第五節 取水口の整備案と水を湛え過ぎた池
早朝のメルカド伯爵邸の鍛錬場で金属のような音が鳴り響いていた。既に風物詩となっているルクレイとヴィオナの早朝鍛錬である。
地上で鍛錬していたり空中で鍛錬している違いはあるがリューウェンから戻ってから毎日のように行われていた。
ユミナは二人の鍛錬を見る鍛錬が終了し借馬のナンニを連れて来て鍛錬場の周囲で騎乗訓練を行っていた。体術の教練はそろそろ終盤となっていた。
そろそろ鐘一つぐらいの時間となりユミナはガゼボの馬止めにナンニを繋ぎ手入れを始めた。体温が落ち着いたとこで水と果物を渡した。
ルクレイとヴィオナの鍛錬はかなり地上に近い位置で移動を減らした模擬戦になっていた。お互いの空間を奪い合いながら攻守を入れ替えていた。
ユミナが冷やした紅茶を準備しているとガゼボに二人が入ってきた。
「今日は風壁を割られずに済んだわ」
「今日は移動と防御の風壁がきちんと役割を全うしてたよね。最近は攻撃用の風壁が少なくて突風が増えてるのは多数相手を想定し始めたの?」
ルクレイはヴィオナを席に誘導し座るように促した。席に着くとユミナが紅茶を配膳し果物を並べた。
「そうですよ! 外では基本的に相手が魔物ですから数で来るでしょ? 霧散しちゃう事を考えると突風で足止めもしないと押し切られるかなって思ったの」
もう少ししたら『深緑の湖』に冒険デートで出かける事になる。道中は当然のように魔物の襲撃が想定されていた。
「確かに足止めは有効だよね。水属性だと風属性ほど綺麗に足止めできないからどうしようかな。水を撒くと足元が悪くなしなぁ」
テーブルを囲んでルクレイとヴィオナは会話を続けた。
「そういえば馬車の方は外板がほとんど付いてたんだ。少し工房の人に少し聞いたんだけど内部は保留で外側を若手で仕上げて確認しようとしているみたい」
ルクレイは苦笑いを浮かべた。当初はコツコツと一人で改造しようと思っていた。リゾリカ工房主に相談した辺りから状況が変わってしまっていた。
「あら……馬車の方も研修みたいになってますね。レイが関わってる工房ってどこも新しい事に挑戦しているから活気があります」
「でも、工房の人たちは仕事というのがあるからね。執事長さんにその辺りはお願いしているから大丈夫だとは思うけど……で、内装を詰めないとだよね」
「前に頼まれた座席に敷くクッションは出来てるみたいです。工房に置いてあるのよね?……えっ?」
ユミナに確認したヴィオナは返答を聞いて驚いた。
「クッションは工房に仕舞いました。それとは別件ですがルクレイ様が侍女に頼まれたタープの件はレベナの造船工房に回す事にしたそうです」
ユミナは回された情報の内でルクレイに関わる連絡事項もこの場で伝える事にした。ルクレイに情報を伝える侍女や執事がいないためである。
「あちらには帆の補修ができる技師がいるそうです。その辺りの差配は代官が取るそうです。間伐木材に関してもレベナに運び始めているとの事です」
「なんか目まぐるしいね」
ユミナの情報伝達にルクレイは目を丸くし首を振った。
「それはタープに執事長が興味を示したからね。リランもそうだけど興味を示したら注意なの。昨日の鍛錬指導はちょっと興味を持った人が多そうなのよね」
思案顔のヴィオナにルクレイが「そうなの?」と尋ねた。ヴィオナが頷くのを確認したルクレイは苦笑いを浮かべた。ちょっと騒が生まれそうな気配だった。
「うちは南部で珍しい武門ですから。うちの騎士団には近隣から集まった武闘派寄りの騎士が多いですし……執事や従僕たちも武闘派寄りなので……」
メルカド伯爵家は成り立ちから武門貴族のため石を投げれば武闘派に当たる。新しい鍛錬と聞けばあっという間に情報が拡散する。
騎士団長は数多い新しい鍛錬方法に後の事を考え顔面蒼白となった。
騎士団長の判断は多少数日使い物にならなくなったとしても騎士に体験させる事だった。ルクレイの鍛錬指導に警備任務中の騎士までも投入した。
思惑としては体験した騎士が指導役として勝手に広まってくれる事である。止められない以上は拡散速度を高めて全体の満足度を上げるしかなかった。
