灰色の空
* * *
それから──どれくらいの時間が経っただろう。
聞こえてきたのは、低い振動音だった。遠く、山の向こうから。
若月は最初、風の音だと思った。しかし──違う。一定のリズムがある。「──あれ」
森川が素早く顔を向けた。目を細め、稜線の向こうを見つめる。
氷室も、引き寄せられるように立ち上がった。
音は次第に大きくなった。はっきりと分かる。規則的で、重い、鋼鉄の響き。
「──ヘリ」若月が、声にならない声で言った。
小さな黒い点が近づいてくる。大きくなっていく。回転翼の音が、山の静寂を切り裂いていく。
「ヘリだ──!」森川が叫んだ。
「ここです──! ここにいます──!」氷室も、声を限りに叫んでいた。
三人は並んで、手を振った。大きく、力の限り。腕が千切れそうなほど振った。
そして機体が──こちらへ向いた。三人の息が止まった。
向きを少し変えて、真っ直ぐにこちらへ来ている。
三人は、互いの顔を見た。
何も言わなかった。ただ、目を見開いて頷いた。
ヘリはだんだんと近づいた。そして、近くの開けた斜面へ向かって、ゆっくりと高度を下げ始めた。
「走りましょう」氷室が言った。
三人は走った。ロープに繋がれながら。
衰弱し切っていた足で、斜面を駆け下りた。
膝が笑う。息が乱れる。
それでも足は止まらなかった。
ヘリは斜面の端、平らな場所へゆっくりと降りていく。風圧が来た。草が押し伏せられ、髪が顔に叩きつけられた。
機体が地面に触れた瞬間、扉が開いた。
オレンジ色の救助服を着た人間が飛び出してきた。
「生存者──三名確認!」
その声が、風の中で心地よく響いた。
次々と人が降り、ジェットシューターで消火活動にあたる。
森川が駆け寄り、山荘の方を指差し、状況を説明する。
若月の膝が、折れた。そして泣いた。安堵の涙だった。
氷室が若月の肩に、そっと手を置いた。そして、「よかった」そう呟いた。
* * *
山火事は無事に消し止められた。
森川が想定した通りの範囲内で火は収まった。
三人は、衰弱しているため、病院に搬送された。五人の遺体も回収され、警察から遺族への連絡が滞りなく行われた。
──救助されてから、三日後。病院。
森川は、眠っていた。
低い声がたまに聞こえて、何かにうなされているようだった。
若月の病室では、看護師が朝刊を持ってきていた。
「グリーンライフ事件 全貌──五人死亡」と、一面の見出し。
若月はそれを読まなかった。窓の外の、灰色の空を、ただ見ていた。
隣の病室で氷室が警察官と話していた。
「ええ、お話しします。事件発生から救出していただくまで、覚えている全てを、順番に」
* * *
──朝刊一面:「山荘で五人死亡 投資ファンド代表含む 生存者は三名」
──夕刊:「警察、自殺・他殺の両面で捜査 現場は陸の孤島」
──SNS:「グリーンライフサミット、マジで何があったの……怖すぎる」
──SNS:「グリーンライフって詐欺だったの!? 投資した私の老後どうしてくれる」
──SNS:「あの若月千尋さん、SNS止まったままだけど大丈夫? みんな心配してる」
──テレビニュース:「事件発生から二週間。警察は……」
──週刊誌:「美しき生存者・氷室玲奈の素顔」
──ネット記事:「グリーンライフ事件 投資家からの問い合わせが、各証券会社に殺到」
次々と世間を騒がしている中で、警察の調査は粛々と行われた。
結果としては、生存者三名は、いずれも嫌疑なしと判断された。
三人の証言は、一人ひとり別々に聴取されたが、一致しており、不審な点は見当たらなかった。検死による死亡推定時刻、監視カメラの映像、残されたメモや記録、軟禁されていた痕跡──それらを突き合わせ、三人のアリバイは証明された。
黒木、白石、赤沢、桑原の四人は毒で死んでいるため自殺説も多かった。神崎は刺殺だったが、死んだ四人の誰かが神崎を殺し、その後で自殺したのではとの見解も示された。外部犯の可能性も捨てきれなかったが、その後の捜索活動でも見つからず、いたとしても崖から転落した可能性も示唆され、やがて捜査も打ち切られた。
ニュースになった最初の頃は、なんて悲惨な事件と憐れむ声が多数聞かれた。しかしグリーンライフファンドが詐欺ファンドであり、さらに氷室の証言によって、その前のサンライズファンド事件も起こしていた詐欺集団だと明るみに出た途端、天罰であるという世論に変わっていった。
そしてグリーンライフファンドは解散した。
百億円あったファンドの残金は全額、投資家に返金された。不足分は、氷室の差配で、神崎や赤沢の遺品──不動産、車などを売却して補った。結果、誰ひとり損をすることなく、投資家は資金を回収した。
やがて世間はグリーンライフファンドのことを忘れていった。




