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終末戦線アストライア  作者: 雨池葉耶
第一部 第一章「冒険の始まり」

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未知への一歩

 階段を駆け下りると、食卓には焼きたてのパンと温かなスープ、それに色とりどりの野菜が並べられていた。


「「おはよう、お母さん!」」


「二人ともおはよう。それとトワ、十五歳のお誕生日おめでとう」


「ありがとう!」


 トワは母の手を掴んではしゃいでいる。


「それで、準備は終わったのかしら?」


「ばっちり!」


 そう言って胸を張るトワの背後で、僕はそっと首を横に振る。


「あらあら」


 母の反応で何かを察したトワがこちらを振り向いた。


「もう終わったってば!」


 母は口元に手を添えて笑うと、二人に席へ着くよう促した。


 食卓の奥では、父のアインツが既に朝食を終えかけていた。


「ようやく来たか。今日くらいは早起きすると思っていたんだがな」


「起きるのは早かったもん!」


「じゃあ、何にそんな時間がかかったんだ?」


「女の子には色々あるの!」


「そうか。そいつは父さんには分からんな」


 あっさりと引き下がる父に、トワは勝ち誇ったような顔をする。


「まぁなんだ、ミリアの若い頃は、出発の五分前まで寝ていたもんだが……」


 母がむせた。


「アインツ?」


 母が落ち着いた様子で口元を拭い、父に向ってにっこりと微笑む。


 父は何事もなかったかのように黙ってスープを口に運んだ。


 僕もトワもその様子を見ながら、笑いを堪えるのに必死だった。


 こういう光景も、しばらくは見られなくなるのだろう。


 そう思うと、ほんの少しだけ寂しさが胸をよぎる。


「どうしたの?」


「ううん。何でもないよ」


 僕が首を振ると、トワは不思議そうに瞬きをした。


 けれど、それ以上は追及せず、目の前のパンに手を伸ばす。


 いつもと変わらない賑やかな朝食だ。


 母の作る料理は美味しくて、父は相変わらず余計なことを言って、トワはよく喋る。


 だからこそ、今日が旅立ちの日だという実感がまだ湧かなかった。


「そういえば、二人とも」


 食事が一段落したところで父が口を開いた。


「装備はどうだ。違和感はないか?」


「うん。ぴったりだよ」


 僕は両手を握ったり開いたりしてみせた。


 手甲には適度な重みがあるものの、拳の動きを妨げることはない。脚甲も同様で、足を動かすたびに身体の一部になったかのような感覚があった。


「さすがはグニルだな。腕は落ちていないらしい」


「グニルさんって、お父さんのお友達なんだよね?」


「ああ。昔、一緒に冒険していたことがあってな。腕のいい鍛冶師だよ」


「いつか会ってみたいな」


「冒険者を続けていれば会えるさ。なかなかに面白い男だぞ」


 どこか懐かしそうに笑う父を見て、僕は装備に刻まれた小さな印へ視線を落とした。


 炎を思わせる鍛冶師の刻印。


 遠い火の国から、自分たちのために届けられた品だ。


「私の弓も手に馴染んですっごくいい感じ!」


 トワが嬉しそうに言う。


「まだ本格的には使ってないけど、魔素の通りが全然違うの。早く試してみたいなあ」


「家を出るまでは駄目よ?」


「分かってるってば」


 母の柔らかな口調に反論の余地はなかった。


 トワは頬を膨らませている。


「それにしても」


 父が改めてトワを眺める。


「その格好をしていると、本当に昔のミリアにそっくりだな」


「そう?」


「ああ。髪の長さが違うくらいか」


 トワは自分の長い髪をひと房つまんだ。


「じゃあ、短くしたらお母さんに間違われちゃう?」


「かもしれんな」


「もう、アインツったら」


 母が楽しげに笑う。


「でも案外、髪の長さを合わせるだけで本当に気付かないかもしれないわね」


「今のミリアとトワなら、さすがに分かるぞ」


「どうかしら?」


 夫婦のやり取りに、トワが声を上げて笑った。


 僕もつられて笑う。


 母と妹がよく似ていることは、今に始まった話ではなかった。


 顔立ちだけじゃない。笑ったときの声や、ふとした仕草までよく似ている。


「さて」


 父が椅子から立ち上がる。


「支度が済んだら、最後に少し付き合え」


「え、稽古?」


 トワが目を輝かせる。


「いや、さすがに今日はやらん。見送りのついでにちょっと話をしておきたい」


 そう言って父は玄関へと向かった。


 僕とトワは顔を見合わせ、慌てて残りのパンを口に詰め込んだ。


     *


 家の外には、朝の霧がまだ薄く漂っていた。


 木々の間から差し込む陽光が、白いもやを淡く照らしている。


 物心ついた頃から、ずっと見てきた景色だ。


