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誰も死ななかった

* * *


 それからの時間は、奇妙なほど静かだった。

 七人はリビングに集まり、慎ましく過ごした。暖炉の薪がぱちぱちと音を立て、窓を叩く雨音がその隙間を埋める。


 手持ち無沙汰になった桑原が棚から古い将棋盤を見つけてきた。「誰かやるか?」と差し出すと、黒木が「では一局」と向かいに座った。

 二人が盤を挟む様子を、若月が隣で眺めた。「将棋、見るの好きなんですよね。神の一手、ぜひ出してくださーい!」

 二人はふと笑った。


 白石が窓辺に立ち、雨を眺めていた。

 氷室が隣に来て声をかける。「白石さん、そういえば、時間もありますし、二日目にまとめた証拠収集の記録の続きをやりませんか。もう少し説明文も充実させようかと」

「そうね。吊り橋の崩落の仕組みについてはもう少し考察も必要かも」

 二人はテーブルの奥の方に移動し資料を広げ、話し始めた。


 森川はキッチンで冷蔵庫の食材を確認していた。できる限り少ない量で腹を満たせるよう、メニューを再検討し、静かに計算する。


 赤沢はソファに座りながら膝の上に手帳を広げ、昨夜からの出来事を整理していた。ペンを止め、遠くを見つめる時間が何度もあった。


 雨は夕方になっても止まなかった。窓の外は薄暗くなり、暖炉の光がリビングをじんわりと照らした。

「そろそろ夕食にいたします」リビングで座っていた森川が立ち上がった。

「せっかくですから皆さんで準備しませんか?」赤沢が提案する。

 全員が頷く。何か行動することが、この沈黙を少しだけ楽にしてくれる。


 七人はキッチンへと移動した。

 森川が食料棚から食材を取り出す。白米、缶詰のトマトが三つ、コンソメが二つ。それが今夜の全てだった。

「今夜はトマトリゾットです。まずは米を炒めます。計量をお願いできますでしょうか」森川が若月に声をかける。

 若月が計量カップを手に取り、米を慎重に量り始めた。二合分。これを七人で分ける。彼女の手は丁寧に、正確に動いた。量り終えると、米を炒め始める。

「お湯を沸かしますね」白石が鍋を手に取り、蛇口をひねった。几帳面な彼女らしく、水位を確かめてから火にかける。

 黒木は缶詰を三つ、手に取り、台の上に並べた。「トマト缶、開けますか」と確認すると、森川が頷く。黒木はプルタブを一つずつ引いていく。鈍い音が三度、響いた。

 桑原は無言でコンソメの箱を手に取り、裏面を読んだ。「これはそのまま入れていいのか」と尋ねると、「お湯に溶かしてからです」と森川が答えた。桑原は小さく頷き、白石が沸かした湯をカップに注いでコンソメを崩し始めた。

「トマトを加えてくださいませ」森川が赤沢にお願いする。赤沢はトマトを鍋の中に入れる。そして若月と交代して、木べらを手に取り、かき回す。甘酸っぱい香りがキッチンに広がった。

 若月が「いい匂いー」と言った。その一言で、キッチンの空気が、かすかに変わった。

 氷室はキッチンの端に立ち、使い終わった道具を次々と洗った。静かに水で流して布巾で拭く。音が少なく、動きに無駄がなかった。

 最後に森川が、桑原の溶かしたコンソメを入れ、味を確かめ、塩を少し加える。もう一度確かめ、静かに頷く。

「できました」


 七人でテーブルを囲んだ。テーブルを拭き上げたのは森川と氷室だった。器を並べたのは若月と白石だった。スプーンを配ったのは赤沢だった。椅子を引いたのは黒木と桑原だった。