「リランがドレス風乗馬服とレジン糸に時間を取られていたのがある意味で助かります。今のうちに鍛錬方法を騎士団で纏めるよう騎士団長が動いてます」
騎士団長は心に鬼を置き満身創痍の騎士たちに指導者として懇意にしている各部署に騎士を派遣した。雑談の振りをして鍛錬方法を拡散していた。
「そっ……そうなんだね。なんか悪い事したかなぁ。鍛錬用の小山って聞いてついついテンションが上がっちゃったから思わず手を出しちゃったよね」
頭を掻きながらルクレイは「やっちゃった」という顔をした。
「それは問題ありませんよ。新しい鍛錬方法が広まれば屋敷の中は楽しそうな雰囲気が広がります。今朝は早朝からかなりの執事や従僕が動いてましたよ?」
ヴィオナはニコニコしながらルクレイに人の動きを教えた。
「あー、なんかガゼボに移動する時に会う人が多いなとは思った。ニコニコしながら挨拶されて感謝されてちょっと怖かったんだけどね」
話を聞いたルクレイは納得した顔で頷いた。それを聞いたヴィオナは「プフッ」と息をこぼし少し頬を赤くして紅茶に口をつけて誤魔化した。
◇ ◇ ◇ ◇
朝食の席でルクレイがバルテア伯爵に話しかけた。
「お義父さん、レベナに工房用製糸魔道具が届いたのでガラスを溶かせる小型魔導炉を二台買おうと思います。伝手がないので助力をお願いします」
「はっ?……いきなりだな。ガラスを作るのに小型魔導炉か。別に良いんだがなんで二台なんだ?」
突然の話にバルテア伯爵は目を丸くしてルクレイに質問した。
「一台は僕が使いたいからです。ちょっと小型魔導炉の値段が分からないのですが……まだ船舶風壁魔道具は高値なのでちょいっと売れば資金はできます」
しれっと自分の分を含めた台数をルクレイは持ち出した。
「そうか。いっそルクレイが作ったのを引き合いのある貴族家に売っても良いぞ。ノルド家の連絡船とかは終わったが王家の連絡船が結構残ってる」
王家の連絡船に搭載が始まった事で貴族家は依頼し難くなっていた。王家側が気を使う部分も出始め王都で貴族間の綱引きが始まっていた。
「カンコールさんも作れるようになってますし何もしないのは外聞が悪いですよね……。在庫を作っておいて出荷をお願いしても良いですか?」
ルクレイは話が面倒な方向に向かっていると感じ丸投げをお願いした。
「そういえばうちの三隻分はもう作ってたんだったな。もし在庫を作ったら執事長に伝えてくれ。そういったのは執事長が得意だから頼んでおく」
「了解しました。在庫は工房に置いて執事長さんに声を掛けます」
丸投げできるのでルクレイはニッコリと笑顔でバルテア伯爵に答えた。
◇ ◇ ◇ ◇
池の造成地に作られた拠点に入ったルクレイは近くにいた従僕に庭師を探してきて欲しいと頼んだ。そしてテーブルの上に持ってきた基盤を置いた。
「ブカゾールさんに作ってもらった船舶風壁魔道具用の基盤が結構な在庫になっていた。確か……十枚は頼んだ記憶あるんだけど三十枚ぐらいあったぞ」
基盤の納品台帳を見たらちょこちょこ納品されていた。
「ブカゾールさんってちゃんと寝てるのかな? 品質に問題はないから意識がしっかりした状態で仕事してるのは分かるんだけど……」
ルクレイは基盤に溶剤で船舶風壁の陣図を描き始めた。
基盤の二枚目に取り掛かる前に休憩していると庭師が姿を現した。ルクレイは席を立ち庭師に合流して池の中を一緒に確認していった。
「土木魔法の関係で底は傾斜でなく段差になってるけど大丈夫かな?」
掘削していて気になった点をルクレイは庭師に質問した。
「そこは大丈夫でしょう。池を作る時も綺麗には均しません。手間の割に均していなくとも問題になった事はありませんので」
ルクレイの質問に庭師は答え池の中を歩きながら小石や土を入れて欲しい部分を指摘した。ルクレイは要望に答えて造石や造土で埋めていった。
池の中の確認が終わり取水口の確認に向かった。途中ルクレイは水路に石を敷いた方が良いのか確認すると「不要です」という答えが返ってきた。
「こちらも綺麗に整地されています。この状態であれば水路としての石は不要になります。石を敷くとしたら景観のためでしょう」
