第13話 贖罪の器
先週の招待状は三十七通。今週は十五通。翌朝には、三通になった。
三通のうち一通は、欠席を知らせる詫び状だった。もう一通は宛名が違い、最後の一通には乾いた花びらだけが入っていた。
言葉で罵られるより、数字が減るほうが静かに人を殺す。
祝祭の翌日、学院の食堂へ入ると、最初の卓から四人が立った。
クララ、ベアトリス、ノエミ、リリアーヌ。
名を覚えたのは、前世で同じ順番に離れていったからだ。
「おはようございます」
わたしが挨拶すると、誰も返さなかった。四人は皿を残したまま隣の卓へ移る。その隣でも椅子が二脚引かれ、さらに奥では七人が視線を伏せた。
わたしの席だけが、白い卓布の海に浮かぶ島になった。
『代わろうか』
銀の水差しに映るリゼが訊いた。
「いいえ」
『一人くらい泣かせれば、座る場所を思い出す』
「泣かせても、信じてはもらえないわ」
『じゃあ七人』
冗談の形をしていたが、目は笑っていなかった。
わたしは空席の前へ座った。手を膝へ置き、紅茶を一口飲む。味はしなかった。
アンネが、銀盆の下へ折り畳んだ紙を滑り込ませる。
「臨時号です」
王立ルミナス学院交遊録、祝祭特別号。
見出しには、わたしの名が正式な綴りで記されていた。
『アルバート公爵令嬢、祝祭の儀を冒瀆。王太子殿下へ毒を盛り、鏡より悪霊を召喚した疑い』
殿下が礼拝後に一刻ほど寝台で休んだこと、杯から苦い香りがしたこと、わたしが祭壇上で別人のように振る舞ったこと。事実の断片が丁寧に並べられ、その隙間へ嘘が流し込まれている。
証人欄には十一人。
その筆頭に、ルナ・ベルナールの名があった。
『あの子だな』
リゼの声が低くなる。
「まだ決めつけないで」
『あんたは裏切られるたびに、相手の事情を探す』
「事情があっても、傷つかなかったことにはしないわ」
そう言うと、リゼは黙った。
食堂の入口で、ルナが立ち尽くしていた。目が合う。彼女は一歩こちらへ出て、けれど背後にいた教会付きの教師を見ると、唇を噛んで逃げた。
「アンネ。追って。ただし捕まえないで、話せる場所を伝えて」
「どこに?」
「東温室。鏡のない場所です」
臨時号を畳み、最後まで朝食を取った。
食器が片づけられるころ、食堂に残っていた生徒は六人。わたしとアンネを除けば四人だった。
先週、わたしの茶会へ来たいと言った者は三十七人いた。
*
東温室で待っていたルナは、わたしの顔を見るなり膝をついた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、エリザベス様」
「立って。何をしたのか、順に話してください」
「署名しました。祝祭の前に、あなた様が小瓶を持っていたと。寮室から祈祷文の写しを見つけたとも」
「見たのですか」
「いいえ」
ルナは両手で顔を覆った。
「弟が春から教会の修練院へ入る予定なんです。署名しなければ受け入れを取り消すと。領地の診療所への薬も止めると、セシリア様が……」
『やっぱりあの聖女か』
鏡のない温室でも、ガラス窓の暗がりにリゼが浮いた。
「セシリア様は、誰に命じられたと言っていましたか」
「何も。ただ、白い手袋を外した手が、ずっと震えていました」
「小瓶は?」
「今朝、あなた様の机から見つかったことになっています。でも、わたしは昨夜、寮母から鍵を借りて机の右奥へ入れました」
胸の奥が冷えた。
「中身は」
「眠り薬です。毒ではありません。少なくとも、渡されたときは」
アンネがルナの肩を抱き、立たせた。
「弟さんの名前と、診療所の場所を書いて。北境の薬商会なら、教会を通さずに届けられるかもしれない」
わたしを見る。
これは、頼ってもよいのかという確認だった。
「ルーカス様へお願いします。わたしの名で」
ルナが泣き崩れた。
「どうして、わたしを助けるのですか」
「助けることと、なかったことにするのは違います。あなたの署名は撤回してもらいます。皆の前で」
「はい」
「怖くても?」
「……はい」
それで十分だった。
*
交遊録の原簿は、記録室から持ち出せない。
だからわたしは、昼休みに記録室へ入った。扉を閉めず、廊下から見える席へ座る。
セシリアは白い手袋を整えながら、何も知らない顔で向かいに座った。
「原簿の閲覧には、記録委員二名の許可が必要です」
「一人はあなた。もう一人は、教頭先生から許可をいただきました」
署名入りの紙を置く。
