第五節 サップ二人乗りの許可と小山を旋律に見せてみた
メルカド伯爵邸の池の畔は賑やかな喧騒に包まれていた。池の水面ではサップに乗る男性や泳いでいる男の子の補助をする男性がいた。
傍にある拠点では従僕たちが竈を組んでいた。ルクレイが花崗岩を自然石の形で作り従僕たちに竈石として供給していた。
ルクレイはヴィオナと一緒に安山岩の竈石で竈を作っていた。二人はお互いの竈に助言し合いながら用意した竈石から良い物を選び組み立てた。
「これで私たちで作った竈にお互いで作った竈の合計で竈は三つになりましたね。お父様たちの分は後で時間のある時にでも組み立ててもらいましょう」
食事場に置く二人の竈が完成したので窯場に着手してもらう事にした。従僕たちも頑張り四つの竈が完成した。ルクレイが水壁を展開した上に並べる。
竈の管理は任せてルクレイとヴィオナは畔に歩き出した。ヴィオナと話して布帆のお試しをする事にした。針子に頼んだ布はだいぶ前に届いていた。
「ちょっと見て欲しいのがあるので集まってくださーい」
ルクレイが声を掛けるとわらわらと集まってきた。ルクレイがサップとパドルに布帆のロープを結んだ。その間にヴィオナが試す内容を説明した。
「あの布は普通の一般的な布ですが帆になるのですか?」
何となく届けようとしている布についてきたリランがヴィオナに尋ねた。
「引っ張るのはサップとレイですから問題ないと思うわ。薄くて裂けたら厚めの布で試せば良いでしょ? 破れたら前に進まないだけだから危なくないのよ」
ヴィオナはルクレイに聞いていた成功した時しか布の帆は効果を発揮せず安全だと説明した。説明している間に帆の準備も終わりルクレイは水面に出した。
「ヴィーは適当に加減した突風を発動してね。強ければたぶん布が破損するから問題ないよ。距離はほどほどあるから止めるのには十分……なはず」
ルクレイはサップに胡座を組んでセンターより少し後に座った。
これは布帆が風を受けた時に荷重がどう掛かるか分かり難かったからである。バウを押し下げるか持ち上げるかで挙動が大きく異なり結果も大きく変わる。
バウを押し下げた場合は帆船でも危険なバウダイブとなり水面に刺さったバウが抵抗となり前のめりになる。帆船だと船首区画が破損し最悪沈む事故となる。
持ち上げられた場合は滑走状態となる。速度は上がり底面に入り込んだ水流がバウを更に持ち上げる。この場合は乗員が後に転がり落ちて落水となる。
この時はパドルを手放せば落水のみで怪我はほとんどしない。パドルが倒れるので布帆は閉じて推進力を失う。落ちなければサップに手を付いて伏せれば良い。
ルクレイが重心を後に下げたのはバウダイブに対する対策である。バウが浮く分には身体を前に傾かせるだけで相殺しやすく制御を握る事ができる。
「レイーいくよー……突風!」
ルクレイの耳元に「ゴォー」と音が通り過ぎ風圧がのしかかってきた。力なく開いていた布帆に風が入り「パン!」と強いテンションが掛かった。
胡座を組んでいたルクレイは足で荷重を殺した。
『うわー凄い疾走感だな。これ……パドルの角度で帆の性格が変わるヤツだ。……ってもう減速しないとまずいか……』
ルクレイは胡座を外しお尻の荷重を右後ろに大きく移した。サップはバウが上がり右に傾き始めた。倒したパドルのブレードを右側に刺して舵とした。
右に90度回してお尻の荷重を右荷重を残したまま前に移動させ横滑りの体勢に移った。左右の足を水中に落として足裏も舵のように使い横滑りを維持させた。
右荷重で浮いた左舷と底を抵抗に使い急速に減速した。
ルクレイはフッと息を吐き両手をセンターに置いてグンッと力を入れて身体を空中に投げ上げた。ふわっと浮いた身体を制御しセンターに着地した。
瞬間的に屈伸し右手でパドルのヘッドを持った状態で水面を叩いた。そして左前にパドルを刺し左手を支点にヘッドを押した。
サップは右に回頭し始め前進を始めた。
ルクレイは前傾を大きめに取りパドルを気持ち遠くに刺しパドルを支点にサップをグイッと前に押し出す動作を左右で繰り返し速度を上げていった。
