第17話 王の顔 神の顔
王の前で、わたしは初めて怒りを敬語にした。
「恐れながら申し上げます。わたくしを処刑なさるなら、その前に三つの嘘をご覧くださいませ」
王宮の白鷲公廷には、窓がない。
壁の高い位置に王家の鏡が十二枚並び、玉座をあらゆる角度から映している。国王陛下は最上段の椅子に座り、その右にフリードリヒ殿下、左に大司教アウグストがいた。
わたしは罪人の位置に一人で立つ。
ルーカスは傍聴席の最前列。剣は預けさせられたが、腰には空の鞘を帯びていた。
姿見の中にはリゼがいる。
『十二枚。趣味悪いな』
「十二の鏡すべてに映る者は、神にも民にも嘘をつけない」
アウグストが、彼女の声へ答えるように言った。
「古い公廷の決まりです」
「鏡が真実だけを映すとは限らないと、猊下ご自身がおっしゃいました」
「だからこそ、人の証言と照らし合わせるのです」
書記官が罪状を読む。
王太子殿下への毒殺未遂。祝祭礼拝の妨害。悪霊との契約。北境兵を動かした反逆の企て。
一つ読み上げられるたび、傍聴席の貴族が息を潜めた。
前世の裁判には、答える時間さえなかった。罪状は判決と同じだった。
今日は違う。
「被告は罪を認めるか」
国王の問いに、わたしは顔を上げる。
「一つも認めません」
十二枚の鏡で、リゼが同時に笑った。
*
最初の証人は、王宮薬師だった。
「祝祭の日、殿下の杯から月眠草が検出されました。量によっては呼吸を止める毒となります」
「殿下の症状は?」
アウグストが尋ねる。
「一刻の眠気と、軽い頭痛」
「杯を用意したのは?」
「アルバート公爵令嬢付きの侍女です」
ざわめきが起きた。
わたしは質問の許可を求める。
「月眠草は、どれほど入っていましたか」
「三滴分です」
「致死量は?」
「成人男性なら、およそ四十滴」
「では毒殺には、三十七滴足りません」
「量が少なくとも、毒は毒です」
「臨時号には『命を奪う量』と書かれています。薬師殿は、その表現を認めましたか」
「記録委員から確認は受けていません」
一つ目の嘘が崩れた。
わたしは交遊録の原簿を出すよう求める。
記録係として召喚されたセシリアが、白い手袋をはめたまま進み出た。彼女は一度もこちらを見ない。
「原簿に改竄はありませんか」
アウグストの声は優しい。
「……ございません」
セシリアの返事が揺れた。
『嘘。でも、自分で信じようとしてる』
リゼが囁く。
わたしは写しを一枚、書記官へ渡した。
「原簿の『毒』の字だけ、墨が新しい。下には『薬』の払いが残っています。王立文書院に調べていただきました」
鑑定人が頷く。
「二種類の墨です。『薬』は祝祭の二日前。『毒』は祝祭翌日のもの」
「起きる前から、殿下の杯に薬が入ると知っていた者がいた。そして命を奪わない量だと判明したあと、『毒』へ書き直した」
セシリアの指先が震える。
アウグストが彼女へ微笑んだ。
「記録係。説明を」
「わたくしは……」
青い瞳がわたしを見る。助けを求めているのか、黙れと願っているのか分からない。
「セシリア様。わたしはあなたを赦していません」
傍聴席がどよめく。
「ですが、あなたの名前を番号に変えさせるつもりもない。真実を話してください」
白い手袋の指が、原簿の表紙を強く押した。
「『薬』を『毒』へ直したのは、わたくしです」
アウグストの笑みが止まった。
「祝祭前に薬を置くようルナ様へ命じました。臨時号の証人も集めました」
「誰の指示で?」
「わたくしの判断です」
『そこだけ、言ってない』
リゼが低く言う。
今は追い詰めない。彼女が立てる場所まで、自分で歩かせる。
「第二の嘘をご覧ください」
わたしは二通の命令書を並べた。
一通は、セシリアの原簿へ薬の記録を作らせる教会の指令書。署名はないが、羊皮紙には中央聖堂だけで使われる透かしがある。
もう一通は、カタリーナの印を偽造し、マリアンヌの装具と大階段の手すりへ細工を命じた文書。
「別々の命令書に見えます。しかし封蝋の型傷が同じです」
蝋の縁に、欠けた星が一つある。
「王家の文書工房で押され、中央聖堂の羊皮紙に包まれた。王家と教会が、わたしを悪女にする記録を共同で準備していた証拠です」
フリードリヒ殿下が頬杖をつく。
「共同とは飛躍だ。盗まれた型かもしれない」
