97冷めたスープと婚約破棄。フライパンの試し斬りには打って付けですのでヨシとしましょう。飢えた美食の魔王を餌付けする
グルメ
「エリア!また厨房に籠もっていたのか?聖女のように世界を救う力もなく、ただ飯を作るしか能のない女など、我が公爵家には不要だ!」
婚約者の王太子ヤームは目の前に出された極上のコンソメスープを床にぶちまけた。
横では派手なドレスを着た妹のヨールンが「お姉様の料理なんて下民の食べ物よ」と嘲笑っている。
「ふうん?そう。私の料理がそんなに不満?」
その瞬間、エリアの脳内に数億年分のレシピと宇宙の真理が流れ込んだ彼女は普通の令嬢ではない。無に等しかった世界に美味という概念を与え、神々を一皿で跪かせた始祖の料理神の覚醒。人間ではなかったなんて驚いた。
「いいわそのスープ、二度とあなたの口に入ることはないから」
指を鳴らすと床に散ったスープが金色の粒子となって消え、ヤームの味覚そのものが彼女の手の中に収まった。公爵家を飛び出し、荒野で一人焚き火で黄金チャーハンを作っていると空間が激しく歪んだ。
「この匂い……数千年、香りを求めて彷徨っていた……!」
現れたのは世界の半分を支配する最強の魔王でありながら、極度の偏食のせいで常に飢えていた魔王ヒイト。エリアが作ったチャーハンを一口食べるとあまりの美味さにその場に膝をつき、涙を流した。
「ああ……これだ。君こそが魂を満足させる唯一の主、マスターだ。エリア、私を君の専属の毒見役に、いや、一生君の側で皿を洗う奴隷にしてくれ」
ヒイトはエリアを抱き上げ、自らの城へと連れ去り料理人としてではなく、自らの神として崇め、執着の限りを尽くし始める。
エリアがいなくなった王宮ではとんでもないことが起きていた。去り際にヤームたちの味覚を奪ったため、何を食べても灰を噛んでいるような味しかしなくなったのだ。
「ま、まずい!なんだこれは!毒!?」
「お父様、お腹が空いたのに何も喉を通らない!」
ヤームとヨールン、両親は飢餓感に襲われながらも食事ができない地獄を味わっていた。彼らは噂を聞きつけ、魔王城の門前まで這いつくばってやってくる。
「エリア頼む、一口でいい!お前の作ったあのスープを飲ませてくれ!」
門が開くとそこには魔王ヒイトの膝の上で、最高級のドラゴンの肉を使ったカツレツを口に運んでもらっているエリアの姿があった。
「あら、誰かと思えば。料理は下民の食べ物じゃなかった?」
ヒイトが冷酷な瞳で彼らを見下ろす。
「エリア、このゴミ共が君の料理を欲しがっているのか?身の程を知れ。君の料理を口にできるのは世界で私一人だけでいい」
ヒイトは指を鳴らし、目の前にエリアが作った最高のご馳走の幻影を出現させた。
「食べたくても食べられない永遠の渇きを味わうがいい。それが君たちが捨てた至宝の価値だ」
「……ヒイト、もうお腹いっぱい」
「ダメだ。君が健康でなければ私の幸せが損なわれる。次は私が君のために星の卵で作ったオムライスを振る舞おう」
ヒイトはエリアを逃がさないように抱きしめ、指先に付いたソースを愛おしそうに舐めとる。
「誰にも見せたくない。作る料理も、君のその甘い香りも、すべて私だけのものだ……今夜は料理よりも甘い時間を過ごそうか」
「……あなたは本当に、食いしん坊なんだから」
料理しかできないと馬鹿にされたエリアは世界を一皿で支配し、最強の男に一生をかけて完食される幸福の中にいた。
覚醒したエリアにとって魔王城に揃えられた純金製の鍋や宝石を散りばめたお玉は使いにくい置物でしかなかった。
「……ダメねやっぱり、自分の手に馴染む道具じゃないと火加減は操れない」
エリアが呟いた瞬間、影から魔王ヒイトが音もなく現れ、背後から抱きしめた。
「どうしたエリア。道具が気に入らないなら、今すぐ隣国の宝物庫を滅ぼして、伝説の魔銀やミスリルで作られた調理器具を奪ってこよう」
「そんな物騒なことしなくていい。ただ、自分の目で見て選びたい」
魔王とお忍びの調理器具店デートが決行されることになった。二人が訪れたのは頑固なドワーフたちが軒を連ねる職人街。
ヒイトは「エリアが他の男に見られないように」と深いフード付きの外套を着せ、自身も威圧感をこれでもかと抑えていた。が、隠しきれない王者のオーラで周囲のドワーフたちが本能的に道を開ける。
「ここ。この店、いい鉄の匂いがする」
エリアが足を踏み入れたのは一軒の古びた鍛冶屋。そこには、無造作に積み上げられた黒鉄のフライパンが並んでいた。
「……ほう。このガラクタの中に君に見初められる価値のあるものがあるのか?」
「ヒイト、道具は見た目じゃない。魂がこもっているかどうか」
エリアは一本の無骨な黒鉄のフライパンを手に取った。ずっしりとした重み、火の通りを均一にするための絶妙な厚み。
「これ。これなら最高の黄金パラパラチャーハンが作れる」
フライパンを買おうとした時、店の奥から聞き覚えのある声がした。
「店主!俺を誰だと思っている!早くフライパンを修理しろ!これがないと王宮の厨房でメシにありつけない」
そこにいたのはエリアを捨てて味覚を失い、没落して王宮の皿洗い見習いまで落ちぶれた元王太子ヤーム。美しい女性エリアが最高級のフライパンを選んでいるのを見て、惨めな嫉妬に狂って吠えた。
「フライパンをよこせ!庶民の女にそんな上等な道具は必要ない。これを使ってエリアを呼び戻すための料理を作るんだ……!」
エリアはフードを少し上げ、冷ややかな瞳でヤームを見下ろした。
「ヤーム。まだ味のしない灰を食べているの」
「え……エ、エリア!?ななな、なぜここに……な!?」
ヤームが驚愕で腰を抜かした瞬間、隣にいたヒイトの冷気が店全体を凍らせた。
「妻が選んだ品を汚い手で奪おうとしたのか?腕、二度と包丁を握れぬようフライパンごと叩き潰してやろうか?」
「ひっ、ひぃぃぃ!まままま魔王ヒイト様!?なぜこ、こんな場所に……なんで!」
「いいよヒイト。放っておいて。ゴミを相手にするより、フライパンを早く使ってあげたい」
黄金のコインを店主に手渡し、一瞥もせずに店を出た。ヤームは自分の愚かさと婚約者が手に入れた絶対的な愛の差に打ちのめされ、店の隅でフライパンを抱えたまま号泣した。城に戻るとさっそく新しいフライパンで、ヒイトのためだけにオムライスを作る。
「見てヒイト。火の入り方が完璧」
「素晴らしい。道具を愛でる姿を見て、少しばかり鉄の塊に嫉妬したが……料理を食べれば瑣末なことはどうでもよくなる」
エリアを膝の上に乗せ、作ったオムライスを一口食べるととろけるような笑みを浮かべた。
「エリア……料理はどんな魔法よりも狂わせる。今夜はフライパンよりも熱く熱してみせる」
「ふう。キッチンで変なこと言わないで」
調理神の新しい道具は復讐の味よりもずっと甘い、二人の日常を彩っていく。




