219愛されし精霊姫の静かなる断罪に愚かな王子は荒れ野に哭く。愛する方がいらっしゃるではありませんか。二人の真実の愛があれば空腹も渇きも癒やせるのでしょう?どうぞ末永くお幸せに
シャンデリアの煌めきが皮肉なほどに眩しい夜だった。王城の大広間。着飾った貴族たちがざわめく中、声は鋭く響き渡る。
「おい、ベルティス! 貴様との婚約を今、この時をもって破棄する!聞こえたな?」
壇上で叫んだのは第一王子アードゥト。
金髪に碧眼、見目麗しい王子だが今の顔は憎悪で歪んでいる。醜悪。腕には小柄で可愛らしい男爵令嬢が震えるようにしがみついていた。
心を落ち着かせて静かに扇を閉じておく。周囲の貴族たちが、憐れみと嘲笑の混じった視線を向けてくる。
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか、殿下」
声は震えなかった。あまりにも予想通りの展開だったから。
「白々しい!陰湿な嫌がらせの数々、知らぬとは言わせないぞ。教科書を破り、階段から突き落とし、あまつさえ彼女のドレスにワインをかけたそうだな!」
「怖い……ベルティス様、どうしてそんな酷いことを……」
ベルモンドが涙目で王子を見上げる。アードゥトはさらにヒートアップし、彼女を庇うように抱き寄せた。
「私が守る。ベルモンドこそが真の聖女であり、次期王妃にふさわしい! 魔力を持たず家柄だけで私の隣に居座る石ころのような女は不要だ」
石ころ。会場からクスクスと笑い声が漏れる。
ベルベット公爵家は代々、強大な魔術師を輩出してきたものの、己だけ魔力がなかった。だからこそ、アードゥトは見下し、愛らしいベルモンドに心を移したのだ。
けれど、彼らは一つだけ致命的な勘違いをしている。ゆっくりと顔を上げた。表情からは感情を消し去り、真っ直ぐに王子を見つめた。
「殿下。その言葉、取り消しはなさいませんね?」
「当たり前だ! 今すぐこの城から出ていけ! 国外追放だ!」
「ふう、承知いたしました」
優雅にカーテシーの礼をした。怒りも悲しみもない。あるのは呆れるほどの無関心。
「ただし、私が持ち込んだ嫁入り道具はすべて回収させていただきます。よろしいですね?」
「はっ、好きにしろ。お前のような石ころが持ってきたガラクタなど王家には一つも必要ない」
アードゥトが吐き捨てると「ありがとうございます」と微笑んだ。これまで一度も見せたことのない、凍てつくような冷酷な笑み。
王城を出たが、迎えに来ていた家の馬車には乗らなかった。代わりに夜空に向かってそっと右手を掲げる。
「――おいで」
一言で世界が変わった。夜風が渦を巻き、光の粒が雪のように舞い降りる。足元に現れたのは巨大な銀色の狼、風の精霊王フェンリル。
「我が愛し子よ。ついに愚か者を見限ったか」
頭の中に直接響く声。フェンリルの柔らかな毛並みに顔を埋めた。
「ええ。契約は終了よ……さあ、みんな。帰りましょう」
呼びかけると、王城の庭園、噴水、城壁の石組みから無数の光が飛び出した。火の精霊、水の精霊、土の精霊。視界を埋め尽くすほどの精霊たちが周りに集まってくる。
アードゥトもこの国の誰も知らなかったのだ。
魔力がないのは魔力を必要としない存在。精霊に愛されし者だったからだということを。この国は砂漠の真ん中にありながら、豊かな水と緑に恵まれていた。
過去の契約により精霊たちにお願いして、無理やり土地を潤していたからに過ぎない。機嫌を損ねないよう精霊たちが必死に作物を育て、水を湧き出させていた。
「アードゥト殿下が石ころとおっしゃった力が国を支えていたのですけれど……ね?」
必要ないと言われたのだから仕方がない。
持ち込んだ嫁入り道具。ドレスや宝石ではない。国に与えていたすべての加護。
「さようなら、アードゥト様。愛しいベルモンド様と乾いた砂の上でお幸せに。ふふ」
フェンリルの背に乗り、夜空へと駆け上がった。眼下で輝く王都の灯りが少しずつ頼りなく、揺らぎ始めているのを冷たい目で見下ろす。なにがあろうと知るものか。
ベルティスが去ってから異変はすぐに起きる。翌朝、アードゥトが目覚めると喉が張り付くように渇いていた。水差しに手を伸ばすが中身は空。メイドを呼んで水を持ってこさせようとしたが、血相を変えた従者が飛び込む。
「で、殿下! 大変です! 王城内の井戸がすべて枯れました!」
「なにご、な、なんだと!?」
慌てて窓の外を見る。自慢だった王宮庭園の美しい薔薇が一夜にして茶色く枯れ果てていた。噴水の水は止まり、土はひび割れている。
「どうなっているんだ……?」
