救助が間に合うかもしれませんわね
第八章 狂愛
「隔離の場所は、松の部屋にいたしましょう」赤沢が二階の見取り図を見て言う。「森川さんの部屋です」
「なぜ私の部屋が──」森川が眉をひそめる。
「階段を上がって一番手前の部屋だからです」赤沢が答えた。「若月さんの部屋は奥にある。何かあったときに駆けつけるなら、手前の方がいい。それに部屋を分けると手間も増えるので、一か所でまとまってくださる方がありがたいですわ。ご理解くださいませ」
若月は言葉を飲み込み、黙って頷いた。森川は四十三歳の男性、若月は二十八歳の女性。男女が同じ部屋に閉じ込められることに、抵抗がなかったわけではない。だが、そんなことを言う状況ではないことは理解していた。
全員で松の部屋へ向かった。
「少し待ってください」若月が足を止めた。「荷物を取ってきます」
「桑原さん、一緒についていって差し上げてください」赤沢が言う。
桑原が無言で若月に続いた。数分後、若月がバッグを抱えて戻ってきた。
二人は部屋の中に入る。振り返り、少し恨むような表情で四人を見る。
氷室が一歩前に出て、紙袋を差し出した。「食料です。朝食でツナ缶を一缶。お皿とスプーンも入っています」
「ありがとうございます」森川が淡々と受け取る。若月が氷室を見たが、何も言わなかった。
扉が閉まった。
廊下に残った四人は、しばらくの間、無言で扉を見つめた。
「やろうぜ」桑原が口を開いた。
四人が動き始めた。廊下の備え付けの棚、重い木製の机、椅子──使えるものを全て引きずってきて、扉の前に積み上げていった。扉は内開きだ。外から鍵をかけることはできない。しかし、内側から出ようとしても、これだけの重量と嵩が、大きな隙間もなく壁のように立ちはだかれば、実質、外に出ることは不可能に近い。
さらに桑原が備品倉庫から数本の角材を見つけてきて、隙間に差し込んでつっかえ棒にした。一本、また一本と追加していく。
「これで大丈夫ですかね」氷室が家具を押しながら確認する。
「大人二人が全力で押しても──」桑原が揺すって確かめる。「無理だぜ」びくともしなかった。
家具と家具の隙間には、わずかなスペースが残してあった。ドアを開ければ、会話ができる。薄い隙間から、食料程度なら手渡しもできる。完全な遮断ではない──しかし、自由に出ることはできない。
「これで」赤沢が小声で言った。「私たちの安全も守られますわ」
* * *
四人はリビングに戻った。
ソファに腰を下ろし、一息ついた。暖炉に新しい薪をくべると、火がゆっくりと燃え広がる。その橙色の光が、四人の顔を照らし出した。
「さて」桑原が肘掛けに肘をついた。「これからどうする」
「天気が回復したようですし……山菜でも採りに行きませんか。もうお腹が空いて……」白石が言った。
「いえ、まずは休むべきかと」氷室が言う。「二人を隔離して少し安心できたので。それに食料については報告があります」
「報告とは?」赤沢が聞く。
「……こんなことは申し上げたくないのですが」氷室が、森川の残した食材リストを見て低い声で言った。「神崎さんと黒木さんが亡くなって──食料に、少し余裕が出ました」
誰も反論しなかった。薄情だと思う気持ちより、生き延びなければという気持ちの方が、今はどうしても勝ってしまう。
「改めて計算すると」氷室が続ける。「もともとは、あと六日分だと思っていました。ですが今は二人減って六人。単純計算であと八日分ほどはありそうです」
「八日分」赤沢が繰り返した。
「今日はここに来てから五日目です。八日分あれば十三日目まで食料が持ちます。十四日目の朝から水だけで持ちこたえることになる。ただ二十一日目まで残り一週間。その一週間を耐えれば救助が来る可能性があります」氷室が言う。
桑原が天井を見上げた。「あれだけ派手に宣伝したグリーンライフサミットのイベントから誰も戻ってこねえとなりゃ、関係者は気づくはずだ。必ず誰かが動くぜ」
白石が頷く。「水だけで二週間は生きられると言われているんですよね。合計で四週間あれば──」
「救助が間に合うかもしれませんわね」赤沢が静かに言った。