「では、文書工房の出納簿を公開してください」
「王家の機密だ」
「わたしの処刑には使えて、無実の証明には使えない機密なのですね」
また、傍聴席が揺れた。
怒鳴らない。
机を叩かない。
怒りを、逃げ道を塞ぐ順番へ変える。
「第三の嘘です」
北境の監査報告を掲げた。
「臨時号の証人十一名のうち、筆頭四名の家へ教会救済金が流れていました。四家はその金を横領し、薬と小麦を抜き、記録委員へ寄付として戻していた。北境の門番、運送商、薬師、三組合の署名があります」
書記官たちが分厚い報告を回す。
「四家の会計役は、すでに横領を認めています。わたしを告発した証人は、公正な目撃者ではありません」
さらに、学院からの意見書を提出した。
署名は六十八名。祝祭礼拝でリゼが自分の意思を口にしたこと、教会がわたしの同意を得ず拘束したこと、臨時号の回収後も訂正文が出ていないこと。以前は食堂で席を立った名も、その中にあった。
「同情の署名ではありません」
わたしは言う。
「同じ記録で裁かれる生徒が、記録の作り方を公開せよと求めています。わたし一人を不問にしても、終わりません」
「証人が罪人でも、見た事実まで嘘とは限らない」
アウグストはまだ穏やかだった。
「では、わたしが毒を入れたところを見た者を、一人ここへ」
沈黙が落ちた。
十二枚の鏡だけが、同じ公廷を映している。
「悪霊との契約はどう説明します」
「リゼは悪霊ではありません」
「証明できますか」
「猊下こそ、悪霊だと証明できますか。言葉を話し、同意を求め、痛みを分ける者を、名前ではなく病と呼ぶ。その判断を下したのは、彼女を作った教会自身です」
鏡の中でリゼの笑みが消えた。
国王が片手を上げる。
「毒殺未遂と反逆について、直接の証拠なし。祝祭妨害は、教会側にも同意確認の不備がある。本日の審理で刑を定めることはできぬ」
勝った。
そう思った瞬間、フリードリヒ殿下が立ち上がった。
「父上。簡単な解決があります」
緑の目が、わたしだけを見る。
「エリザベスが予定どおり私の妃になればよい。婚姻後の妻の病は王家が預かる。告発も、教会への不敬も、すべて不問にしよう」
「拒めば?」
「今日の審理は続く。次は北境伯の反逆も含めて」
ルーカスが空の鞘へ手を置いた。
護衛が一斉に彼を向く。
「北境伯。王前で剣へ手を?」
「剣は預けた」
ルーカスの声は冷たい。
「これは、私が丸腰でも怒っていると示しただけだ」
「公的な異議ですか」
「個人的な怒りだ。彼女を取引の品にしたことへの」
殿下が楽しそうに笑う。
「君も彼女が欲しいのだろう」
「欲しいことと、所有することを同じにするな」
わたしは殿下へ向き直った。
「お断りします」
その四文字を、前世のわたしは一度も彼へ言えなかった。
婚約も、夜会も、王妃教育も。選択肢を与えられた形だけ作られ、正しい返事を先に決められていた。
今度は、公廷の全員が聞いている。
「よく考えたほうがいい。君はまだ学生だ。北境の支援も、学院の少女たちの同情も、王命一つで消える」
「北境の帳簿は十二部写され、三つの商業組合が保管しています。学院では交遊録原簿の写しが回っている。今日の証言は、傍聴人の数だけ王都へ広がります」
声は震えなかった。
「お断りします。あなたの国は、もう半分、私たちが真実を握っています」
公廷の空気が凍る。
王への反逆と取られてもおかしくない言葉だった。
けれど国王は何も言わない。
フリードリヒ殿下だけが、心から嬉しそうに目を細めた。
「君は二枚舌だ。だから玉座にふさわしい」
「二つの顔を、一つの舌で従わせるあなたよりは」
審理は休廷となった。
退出の許可を得て、わたしはルーカスと扉へ向かう。セシリアは原簿を抱えたまま、別の出口へ連れていかれた。
扉の前で、十二枚目の鏡に殿下が映る。
彼はこちらを見ず、鏡の中のリゼにだけ聞こえる声で言った。
「大階段で、マリアンヌの耳元へこう囁いた者を覚えているかい。『その手を離せば、君だけは助かる』」
リゼの顔から色が消えた。
公廷を出て、誰もいない回廊まで歩く。そこで初めて、彼女が口を開いた。
「殿下の言葉、全部本音だった」
「妃にする話も?」
「ああ」
鏡の中のリゼが、怯えを隠さずわたしを見る。
「あいつ、本気で二人とも欲しがってる」