ルクレイは水路に収まる50cm幅の花崗岩を1cmの厚みで作り見せた。
「この石板が敷かれていたら景観としてどうです? ここはヴィーとたまに散歩で使おうと思ってるから小道として綺麗に整備して欲しい」
ルクレイは小道の整備と景観が気になり確認した。
「景観を考える場合は取水口の小川をどこまで整備するかに拠ります。自然の景観を残すのであれば石を敷かない方が統一感が出ると思います」
自然の景観に石板は浮くと庭師は指摘した。
「ただ、その石は綺麗ですね。小川の取水口に小石として使うと見栄えが落ち着きそうな気がします。もし小石を敷く場合は同じ大きさの小石は良いと思います」
ルクレイから石板を受け取り検分した庭師は石を使う場合の提案をした。
取水口に着くと庭師が取水する場所の説明を始めた。既に木板で塞ぐ形で取水口は作り終わっていた。
「小石を用意してみるので検討をお願いするね」
ルクレイは少し離れた位置に10gと20gの花崗岩の小石を小山にした。
「土木魔法は中々に使い勝手が悪いと聞いてました。ルクレイ様の魔法行使を見ていると常識が崩れてしまいます。こういった小石は出せるようになりますか?」
だいぶ慣れて来たとは言えルクレイの土木魔法に庭師は驚きを隠せなかった。
「んー、魔法は基本的に本人の努力次第だからなんとも言えないかな。小石を出す事に価値を見いだせる魔法師であれば身につくと思うよ」
ルクレイは庭師に検討をお願いして水路を戻っていった。
森を抜け拠点に戻るとヴィオナが座り冷やした紅茶を飲んでいた。ユミナは少し後ろで待機していた。
「ヴィーはお義母さんとリランさんから解放されたんだね」
「頑張りましたよ? たくさんレジン糸を作って作って作りました。作ったレジン糸を撚り合わせていた侍女に渡して抜け出してきました」
胸を張って抜け出したとヴィオナは宣言した。ルクレイは「お疲れさま」とヴィオナの頭を撫で撫でした。
ルクレイは撫でながらテーブルから池までに水路のような水壁を発動した。そして撫でてない方の手を突っ込み「造水」と呟いた。
造水で作られた水が水壁の水路を流れ池の中に消えていった。ルクレイは造水の水量を上げ水路から溢れない範囲で水をどんどんと流していく。
「あら、レイが池の水を張るの?」
「取水口はもう直ぐ開くと思うけど時間が掛かりそうだなって。僕が水を入れるのはズルいかもしれないけど結果は一緒だから時間の短縮だよ」
ヴィオナは呆れ顔を見せたがくすくすと笑い「遊びたいのね」とルクレイが水を張り始めた動機を指摘した。
「レオナールさんに頼んだ家庭用の製糸魔道具は絶対リランさんに押し付けた方が良いね。上手くすればヴィーは解放されるよ」
揶揄られると気付いたルクレイは話題を変えた。
「そうでした! 届いたらリラン行き確定です。あっ……魔力照射の調整で細く出来なかったら詰んでしまうかもしれません」
明るい表情が萎んでショボーンと項垂れた。
「髪留め用で考えてたから太めでお願いしちゃってたか。魔力照射の部分は結構難しい感じできちんと見てなかったなぁ。設定が変更できると良いんだけど」
ルクレイは設定の幅が広いことを祈った。
「細い方は試してないけど早朝鍛錬の後に二人でレジン糸を朝食までにたくさん作ればイケると思う。明日から試してみようね」
ルクレイが早朝の約束をさらっと増やした。提案を聞いたヴィオナは笑顔になりルクレイに「うん」と答えて細く作るコツをルクレイに説明し始めた。
楽しそうに話す二人の背後でユミナはジッと池の方を見ていた。
『もう直ぐ昼食ですが……楽しそうに話している二人の姿ともう直ぐ一杯になりそうな池に現実感が薄いです。ルクレイ様は水を出してるの忘れてませんか?』
本館の方から侍女が向かって来たのに気が付いたユミナはヴィオナに声をかけた。昼食前の身支度で席を立ったヴィオナが「レイ満杯よ」と呟いた。
排水路が水を排水しているが水位はまだ上がっていた。
「ん?……これは排水路の大きさを考えた方が良さそうだね。ヴィーが言っていたようにドバッと雨が降ったら溢れちゃうね」
ルクレイは排水に問題があるとヴィオナに答えエスコートして本館に向かった。




