217【前編】最強姉妹!前世が孤独な冒険者だったので手作りクッキーをくれるクラスメイトを崇めることにした〜Sランクの姉は妹の配信を最前線で見る〜
味なんてしなかった。前世の記憶はおぼろげだ。魔王がどうとか、世界の平和がどうとかそんな高尚なことはどうでもいい。
覚えているのはひもじさだけ。雨に濡れた洞窟。カビの生えたパン。
モンスターの返り血と泥が混ざった雑巾を煮詰めたようなスープ。それを一人で、誰の温もりもない場所で生きるためだけに喉に流し込む。
「……まっず」
それが、前世の最期の言葉だった気がする。あんな思いはもう二度と御免だ。絶対にだ。三度も四度も言える。
「おい、サポート科!トロトロすんな、荷物が遅れてるぞ!」
怒号が飛ぶ。王立学園のダンジョン実習。先頭を歩くのは煌びやかな鎧と杖に身を包んだ英雄科一組のエリートたち。
彼らの後ろで巨大なリュックを背負い、泥だらけになって歩くのが、私たちサポート科三組だ。
「……はぁ重い」
隣でメカクレ少女のが、今にも泣きそうな声で呟く。背中には一組の連中が休憩時間に飲むための高級紅茶セット、陶器製が入っている。馬鹿じゃないの。
「大丈夫、あと少しで休憩ポイントだから」
荷物の位置を魔法で少しだけ浮かせて負担を減らす。私はクエム。地味な緑ブラウンの髪をしたどこにでもいる中学生……ただし、中身は飯が不味いと発狂する元冒険者。
今夢はクラスメイト(金の卵たち)を立派な料理人や補給部隊に育て上げ、一生美味しいものを食べさせてもらうこと。
そのためなら、一組の荷物持ちくらい甘んじて受け入れると思っていた。あいつらが、食材に手を出さなければね。
「ギャアアアアア!!」
突如、空気が震えた。一組の先頭集団が何かを踏んだらしい。ダンジョンの壁が崩れ、そこから現れたのは指定区域にはいるはずのない変異種のアシッド・ボア。
「な、なんだこれ!?教科書に載ってない!」
「先生!先生はどこですか!?」
「逃げろ!魔法が効かない!」
エリートたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。問題は彼らが逃げた先がサポート科のいる後方だったことだ。
「ひっ……!」
「嫌だ、死にたくない……!」
クラスメイトたちが腰を抜かす。暴走する巨大な猪。口から滴り落ちる溶解液が地面を溶かし、あろうことか大事に運んでいたおやつのバスケットを溶かした。
ジュワッ。
バスケットに入っていた、ポテトチップスが。チョコレートが。誰かが早起きして焼いてくれたクッキーが、ドロドロの酸にまみれて溶けていく。臭いが鼻を突いた。
(……あ)
ツンとする酸臭。焦げた油の匂い。一瞬で脳裏にある前世の記憶を呼び覚ました。思い出す。雨の洞窟。泥のスープ。孤独な夜。嘔吐感。
もう、嫌だ。あんな不味い思いをするのは、死んでも嫌だ。プツン、と何かが切れた。
「……ふざけるなっ」
口からほとばしったのは、可憐な悲鳴ではなく魂の拒絶。詠唱?いらない。杖?邪魔だ。無造作に右手を突き出した。
イメージするのは攻撃じゃない。下処理だ。
食材の臭みを抜き、筋を断ち、食べられない部位だけをミリ単位で切除すると世界が一瞬だけ止まった。
次の瞬間。突進してきていた巨大な猪は空中で綺麗に解体されていた。スライスされた肉片が芸術品のように地面に落ちる前に風魔法でふわりとキャッチ。
「……ふぅ」
静寂。逃げ惑っていた一組も、腰を抜かした三組も誰も言葉を発しない。どこからか飛んできたドローンカメラの機械音だけが、ジーッと響いている。
「あ……クエムちゃん……?」
震える声で呼ばれ我に返る。いけないいけない、またやってしまった。普通の女子中学生らしく振る舞わないと。手の中に残った無事なクッキーの欠片を拾い上げた。半分欠けているけれど甘くて、バターの良い香りがする。
「……ねえ」
「は、はいっ!」
「これ、焼いた?」
「う、うん……形崩れちゃったけど」
