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終末戦線アストライア  作者: 雨池葉耶
第一部 第一章「冒険の始まり」

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初めての依頼

「これなんてどうかな?」


 指差したのは、掲示板の隅に貼られた一枚の依頼書だ。


『指定された薬草の採取。十株一束につき報酬は銀貨一枚』


「……薬草採取?」


 トワの声が露骨に沈む。


「うん。街からそう遠くない森みたいだし、初めての依頼にはちょうどいいんじゃない?」


「でも、ノア。私たち冒険者だよ?」


「そうだね。でもこう見えて薬草採取の中ではだいぶ高額な報酬なんだよ、ほら」


 他の採取依頼の紙を示して見せる。


「えー、冒険者って魔物と戦ったり、秘境を探検したり、そういうことをするんじゃないの?」


「薬草を探すのも冒険者の立派な仕事じゃないかな。薬草採取だから安全ってわけでもないし」


「うーん……」


 トワは難しい顔で腕を組んだ。


 その視線が、隣に貼られた依頼書へ移る。


『東街道周辺の魔物討伐。対象、グレイウルフ五体以上』


「それじゃあこっちは?」


「狼かあ」


「これなら私たちでも大丈夫でしょ?」


「んー……たぶんね」


「じゃあ決まり!」


 トワは勢いよく依頼書を剥がそうとした。


 しかし、その手が紙に触れるより早く、横から伸びてきた大きな手が依頼書を押さえた。


「おいおい、嬢ちゃん。そいつはやめときな」


「え?」


 振り返ると、そこには革鎧を着込んだ壮年の冒険者が立っていた。


 頬には古い傷があり、腰には使い込まれた剣を提げている。


「見ない顔だな。今日登録したばっかりか?」


「はい!」


「だったらなおさらだ。魔物を舐めちゃいけねえ」


 男は掲示板を指で叩いた。


「一匹ならともかく、群れで動くやつらは厄介だ。おまけに最近は妙に気が立ってやがる」


「気が立ってる?」


 せっかくなので聞いてみる。


「ああ。普段は人を避けるような連中まで街道に出てきてる。何があったんだか知らねえが、あまりいい傾向じゃねえな」


 男はそう言うと、あまり汚れていない僕たちの装備をひととおり眺めた。


「ま、見たところ遊び半分ってわけでもなさそうだが。初日くらいは無難にいっとけ」


「……はーい」


 トワは渋々手を引っ込めた。


 男は満足そうに頷き、その討伐依頼の用紙を剥がすと、そのまま仲間の待つテーブルへ戻っていった。


 僕は改めて薬草採取の依頼書を見る。


「ということで、こっちにしようか」


「……分かった」


 トワの肩ががっくりと落ちる。


「そんなに落ち込まなくても」


「だって、せっかくの初依頼なのに」


「森に行けば、魔物に会うこともあるかもしれないよ」


「ほんと?」


「会わない方がいいんだけどね」


「もう、ノアったら!」


 ようやく笑顔を取り戻した妹を見て、小さく息をついた。


 どうやら、初仕事を無事に終えるよりも、まずはトワを納得させる方が大変らしい。


     *


 依頼の受付を済ませ、さっそく街の外へ向かった。


 指定された森はフーガの北東にあり、徒歩でも日帰りできる距離だ。


 街道から少し外れると、道は土と草に覆われた細い獣道へ変わった。


「ねえ、ノア」


「なに?」


「薬草って、どんなところに生えてるんだっけ?」


「依頼の薬草は、日当たりがよくて少し湿った場所だったかな」


「じゃあ、あっちかも!」


 トワが指差したのは、木々の隙間から陽光が差し込む小さな斜面だった。


 近くには細い沢が流れている。


「確かにここならありそうだね」


「でしょ!」


 斜面へ歩み寄り、足元の草をかき分ける。


 ほどなくして、トワが声を上げる。


「あった!」


 彼女が摘み上げたのは、丸みを帯びた葉を持つ小さな植物だった。


「これだよね?」


「うん。たぶん」


「たぶん?」


「ちょっと待って。図鑑持ってたでしょ」


 トワの鞄から小さな冊子を取り出した。


 母が持たせてくれた、薬草と毒草の見分け方をまとめたものだ。


 ページをめくり、トワが手にした草と見比べる。


「……あ」


「どうしたの?」


「これ、違うみたい」


「ええっ!?」


「葉っぱの裏が赤いでしょ。こっちは触るとかぶれることがあるんだって」


 トワは慌てて草を放り投げた。


「うそ! 大丈夫かな!?」


「ちょっと触ったくらいなら平気みたいだけど……」


「ノア、そういうことは早く言ってよ!」


「今調べたんだから無理だよ」


 僕は苦笑しながら、水筒を差し出す。


 トワは沢から少し離れた場所で手を洗うと、改めて気合いを入れ直した。


「よし! 今度こそ!」


「ちゃんと確認してから摘もうね」


