227魔法を使わない力を蔑んだ王都では魔力枯渇という未曾有の事態が起きていた。魔法が消え街は暗闇に包まれ、 魔獣たちが暴れ回ると自慢の魔力を失った父や妹は無力な人形と化して飢えと恐怖に震えていたらしい
追い出した私と蔑んだランティルを頼って、北の地まで這いずってきた
王宮の尖塔が夕闇に沈む頃、世界は音を立てて崩れ去った。
「ゼラーヌ、貴様のような無色の無能を公爵家に置いておくわけにはいかない。明日、北の地の動く山へ嫁げ。死のうが生きようが我が家には、関係のないことだというこを肝に銘じておくように」
父の馬鹿みたいな言葉が冷たい石床を這うように耳に届く。隣でまばゆい魔力の光を弄ぶ妹のフレアが、憐れむような悦びに満ちた瞳で私を見下ろす。
「お姉様残念です。あちらの領主様は巨体に理性を失った獣だと聞いております。お姉様なら、せいぜい巨大な爪を研ぐ砥石くらいにはなれるかもしれません」
唇を噛み、沈黙を守った。彼らには分からない。この世界でどれほど確かなものを求めていたか。
前世は病弱で、自分の指先を動かすことさえ億劫なほど衰弱して死んだ。だから、転生してからは魔法という実体のない力よりも、自らの血を巡らせ肉を動かす生命の重みに執着した。
だが、魔力至上主義の国では鍛え抜かれた体は野蛮な労働者の象徴でしかなかった。ドレスの下で誰にも知られぬよう、しなやかで強靭な肉体を作り上げてきた。それが唯一、私が私であるための証明だったから。
馬車に揺られること十日。北の果て、一年中凍土に覆われたヴォルガード領。城門の前で彼と出会った。
「……王都から送られてきた女か」
重く低い地底から響く地鳴りのような声だった。馬車を降りた前に巨大な影が差した。見上げてもすぐには顔が見えない。ランティル・ヴォルガード。
王都では人の形をした災害と恐れられる男。体格は今まで見てきたどの人間とも、どの魔物とも異なっていた。
身長は二メートルを優に超え、厚い胸板は盾のように広い。外套の上からでも潜む筋肉が、獲物を狙う猛獣のように脈打っているのが分かる。
呼吸をするたびに冷たい空気が白く濁り、圧倒的な熱量がこちらまで伝わってきた。恐怖かそれとも本能的な服従か小さな体は、彼の放つ重圧とプレッシャーにすくみ、呼吸が浅くなる。
彼の一歩は私の三歩分。彼が大きな手で頭を掴めば、それだけで意識は刈り取られるだろう。
「何だ。恐怖で声も出ないか」
彼覗き込むように身を屈めた瞬間、視界は彼の肉体だけで埋め尽くされた。鉄のような、それでいて生命の輝きに満ちた男の匂い。震える指先を伸ばし、巨大な手に触れた。
手は指二本分ほどしかない圧倒的な差に絶望ではなく、生まれて初めての充足を感じる。
(ああ……ここにいた。私を壊せるほどの圧倒的な生命が)
「ランティル様。私はあなたに出会うために、空虚な王都を捨ててきたのです」
ランティルの瞳が驚愕に細められた。魔法に頼り、ひ弱な美しさを尊ぶ王都の連中には、男の価値は一生分からない。
それから三ヶ月。王都では魔力枯渇という未曾有の事態が起きていた。魔法が消え、街は暗闇に包まれ、魔獣たちが暴れ回る。自慢の魔力を失った父や妹は無力な人形と化して、飢えと恐怖に震えていたらしい。
追い出した私と蔑んだランティルを頼って、北の地まで這いずってきた。
「ゼラーヌ!助けて!恐ろしい魔獣がすぐ後ろに……早く!早く獣に戦わせなさいっ!」
妹のステラが泥にまみれたドレスを振り乱して叫ぶ後方、魔法を無効化する巨大な龍が街を焼き払いながら迫っていた。
ランティルは隣で静かに立ち上がった。剣を抜くことさえしなかった。地を強く踏みしめただけ。それだけで大地が割れ、衝撃波が妹たちを吹き飛ばす。
「……私の妻が騒がしい声で眉をひそめている。消えろ」
