アラサーが死んで王子様が生まれた 後編
激痛で目を覚ます。
思わずお腹と胸に手を当てるが血もなければ傷もない。
「……久しぶりに思い出したな」
ベッドを出て洗面所に向かう。
鏡に映るのは少し癖のある金髪に蒼い瞳をした王子様のような女の子。
無愛想なアラサー女の面影など、どこにもありはしない。
「ちょっともう、朧げだな」
間宮要として生を受けて九年。
記憶にある昔の顔がどんどん薄れていっているように思う。
二十八年あの顔と付き合ってたのに我ながら薄情なものだ。
「ただまあ、悪いことではないか」
かつての私という物語はどんな形であれ幕を下ろしたのだから。
新しい物語が始まったのだ。終わった物語に引き摺られるのはよろしくない。
「……いやでも冥様のフィギュアは惜しいな」
転生系は私の守備範囲外だったので詳しくはない。
だがここはいわゆる平行世界とかそういうあれなのだろう。
似通ってはいるが同じではない。だから少女戦士スターテイルがないのも仕方のないこと。
そう割り切ろうとするがやっぱり惜しい。前世の私を忘れてしまうより惜しい。
「折角小学生になれたのだし堂々と楽しめるチャンスだと思ったのにさ」
冥様みたいなイケメン女子に生まれ変われたから余計に思う。
今の私がもうちょい大きくなって冥様のコスプレしたら絶対似合うって。
口調とか振る舞いだって意識してそれっぽくしてたら馴染んじゃったし。
SNSに乗せたら絶対バズってたよこれ。
「お嬢さん、もう朝食は出来てますよ」
「うん。ありがとうカルパナさん」
リビングに行くとお手伝いさんが既に朝食を用意してくれていた。
今朝のご飯はポハ。干し米をタマネギ、ターメリック、マスタードシード、コリアンダー、ピーナッツらと炒めたものだ。
父の仕事の都合でインドに来て三年。最初は異なる食文化に面喰ったが今ではすっかり慣れたもの。
スパイスの効いてない料理だと逆に物足りないぐらいだ。
「ああそうだ。お父様は今日は大学にお泊りになられるそうですよ」
「了解」
なら夜は一人か。
比較的治安の良い場所に住居があるとは言え戸締りは念入りにしておかねば。
カルパナさんとお喋りしつつ朝食を済ませ、支度をしてから学校へ。
「あ、おはようカナ!」
「やあ、おはようアーシャ」
歩いていると褐色肌の愛らしい女の子が嬉しそうに駆け寄って来た。同級生のアーシャだ。
現地のプライマリースクールに通っているので友人も当然、インド人である。
最初は戸惑ったが食事と同じで今はもうすっかり馴染んだ。
お陰で英語とヒンディー語も日常会話レベルをこなせるようになったし父の判断は正解だったんだろう。
「おやおや、最近は甘えん坊だね」
抱き着いて来たアーシャの頭を撫でながらからかうように言う。
すると彼女はだってと少し顔を曇らせた。
「……もうすぐ、日本に帰るんでしょ?」
その言葉を聞いて得心がいった。
(そういうことだったのか)
物心ついた時には日本を離れイギリス、ペルー、インドと渡り歩いて来た。
だがその旅も一先ず今回で終わり。
父が日本の大学にしばらく腰を下ろすことになったのだ。
私はそのことについて寂しくは思いつつも自然と受け入れていた。
(……中身が大人である弊害の一つだね)
小学校、中学校、高校、大学を経て私は学んだ。
避けられない別れというものがこの世にあること。
その別れがとても悲しく感じても一時のものでいずれは癒えてしまうこと。
それらを学び私は大人になったのだ。
(子供にとっては違うのにね)
大切な友達と離れ離れになる。
小学生にとってそれは人生の一大事と言っても過言ではないんだ。
アーシャの気持ちを軽んじていたわけではないが無神経であったことは否めない。
「そうだね。三月頃にはこの国を去っているだろう」
二ヵ月と少しぐらいか。残された時間は。
「……」
「けどそれは永遠のさよならというわけではないんだよ」
俯いていたアーシャが顔を上げる。
「……また、会えるの?」
「簡単には会えないね」
「え」
上げて落とすとか、からかっているとかそういうわけではない。
無神経を恥じればこそ誠実に対応するべきだと思ったのだ。
「大人なら沢山働いてお金を貯めれば会いに行けるけど私たちは子供だからね」
経済的に恵まれている私だって一度日本に行けばそう簡単には戻って来られない。
子供が単独で海外渡航するなんて誰が許すというのか。
「だから一年、二年なんて短い時間では無理だろう」
「……じゃあ、会えないのと一緒だよ」
「そんなことはない」
アーシャの手を取り私の胸にそっと添える。
この鼓動が彼女に伝わりますようにと。
「気持ちが繋がっていればどれだけ時間がかかっても必ずまた会える」
私がアーシャを想う気持ち。
アーシャが私を想う気持ち。
それさえあればどんな障害も私たちを遮ることは出来ないだろう。
「カナ……」
「私はアーシャを忘れないよ。アーシャはどうだい?」
「……忘れない。忘れないよ。カナのこと、大好きだもん」
「なら大丈夫だ」
あとはまあ、
「現実的な話をすると会えはしなくても普通に連絡は取れるしね」
「もう! 台無し!!」
「ははは、ごめんごめん」
そんなこんなで私の今日が始まった。
友と語らい、学びを得て、笑い合う。何時もと変わらない素敵な一日だ。
家に帰り今日も良い一日だったと夜を迎える、そのはずだった。
「……」
ふと、足が止まった。
自然と視線が引き寄せられたのは私にとってはある種鬼門と言っても良い細い路地。
日本のそれよりも危険度は高い。頭ではそう分かっているのに、
(我ながらどうかしてるわ)
私は路地に踏み入ってしまった。
少し歩いた先で見つけたのは、
「……猫?」
首にリボンを巻いた薄汚れた黒猫。
痩せた体、あちこちに見える小さな傷。
意識があるのかないのかぼんやりと虚空を見つめ横たわっている。
この子の前にしゃがみ込む寂しそうな瞳が私を映す。
けど興味がなくなったのだろう。すぐに見るのを止めてしまった。
「……」
手を差し伸べるなら責任を持つべきだ。
あと数か月でインドを出るのだろう? 無責任なことはすべきでない。
頭ではそう分かっているのに、
「仕方ない、か」
そっと猫を抱き上げる。
やっぱりこの子は私を見ない。何もかもがどうでも良い。そんな顔だ。
「だって放って置けないんだから」
一人の帰り道に、一匹が加わった。




