冒険者登録
「……ノアってばずるい」
「油断は禁物。兄としてさっそく良い教訓を与えられたよ」
「ぐぬぬ……」
「でも、途中で追い抜いたじゃないか」
「最後に抜き返された!」
トワは頬を膨らませながら、街道の小石に八つ当たりする。
霧の聖域を出てからどれくらい経っただろう。
森の木々はいつの間にかまばらになり、足元には人の往来によって踏み固められた道が続いている。
道の両側には広々とした草原が広がり、遠くには緩やかな丘陵が見えた。
吹き抜ける風がなんとも心地よい。
何となく大きく伸びをしてみる。
「でも、トワも速くなったよね」
「それはそうだよ。毎日鍛えてたんだから」
「チカゲ姉さんにも随分しごかれてたし」
「たしかにあれは……本当に大変だった……」
トワは大袈裟に肩を落とし、遠い目をする。
水の防人であるレインハルト家。その長女であるチカゲ・レインハルト。
里が違えども幼い頃から交流のある5歳上の彼女は、先輩防人として色々な事を教えてくれた。
僕とトワにとってとても頼りになる姉のような存在であり、同時に容赦のない格闘術の先生でもあった。
霧の防人が腕を中心とした格闘術を得意とするのに対し、水の防人は脚を使った技に秀でている。
トワが弓を持ったまま蹴り技を繰り出せるのも、チカゲ姉さんに教わったおかげだった。
「足が上がらなくなるまで蹴りの練習をさせられた日もあったっけ……」
「でも、泣き言を言いながらも楽しそうだったよ」
「楽しいのと大変なのは別!」
そう言って、トワは軽く片脚を振り上げる。
鋭い蹴りが放たれ、空を切る音が鳴る。
旅装の裾がふわりと舞い、片脚で立っていても全くぶれない体幹に感心してしまう。
しばらく構えを維持したかと思うと、大きく息を吐いて満足げに頷いた。
「もちろん感謝しかないけどね」
「今度会ったら伝えてあげなよ」
「えぇ……また稽古が厳しくなりそう」
トワのその言葉に思わず笑った。
そんな他愛もない話をしながら街道を進んでいく。
道中には荷馬車や旅人の姿もあり、時折すれ違う人々と挨拶を交わした。
霧の聖域では見慣れない服装の人も多い。
大きな荷物を背負った商人。鎧を着込んだ傭兵。杖を携えた魔術師。
父や母の話でしか知らなかった人たちが、すぐ目の前を歩いている。
つい目で追ってしまうのは、トワも同じらしい。すれ違うたびに振り返るものだから、なかなか先へ進まなかった。
この人たちが皆、聖域の外の世界で当たり前のように生活しているのだと思うと、妙にワクワクした。
「ねえ、ノア。あれ!」
トワが前方を指差す。
丘を越えた先、陽光を浴びて輝く水面が見えた。
川の向こうには、白い石壁に囲まれた大きな街が広がっている。
いくつもの屋根が連なり、背の高い見張り台や煙突が空へ伸びていた。
「フーガの街だ!」
トワの声が弾む。
水の国にある冒険者の街、フーガ。
国内外から商人や冒険者が集まる賑やかな場所らしい。
そしてここは、これから自分たちが冒険者として生活する場所になる。
「大きいねぇ……緊張してきた」
「……それは、ちょっと分かるかも」
トワと顔を見合わせて笑った。
*
フーガの城門は、朝から多くの人々で賑わっている。
積み荷を満載した荷馬車が列をなし、門番たちが通行証や荷物を確認していた。
焼き菓子を売る露店からは甘い香りが漂い、威勢の良い呼び込みの声が飛び交っている。
「すごい行列!」
トワが目を輝かせる。
僕たちも列に並び、門番の確認を受けて城門をくぐった。
「ノア、あっちのお店見ていい?」
「え、先にギルドに行こうよ」
「おねがい、ちょっとだけ!」
「そのちょっとが長いんだよねぇ」
「むぅ……」
不満そうに唇を尖らせながらも、トワは大人しくついてくる。
もっとも、視線は右へ左へと忙しなく動いていた。田舎者丸出しである。
……僕も人のことは言えないけれど。
色鮮やかな果物を積んだ露店。
小さな瓶に入った魔術薬を並べる薬屋。
見たこともない形の武器を扱う露天商。
その一つひとつが彼女の興味を引くらしい。
僕もまた、そんな街の様子を楽しんでいた。
やがて、大通りに面した大きな建物へとたどり着く。
石造りの三階建て。
