……その通りです
第九章 観察者
翌朝、六時半を過ぎてもリビングに白石の姿はなかった。
赤沢、桑原、氷室の三人は、淹れたてのコーヒーを前に黙って待っていた。
六時四十分になった。
「おかしい……」桑原が立ち上がった。「白石さん、こんなに遅いことはなかったぜ」
三人で白石の部屋へ向かった。ドアをノックする。返事がない。もう一度。やはり沈黙。
「白石さん」赤沢が声を張る。返事がない。
開けるしかない。三人は目を合わせ頷いた。
桑原がドアノブを回した。鍵がかかっている。力ずくではとても開きそうにない。
「マスターキーは?」桑原が聞く。
「確か森川さんが持ったままです」氷室が答える。
桑原は急いで松の部屋に行く。
「森川さん、起きているか?」大きな声を出す。しばらく待ったが反応がない。
「森川さん、起きてください」駆けつけた氷室も叫ぶ。
反応がない。
「まさか、お二人とも?」赤沢が心配する。
ドン、ドン、ドン。扉は家具で塞がれているので、桑原がすぐ横の壁を思い切り叩く。「森川さん、森川さん!」
「……すみません。寝てました、どうかしましたか?」若月の声が聞こえる。
「森川さんは起きてるか? マスターキーが欲しい」桑原が言う。
「森川さん、今起こしますね」若月の声は通っていて至って自然だ。動揺などは見られない。
少しして森川の声が聞こえた。
「おはようございます。すみません、今起きました。何かあったのですか?」
「森川さん、緊急事態だ。マスターキーを貸してくれ」桑原が言う。
「はい、マスターキーはありますが……。何かあったのですか?」
「白石さんが起きてこない」
「え? それは心配ですね、これです。よろしくお願いします」
桑原は家具の隙間からマスターキーを受け取ると、足早に白石の部屋に行った。
扉の前で、桑原は一瞬、手を止めた。鍵を差し込む前に、耳を澄ます。部屋の中からは、何の音もしない。寝息も、呼吸も、衣擦れも──何もなかった。桑原の心臓が、自分でも聞こえるほど大きく鳴っていた。
カチャ。
扉が開いた瞬間──強い異臭が漂ってきた。
白石が、机の脇の床に倒れていた。口の周りに白い泡の痕跡。唇は、うっすらと紫色に染まっている。机の上には書きかけの便箋が広げられたまま。「……決して叶わない恋──」。その先は、インクが滲んで読み取れなかった。
桑原は呆然とした。
「そんな……白石さん」赤沢が驚く。
「──また毒」氷室が呟いた。「黒木さんのときと同じ手口です」
三人は無言で立ち尽くした。白石が死んだ。三人目だ。
「お二人にも知らせましょう」赤沢がかすれた声で言った。
三人で廊下を進み、家具の隙間から声をかけた。
「森川さん。若月さん」氷室が声を掛ける。
「──はい」森川の声がすぐに返ってきた。「白石さん、ご無事でしたか?」
「白石さんが殺されました。犯人は分かりません」氷室が状況を告げる。
しばらくの沈黙。
「……嘘でしょ」若月の声が震えた。「また誰か殺されたんですか? 一体どうして──。ちなみに私たちは一歩も出ていません。本当に、一歩も」
桑原が積み重ねた家具を確かめた。タンスも、机も、角材のつっかえ棒も──微動だにしていない。完全に密閉されていた。
「二人はずっとここにいた」桑原が言った。「間違いない」
三人が顔を見合わせた。
森川と若月にはアリバイがある。松の部屋から一歩も出ていない。
それ以外の誰かが白石のコップに毒を入れた。そして白石は毒が入っているとは知らずに、自分の部屋にコップを持ち込み水を飲んだのだ。そうとしか考えられない。
昨夜、夕食後にコップを洗って用意したのは赤沢だった。しかしその後、ダイニングテーブルには全員の飲みかけのコップが置かれていた。誰もが、その場に来る機会があった。そしてそれらにはそれぞれ柄があり、白石のものはヒマワリだと皆分かっていた。
「この中の誰かが……」氷室が静かに言った。「白石さんを殺したのですか?」
三人は互いを見つめ合った。疑惑と恐怖が、それぞれの顔を歪めた。
そのとき、松の部屋から声が上がった。
「出してください!」森川の声だった。「白石さんが殺されたなら、これは緊急事態でございます。私たちは犯人ではございません。それは証明された。お願いです、出してくださいませ」
三人は目を合わせた。
「……その通りです」赤沢が言った。
桑原が黙って家具をどかし始めた。