 量は少なかった。お椀に半杯のリゾット。それだけだった。でも、温かかった。

 若月が「いただきます」と言い、全員がそれに続いた。最初のひと匙を口に運び、一時の沈黙。

「おいしい……」白石が小さく言った。

「本当に、おいしい」氷室も続いた。

「こんな状況で、こんなにうまいなんてな」桑原が言う。声は低かったが、その言葉は本物だった。

 黒木は何も言わなかった。ただ、ゆっくりとリゾットをすくい、口に運んだ。

 誰もが丁寧に、時間をかけて食べた。それは空腹を紛らわすためではなく、この時間をもう少し続けたかったからかもしれない。

 食後、桑原が天井を見上げて呟いた。「神崎さん、酒が好きだったな」

 誰も返事をしなかった。ただ、その言葉はリビングにしばらく漂った。

 赤沢がお椀を両手で包みながら言う。「最初にお会いしたのは十年前ですか。あの頃は神崎さんも、お若かったですね」

「変わりませんでした……神崎さんは」白石が静かに言う。「ずっと、あのままでした……」

 また沈黙。今度はやわらかい、悼むような沈黙だった。

 やがて、誰からともなく立ち上がり、片付けが始まった。

 若月が器をまとめ、桑原が鍋を持ちあげた。赤沢がコップを運びシンクの水を出し、黒木が洗い始めた。白石が横に立って、洗い上がったものを布巾で丁寧に拭いた。氷室はゴミをまとめた。森川はコンロと調理台を拭き、最後に換気扇を止めた。

 十五分で、キッチンは元通りになった。

 片付けを終えて、皆、ある種のチームワークの達成感を覚えていた。

 しかし、その達成感はすぐに消えた。

 全員で行動したのは、お互いを見張るため。

 食事で温まった体が冷めるよりも早く、七人の目は再び互いを監視し始めた。


* * *


「今夜の見張りですが、一つ提案がありますわ」赤沢が言った。

 リビングにいる全員の視線が集まる。「昨夜までは交代で睡眠を取っていましたが、一度眠るとどうも意識が緩んでしまいます。私自身の反省でもありますが」

「確かにそうですね」黒木が低く言った。皆も経験上、そうだろうと認識していた。

「ですので今夜は、徹夜の見張りにしたいと思います」赤沢が続けた。「二人がずっと起きて、常に緊張感を持って監視するのです」

「三人じゃなくて、二人でか?」桑原が聞く。

「そうです。三人で徹夜だと、七人全体の負担が大きいかと。夜中は二人に集中してもらう。残りの五人はしっかり眠る。そして次の日は違う二人。三人ずつより二人ずつの方が、全体の体力を長く保てます」

 しばらく沈黙が続いた。赤沢の言葉を、それぞれが頭の中で転がしている。

「理にかなっていますね」黒木がゆっくりと頷いた。「三人が二時間睡眠をし続けるより良さそうです」

「一階で徹夜で見張っていただく方が、二階で休んでいる側も安心ですよね」氷室も同意する。「一人は心配ですが、二人いれば十分かと。声を出せば駆けつけられない距離ではないですし」

 全員が頷いた。

「それでは今日から二人組で徹夜にしましょう。さて今日は誰がやるかですが……」そう言って赤沢が周りを見渡す。

「俺が今夜もやるよ」桑原が真っ先に手を挙げた。「まだ動ける。今夜くらいは。昼寝も結構させてもらったしな」

「私も」氷室が続けた。穏やかだが、確固とした声だった。「眠れそうにないですし」

「……本当にいいんですか」若月が心配そうに言う。「一晩中は、きついですよ」

「大丈夫です」氷室が微笑む。「若月さんこそ、ゆっくり休んでください」

 桑原も頷く。「そうだ。しっかり休んで体力を回復してくれよ、明日は俺たちがゆっくり寝れるようにな」そう言って親指を立てる。

「……ありがとうございます」森川が深く頭を下げた。「明日は私がやります。それと何かあれば、すぐにお声がけくださいませ。私の部屋は松でございます。一番手前の左側です」

 赤沢が礼をする。「桑原さん、氷室さん、感謝いたしますわ。それでは皆さん、しっかりとお休みになって体力を蓄えましょう」

 皆が頷く。ずっと山荘の中にいたとはいえ、常に自分以外の六人を見張っていた。逆に、不審な行動をして怪しまれないようにとも気を張り続けていた。体力は著しく消耗している。誰もが自分一人の時間が欲しくなってきたところだった。

「部屋は必ず施錠してくださいませ」赤沢が全員を見回す。「おやすみなさい」

 一人ずつ、リビングを後にした。若月が扉の前で振り返り、氷室と桑原に小さく頭を下げた。二人がそれに応える。

 階段を上る足音が、一つ、また一つと消えていく。

 リビングには、氷室と桑原だけが残った。

 暖炉の火が静かに揺れている。雨音は続いている。

 犯人は誰かは分からない。

 それでも皆でリビングで過ごした今日一日は──誰も死ななかった。

 その事実だけが、六人の心を少しだけ軽くさせた。

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