ルクレイはヴィオナが待つ岸に近づくとパドルを刺してブレーキを掛けた。ブレードを舵のように操作してサップの向きも変え岸に横付けした。
「少し突風が強かった?」
ヴィオナがちょっと上目遣いでルクレイに尋ねた。
「いや、お義父さんたちに見せるという意味では良かったと思うよ。何より気持ち良かった。グンッと加速する感覚とか凄く良かった」
ルクレイはリーシュコードを外しながら笑顔でヴィオナに答えた。ルクレイの返答を聞いてヴィオナも笑顔を浮かべて「凄くカッコ良かった」と囁いた。
クラムたちが駆け寄り「やってみたい」と口々にルクレイにお願いしたがルクレイは「基本を身に着けてから」と取り合わず子どもたちの頭を撫でた。
◇ ◇ ◇ ◇
男性陣で濡れたリグとエザンにクラムとエグリアも引き連れてルクレイは工房に入り湯殿で流し身支度を整えた。服は侍女たちに用意してもらった。
今度は大人陣営と子ども陣営で分かれての昼食となった。
クラムとエグリアはルクレイにサップの操作方法を質問し続けた。ルクレイは重心の位置を常に意識する事とパドルの扱いをいくつか紹介した。
中でもパドルのブレードで水面を叩くブレイスは崩れたバランスを取り戻すため重要と話した。また舵のように動かすのは静かに向きを変えられると伝えた。
ヴィオナとメリアも話を聞き頷いていた。
「お義父さん。サップにヴィーと二人乗りして良いですか?」
昼食が終わり冷やした紅茶で寛いでいる空間にルクレイの軽い言葉が響いた。言葉は軽いが内容はそれほど軽くないところがルクレイらしかった。
「あー、二人でというのは良いんだが……サップだよな?……「ええじゃろ」……母上……まあ良いか。二人でサップに乗って良いぞ」
バルテア伯爵の答えにヴィオナが「やったー」と歓声を上げた。
「ルクレイはヴィオが水遊びしても大丈夫な方法を考えてますよね?」
カリスタ伯爵夫人が横目でルクレイを見た。
「色染めした撥水糸で作った服のようなものを羽織る方法を考えてます。ただ今の撥水糸で服は無理かなって思ってましたが……」
「細いレジン糸を撚り合わせて撥水加工すれば服が作れそうな気がします。ドレスの時に雨が降ると羽織リますよね? あれを撥水加工する感じです」
「雨除けですね……良い案です。リランはどう思います?」
ルクレイの案に少し思案したカリスタ伯爵夫人はリランに尋ねた。
「……十分にアリです。雨除けは布の厚みでドレスが濡れないようにしてるわ。撥水糸で織れば厚さは不要になるし色染めも容易にできます……」
リランは考えに入った。カリスタ伯爵夫人は楽しそうにリランを眺めた。確実にリランの興味を引けたと確信して薄くほほ笑んでいた。
ルクレイとヴィオナは興味が外れた事でコソコソと話し合っていた。許可が出たので人が少ない時に池で練習して本番の『深緑の湖』を目指すことにした。
◇ ◇ ◇ ◇
午後は『涼風の旋律』と魔力に関する話をする事になっていた。子どもたちとリグとエザンは池に残りサップを楽しむ事にした。
「ヴィーが日傘をするととっても可愛い。そのドレス風乗馬服も付け布でお洒落に仕立ててヴィーの可愛さを引き出してるよ!」
日傘の試作品が仕上がり針子がリランに見せに来たのでそのままヴィオナが受け取った。薄い布は淡い黄色で色染めされレースが所々にあしらわれていた。
骨組みに無骨感が残っているが十分にお洒落な仕上がりになっていた。明らかに晴天用だが色合いも涼やかでヴィオナに似合っていた。
リランは日傘の試作品を検分するとヴィオナに渡してカリスタ伯爵夫人と本館に向かい移動した。バルテア伯爵はリグたちに合流して池に残った。
ヴィオナに可愛いと言い続けているルクレイたちは小山に向かっていた。現在は斜面に芝生や灌木を植える作業のみが行われていた。
「思ったよりデケえ」
森を抜けると目の前に小山が出現した。小山のイメージより大きいと感じたフィオが声を上げた。ティアーヌたちも目を丸くしていた。
