第二節 メルカド家の人物紹介と微妙な命名式
「ニロン、荷物が多いと思うんだけど、このペースで駆け続ける感じなの?」
少年の心配そうな声に、ニロンはブルルと鳴きペースを維持したまま、先導する騎士の馬を追走する――。
王都行きが決まった日は、双子がベッドに潜り込んで三人で眠りについた。
早朝の出発も、眠い目を擦りながら見送ってくれた。
初日はメルカド伯爵領の小さな村に泊まり、翌日はガルディア伯爵領のザルム町で昼食を取った。そのまま北進し東方街道の領都で一泊となった。
ガルディオスで軽く補給し、王国の主要街道である東方街道を西進し続ける。途中、何度か小川の横で休憩し、日暮れまでまだ間のある時間に波止場に着いた。
渡し船は渡船ギルドが管理している。船頭と船は管理しているが、乗船の管理は行わず乗船は船頭と自由交渉で決まる。
渡し船は、大きさにより乗り場が決まっている。それほど厳格ではないうえ、陸送している船の船頭と交渉することも認められていた。
『そりゃ、ミスマッチ連発とかだろうし、この混雑はほぼ人災だな』
渡し波止場は混雑が酷く、交渉も適当で少年は唖然と見ているだけだった。
騎士の一人が顔見知りの船頭を見つけ交渉を始めた。馬四頭と人が四人は中規模の集団で、渡し船が多く船頭たちにとって激戦区と言えた。
交渉はすぐに成立し、少年たちは渡し船に乗りセトリアナ大河を渡っていく。
『操船は独立した四つの舵で、タグボートみたいに好きな方向に動けるようにしてるのか。ただ、この横滑りの感覚は、視覚と合ってないな』
少年は舵と水流から考えられる予想進路と、ズレがあることに気がついた。
『舵の操作と感覚が合わないと言うことは、喫水下に仕掛けがあるんだろう。何ていうか、スパンカーが効きすぎてる時の感覚に近い感じだな』
とはいえ、少年は思ったより下流に流されない、渡し船に感心していた。
『見かけ上の船尾のみならクルクル回る。これは、随分とこの大河に特化させたキールを組んでるみたいだ。ここで工夫したら三角帆が生まれるのでは?』
少年は水流から揚力を引き出す仕組みは捨て置いた。オランド号の実験的な縦帆を見ていたので、そこまで強く惹かれなかった。
少年は興味を移し、船頭に自由交渉になっている理由を聞いた。
「昔からこの自由交渉でやってますから」
軽く答えた船頭に、少年は目を細め「そうですかー」と答え会話を打ち切った。
『帆船が行き交うこの大河に橋を掛けるのは、現実的ではないよな。日が暮れてから帆船の通航規制という手もあるけど、まず守られないだろうな』
もう渡しが終わるので、少年は魔力を意識しながら水に手を浸した――。
王都に入り、騎士たちと通りをゆっくりと進んでいく。街並みは華やかで人々の表情も明るく、露店の喧騒も活気のあるものだった。
「やっぱり王都は凄いですね。」
『とりあえず、脳内に地図は描いていくとしてもお店や露店は気に入れば覚えるから今はいいか。尋ねる魔道具工房は誰に聞けばいいかなぁ』
騎士の先導をニロンが判断して付いていくため、少年の思考がおかしな方向に向かっても進路は安定していた。
貴族街に入りしばらく進みメルカド伯爵家のタウンハウスに到着した。在地貴族は領地にマナーハウスを持ち、それとは別に王都にタウンハウスを持っている。
メルカド伯爵邸の門で騎士が身分を提示することで門が開かれた。実際は顔見知りのようだが、そこは手続きを重視していると説明を受けた。
習った範囲だと、先触れを出さない訪問は、例え上位貴族であっても門を開けない対応は不敬とは扱われないとなっていた。
少年と騎士たちは馬房に回り、四人で馬たちの手入れを行った。少年は荷物に入れておいた乾燥果物をニロンに振る舞い、労をねぎらった。
本館から来た侍女に、少年は身支度のため本館に連れて行かれた。
湯殿で汗と埃を落としスッキリしたところで固まった。フラフラと来たので着替えが行方不明だった。湯殿から出ると侍女が待ち構え着替えさせられた。
『あっちでは、この恥ずかしい待遇はなかったのに……油断した』
身体は十歳だが、前世の記憶で精神年齢が引き上がっている。最近は、マルセリオとフィリクスが一緒で精神年齢が下がり始めていた。
侍女の先導で少年は本館の中を移動していく。扉の説明はないので、本館の地図だけを頭の中に描いていく。領地の本館より複雑な構造を感じ取った。
侍女が扉の前に止まりノックし少年を連れてきたことを室内に伝える。室内から女性の声で入室の許可が告げられる。
扉が開かれ侍女が入り扉を支える。少年は後に続き扉を越えた場所で止まる。
「メルカド伯爵領の『落とし人』です。記憶の欠落で名前が分かりません。現在、マナーハウスでは『おぼっちゃま』と呼ばれています」
ここまで自己紹介したところで「プッ」と小さな吹き出しが聞こえた。
「伯爵様とマルセリオ様、フィリクス様からは『ルク』と呼ばれております」
少年は自己紹介を行い礼の姿勢を取る。