「手回しがお早いのですね」
「失敗から学びました」
セシリアの睫毛がわずかに揺れた。
原簿は臨時号より二日前の日付で作られていた。祝祭で何が起こるか分からないうちから、わたしの悪行だけが並んでいる。
不敬。
禁呪。
王太子殿下への執着。
集団への不和。
最後の行だけ、紙を削って書き直した跡があった。
『毒』
ほかの文字は細く右へ流れるセシリアの筆跡なのに、その一字だけ太く、墨が新しい。急いで上からなぞったせいで、下にあった『薬』の左払いが残っている。
「殿下の体調不良は、眠り薬だったのですね」
「存じません」
「では、なぜ原簿には祝祭の二日前から『薬』とあったのですか」
「記録上の誤りです」
「そして今朝、『毒』へ直した」
セシリアの手が止まった。
廊下に生徒が集まり始める。わたしが原簿を見ると聞き、結果を確かめに来たのだ。
「写しを取ります」
「許可できません」
「閲覧の許可はあります」
「写しは別です」
セシリアが原簿を引いた。わたしも手を置く。
「離してください」
「嫌です」
口にした瞬間、自分の声とは思えなかった。
低く、大きく、記録室の窓を震わせた。
手が震える。指先から腕、肩、喉へ震えが上がってくる。リゼへ代わってもらいたい。怒るのは彼女の役目だと、押しつけてしまいたい。
『アタシはここにいる』
窓硝子の中でリゼが言った。
『でも、これはあんたの怒りだ。取らない』
セシリアが初めて怯えた顔をした。
わたしは震える手で、原簿をこちらへ引き寄せる。
「わたしは毒を盛っていない!」
声が裏返った。
廊下の誰かが息を呑む。
「悪霊を呼んでもいない。リゼは病でも悪霊でもない。わたしを孤立させるために、事実を直したのはあなたです!」
怖かった。
怒鳴った自分が、前世で聞かされた悪女そのものに思えた。今すぐ謝り、声を小さくし、皆が受け入れやすいわたしへ戻りたかった。
けれど、椅子から立たなかった。
セシリアは廊下を見た。教師はいない。白い手袋の指が強く組まれる。
「そうです。わたくしが直しました」
小さな声だった。
「臨時号も、証人の順も、あなたの机へ薬を入れる指示も。わたくしが整えました」
「なぜ?」
「あなたなら耐えられると思ったから」
「それは理由になりません」
「分かっています!」
今度はセシリアの声が裏返った。
彼女はすぐ口元を押さえ、いつもの微笑を作ろうとした。失敗した。
「この国では、強い女は悪女と呼ばれて殺される。あなたは、正しく育っただけよ」
「何に、正しく?」
セシリアの青い瞳が、大司教の肖像へ向いた。
「罪を負わせるために」
彼女は原簿の末尾を開く。生徒の評判を記す頁のさらに後ろ、糊づけされた二枚を剥がした。
支出の記録が現れた。
『十八番候補。礼法教育、感情抑制、鏡面分離、交遊誘導』
五歳から十五歳まで、わたしに使われた費用が年ごとに並んでいる。
「器は、国に不都合な罪を集めるための娘です。完璧に育て、怒りや欲望を鏡へ分ける。裏の顔へ悪事をさせ、表の顔ごと断罪する。民衆は悪女が死んだと喜び、王家も教会も失敗を忘れられる」
「十八番目が、わたし」
「候補です。まだ正式ではありません。けれど祝祭で夜の面が公に現れた。これで条件はそろった」
前世の光景が、一本の線でつながった。
マリアンヌの転落。王子への毒。禁呪。婚約破棄。処刑。
すべては、わたし一人を悪女にするために集められた罪だった。
「大司教に命じられたの?」
セシリアの唇が青ざめる。
「わたくしがしたことです」
否定ではない。答えられないのだ。
わたしは原簿の該当頁へ薄紙を置き、鉛筆で文字を写し取った。セシリアはもう止めなかった。
「アンネ」
「はい」
原簿の写しを渡す。紙が鳴るほど、わたしの手は震えていた。
「これを学院の外へ。失わない人に預けて」
「承知しました」
廊下を通って食堂へ戻る。
昼の席は、朝よりさらに広く空いていた。
それでも、わたしは同じ場所へ座った。
『怒ったな』
銀杯の中でリゼが笑う。
「ええ」
『嫌いになった? 怒った自分を』
「まだ、少し」
『じゃあ、嫌いなまま隣に置いとけ。そのうち慣れる』
食堂の入口から、アンネが戻ってきた。手には黒い狼の封蝋がある。
「北からです。先ほど、早馬で」
短い手紙だった。
社交辞令も、政治上の条件も、一つもない。
『北へ来い。政治のためではない。あなたを守りたい』




