――ありません
* * *
午前二時三十分。
神崎は一人、山荘の喫煙所にいた。一眠りしたところでふと目が覚め、一服しに来ていた。
──全く、大胆なことをしやがる。見事だ。グリーンライフサミットの主催者として、ここまでコケにされると俺のプライドにも少々傷がついたぜ。
神崎は煙草を深く吸い込みながら、外を眺めていた。真っ暗な闇を、雨が激しく叩いている。
──内部犯だ。これは断言する。皆がパニックになるのを避けるために内部犯説を否定したが、犯人は確実に我々の中だ。外部犯がこの森に潜んでいて、施設に忍び込んで、一人ずつ殺す? 不可能だ。この山の天候では、外で生きていくだけで精一杯だ。
──三日経った今も何もないが、内部犯がまだ行動を起こせていないだけだ。おそらく今も虎視眈々と狙っている。もしかすると思ったよりも我々の統率が取れていて、手をこまねいているかもしれないが──。
神崎は煙を大きく吐き出した。白い塊が夜空に散り、消えていく。
──さて、犯人は誰か。動機を軸に考えると、実は誰にでも当てはまる。ファンド関係者なら今の百億円を独り占めしたいというのが動機となる。百億円だ。しかもマネーロンダリングの手はずも整っている。これだけのクリーンマネーが手に入るのなら、殺意が芽生えても不思議ではない。もともと我々はイカれた連中の集まりだ。
──そして、若月と森川。彼らは部外者だが、実は今回の計画を託された暗殺者かもしれない。七年前のサンライズファンドの被害者が我々を突き止めて、あの二人のどちらかに依頼した。いや、もしくは二人とも? だとしたら食料を隠している可能性もあるな。
──いずれにせよ、誰にでも動機はあり得る。動機の線から犯人を割り出すことはできない。
──なら人間分析といこうか。
神崎はまた大きな白い塊を吐き出す。
──皆殺しにする、そんなことを計画して実行できるのは、あいつか、あいつのどちらかだな。
神崎は自分の人間分析力に絶大な信頼を寄せていた。
グリーンライフファンドの代表として、関係者全てのことを深く知る立場にある。長年組織のトップを務めてきた経験から、日々、人を見る目を養ってきた。人間分析を間違えたことは、これまで一度もない。人を魅了する話術と、人を見抜く分析力。この二つの才能が、彼を自信家たらしめていた。
今回の参加者の性格は手に取るように把握している。もちろん、日の浅い若月と森川についても、分析は完了している。
神崎は考える。
──この山荘で皆殺しを計画する。橋を破壊して、食料を焼いて、衛星電話を壊す、こんなこと考えて実行できる人間は、そう多くない。それに、やれと言われて、誰にでもできることでもない。今この山荘にいる中で、これをやれるやつは、あの二人しかいない。断言できる。つまり、犯人はあの二人のうちのどちらかだ。
──うち一人は、対処できそうだ。胆力はあるが、そこまで頭は良くない。
──問題は、もう一人。あいつは頭も切れる。警戒心も強く、小細工も通用しそうにない……どう対処しようか。いっそ、俺の方から『こいつが怪しい』と皆の前で宣言するか。そうしたら皆の注目も集まり、行動が制限され、計画を実行に移せなくなるのではないか。
──しかし、俺が名指しでこいつが怪しいと言ったら、かえって言い出した俺の方が怪しまれて、行動を制限される展開もなくはないか。
──いや、待てよ。むしろこいつが犯人だとしても、泳がせておくという選択肢もあるか。
──こいつはどんどん人を殺すであろう。だが──人が死ねば、死んだ分だけ、食料の取り分が増える。今の状況では、悪い話ではない。俺はこいつに殺されないよう、細心の注意を払い続ければいい。それだけで俺は安全だ。
