92あなたに期待するのはやめる。浮気を繰り返す不誠実なあなたが築き上げたものを全て壊す
既婚/離婚/ざまぁ
「ねえ、あなた」
「ん?ああ、ノマスティアか。どうかした?」
豪華な応接間で、ノマスティアは冷たい声で夫のセシルに話しかけた。セシルはソファーにだらしなく座り、退屈そうに窓の外を眺めている。
「どうかした、じゃないでしょう。またあの女と会っていたわね?」
ノマスティアの言葉に、セシルは露骨に顔をしかめた。
「だから言っただろう?仕事の付き合いだって」
「仕事の付き合いであんな夜遅くまで?香水の匂いまでつけて?」
ノマスティアの声は震えていた。セシルはため息をつき、面倒くさそう。
「別にいいじゃないか。お前には関係ない」
言葉が心に火をつけた。
「関係ない?あなたの妻なのに?」
「名ばかりの妻だろう?愛情なんて最初からなかったじゃないか」
セシルの冷酷な言葉に、ノマスティアは絶望を感じた。白い結婚。政略結婚で結ばれた二人の間には、愛など微塵もなかった。それでも、ノマスティアはいつか彼の心が変わってくれると信じていたのに。
「……そうね。わかった」
ノマスティアは静かに立ち上がった瞳には、今まで見たことのないほどの怒りが宿っていた。
「もう、あなたに期待するのはやめる。あなたが築き上げたものを、全て壊す」
セシルはノマスティアの言葉を鼻で笑った。
「できるものならやってみろ」
ノマスティアは何も言わず、応接間を後にして向かったのは城下町の隅にある小さな工房。扉を開けると、薄汚れた作業着を着た青年が、一心不乱に何かを磨いている。
「ユーリ?」
ノマスティアの声に青年は顔を上げた。鳶色の瞳が驚きと懐かしさで大きく見開かれる。
「ノマスティア様……!まさか、こんなところに」
ユーリはノマスティアの幼馴染だったのだが、昔はいつも一緒に遊んでいたけれど、ノマスティアが貴族に嫁いでからは、会う機会もほとんどなくなってしまった。
「少し、あなたに頼みたいことがあるの」
ノマスティアはユーリに夫のこと、計画を全て話した。ユーリは真剣な表情でノマスティアの言葉に耳を傾け、最後に力強く頷く。
「わかりました。ノマスティア様の力になります。好きにはさせません」
ノマスティアは初めて希望の光を見た。計画は着々と進む。ユーリは街の職人たちと協力し、セシルの事業の裏側を探り始めた。
ノマスティアはノマスティアで社交界で得た情報をユーリに流す。夫セシルは相変わらず愛人と遊び歩き、妻のノマスティアのことなど気にも留めていない様子。
しかし、周りでは少しずつ異変が起こり始めていく。今まで順調だったはずの事業に小さなトラブルが頻発するようになったのだ。契約が突然破棄されたり、商品の品質に問題が見つかったりして、セシルは苛立ちを隠せない。
「一体どうなっているんだ?」
側近に怒鳴り散らすセシルの姿を、ノマスティアは冷めた目で見つめていたがついに、その日はやってきた。セシルの最大の事業である鉱山の不正が明るみに出たのだ。
ずさんな管理体制、偽りの報告……全てが白日の下に晒され、セシルの信用は地に落ちる。貴族たちは手のひらを返したようにセシルから離れていき、事業は次々と破綻。莫大な借金を抱え、セシルは完全に追い詰められた。
「おい!ノマスティア……!お前の仕業だな!」
憔悴しきったセシルがノマスティアの前に現れた時の目は、憎悪に満ちていた。
「そうよ?あなたが私にしたことの報いだし、やれるものならやってみろって言ったじゃない。もう忘れた?」
ノマスティアは毅然と言い放つ。表情には悲しみや迷いはもうない。
「お前……この!」
セシルはノマスティアに手を伸ばそうとしたが、傍にいたユーリがそれを制止した。
「もう、近づかないでください」
「なっ!」
ユーリの強い眼差しにセシルはすごすごと後退した。鍛え方が違うのでみてわかる体格差だから、勝てる気がしなかったに違いない。セシルの家はそうして没落しノマスティアは自由の身となり、ユーリと共に二人は静かに新しい生活を始めた。
