211【中編】土ころびと蔑まれた公爵令嬢は、追放先の辺境で精霊の女王となる。泥だらけになりながらも土地を黄金に変え物乞いに来た聖女とたちを拒絶する
力が強すぎて彼自身の肉体という土壌を蝕み、周囲を凍らせて孤立させている。栄養過多で根腐れを起こしかけている鉢植えのよう。
「絶望などしておりません」
立ち上がり、スカートの土埃を払ったら真っ直ぐに見つめた。
「ハサウェ・バーンスタイン。素晴らしい土地に骨を埋める覚悟で参りました」
「素晴らしい土地?」
ネイの眉がぴくりと動く。周囲の冷気が強まった。威嚇だ。
「貴様目が見えないのか?草木も生えぬ死の大地。貴様のような温室育ちの花が生きられる場所ではない。側に来るな。凍りついて砕け散る」
拒絶しようと、さらに強い冷気を放った。突風のような吹雪が襲う。一歩も退かない。
荒れているなら整えればいい。凍っているなら温めればいい。無意識に魔力を解放した。足元からふわりと温かな土の匂いが立ち昇る。
意図を超えて、彼に向かって伸びていった。大地が雪を受け止めて溶かすように魔力が鋭い冷気を優しく包み込んでいく。
「な……なにっ!?」
ネイが目を見開いた。まとわりついていた氷の鎧が目の前でハラハラと溶け落ちたのだ。頬に少しだけ血色が戻る。
「……温かい?」
呆然と呟く瞬間、頭の中に声が再び響いた。見つけた。やっと見つけたぞ。目の前の彼の口から出た言葉ではなかった。
背後、城の奥底、あるいは地脈の底から響いてくるような重厚な響き。驚くべきことにネイ自身もまた、何かを感じ取ったように胸元を押さえた。
「何をした?」
赤い瞳が警戒心から探究心へと変わる。ゆっくりと歩み寄り冷たい指先で顎を持ち上げた。至近距離で見ると美貌は息を呑むほどで、まつ毛の一本一本にまで氷の結晶が光る。
「氷を溶かすなど……聖女の光魔法ですら不可能だったこと。貴様土ころびではないな?」
瞳に映る自分の顔を見つめ返し、ニッコリと微笑んだ。
「土いじりが好きな女です。ですが閣下……これからの長い冬、貴方様の根腐れじっくりと改良して差し上げます」
「……は?」
キョトンとする氷の美貌の辺境伯。
*
アットルド城での最初の朝。用意された朝食を見て思わず絶句した。
「……これが辺境伯閣下の食事なのですか?」
テーブルに並んでいるのは石のように硬い黒パン、一切れの塩辛い干し肉、具がほとんど入っていない薄いスープ。
王都の公爵家では使用人の食事でもこれより豪華だった。給仕をしているメイドの少女は申し訳なさそうに視線を落とした。
「申し訳ございませんハサウェ様。領地では、冬の間は貯蔵品を切り崩すしかなく……新鮮な野菜など夢のまた夢なのです」
見れば彼女の肌は荒れ、血色も悪い。重い冷気にさらされ続け、慢性的なビタミン不足と栄養失調に陥っているのは明らか。食堂の奥、上座に座るネイ閣下は質素な食事を黙々と口に運んでいる。姿は気高くもあるが痛々しい。
「城の中庭をお借りしてもよろしいでしょうか」
スプーンを置き、真っ直ぐに向き合った。
「中庭?好きにするがいい。あそこは凍てついた岩盤だ。散歩をするにも足元が悪すぎる」
「散歩ではありません。採れたてのサラダが食べたくなったものですから」
ネイは眉をひそめ「この令嬢は何を言っているんだ」という顔をしたが、止める気力もないのか軽く手を振って許可を出した。よし。許可は得た。ドレスの裾をまくり上げ、トランクから愛用のスコップを取り出した。
王都から持ってきた秘密兵器。中庭に出るとネイの冷気の影響で、地表までカチコチに凍っていた。土壌研究員だった目は誤魔化せない。
(表面が凍っているだけ。下の層には、数万年分の枯死した植物のエネルギーが眠っている……!)
スコップを地面に突き立てた。
「土よ、目覚めなさい」
魔力を込める。王都では薄汚いと蔑まれた茶色の魔力が血管のように地面に広がっていく。
魔法は、植物を急成長させる緑の魔法ではない。土の中の微生物を活性化させ、地熱を呼び起こし、大地そのものを発酵させる土の根源魔法。
バキバキと音を立てて氷が割れ、真っ黒な土が顔を出す。前世で学んだ堆肥の構成を脳内で再現し、魔力で土の粒子を組み替えていく。
冷たかった地面がみるみるうちに温かな湯気を上げ始めた。持参していた寒冷地仕様に品種改良した種を蒔く。普通なら芽吹くまでに数週間かかるが、魔力を吸った土は植物の時間を数百倍に加速させる。
「えっ……嘘……!?」
「庭に、緑が……!?」
窓から覗いていた使用人たちが驚愕の声を上げる。真っ黒な土から鮮やかな緑の芽が噴き出し、瞬く間に立派な小松菜、大根、真っ赤なラディッシュへと成長していく。
それだけではない。改良した土からは精霊の残り香のような黄金の粒子が立ち昇り、城全体を包み込む冷気を和らげていった。
「な、何を、している」
背後から声がした。ネイだ。彼は雪の中に突如出現した緑の楽園を前に、幽霊でも見たかのような顔で立ち尽くしている。
「朝食の付け合わせを作りました。新鮮な野菜は免疫力を高めます」
泥のついた手で瑞々しいラディッシュを一つ引き抜き、鼻先に突き出した。
「毒など入っておりません。食べてみてください」
ネイは毒気に当てられたように受け取り、おそるおそる口にした。シャクッ、と小気味よい音が響く。
「……甘い。体が……熱い」
赤い瞳が驚きで見開かれた。食べた瞬間、体内で暴走していた冷気が土の温かな魔力によって中和されていく。頬に初めて健康的な赤みが差した。
「閣下だけではありません。城の皆さんにも配ります。土を耕せば心も耕されるものですから」
この日、アットルド城の食卓には数十年ぶりに新鮮な野菜が並んだ。泣きながらサラダを食べるメイドたち。おかわりを要求する騎士たち。そして、戸惑いながらも何度もラディッシュに手を伸ばすツンデレな辺境伯。
(計画通り。まずは胃袋から)
一方その頃、王都──聖女エミーカが光魔法を浴びせ続けた王室菜園では、原因不明の立ち枯れが発生し始めていた。土の栄養を使い果たし、砂漠化が始まった大地はエミーカの光を拒絶している。
「どうして!?私の光は完璧なはずよ!早く芽を出しなさい!」
エミーカの叫びは枯れ果てた土に吸い込まれて消えた。彼女たちはまだ気づいていない。国の豊穣そのものを自らの手で北の果てへと追いやってしまったことに。
「……ハサウェ、これは一体何の冗談だ?」
数週間後。執務室から出てきたネイ閣下は城の裏手に広がる光景を見て、今度こそ絶句していた。そこには氷点下の風が吹き荒れているはずの北の大地に、地平線まで続く黄金の波が揺れていたからだ。
「冗談ではありません。アットルド領特産の星屑小麦にございます」
麦わら帽子を被り、誇らしげに胸を張った。本来、小麦は冬を越して春に収穫するものだが魔力で土壌の時間を圧縮し、さらに地脈から溢れる冷気を逆手に取ってエネルギーに変換する品種を作り出したのだ。