──むしろ、俺の方からこいつにアプローチしようか。手伝うとか、大人しくすれば黙ってやるとか。いや、そんなことをしても、シラを切るだろう。こいつはそんな取引に応じるほどバカではない。平然とかわすだろう。そして、怪しい、おかしくなった、と皆に吹き込む。そして、俺の立場を貶め、徐々に孤立させ、殺しやすくする。そういう女だ。こいつは。
煙を長くゆっくりと吐く。雨の水蒸気も心地よい。大自然の中で吸う煙草は殊の外、美味い。
──全く、こんな状況でなければ、最高の一服なのだが。
──やはり、泳がすことにしよう。あの女にこちらから仕掛けるのは俺といえども分が悪い。あの女に他の人間を殺すだけ殺させ、食料の取り分を増やさせる。それに、殺しを重ねるうちに、ボロが出るであろう。それを待つのが最善だろうな。何人か死んだところで、ファンド運営の代わりはいくらでもいる。
──それまで俺は安全圏を保ちながら、あいつの出方を静観させてもらう。それが今は賢いやり方かもな。もちろん、もう一人の男の方が犯人である可能性もあるが、俺の中ではこの女の方が、七、八割で犯人だな。
煙草を押し潰し、二本目に火を付ける。
──よし、泳がそう。それがベストだ。
そのとき、強い雨の音を縫って、ホーホー、とフクロウの小さな鳴き声が聞こえた。
「神崎さん」──誰かが、喫煙所に入ってきた。
「おお、どうした?」神崎は振り向いて話しかけた。
──こいつは確実に犯人ではない。閉ざされたこの地での連続殺人、それを企てる発想力などなく、綿密な計画を練る能力もない。そもそも頭も良くない。安全なやつだ。
神崎は視線を外に向け直して、煙草を吸いながら話しかける。「何か心配事か? 大変な状況になったな」
そう言い終えるか終えないかのうちに、胸元へ手が伸びた。
鋭い衝撃が、心臓を貫いた。
熱い、と神崎は思った。
痛みより先に、熱さが胸の奥から広がる。
深々と心臓に突き刺さっている。
吸いかけの煙草が、指から床へ落ちる。
口の端から、血がひとすじこぼれた。
だんだんと雨音が聞こえなくなり、視界がゆっくりとぼやけていく。
「なんで、お前が……」
神崎透は動かなくなった。
* * *
午前六時──。
「うわあああああっ!!」
悲鳴が山荘全体に響き渡った。
森川の声だった。
その声を聞いて、二階の他の部屋からも人が出てきた。
「おいおい、どうした?」異変を感じて、一階にいた桑原、赤沢、白石も階段を駆け上がってくる。
全員が森川のいる二階の奥に集まった。
神崎が喫煙所の床に倒れていた。
胸部に刃物が深々と刺さっている。壁には血が飛び散っていた。灰皿が倒れ、煙草の吸い殻が血に濡れて床に散らばっている。
喫煙所の入り口に全員が立ち尽くし、倒れている神崎を見つめた。
「凶器は……」赤沢が口を開き、胸に刺さっている刃物を見た。「細い。アイスピックのような──」
「アイスピックだな。しかし、神崎さんが心臓を一突きで……なんの抵抗もなく……信じられないぜ……」桑原が唖然として言う。
「……素人に、狙ってできることではありませんわ」赤沢が呟いた。誰も、それに答えなかった。
「キッチンに、アイスピックがございました」森川が掠れた声で言う。「製氷機用のもので……昨日まで、引き出しに入っていたはずです」
全員が息を呑んだ。誰かがキッチンから持ち出した。
「確認いたします」森川が震える足でキッチンへ向かう。
森川が戻ってきた。数秒の沈黙。
「──ありません」
その一言が、場の空気を凍らせた。
── 幕間 二 ──
ほらほら、やっぱりねー
油断すると思ったよ。
無様な死に様。
あっけないね。ファンドの代表っていっても。
想定より時間がかかったけど、まあ順調。
じゃあ、次、二人目、いってみよう!