「ありがとうユーリ。あなたがいなかったら、どうなっていたか」
夕焼け空の下、ノマスティアはユーリに感謝の言葉を述べた。
「僕こそ、ノマスティア様がそばにいてくれて、本当に嬉しいです」
ユーリは照れたように笑った笑顔は、昔と変わらない優しさで溢れていた。
「ユーリ、今日のパンも美味しい」
「ああ、街のパン屋のおじさんが新しいレシピを試したとかで。ノマスティア様も気に入ってくれて嬉しいです」
ノマスティアは、ユーリが淹れてくれた温かいスープを一口飲んだ。セシルの家を出てから、質素だけれど穏やかな日々を送っている。ユーリの工房の一角に小さな部屋を借り、二人で協力して生活していた。
「騒がしさから解放されて本当に良かった」
「無理も我慢もする必要なんて、ありませんよ。ノマスティア様はもっと自由に生きていいんです」
ユーリの優しい言葉がノマスティアの胸にじんわりと染み込んだ。
「でも、あなたに苦労をかけてしまっているんじゃない?」
「そんなことありません!ノマスティア様がいてくれるおかげで、工房も活気づいていますし。それに……」
ユーリは少し照れたように言葉を濁した。
「それに?」
ノマスティアが問い返すとユーリは意を決したように顔を上げた。
「一緒にいられるだけで僕は幸せなんです」
ノマスティアはユーリの真剣な眼差しにドキッとした。幼馴染として、ユーリの、今まで気づかなかった気持ちに触れた気がする。
「ユーリ……」
その時、工房の扉が勢いよく開いた。
「ユーリ!大変だ!」
息を切らせた男が飛び込んで、街の職人仲間のようだ。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
ユーリが心配そうに尋ねた。
「セシルのやつが……まだ諦めてないぞ!何か企んでいるらしい!」
「何ですって?」
ノマスティアは思わず声を上げた。セシルがまだ何か企んでいるなんて。
「ああ。街の連中が噂しているんだ。どこかの貴族に取り入ろうとしているとか、昔の部下を集めているとか……」
職人仲間は不安そう。
「放っておけないな。ノマスティア様、少し工房を空けても?」
ユーリは真剣な表情でノマスティアに言った。
「ええ、もちろん。でも気をつけて」
ノマスティアは心配そうにユーリを見送ったものの、嫌な予感が胸をよぎる。
あの男のことだから、また何かろくでもないことを考えているに違いない。数日後、ユーリは険しい顔で戻ってきた。
「やはり、セシルは動いていた。昔の悪事を隠蔽するために、有力な貴族に近づこうとしているようだ」
「そんな……!まだ懲りていないなんて!」
ノマスティアは怒りを覚えた。自分たちの静かな生活を、また壊そうとしているのか。
「このままではまた面倒なことになるかもしれません。何か対策を考えないと」
ユーリはそう言って腕を組んで考え込んだ。
「私に考えがあるわ」
ノマスティアは口を開く。社交界で培った人脈を使い始めた。没落したとはいえ、彼女の言葉にはまだ一定の影響力がある。セシルの悪行を改めて人々に伝え、彼の後ろ盾になろうとしている貴族に圧力をかけたのだ。
一方、ユーリは職人仲間たちと協力し、セシルの新たな企みの証拠を探す彼らのネットワークは、街の隅々まで張り巡らされていた。卑劣な計画が明らかに。不正を揉み消す代わりに、ある貴族に娘を嫁がせようとしていたのだ。
「許せない……!」
ノマスティアは怒りに震えた。自分の犯した罪を反省するどころか、また他人を利用しようとしている。
「ユーリ、私たちも動きましょう。今度こそ、完全にあの男の野望を打ち砕く」
ノマスティアの瞳には、強い決意を灯し、計画を阻止するために奔走した。貴族たちを説得し、ユーリは集めた証拠を公にしようとする。
セシルは、二人の動きを察知し、焦り始めた。邪魔者を排除しようと卑劣な手段に訴えようとしたが、それも全てノマスティアとユーリの機転によって阻止される。計画が実行される当日、ノマスティアとユーリは、証拠を持って貴族たちの前に現れた。