 けれど、今日に限ってはその一つひとつが、妙に鮮やかに感じられた。


「二人とも、いよいよ出発だな」


 父は門の前で立ち止まった。


「うん!」


「待ちに待った……ね!」


「なら、出発する前に改めて言っておく」


 いつになく真剣な声音だった。


「冒険者ってのは、強ければ何をしてもいい仕事じゃない。依頼を受ければ、自分以外の命を預かることもある」


 僕たちは黙って父の言葉を聞いた。


「だから、自分に何ができて、何ができないのかを知っておけ。無理だと思ったら、引くことも忘れるな」


「私たち、ちゃんとやれるよ?」


「ああ。お前たちは十分強い。そこは父さんが保証してやる。だが、世界にはもっと強いやつがいくらでもいる」


 父は二人を順番に見た。


「だから、無茶をするな。何かあったら必ず、二人で相談すること。一人で抱え込むなよ」


「「うん、分かった!」」


 僕に比べて、トワは勢いよく頷いていた。


「お前は本当に分かってるのか?」


「分かってるってば!」


 父は困ったように笑っていた。


 それから、僕へと視線を移す。


「ノア」


「うん?」


「トワを頼むぞ」


「うん。もちろん」


 考えるまでもなく即答する。


 すると父は、少しだけ眉を下げた。


「……お前自身のことも大事にしろよ」


 思いがけない言葉に、僕は瞬きをする。


「うん。分かってるよ」


「ならいい」


 父はそれ以上何も言わず、大きな手で僕の頭をくしゃりと撫でた。


「ちょっと、父さん。子供じゃないんだから」


「十五になったところで、俺にとっちゃまだまだ子供だよ」


 笑いながら、今度はトワの頭にも手を伸ばす。


「きゃっ! せっかく整えたのに!」


 口では抗議しながらも、嬉しそうに笑う妹を見て僕は吹き出した。


 その後ろから、旅の荷物を抱えた母が歩いてくる。


「二人とも、忘れ物はない?」


「ない!」


「お財布は?」


「ある!」


「お薬は?」


「入れた!」


「替えの服は?」


「……あっ」


「トワ?」


「い、入れたよ! 昨日! たぶん!」


 明らかに怪しい返事だった。


 母は小さくため息をつき、僕へ目を向けた。


「ノア、お願いね」


「うん。ちゃんと確認しておくよ」


「ノアまで!」


 トワが不満そうに声を上げる。


 鞄の中を確かめると、替えの服はきちんと入っていた。


 その様子を見てみんなで笑う。


 そして、別れの時間が訪れた。


 僕は肩に鞄を掛け直し、家族の顔を見渡した。


「それじゃ、行ってくるよ」


「行ってきます!」


 母が僕たちを優しく、それでいて強く抱き締める。


「気をつけてね。何かあったら、いつでも帰ってきていいんだから」


「うん」


「ちゃんと手紙も書くのよ」


「分かってる!」


 父は腕を組んだまま、満足そうに頷いた。


「行ってこい」


 僕とトワは揃って、大きく手を振る。


 家を離れ、霧の聖域を抜ける道へと歩き出した。


 何度も振り返るトワにつられ、僕も後ろを見る。


 両親は、まだ門の前に立っていた。


 両親の姿が木々に隠れるまで、僕たちは手を振り続けた。


「……ねえ、ノア」


「なに?」


「私たち、本当に冒険者になるんだね」


「そうだね」


「まずはフーガの街で冒険者登録をして、それから依頼を受けて……」


 トワは指を折りながら、これからの予定を考え始める。


 その声には、抑えきれない期待が滲んでいた。


 隣を歩く妹を見て小さく笑う。


 まだ何も始まっていない。


 それでも、胸は不思議なほど高鳴っていた。


「ねえ、トワ」


「ん?」


「競争しよう。街道まで」


「えっ?」


 僕は返事を待たずに駆け出した。


「あっ、ずるい!」


 背後から元気な声が響く。


 ほどなくして、軽やかな足音がすぐ隣へ追いついてきた。


「絶対負けないから!」


「僕だって!」


 二人の笑い声が、朝霧の残る森に響き渡った。


 こうして、僕たちの初めての冒険が幕を開けた。


【霧の防人の里】

ノアとトワが生まれ育った場所であり、水の大陸北東部に位置している『霧の聖域』とも呼ばれている場所である。自由の神ゼフィリオンの神器が祀られており、族長アインツ・ミストベールを筆頭に、神器の守護の役目を担っている。

霧と同様に、世界には全8つの聖域があり、それぞれを守護する防人一族が存在する。

水の大陸:霧の聖域・水の聖域

風の大陸:空の聖域・風の聖域

火の大陸:時の聖域・火の聖域

土の大陸:茨の聖域・土の聖域

例外として、希望の神アウレイアの神器は中央大陸のルミナリクス聖堂にて保管されており、防人および巫子の血族は王族に統合されている。

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