231 愛し過ぎて試し行動をして別れた二人がやり直そうしても、お互いが好き過ぎてダメになったのはきっと必然だったのだと子供達に言い聞かせられる日がくると信じているから
ざまぁなし
「俺さ、好きな子ができちゃったんだ」
目の前で、婚約者であるマキシム・パッシブが、今日の天気を話すかのように軽やかに言った。
色素の薄いブロンドの髪が差し込む午後の光を浴びてキラキラと輝いている顔には、いつもの王子様のような微笑みが浮かんでいる。
持っていたティーカップをテーブルに置き、静かに見つめた。
婚約者であり、国随一の公爵家嫡男であるマキシム。誰もが認める、完璧な男。の、はずなのだが。
「その子と結婚まで付き合いたいんだ。もちろん、君との結婚はちゃんとする。これは家同士の取り決めだろ?」
心はありえないことと凍り付く。平凡な社会的な成人だった生活をしていたある日、トラックに轢かれて気がつくと伯爵令嬢イリス・クラインフェルトになっていた。
前世でハマっていた乙女ゲームの世界のライバル令嬢、つまり悪役令嬢としてゲームの主人公をいじめる役。マキシムはゲームのメイン攻略対象。
最終的に、断罪し、ヒロインと結ばれる運命らしい。そんな運命を避けるために必死にマキシムとは、一定の距離を保ってきた。悪役令嬢らしく振る舞えば反感を買って婚約破棄され、国外追放されると信じて。
心を閉ざしてきた。でも、さすがに今のは心を深くえぐった。好きだったから。いや、好き、という言葉では足りないかもしれない。
未来の伴侶として心から尊敬していた。
優しさ、強さ、聡明さ。とにかくすべてを愛していた。だから、好きな子ができたと言われることはあまりにも残酷だった。
「マキシム様、それは身勝手ではございませんか?」
彼は微笑みを消して真剣な眼差しで見つめた。
「イリス、俺だって君との愛のない結婚は嫌なんだ。だから、せめて結婚までの間くらい好きな子と恋愛を楽しみたいんだ」
愛のない結婚?胸が締め付けられるような痛みを感じた。愛しているのに、今度の結婚を、愛のない結婚だと思っているのか。もう、彼との婚約を続けることはできないと思う。無理だ。震える声でマキシムに告げた。
「マキシム様、貴方との婚約を破棄させていただきます」
マキシムは目を丸くして固まった。
「イリス……?え?君は本当にそれでいいのか?本当に?なぜ?」
静かに頷いた。
「はい。貴方と結婚するよりも貴方の幸せを願います」
悲しそうな顔をした彼は何も言わずその場を去って行った。その日、父にマキシムとの婚約破棄を申し出たことを伝える。父は驚きながらも意思を尊重してくれた。
「イリス、本当にそれでいいのか? マキシム様のことを心から愛していたではないか」
父の言葉に涙が止まらなくなった。
「お父様、彼は私との結婚を愛のない結婚だと思っています。そんな結婚は私にはできません。ごめんなさい、ごめんなさい。無理なんです」
父は頭を優しく撫でた。
「そうか……分かった。お前の好きなようにしなさい」
父の言葉に感謝の気持ちでいっぱいになる。
婚約が破棄されてから心はひどく落ち込んでいた。毎日、自分の部屋に閉じこもり泣き暮らす。
彼はすべてだったのに。婚約者を失ったことは生きる意味さえ見失わせる。部屋に一人の人物がやってきた。マキシムの弟であるジュパルだった。
「イリス様、兄がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
ジュパルは深々と頭を下げた。兄にそっくりなブロンドの髪と、青い瞳を持っていたがマキシムとは正反対に穏やかで優しい性格をしている。
「ジュパル様、貴方は何も悪くありません」
ジュパルは隣に座り、語るように静かに言葉を続けた。
「イリス様、兄は……貴方と別れたことを後悔しています」
ジュパルの言葉に驚きと怒りを感じた。
「後悔? それはないです。彼は私との結婚を愛のない結婚だと言いました。そんな彼に後悔する資格などありませんっ」
ジュパルは悲しそうな顔を浮かべる。なにもかも知っている態度。
「イリス様、兄は貴方のことを心から愛していました」
なんだそれは?と呆然とした。
「はい?……それは、どういうことですか?」
「兄は貴方に愛を伝えたいと何度も私に相談してくれました。でも、貴方はいつも兄に対して心を閉ざしていて。兄は貴方が自分との結婚を嫌がっているのだと思っていました。決めつけていました」
胸が締め付けられるような痛みを感じた。自分が彼を愛していることをなにも知らなかったのだ。国外追放を恐れて冷たい態度をとっていたことが深く傷つけていたのだと知る。怖かったのだ。死にたくなかった。