「斜面が崩れないようにと考えたら思ってたより低くなっちゃったんだよね。三層とか四層の小山を作ってみたかったんだけど……二層になった」
「それはもう小山じゃねぇ」
ルクレイの残念そうな声にフィオが突っ込みを入れた。
二層でも高さは4mほどある。確かに高くはないが少し見上げる必要があり圧迫感が生まれていた。加えて横幅が40mあるため大きく感じていた。
「そうかなぁ。まあ作れなくて二層になったからどうでもいいか。これは騎士団の訓練用に造成したんだけど……なんか利用者が多くないか?」
ルクレイは小山の斜路を駆けている人の数が思ったより多い事に気が付いた。明らかに乗馬服の女性は騎士でないと即断できた。
斜面ではなぜか騎士も芝生を植えていた。よく見ると女性陣もいて花を植えて花壇のようになっている場所もあった。楽しそうだったので見なかった事にした。
「メルカド領は驚くほどに平地です。なので騎士たちの要望リストの一位が坂だったので作りました。斜路はそれほどきつくないですが坂は坂です」
ルクレイは綺麗に造成できたと胸を張った。
「いや……十分にキツイと思うぞ……」
フィオは『きつくない』と言う言葉に小さく反論した。横ではティアーヌとルナリエがうんうんと頷いていた。カノンとミモザは駆けたそうな顔をしていた。
ルクレイは気にする事もなくヴィオナをエスコートして一層に向かった。二人で水路の出来などを話しながらスタスタと斜路を登っていく。
「いやこれ……普通に駆け上ったらキツイと思うんだが……。カノンとミモザは駆け上っても良いぞ。ティアーヌとルナリエは転ぶなよ」
フィオの気遣いにティアーヌは「失礼! 転ばないよ!」と反論した。その横ではルナリエがティアーヌの服の裾を掴んで慎重に登っていた。
「うわっ……思っより広い!」
一層に上がったフィオは思っていたよりも広い空間に驚いた。一層の横幅は28mほどある。そして二層は奥側にあり平面の奥行きは20mほどあった。
「まだ端には行かないようにしてね。芝生や灌木を植えれば安定すると思うけど崩れるかもしれない。雨の時の排水路はまだ作ってなかったね」
ルクレイとヴィオナは周囲から挨拶を受けながら二層を目指した。フィオたちも後を追ったがルナリエは一層で満足したのか登ってこなかった。
「流石にこの程度の高さだと視界は開けないよね。でも騎士たちの鍛錬場だしこれで良いのか。下手に本館や離れとかが丸見えは問題になりそうだよね」
ルクレイは高い場所からの視界で貴族区画が丸見えになるのはまずいと気が付いた。騎士の鍛錬場は誰でも入れるので色々と面倒になると気が付いた。
「それはありますね。この高さだと木々があるから視線は通らないので大丈夫ですね。見張台は他にあるからこれ以上は止めておきましょう」
ヴィオナもルクレイの懸念は理解したので同意した。
「とするとロープ登りも低くしないとだね。ちょっと予定してた高さから周囲を見てくる。見回したらすぐに戻るね」
ルクレイはヴィオナに断りを入れて水壁を階段状に展開した。水壁を登りながら『限界は8mだな』と判断した。身長を考えると6mを上限と考えた。
「作るとしたら三層が限界だね。無理する必要もないし二層のままでいこう。ロープ登りも六百単位までにしておけば大丈夫かな」
「その『ロープ登り』って何ですか?」
ヴィオナはルクレイに聞いた事のない言葉を尋ねた。
「あれ?……言ってなかったっけ。んとね、ロープを垂らして下からロープを登る鍛錬設備。手で登って足で身体を支える感じ? まあまあキツイよ」
「ロープを登るのは斬新ですね。それなら狭い空間に設置できますよね」
ヴィオナは「なるほど」と納得して頷いた。
『いやいやいやいや。それ木登りより遥かに厳しいと思うぞ。絶対にまあまあで済むとは思えない。ルクレイくんの基準が絶対におかしい』
声を出して否定し難かったフィオは心の中でルクレイに突っ込みを入れていた。一層にしれっと置いてあった石壁も実に不穏だとフィオは首を振った。