それを口に放り込む。
サクッ。
口いっぱいに広がる優しい甘さ。泥とは違う。孤独とは違う。誰かが誰かのために焼いた味。
「……んーんっ」
あまりの尊さに涙が出そうになった。前のめりに手を握りしめ、呆然としているクラスメイト全員を見渡して言う。
「神だ」
「え?」
「あんたたちは神。こんな奇跡、クッキーを錬成できるなんて……あんな、肉を腐らせるだけとはレベルが違う」
空中に浮かせた猪の上質なロース肉を指差した。
「みんな。フライパンを出して。
肉を死後硬直が始まる前に焼かないと、不味い飯になっちゃうから」
その後なぜか1組の担任は失禁して気絶し、実習は中止になった。校門の前には見慣れた漆黒の巨大なSUVが停まっている。
運転席から降りてきたのはモデルのような長身にサングラスをかけた美女、姉のカグラ。彼女はスマホの画面を見ながらニヤニヤと手を振った。
「おーいクエム!バズってるわよー」
「……何が?」
「あんた断末魔。今動画サイトで再生数百万回超えたとこ」
姉さんは頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「Sランクギルドでも話題騒然。解体技術はどこの流派だって……ま、食いしん坊の妹ですって揉み消しといたけど」
「余計なことを……お姉ちゃん、今日の夕飯、抜きにする」
「えっ、嘘でしょ?今日ドラゴンの尻尾肉、持ってきたのに!」
SUVの後部座席には最高級の食材が積まれていた。ため息をつきながら、助手席に乗り込む。
スマホを見るとクラスのグループチャットが鳴り止まない。クエムちゃんありがとう!神って言ってくれて嬉しかった明日、もっと美味しいマドレーヌ焼いていくね!
画面に並ぶ、温かい文字に小さく笑って、シートに深く体を預けた。
前世の私へ。今の世界はけっこう美味しい。
翌日、学校の空気は予想通り最悪で最高だった。
「……おい、見たかよ昨日の動画」
「あいつ肉を空中で解体してたぞ」
廊下を歩くだけで視線が刺さる。恐怖、嫉妬、困惑。特に英雄科の連中は見る目が泳いでいる。昨日の今日で担任が失禁したクラスだから、無理もない。だが、そんなことはどうでもいい。重要なのは今日のランチだけ。
ガララッ!
サポート科の教室のドアを開ける。
「おはよう!」
「クエムちゃん!今日、実家の畑から完熟トマト届いたよ!」
「俺、スパイスの調合変えてみたんだけど、味見してくれる?」
そこには天国があった。昨日まで「どうせ僕らは荷物持ち……」と死んだ魚のような目をしていたクラスメイトたちが、今はキラキラした目で食材を抱えている。
「……最高。本当にいい顔するようになった」
席に着く。机の上には、姉のカグラが昨日置いていったSランク食材地竜のテール肉が鎮座している。
今日の課題はいかにジューシーに揚げるかだ。その時。
バンッ!!!!
教室のドアが無遠慮に蹴破られた。入ってきたのは髪を真っ赤に逆立てた男子生徒。一組のリーダー格イグニス。
「おい、サポート科ァ!!」
教室の空気が凍る。トマトを持っていた女子が震え上がる。イグニスは机までズカズカと歩み寄ると、ドン!と机を叩いた。
「クエムとか言ったな。昨日のあれ、まぐれだろ?卑怯な手を使ったに決まってる!」
「……うるさい。肉の下ごしらえ中」
「無視すんな!俺様は次期勇者候補だぞ!てめぇみたいな荷物持ちが調子に乗るなよ……これでも喰らって反省しやがれ!」
イグニスが杖を振り上げる。教室中が悲鳴を上げた。
「ファイアー・ボール!」
至近距離からの攻撃魔法。手加減なしの人を黒焦げにする熱量。クラスメイトたちが「ああっ!」と顔を覆った瞬間。
ジュワアアアアアアッ!!!!
爆発音の代わりに響いたのは心地よい揚げ音。
「……は?」
イグニスが口を開けて固まる。クラスメイトも全員が手元を凝視している。左手には、黒鉄の巨大な中華鍋が。亜空間から出したからね。