「兄は貴方に……もっと意識してほしくて、わざと浮気をしたという……嘘をつきました」
すべてを理解した。婚約者は愛を伝えたかったがどう伝えたらいいか分からず、身勝手な嘘をついて試したのだと。
「もしかしたら貴方が、愛していることを最後に知って喜んで、貴方との愛を育んでいけると思っていたのだと思います。でも……その時にはもう婚約を破棄してしまっていた」
「そ、んな。そんなのって」
涙が止まらない。気持ちを何も知らなかったし、そのまま何も知らずに彼をたくさん傷つけてしまった。
マキシムに謝りたい。もう一度やり直したかったから会いに行った。彼は自室で一人、窓の外を眺めている。背中はひどく寂しそう。
「マキシム様……」
ゆっくりと振り返った瞳は私の目を見て、驚きに満ちている。
「イリス……なぜ、ここに?」
マキシムの前にひざまずいた。
「マキシム様、申し訳ございませんでした。私は貴方のことを何も分かっていませんでした」
すべてを話した。前世の記憶を持っていること悪役にされる令嬢だったこと。だから、彼に冷たい態度をとっていた話を黙って聞いていた。瞳はかなり深く見つめていた。話し終わるとマキシムは頭を優しく撫でる。
「イリス、君は僕のことを愛してくれていたんだな」
頷き、涙が止まらなくなった。
「はい……マキシム様、私は貴方を心から愛しております。もう一度私とやり直していただけませんか?」
マキシムは微笑んだ。
「イリス、ありがとう。でも……もう遅いんだ」
息をのんだ。
「どうしてですか?」
マキシムは手を取り、静かに言葉を続けた。
「イリス、僕は君を心から愛している。でも……僕は君を二度も傷つけてしまった。幸せにする資格がない」
胸が締め付けられる。
「そんなことありません! 私は貴方と一緒に幸せになりたいのです!」
マキシムは悲しそうな顔をした。
「イリス、君は本当に優しい子だ。でも、僕は君を傷つけることはできない」
マキシムは手を離し、前から去って行った。部屋を出る男はどこに行こうというのだ。
立ち尽くし続けた。
それからはマキシムとの再会から元婚約者との関係をすべて断ち切った。愛していた。
でも、幸せにすることはできないと言われて言葉を受け入れるしかなかった。
関係を断ち切り、自分の人生を歩み始めた。
自分の力で生きていく。知識を活かして再起して洋菓子店を始めた。
レシピのおかげで作るケーキや焼き菓子はすぐに評判になり店は連日、多くの客で賑わう。店にマキシムの弟であるジュパルがやってきた。普通に注文して静かにケーキを食べるだけ。
「イリス様、貴方の作るケーキはとてもおいしい」
ジュパルは微笑みかけた。それから、店に頻繁に顔を出すようになる。こちらのことを気にするなんてできた男だ。
仕事を手伝ってくれたり、話を聞いてくれたりした。
過ごす時間がとても楽しくて。ジュパルはマキシムとは何もかも違っていた。嘘をつくことはないし、心から大切にしてくれ、ジュパルに性懲りもなく惹かれていく。
マキシムとのすれ違いのことを話した。ジュパルは黙って聞いて終わると手を握り、優しく微笑む。
「イリス様、僕は兄とは違います。僕は愛しています。僕は貴方を一生大切にします。好きでした、昔から」
言葉に涙が止まらなくなったまま、手を握り返し笑う。
「あの、ジュパル様。私も好きになってしまいました」
その後、右往左往を経て結婚した二人。子供に恵まれ幸せな家庭を築くことになる。マキシムは結婚式には来なかったが一通の手紙が届いた。
「イリス、君が幸せそうで本当に良かった。僕の分まで幸せになってくれ。マキシムより」
手紙を読み、涙と共に胸に当てて微笑んだ。感謝している。別の道を与えてくれたから。自分の力で幸せを手に入れることができたことを。
偽りの愛と真実の別れ。新たな愛と真実の幸せ。このすべてを受け入れ、これからも幸せに生きていくのだ。
マキシムは心から愛してくれていた。愛を伝える方法を間違えて傷つけることを恐れ、私を手放した。
おかげで、大切な人に出会うことができたということになる。マキシムは今もどこかで愛しているのかもしれない。
でも、それは誰かに知られることはない。
過去の思い出として自分も愛する人がいて幸せだったことは幸運なのだ
今は隣にいる愛する夫と子供たちがいれば幸せ。
それで十分。好きな人も結婚したい人も二人いたけれど、それが間違いだったなんてことはない。どちらも否定する必要がない感情。
生きる道が断たれても別れても好きになったことに後悔なんてしない。愛するくらい素敵な人生を歩ませてくれた時間は、かけがえのないことなのだと教えてくれた。
スッキリした気持ちが確かに存在してくれているのだから。子供達に呼ばれる声を聞きながら、大きく振り向いた。




