面的に大丈夫なのかが心配になった。上位貴族の婚姻前に妊娠という話はかなり微妙だった。
ヴィオナが肩を竦め「たぶんね」と少し投げやりに答えた。
横からユミナが「昼食の準備が整いました」と声をかけてきた。ルクレイは木屑を綺麗に木屑箱に入れヴィオナは加熱魔道具を停止して船尾楼に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
ルクレイがヴィオナをエスコートして船尾楼に上がると頭を抱えた子どもたちと苦笑いを浮かべているメダル船長とリアンがいた。
「どうしたの?」
ルクレイがヴィオナを席に座らせて声をかけた。
「手元のレジン糸は切れなくなったんだけど途中で切れるようになった。結びが解けてる場合もあって対策の方針が座礁してる」
レグルスが端的に説明してくれた。
「そもそもの話としてレジン糸が切れなくなった場合にあれが釣り上げられるか? という問題も出てる。さっきメダル船長に聞いたら無理と言われた……」
リドルがレグルスの言葉に続いて問題を提起した。
「ふむ……だいぶ対策の本陣に近づいてると思う。特にリドルから出た点は大きいと思うかな。というわけで昼食にしよう」
ルクレイが声を掛けると侍女たちが昼食を配膳し始めた。今日の昼食で用意されたのは『一口コネ焼きパン』だった。
「今日は『一口コネ焼きパン』だからどんどん食べてね。お代わりは用意してあるから。お皿が空になったら侍女さんが置いてくれるから頑張ってー」
ルクレイが明るく昼食の説明をしたが子どもたちの顔に戸惑いが浮かんでいた。
「ルクにぃ……どう見てもエグリアとメリアのお皿にある『一口コネ焼きパン』はエグリアの口に入らないよ? クラムのはそれ三個は口に入るよ?」
フィリクスが配膳されたお皿の配置に問題があるとルクレイに抗議した。
「あーーー、またルクにぃにはかられたー」「えっ? そっち?」
マルセリオがハッとした顔で声を上げた。その言葉にリドルが素で反応しレグルスは目を手で覆い肩がピクピク揺れていた。
昼食後はそのまま船首区画で子どもたちとルクレイの模擬鍛錬となった。
ルクレイは周囲にふわふわな水壁を展開し投げても落水しないように対策した。そして七人の男の子たちをポンポン水壁に投げて遊んだ。
ヴィオナとリアンはメリアを誘って船尾楼でレジン糸の撚り合わせをしていた。ヴィオナがメリアに撚り合わせる手順を説明していた。
リアンとメリアが撚り合わせている間にヴィオナはレジン小物を作っていた。作ったレジン小物に撚り合わせたレジン糸を繋げメリアにプレゼントした。
「カーン! カーン! カーン!」
オランド号がリベルグの港に入っていった。動きすぎて疲れ寝ていた男の子たちは起こされ下船の準備を急かされた。
最初に用意されていたホルン乾燥肉が実は大物用だった件はうやむやになった。