「楽になさい。メルカド伯爵家のカリスタです。手続きのためとはいえ遠くからご苦労でしたね。貴方も自分で名乗りなさい」
少年はカリスタ伯爵夫人から奥の少女に身体の向きを変えた。
『うわっ、めちゃくちゃ可愛い子だわ。目が深緑で薄紫の髪って……凄いな』
二人の視線が合い、少年は無意識のうちにふわっと微笑んだ。
ぶわっと音が鳴ったと錯覚するほどに少女の顔が真っ赤になった。
『えっ? 人見知り? まさか赤面症……は考えてはいけない案件だ』
「あっ、あの、ヴィオナと言います。貴方が『落とし人』さんですか?」
『うわっ、上擦ってるのに涼やかな声だな』
少年はスッと胸に手を当て「はい、落とし者です」と軽い礼を取る。
また部屋の中で「プッ」と吹き出す音が鳴った。
「まぁいいでしょう。二人とも座りなさい」
カリスタ伯爵夫人は挙動不審になっている娘のヴィオナにも着席を促した。
「貴方の報告は執事長からこちらに届いています。あの執事長とは思えない内容でしたが、会って分かりました。ただ色々と腑に落ちない部分がありますね」
カリスタ伯爵夫人から経緯を話すよう促されたので、少年は時系列的に説明を行った。何回か紅茶のお代わりが置かれ乾燥果物が出された。
「オランド号のメダル船長は、フェリア号のグラン船長と双璧をなす王国でも随一の船長です。メダル船長との知己は貴方の財産になります、大事になさい」
少年は「はい」とだけ答えた。
「リオとリクの指導役はとても助かりました。バルとわたくしが不在で寂しい時とはいえ、あの子たちが貴方に懐いたのは貴方の本質でしょう」
少年は「恐縮です」とだけ答えた。
「お義母様とも多少なりと交流を持ったというのも、驚嘆に値しますね。お義母様はヴァルデン辺境伯家に連なる武門の出なのでかなり武闘派です」
少年は「えっ? お祖母様がですか?」と思わず返してしまった。
「流石にお義父様が亡くなり、それ以降は鍛錬を辞めてしまいました。お義父様は、南方では珍しく武闘派でしたから、楽しそうにお二人で鍛錬されてました」
『まて、なぜその話をこのタイミングで持ち出した? 意図が全然読めない』
「そして、なぜかここにいるヴィオナは冒険派です。なぜ武闘派揃いの中にいて、冒険派になったのかは不明ですが、冒険が大好きな娘に育ってしまいました」
少年がチラッとヴィオナ伯爵令嬢を見ると、真っ赤なまま俯いてプルプルと肩を震わせていた。
『小動物ぽくて可愛いな』
「この娘は残念ながら手遅れなほどに冒険派です。貴方にはちょっと悪いかなと思いますが、ヴィオナの趣味に付き合ってくれると嬉しいわ」
『それかっ! 首に鈴ではなく、執事的な役割でストッパーを狙ってる?』
「さて、これで我が家の構成員は紹介できました。それでは名前を決めましょう」
『今のが紹介だったんかーい。めちゃ分かりやすかったけど……。どうみてもお嬢様のライフは空だろ。いくらなんでもストロングスタイル過ぎる』
「そもそも、なぜバルたちが『ルク』と呼んでるのですか?」
少年は首を傾げ「んー」と、無意識のうちに双子と話している時の癖が顔を出してきた。小さく「可愛い」という囁きが聞こえたが、聞こえない振りをした。
「最初に言い出したのは、マルセリオ様とフィリクス様の『ルクにぃ』という謎の言動からです。二人に聞いても理由は『さぁ?』と首を傾げてしまいます」
小さな囁きで「ルクにぃ……すてき」と聞こえかなり気にはなったが、大きな穴がありそうな気がしたので聞こえない振りをした。
『ちょっ、ヴィオナちゃんの挙動がかなり不審に寄ってるんだけど……不審というか……あれか? 一目惚れ? 俺に?』
少年はヴィオナ伯爵令嬢の挙動不審は、転生して可愛い系になった容姿が、彼女の好みに刺さった可能性を考慮し始めた。
『カッコイイ系でなく、可愛い系というのが将来不安ではあるが……。可愛い系がお爺さんになっても、可愛い系のままなんだろうか……』
「なるほど、特に『ルク』は意味があるわけではないのですね。では名前ですが、ヴィオナも命名に参加したかったら思いついた名前を出しなさい」
ヴィオナ伯爵令嬢はビクッと肩を揺らし「……ルクレイ」と小さく答えた。
「なるほど、『ルクレイ』ですか。貴方はこの名前をどう思いますか?」
『その聞き方!』
「響きは独特ですが、中々に素敵な名前ではないかと思います」
カリスタ伯爵夫人は「ではルクレイで」と書類にサラサラと書き込んだ。
『軽い、軽すぎるぞ。でも、ヴィオナちゃんの声で呼ばれるのアリだな』
カリスタ伯爵夫人は記入が終わると執事に提出してくるように指示した。面談は確定だが、書類を王宮側で精査し面談日を別途連絡してくると説明された。
カリスタ伯爵夫人は、ヴィオナ伯爵令嬢にタウンハウスの案内を押し付けてラウンジを後にした。何やらモジモジしている令嬢を残して……。
ルクレイはヴィオナ伯爵令嬢に笑顔で「よろしくお願いします」と元気に声をかけた。――ヴィオナ伯爵令嬢は「お願いします」と小さく返事をした。