入口には交差する剣と杖を描いた看板が掲げられており、女神の紋様が象られた看板もある。
冒険者ギルド、フーガ支部。
「ここだね」
「……うん!」
トワは勢いよく扉を押し開けた。
途端、騒がしい声が僕たちを迎える。
「だから、その報酬じゃ割に合わねえって!」
「東街道の護衛依頼、あと二人募集してるぞ!」
「おい、昨日の討伐報告はどうした!」
広々とした室内には、さまざまな装備を身につけた冒険者たちが集まっている。
入ってきた僕たちにいくつかの視線が向けられたが、それもすぐに外された。
壁一面に貼られた依頼書。
受付の前にできた列。
奥の休憩所では、昼前だというのに酒を飲んでいる者までいる。
トワが気圧されてぽかんと口を開いた。
「……すっごい」
「賑やかだね」
僕がそう答えた瞬間、近くの大男が豪快に笑い声を上げた。
トワの肩がびくりと跳ねる。
「……ちょっと怖いかも」
「さっきまであんなに元気だったのに」
「だって、思ったより本物の冒険者って感じなんだもん」
「僕たちも今日からその仲間だよ」
「そ、そうだった!」
トワは慌てて背筋を伸ばした。
そして、できるだけ堂々とした足取りで受付へ向かう。
僕はその後ろについていく。
順番が来ると、トワは受付へ身を乗り出した。
「こ、こんにちは!」
受付にいた女性が顔を上げた。
「こんにちは。ご依頼のご相談でしょうか?」
「あ、いえ、冒険者登録を……お願いします!」
最後の一言だけ勢いが良い。
受付嬢は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「新規登録ですね。お二人ともでしょうか?」
「あ、はい」
僕が頷くと、受付嬢は二枚の書類を取り出して見せる。
「それでは、こちらに必要事項をご記入ください。登録に際して、いくつか確認させていただきますね」
書類を受け取ったトワは、早速ペンを走らせ始めた。
名前。年齢。出身地。
書き慣れた様子で空欄に文字を一つずつ埋めていく。
僕も項目を確かめながら、空欄を一つずつ埋めていった。
「ノア・ミストベールさんと、トワ・ミストベールさん……ですね」
記入された書類を確認した受付嬢が、ふと顔を上げた。
「お二人は、ご兄妹ですか?」
「はい。僕が兄です」
「そうなんです!」
トワが元気よく答える。
「防人の修行の一環で、今日から二人で冒険者になるんです!」
「まあ、それは素敵ですね」
受付嬢は微笑んだ。
「ただ、冒険者のお仕事は危険も伴います。最初は簡単な依頼から始めることをおすすめしますよ」
「もちろん危険は覚悟の上です!」
トワは胸を張って告げる。
「私たち、ちゃんと修行してきたので!」
「トワ」
僕の小さな呼びかけに不思議そうに振り返る。
「なに?」
「父さんの話、覚えてる?」
「……あ」
トワは気まずそうに目を逸らした。
受付嬢が不思議そうに二人を見比べる。
「何かございましたか?」
「いえ、こっちの話です」
受付嬢へにっこりと笑いかける。
登録手続きはすぐに終わり、二人の前に新品の冒険者証が差し出された。
まだ何の実績も記されていない、小さな証。
トワはそれを両手で丁寧に受け取った。
「……ノア」
「うん?」
「私たち、ついに冒険者になったんだね」
さっきまでの威勢のよさとは違う、しみじみとした声だった。
彼女が嬉しそうに冒険者証を眺める姿を見ていると、自分まで胸がいっぱいになってくる。
「うん。なったね」
僕たちは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑った。
ここから始まるんだ。
父や母から聞いた英雄譚でも、寝る前に想像していた空想の冒険でもない。
僕たち自身の物語が。
僕たちは冒険者証を大切にしまいながら、壁いっぱいに並ぶ依頼書へと視線を向けた。
「さて、最初の仕事は何にしようか?」
「もちろん、魔物討伐!」
「……さっき簡単な依頼からって言われたばかりだよね?」
「大丈夫! 簡単な魔物を選べばいいんだから!」
自信満々に胸を張る妹を見て苦笑する。
どうやら、退屈とは無縁の冒険者生活になりそうだった。