四人の間の空気に、わずかだが変化があった。重く淀んでいた何かが、ほんの少しだけほぐれた気がした。希望、と呼ぶにはあまりにも頼りないが、その兆しを確かに感じた。
* * *
それから四人はリビングで静かな時間を過ごした。
夕飯を終えて、やがて話題は、誰からともなく、グリーンライフファンドへと流れていった。
「やはり、やるべきではなかったのでしょうね」赤沢がぽつりと言った。「こうなってみると」
誰も否定しなかった。
「典型的なポンジスキームでしたよね」氷室が静かに言う。「百五十億円を集めて、どこにも投資せずに海外口座に預金したまま、毎年十五億円を配当と嘘をついて投資家に返金し続ける。投資家は毎年十五億円の利益が出たと信じている。既に三年間合計で四十五億円を返金した。運営費用を差し引いても、まだ百億円以上残っている。そして更に二号ファンドで三百億円を集めて、合計四百億円を手にしたところで姿を消す。六人で山分けして、それぞれ海外へ──」
「悠々自適な老後」桑原が苦く笑った。「そんなことを考えてた」
「その罰かもしれませんわね」赤沢が言った。「やはり二号ファンドなんて欲を出さずに、百五十億円だけで我慢すれば良かったんだわ」そう言って、大きなため息をつく。
「赤沢らしい考え方だな」桑原が鼻で笑って続ける。「俺は──それよりずっと前から、狂ってたんだと思うぜ」
「サンライズファンドのことですか」氷室が聞く。
桑原が頷いた。「規模は五十億円ほどだったが、やってることは同じ。運用損って名目で四十八億円を着服して、残り二億円だけを清算金として投資家に返した。投資家は激怒したが、運用結果の損であるという正当性が認められて、刑事事件にはならなかった」
「あのときは相当無茶をしたよな」桑原が続ける。「マネーロンダリング、不正会計、契約書の改ざん──俺も推薦記事を書いたっけ」と自嘲するように笑った。「今さら後悔しても遅いが、あのときに全てを止めていれば、こんなことには──」
「神崎さんは、それでもやめなかった」白石が言った。
「確か、お金が尽きたから、名前を変えて、整形して、また始めたのよね」氷室が言った。
赤沢が頷く。「その通りですわ。またファンドを立ち上げるための必要手続きと経費、でしたわ」
氷室はサンライズファンドのときにはいなかった。大口投資家を顧客に抱える彼女は、誘う相手として魅力的で、三年前に神崎が声をかけた。氷室なら断らない、という読みは正しかった。氷室の心の奥に眠る虚栄心と巨額の報酬への渇きを嗅ぎ取った──そう神崎が言っていたのを、桑原は思い出した。
「まあ、氷室さんには関係ない話だな。俺たちの問題だ」桑原が静かに言う。
場が少し静まる。
「神崎さんが死んで──」氷室が言いかけ、少し間を置いて続けた。「ファンドの運営は、事実上もう無理でしょうね」
赤沢と桑原が頷いた。神崎なしでは、この詐欺の絵図は成り立たない。
しかし白石だけが、静かに言った。「私は、まだ諦めていません」
「白石さん──」氷室がたしなめるように言う。
「そうですわ、白石さん」赤沢が穏やかに、しかし確固として言った。「白石さんのお気持ちは分かりますわ。でも──まずは生き延びることを考えましょう。四人全員で、ここを出る。その上で、今後のことは改めて話し合いましょう」
白石は口を真一文字にして手帳を閉じた。不服なのは明らかだ。
ただ赤沢の言うことはもっともだった。今は、明日も生きているという保証すらない場所にいる。先のことを議論する余裕は、まだ誰にもない。
しばらく沈黙が続く。
やがて赤沢が立ち上がった。「皆さん、お疲れでしょう。もう部屋で寝ることにしましょう。明日は晴れたら捜索することにしましょう」
「外の見張りは……」桑原が言う。
「二人を閉じ込めたから大丈夫でしょう。犯人はどちらかでは」そう言って赤沢はあくびをしながら、真っ先に部屋に向かった。
氷室は、窓際に行って、外をぼんやりと眺めた。
白石は、暖炉の火を一人でじっと眺めた。
桑原は、キッチンに行って、水を飲んだ。
そして、やがて一人ひとり二階に向かった。




