九日目の快晴
* * *
外の雨は、いつの間にか止んでいた。
だが霧は濃く、窓の向こうは白一色に塗り込められている。
沈黙を破ったのは氷室だった。
「残り三人という状況で今さら何を、と思われるかもしれませんが……私は、犯人はこの中にいないと考えています」
「はい、私も同じ考えでございます」森川が言う。「赤沢さんと桑原さんが殺される前、ここにいる誰もが完璧なアリバイを持っておりました。そして二人が殺された夜も、私たちは皆、リビングで寝ておりました」
「……そうですね。私たちに、二人を殺すことなんてできないと思います」若月も同意する。
氷室が続ける。「まず赤沢さんですが、夕食のとき、あのコップで水を飲んでいるのを私たち全員が見ています。確か夜の七時。犯人が毒を塗ったのは、それより後です」
「その後片付けのあと、一度もキッチンに行っていない私たちには、無理ですよね」若月が頷く。
「夜、一緒に見張りをしておりましたのは桑原さんです。強いて言えば、桑原さんであれば毒を入れることもできたのかもしれません」森川が言う。
「それなら、赤沢さんを殺したのは桑原さんですか? でも、その桑原さんも殺されていますよね?」若月が首をかしげる。
「桑原さんにも完璧なアリバイがありました。犯人ではないでしょう」氷室が言う。
「それなら、やっぱり犯人は外の人間ということになりますよね……でも、どうやって? どこからも入れないようにしていたはずですよね」若月が言う。
「玄関でしょうね」氷室が答える。「桑原さんが亡くなったあと、玄関は開いたままでした」
「私も、玄関しか考えられないと思っております」森川が頷く。
「なら犯人は、ずっと外で待っていたんですか? それで、出てきた桑原さんに毒入りの葉巻を渡して殺した……? でも、知らない人から渡された葉巻を吸うとは思えませんし、人影が見えたらすぐ私たちに知らせるはずですよね。ちょっと、現実的じゃない気がします……」若月は不思議がる。
「あらかじめ、葉巻のほうに毒を塗っておいたんです」氷室が言う。「犯人は以前に忍び込んだとき、葉巻に毒を仕込んでいた。そして誰かがそれを吸うのを、外でずっと待っていた」
「私もそう思っております」森川が言う。「二階の喫煙所や裏口が閉鎖されているのは、外からでも分かります。それに玄関の鍵は、外からは掛けられません。葉巻を外で吸っている間、鍵は開いたままになります」
「えっと……それで、桑原さんが死んだのを見届けてから、玄関からキッチンに忍び込んで、コップに毒を塗った──ということですか?」若月が言う。
「そうね。そしてすぐに玄関へ戻って脱出した。リビングには、自分の仕掛けた監視カメラがまだあると思って、近づかなかったのかも」氷室が言う。
「あ、なるほど……それなら、全部繋がりますね」若月の声のトーンが、ふっと明るくなった。氷室と森川が犯人ではないと、安心できたようだ。
森川が声を張る。「では、今すぐキッチンの食器を全て煮沸いたしましょう。未開封の紙コップや紙皿、割り箸がございますので、食事にはそちらを使うのがよろしいかと」
三人はキッチンへ移り、手分けして全ての食器を消毒した。テーブルも、コンロも、床も、徹底的に磨き上げる。互いを繋ぐロープが絡まり、引っ掛かるたびに、誰かがよろめいた。
途中、若月が一度だけ流しの縁に手をつき、目を閉じた。疲労困憊。それは、三人ともが同じだった。
「ロープ、一度外しておきましょうか?」森川が二人に尋ねる。
「いえ、つけたままにしておきましょう」若月が言う。
「私も、そのほうがいいと思います。疑っているわけではありませんが……このままのほうが、安心できますから」氷室も賛成する。
「承知いたしました」森川は素直に頷いて、作業へ戻った。
一通り作業を終えて、三人はリビングに戻った。未開封の二リットルのペットボトルを一つ持ってくる。
ペットボトルは水が入ったまま、逆さにしてフタの部分を熱湯で煮沸して消毒済み。もはや毒がどこに塗られているか分からず、全てにおいて慎重になる。
未開封の紙コップを開けて、水を注ぐ。
森川がまずはコップに指を入れて、水をつけて皮膚に塗る。三十分待つ。変化なし。
次は水を指につけて恐る恐る舐める。氷室と若月が心配そうに森川の顔を覗き込む。
森川は舐めた後で、目を瞑る。
少しして、頷く。異常なし。
そっと一口飲む。三十秒待つ。
なんともない。
「大丈夫でございます。皆様もどうぞお飲みください」森川が勧める。
氷室と若月は新しいコップに水を入れて一口飲む。違和感も何もない。そして一気にゴクゴクと飲み始めた。
「水が飲めて本当によかったです」氷室が安堵の表情を浮かべる。
「はい、これで当面の命は持ちます。食料も慎重に調べていきましょう」森川が真剣な表情で言う。
そうして一通り、毒の調べが終わり、三人はリビングに閉じこもった。
ロープでお互いを繋いでいる。何を話すでもなく、外を警戒する。
昼になり、急に天気が回復した。
これまでの悪天候が嘘のように霧が晴れ、遠くの景色が良く見える。
「綺麗ね」氷室が言った。
「本当ですね、こんなに綺麗なんですね」久しぶりに見る晴れた景色に若月は息を飲んだ。
「この大自然の雄大な景色が、この施設の売りであったのですが」森川が呟く。
九日目にして初めての快晴。
空の青。地の緑。山の黄と赤。ガラス張りの窓一面に色が溶け合い、雄大な秋の風景が絵画のように広がっている。
青天にさえずる鳥、葉を撫でる風、遠くの沢のせせらぎ、梢のざわめき、名残の虫の音──自然の奏でるその調べは、五人の死者を抱える山荘の中で、残酷なほど清冽に響いていた。