ランティルが地を蹴った次の瞬間、空が爆ぜた。魔法も何もない肉体による突撃。龍の首をその巨腕で掴むとそのまま地面へと叩き落とした。
絶叫さえ許さぬ物理的な暴力。魔法の時代の終焉。息を切らして戻ってきた彼の巨大な体に寄り添った。返り血を浴び、湯気を立てる彼の肉体はどんな宝石よりも美しい。
「ランティル様お疲れ様でした……少し、肩が張っていますわね」
彼の膝の上に乗り、小さな手で岩のような筋肉を包み込んだ。ランティルは不器用な手つきで細い腰を抱き寄せる。一撫でで体は彼の腕の中に完全に隠れてしまった。
*
吹雪が窓を叩く音が遠くに聞こえるが、暖炉の火が赤々と燃えるこの部屋は汗ばむほどの熱に満ちていた。
目の前のテーブルには今日のために用意した特製のパフェが置かれている。
甘く煮た木の実、濃厚な乳から作ったクリーム、冬の間に氷室に隠しておいた冷たい果実。王都の連中が見たら野蛮な食べ物と鼻で笑うだろうが、この地で生きる私たちには、これくらいのエネルギーが必要。
「……ゼラーヌ、これはどうやって食べればいいんだ」
ランティルが困り果てたようにパフェを見つめている。巨大な手には用意した銀のスプーンがあまりに小さく、おもちゃのように見えた。軽く力を入れただけで繊細な持ち手は簡単に曲がってしまいそうだ。
笑いを堪えながら隣に腰を下ろした。ランティルの体は座っているだけで壁のような圧迫感がある。太ももは私の胴体ほどもあり、隣に並ぶと大きな熊に守られた小動物のような気分になる。だが、強大な肉体から放たれる熱こそが愛おしい。
「こうするのですよ。はい、あーん」
スプーンにクリームをたっぷり乗せて差し出すと、ランティルは驚いたように目を見開いた。戦場では龍をも引き裂くその鋭い瞳が、今は迷子の子供のように泳いでいる。少しだけ恥ずかしそうに覚悟を決めたように、ゆっくりと大きな口を開けた。
「……甘いな。驚くほどに」
一口食べたランティルの顔がふわりと緩んだ。瞬間、胸の奥がぎゅっとなる。王都で動く山と恐れられ、誰からも怪物の如く遠ざけられてきたこの男が甘いものを食べただけで、こんなに優しく無防備な顔をするなんて。
常に誰かの顔色を伺い、期待に応えるためにすり減っていた。魔力がないと言われて捨てられた人生で、初めてそこにいることを許された気がする。
魔法なんてあんな実体のない光に何の意味があるのだろう。目の前にある岩のように硬く、それでいて抱き上げるときには羽毛のように優しい肉体こそが、唯一無二の真実。
「ランティル様、お口の横にクリームがついています」
手を伸ばして拭おうとすると、ランティルが手首をそっと掴んだ。指一本が手首を半分以上覆ってしまう。指先が肌に触れるだけで、彼の体の熱が心臓の鼓動を早めていく。
「ゼラーヌ……お前が来てから氷の城は別の場所のようだ」
手を引き、そのままひょいと持ち上げて自分の膝に乗せた。視界が急に高くなるとランティルの逞しい胸板が目の前にあり、体から溢れる雄々しい匂いが鼻を突く。
広い首筋に腕を回し、圧倒的な質量に身を預ける。
「私はどこにも行きません。世界中があなたの力を恐れても、私だけはあなたの隣でこうして甘いものを作って差し上げます」
ランティルは腰に大きな腕を回し、壊れ物を扱うようにゆっくりと力を込めて抱きしめてくれた。腕の中に閉じ込められると、外の嵐も、王都の連中の嘲笑もすべてがどうでもよくなる。
「……お前の肌は柔らかいな。指が沈んでしまいそうだ」
彼が私の背中を大きな手のひらでなぞる体格の差は、そのまま守られているという安心感に変わる。完全に包み込まれ、逃げ場のない快い閉塞感の中で幸福に浸ると胸に顔を埋め、さらに強く抱きしめ返した。




