212【後編】土ころびと蔑まれた公爵令嬢は、追放先の辺境で精霊の女王となる。泥だらけになりながらも土地を黄金に変え物乞いに来た聖女とたちを拒絶する
小麦は寒ければ寒いほど甘みを増し、夜になると穂先が淡い金色の光を放つ。食料なだけではない。一口食べれば魔力が回復し、精神を安定させる効果がある魔導植物の域に達していた。
「信じられん。この土地でこれほどの収穫量……王都の最高級品すら凌駕している」
ネイが穂を手に取るとパラパラと輝く粒がこぼれ落ちた。赤い瞳に、かつてない驚きと領主としての希望の光。
「閣下、驚くのはまだ早いです。あちらの温室も見てください」
指差した先には土魔法で作った生きた土のドームがある。中には雪の中でも枯れないどころか、氷を栄養にして実る氷晶リンゴが鈴なりになっていた。一口かじればどんな熱病も治すと伝説に語られる聖なる果実。
「これらを売り出し、アットルド領を世界一の食糧供給基地にします。交渉の準備はよろしいですか」
ネイは呆れたように愛おしそうに見つめた。
「本当に土ころびだな。世界をひっくり返すほどの」
その時。城の正門から見慣れない豪華な馬車が到着した。馬車に刻まれているのは、隣国バルドル帝国の紋章。
王国よりも遥かに強大な軍事力を持ち、常に魔力資源を求めている覇権国家。馬車から降りてきたのは片眼鏡をかけた神経質そうな男。帝国一の豪商クラウスだった。
「お初にお目にかかりますネイ閣下。偉大なる豊穣の魔女殿」
彼は王国の公爵令嬢を最大限の敬意を込めて呼んだ。
「王都から流れてくる不穏な噂を聞き、駆けつけました。あちらの国では作物が枯れ、パンの価格が十倍に跳ね上がっているとか。ですが、ここにあるのは伝説の聖域そのもの。どうでしょう、小麦と果実、我が帝国が言い値で全て買い取りたいのですが」
ネイが前に一歩踏み出し、守るように腕を組む。
「言い値か。悪くないが帝国には金以外にも支払ってもらいたいものがある」
「……と、おっしゃいますと?」
「ハサウェの身の安全を保証する軍事的同盟、領地への魔導技術の無償提供。彼女の土を狙う不届き者を帝国ごと叩き潰す約束ができるか?」
ネイの冷徹な交渉に商人は冷や汗を流しながらも深く頭を下げた。
「もちろんです。敵に回すことは世界中の食卓を敵に回すことと同じです」
追放されたはずの辺境の地は一夜にして大陸の経済を左右する最重へと成り上がった。
一方、その頃。王都のバーンスタイン公爵家では絶望的な報告が響いていた。
「申し上げます!王太子殿下の領地でも小麦が全滅!民衆がパンを求めて暴動を起こし始めています!」
「バカな!エミーカの光魔法はどうした!?」
「そ、それが……聖女様の光を当てれば当てるほど土が砂のようにサラサラになり、芽が出なくなるのです……!」
父である公爵は椅子から転げ落ち、妹のエミーカは「そんなはずないわ!」と泣き喚いている。彼らはまだ知らない。自分たちが捨てた泥だらけの娘が、今や帝国の皇帝すら跪かせる大地の女王となりつつあることを。
*
アットルド領の境界線。冷たい風が吹き抜けるだけの絶望の地だったそこには、今や私の魔力によって維持される常春の防壁がそびえ立っていた。
そこに数台の見窄らしい馬車が這うようにしてやってきた。王国の紋章は泥に汚れ、護衛の騎士たちは空腹で足元をふらつかせている。
「お、お姉様……!ハサウェお姉様!」
馬車から転がり出るように降りてきたのは妹のエミーカだ。純白だったドレスは黄ばみ、彩っていた光の粒子は虫の息のように弱々しく明滅している。
「エミーカ。王太子殿下まで。こんな北の果てに一体何のご用?」
隣に立つネイ閣下にエスコートされながら見下ろした。帝国の最高級シルクを纏い、肌は潤い、瞳には大地の精霊の加護が宿っている。どちらが聖女か一目瞭然だ。
「ハサウェ!貴様とぼけるな!」
セッムス王太子が怒りに顔を真っ赤にして叫ぶ。
「王都は今未曾有の飢饉!貴様が何か呪いをかけたのだろう!?黄金の小麦を今王国へ差し出せ!命令だ!」
思わず、ネイ閣下と顔を見合わせてしまった。
「命令……?おかしなことをおっしゃるのね。貴方によって国外追放され市民権も剥奪されたはずですが」
「そ、うぐっ……そ、それは……だが、き、貴様はバーンスタイン公爵家の娘だろう!お、親孝行だと思って領地の食糧をすべて無償で王家に提供しろと言っている、んだッ!」
図々しさに周囲に控えていた帝国の商人とアットルド領の騎士たちが失笑を漏らす。ネイ閣下が一歩前に出た周囲に、鋭い氷の礫が浮かび上がる。
「言葉に気をつけろ。ハサウェは我がアットルド辺境伯家の共同経営者であり、帝国の最重要保護対象。無礼な要求を続けるなら貴殿らの墓場にしても構わない」
「ひ、ひっ……!」
セッムスが腰を抜かすそこへ、エミーカが這いずりながら足元に縋り付いてきた。
「お姉様お願い!光魔法が効かないの……!何をしても土が砂になってしまうの。お姉様の土ころびの力があれば、きっと元に戻る。一緒に帰りましょう?聖女の座だって半分あげてもいいから!ね!」
「はぁ」
冷たく彼女の手を振り払った。
「エミーカ貴女に教えたはず。光は土を殺すと。傲慢に振りまいた光が大地の微生物を焼き尽くしたの。今の王国の土は死んでいる」
「そんな……!じゃあ、どうすればいいの!」
「簡単なこと。追放した時のように、自分の力だけで何とかすればいい。ああ、そうそう。どうしても小麦が欲しいのなら売ってあげないこともない」
「本当か!?」
セッムスが目を輝かせる。
「え対価は王国の領土の半分。不当な婚約破棄に対する公式な謝罪文を全大陸に布告すること。それが条件」
「な……貴様、しょ、正気か!?国を売れと!」
「売るか飢えるか。お好きな方を選んでください。今の王国にそんな価値があるとは思えませんがね〜」
冷たく微笑むと足元の地面から巨大なツタが伸び、彼らを馬車ごと国境の外へと押し戻した。
「さようなら殿下。次に会う時は貴方の国が私の農園の一部になっている時かもしれません」
泣き叫ぶエミーカと呪詛を吐き散らすセッムス。彼らが去った後、アットルド領には再び静寂が訪れた。
「……よかったのかハサウェ」
ネイが心配そうに顔を覗き込む。
「復讐なんて趣味ではありません。土地をもっと豊かにしたいだけです。ねえ、閣下聞こえません?」
地面に耳を澄ませた。王国側から響く死の音とは対照的にこの地の底からは力強い鼓動が聞こえてくる。
「地下の精霊王が完全に目を覚まそうとしています。どうやら領地経営では済まなくなりそうです」
言葉に応えるように大地が優しく震えた。これから始まるのは、人間界と精霊界を繋ぎ直す真の聖女の物語。