「皆様、どうかこの証拠をご覧ください!」
ユーリが声を上げ、セシルの新たな悪事を記した書類を提示。貴族たちは内容に驚愕し、セシルを見る目が変わった。
「こ、これは……!」
「セシルは、過去の罪を隠蔽するためにこのような卑劣な計画を立てていたのです!」
ノマスティアの言葉は貴族たちの心に深く突き刺さった。セシルを見限り、彼の後ろ盾になることを拒否。完全に孤立したセシルはその場で逮捕された。
彼の野望はついに打ち砕かれたのだ。事件が解決し、ノマスティアとユーリの日常が戻ってきた。二人の間には以前とは違う温かい空気が流れる。
「ユーリ、本当にありがとう。あなたがいなかったら、また絶望していたかもしれない」
ノマスティアは、心からの感謝をユーリに伝えた。
「僕こそ、ノマスティア様を守ることができて、本当に嬉しいです」
ユーリは優しく微笑んだ。そして、少し緊張した面持ちで、ノマスティアの手を握った。
「ノマスティア様……あの……もしよろしければ、これからもずっと、僕と一緒に……」
ユーリの言葉の続きをノマスティアは笑顔で遮った。
「ええ、喜んで」
二人の手はしっかりと重なり合った。
それからしばらくして、ノマスティアとユーリはささやかな結婚式を挙げた。派手な装飾も多くの参列者もいない、二人だけの温かい式。ユーリの工房の一室を飾り付け、街の職人仲間たちが手作りしてくれた料理を囲んだ。
「まさか、また結婚するなんて思ってもいなかった」
ノマスティアはユーリの隣で呟いた。白いシンプルなドレスが彼女の美しさを引き立てている。
「僕もです。ノマスティア様とこうしていられることが夢のようです」
ノマスティアの手に自分の手を重ねた温もりが、心にじんわりと広がっていく。
「ユーリ……ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。僕のそばにいてくれて」
二人は見つめ合い、静かに微笑んだ。過去の苦しみを知っているからこそ、今の穏やかな時間が、何よりも大切に思えた。結婚後も、二人は変わらず協力して工房を切り盛りする。
ノマスティアの社交界での経験とユーリの確かな技術が合わさり、工房の評判はますます高まっていき新しい商品を開発したり、街の困り事を解決するような道具を作ったりと二人の仕事は人々の役に立つ喜びで満ちていた。
穏やかな日々が続く中、ノマスティアのお腹に小さな命が宿った。
「ユーリ……あのね……」
ある日、ノマスティアは少し緊張した面持ちで、ユーリに告げた。
「どうしましたか、顔色が少し悪いようですが……」
「実は……あ、赤ちゃんができたの」
ユーリは目を丸くして、信じられないといった表情でノマスティアのお腹に触れる。
「本当ですか?僕たちの?」
「ええ」
微笑むとユーリの目にはみるみるうちに涙が溢れてきた。
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
優しく抱きしめ、何度も感謝の言葉を繰り返した。新しい命の誕生は二人の絆をさらに深めた。あっという間にお腹は大きくなり月日は流れ、二人の間には元気な男の子が生まれる。
よく泣くこと泣くこと。ユーリ譲りの鳶色の瞳を持つその子はかけがえのない宝物となった。
「大きくなったわね、この子も」
ノマスティアは庭で遊ぶ息子を優しい眼差しで見つめ、隣には穏やかな笑顔で見守るユーリ。
「ええ。ノマスティア様に似て、好奇心旺盛なようです」
「ふふ、そうね。たまにセシルに似た意地の悪さを見せることもあるけれど」
ノマスティアの言葉に少し苦笑した。過去の夫の影は完全に消え去ったわけではないが、それでも今のノマスティアの心にはもう何のわだかまりもない。
「でも、大丈夫。この子には私とユーリの愛情をたっぷり注いであげるから」
ノマスティアは力強く言った。