「分かってる!」


 それからしばらく、二人で森を歩き回る。


 薬草は思ったほど簡単には見つからなかった。


 似た形の草は多いし、ようやく見つけても虫に食われていたり、採取にはまだ早かったりする。


 それでも、何度か繰り返すうちに見分けるのが上手くなってきた。


「これで九株!」


 トワが嬉しそうに数えている。


「あと一つだね」


「よーし、もうちょっと!」


 そのときだった。


 トワが指を立て、警戒の合図を送ってきた。何か物音を拾ったらしい。


 耳を澄ますと、草を踏み分けるような、ほんの小さな足音が聞こえた。


「……ノア」


「ん?」


「何かいる」


 トワが声を潜め、僕も茂みへ目を凝らす。


 先ほどまでの浮かれた様子は消え、トワの手が自然と背中の弓へ伸びた。


 茂みの奥から、低いうなり声が聞こえてくる。


 警戒して観察していると、一匹の狼が姿を現した。


 灰色の毛並み。


 黄色く濁った瞳。


 普通の狼よりも一回り大きな身体。


「グレイウルフ……」


 トワが呟いた。


 狼は二人を睨みつけ、牙を剥いた。


「ノア、どうする?」


「できれば追い払いたいけど」


 周囲へ目を向けてみる。


 この一匹だけ……いや、違う。


 茂みの向こうに、もう一つ気配がある。


「……二匹いるね」


「うん。私も見えた」


 二人はゆっくりと後ずさり距離を取ろうと試みる。


 しかし、狼たちは逃がすつもりがないらしい。


 一匹が正面で牙を剥く間に、もう一匹が右へ回り込んでくる。


「トワ。右をお願い」


「了解!」


 トワに指示を出し、両腕を軽く構える。


 手甲が木漏れ日を受けて鈍く輝いた。


 その瞬間、正面の狼が飛びかかってきた。


 鋭い牙が喉元へ迫る。


 半歩だけ身体をずらしてギリギリで避ける。


 狼の牙が空を噛んだ。


 続けて、隙だらけの横腹へ拳を叩き込む。


 手応えはあった。けれど、当たる直前に身をひねられ、当たりが浅くなった。


 それでも狼は吹き飛び地面を転がった。


「っと」


 軽く息を吐いて体勢を整える。


 その一方で、トワも既に弓を構えていた。


 弦へ魔素を流し込むと、淡い光を帯びた矢が形作られる。


 放たれた矢は、木の幹を蹴って跳び上がった狼を追うように、わずかに軌道を変える。


 衝突と同時に光が走った。


 狼は空中で姿勢を崩し、地面へ落ちたまま動かなくなった。


「よしっ!」


 トワが小さく拳を握る。


 しかし、喜ぶのはまだ早かった。


 僕が殴り飛ばした狼が、ふらつきながらも立ち上がったのだ


「ノア!」


「大丈夫」


 僕は狼へ向き直り、間合いを詰める。


 狼が再び飛びかかろうとした瞬間、低く踏み込んで顎を打ち上げた。


 今度こそ、狼は動かなくなった。


 森に静けさが戻ってくる。


「……終わった?」


 トワが辺りを見回した。


「たぶん」


 念のため周囲の気配を探るが、先ほどまで感じていた敵意はもうない。


「ふう……」


 トワは大きく息を吐き、すぐにぱっと笑顔になる。


「やったね、ノア!」


「うん。怪我はない?」


「全然!」


「よかった」


 二人は顔を見合わせた。


 冒険者としては初めての魔物との戦闘。


 それは、想像していたよりもずっと短く、あっけないものだった。


「……ねえ」


 トワがにやりと笑う。


「薬草採取でも、魔物と戦えたね!」


「そうだね」


「ほら、やっぱり冒険って感じ!」


「……トワは本当に楽しそうだね」


「もちろん!」


 胸を張る妹を見て、思わず笑みがこぼれる。


 足元には、踏み荒らされた草が散らばっていた。


 その中に、目的の薬草が一株。


「あ、十株目」


「えっ?」


「よし、これで依頼達成だね」


 摘み取った薬草を差し出すと、トワは一瞬きょとんとして、それから声を上げて笑った。


「なんだか、最後だけ簡単だったね!」


「本当だね」


 採取した薬草を鞄へしまい、足元の狼へ目を向ける。


「それよりこの狼どうしよっか」


「持って帰らないともったいないよ!」


 結局、二人で獣臭い大きな荷物を抱えて帰路につくことに。


 森の出口へ向かう途中、僕は一度だけ振り返った。


 木々の奥は、昼間だというのに薄暗い。


 どこか遠くで、獣の遠吠えが聞こえた。


 先ほどの冒険者が言っていた言葉が、ふと頭をよぎる。


 ――最近は、妙に気が立ってやがる。


「ノア?」


 少し先を歩いていたトワが振り返る。


「どうしたの?」


「……ううん。何でもない」


 僕は首を振り、妹のもとへ駆け寄った。


 街へ戻れば、初めての報酬が待っている。


 今はそれだけで、十分に胸が弾んでいた。

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