異変は城内だけではなかった。その日の午後には国民からの悲鳴のような報告が殺到。
豊作だったはずの麦畑が一瞬で腐り落ちた。川の水が泥に。冷涼だった風が止み、肌を焼くような熱風が吹き荒れる。
「ベルモンド! 早くベルモンドの聖女の力でなんとかするんだ!」
アードゥトはすがる。しかし、ベルモンドは青ざめて震えるばかり。聖女の力とされていたものは、実は微弱な治癒魔法だけで天候や大地を操る力などあるはずもなかった。
これまで祈りで雨が降ったように見えたのは、単にベルティスが空気を読んで雨を降らせていただけ。お世辞のようなもの。
「嘘だ……そんな……ああ、あああ!!」
一週間も経つと国は地獄と化した。備蓄されていた食料はなぜかカビだらけになり、魔除けの結界が消えたことで砂漠の魔物たちが街になだれ込む。
「ベルティス……まさか、あいつが……そんな?」
アードゥトはようやく思い出した。ベルティスが去り際に言った言葉を。
『私が持ち込んだものは、すべて回収させていただきます』
「あいつが国の繁栄そのものだったというのか!?」
アードゥトは愕然と膝をついた。父である国王は事の重大さを悟り、ショックで倒れてしまう。残されたのは無能な王子と、偽りの聖女。国民の怒りは頂点に達していた。
「王子が精霊姫を追い出したせいだ!」
「あの女狐の女が国を滅ぼした!」
暴動が起き城門が叩かれる。豪華な食事も美しいドレスも、何の意味もなかった。あるのは飢えと渇き、絶望だ。
それから半年。隣国の辺境、精霊の森の奥深くで暮らしていた。素晴らしい場所。力で土地は肥え、木々には色とりどりの果実が実っている。清らかな水が流れ、動物たちが歌う。
隣国の王太子殿下、幼馴染であり力を正しく理解してくれ賓客として、迎え入れてくれたのだ。
「ベルティス、今日のお茶会は楽しかったかい?」
「ええ、カーラム様。クッキーは絶品」
穏やかな午後。二人はテラスで優雅にお茶を楽しんでいた。そこへ近衛兵が近づいてくる。
「ベルティス様……例の難民たちが、国境の門の前にたどり着いたようです」
ティーカップをソーサーにことりと置いた。
「そう……会いにいきましょうか」
カーラムと共に国境へ向かうと、栄華など見る影もない薄汚れた集団がいた。ボロボロの服を着て、頬はこけていて目は落ち窪んでいる。
先頭にいたのは杖をついてやっと立っている男、アードゥト。後ろには泥だらけで髪も乱れたベルモンドがいる。二人は互いに罵り合いながら、這うようにしてここまで逃げてきたのだ。
「み、水……水をくれ……」
アードゥトが気づき、濁った目を大きく見開いた。
「べ、ベルティス!? もしかして、ベルティスか!?」
フェンス越しに手を伸ばしてきた爪の間には黒い土が詰まっている。
「ああ、ベルティス! 探したぞ! わ、わ、悪かった、私が間違っていたんだ!」
「……」
「お前がいなくなってから、国は滅んだ。何もかも失った! でも、お前が戻ってくればまた元通りだ! さあ、帰ろう。正妃にしてやる! ベルモンドなどどうでもいい!」
「ひどい! アードゥト様、私を守ってくれるって言ったじゃない!」
金切り声を上げるが、アードゥトは彼女を突き飛ばした。あまりに醜い光景。あれほど愛を誓い合った二人の成れの果て。道端の石を見るような目で見下ろした。
「アードゥト様。貴方は私を石ころと呼びましたね?覚えておりますから」
「あ、あれは言葉のアヤだ! お前は宝石だ! 女神だ!」
「いいえ。私は人間です。私を愛してくれる精霊たちも貴方たちのことは大嫌いだと言っています」
背後で炎と風の精霊が威嚇するように唸りを上げた。アードゥトがひっ、と悲鳴を上げて尻餅をつく。
「貴方が捨てたのは私だけではありません。貴方の国に住む、すべての命の未来を捨てたのです……責任は貴方自身が背負いなさい」
「待ってくれ! 頼む! 一口でいい、水をくれ! 食い物をくれ! 死んでしまう!死ぬ!」
必死に地面に頭を擦り付ける元婚約者。手に持っていた扇で口元を隠し、冷たく言い放った。
「あら。愛するベルモンド様がいらっしゃるではありませんか。二人の真実の愛があれば、空腹も渇きも癒やせるのでしょう? どうぞ、末永くお幸せに」
踵を返した背後から、絶望に満ちた叫び声が聞こえる。
「ベルティスッ!違う!お前を愛しているんだあああ!」
一度も振り返らなかった。隣には優しく見守るカーラムがいるから。風の精霊が心地よい風を運んでくる。
国を追放されてから手に入れたのは、何にも縛られない自由と本当の愛。捨てた彼らに残されたのは枯れ果てた荒野。
あまりにも残酷で、けれど当然の報いだった。




