210【前編】土ころびと蔑まれた公爵令嬢は、追放先の辺境で精霊の女王となる。泥だらけになりながらも土地を黄金に変え物乞いに来た聖女とたちを拒絶する
「ハサウェ・バーンスタイン!貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
王城の舞踏会場。クリスタルガラスのシャンデリアが眩い光を放つ中心で王太子セッムスの高らかな宣言が響き渡った。
音楽が止まり、着飾った貴族たちの視線が一斉に突き刺さる視線の先。ホールの中心には二人の対照的な令嬢が立っていた。
一人は王太子の腕にすがりつき、純白のドレスに身を包んだ美少女。バーンスタイン公爵家の次女エミーカ。周囲には、キラキラとした光の粒子が蛍のように舞っている。
稀代の光魔法の使い手であり先日、教会から正式に聖女として認定されたばかりの我が妹である。
そしてもう一人。地味な茶色のドレスを着て、無表情に佇む私こと長女のハサウェ。
「婚約破棄の理由を伺ってもよろしいでしょうか」
淡々と尋ねるとセッムスは軽蔑しきった目で私を見下ろした。
「理由だと?鏡を見てみろ土ころび!貴様の薄汚れた魔力、見ているだけで不愉快だ!」
足元にはふわりと土埃が漂っている。これは私の土魔法の余波。感情が高ぶると無意識に地面が反応してしまう。貴族たちが好む火や風、妹の光のような華やかさは微塵もない。
土を捏ね、泥を作るだけの農民のような魔力。貴族社会において、これほど蔑まれる属性はない。
「お姉様ごめんなさい。セッムス様は真実の愛を見つけてしまわれたの」
エミーカが潤んだ瞳で見る背後で光魔法がいっそう強く輝いた。周囲の貴族たちが「おお、なんと尊い」「これぞ聖女様だ」と感嘆の声を漏らす。
「エミーカの光は心を癒やし、作物を照らす太陽の恵み。それに引き換え貴様はドレスの裾を汚すだけの能無しの土塊」
王太子が鼻で笑うと会場中からクスクスとした嘲笑が湧き上がった。父である公爵でさえ、庇うどころか忌々しそうに睨みつけている。溜息をついた。
(ああ……やっと終わる)
悲しみ?悔しさ?いいえ。感じていたのは圧倒的な安堵だ。前世の記憶があるから。前世の私は、農業大学の研究員。土壌改良と微生物の研究に明け暮れ、泥にまみれることを何よりの喜びとしていた土オタクだ。
転生してからも密かに領地の土壌を調査し、自分の魔法でひっそりと改良を続けてきた。彼らは知らないから。エミーカの光魔法は確かに見た目は綺麗だが、強く照らすだけで土中の水分を奪い、微生物を死滅させてしまう有害な光であることをね。
薄汚いと罵られながら注いできた土魔法こそが国の痩せた土地に栄養を与え、作物の根を支えてきた生命線であることを。
「ハサウェ。貴様のような汚らわしい女は国には不要だ」
王太子が勝ち誇ったように告げる。
「貴様を国外追放とする!北の果て死の荒野と恐れられるアットルド辺境伯領へ嫁ぐがいい。あそこなら貴様のような泥臭い女にお似合いだろう」
北のアットルド辺境伯領。年中冷たい風が吹き荒れ、草木一本生えない不毛の地と言われている。噂では辺境伯自身も血に飢えた氷の怪物だとか。
「……謹んでお受けいたします」
深くカーテシーをした。顔を伏せた裏で、口元が歓喜に歪むのを必死に堪える。
(ありがとう馬鹿な王子様。ありがとうお父様!)
不毛の地?死の荒野?元土壌研究員にとって、手つかずの巨大な実験場に他ならない。王都の堅苦しい貴族社会や見た目だけの魔法にキャーキャー言う連中から離れ、思う存分土いじりができるのだ。
「それでは皆様。お健やかに」
顔を上げ、最後に一度だけ妹のエミーカを見た。周囲で輝く光が以前より少し強くなりすぎているのが見える。土魔法による抑制がなくなれば光は遠からず暴走し、王都の畑を焼き尽くすだろう。
(……忠告はしたわ?何度も光を抑えなさいって言った)
けれど、彼女はそれを嫉妬と受け取り、聞く耳を持たなかった。背を向け、会場の出口へと歩き出した。
一歩踏み出すたびに足元の石畳から、かすかに緑の芽が顔を出しかけたので慌てて魔力を抑え込む。
まだだ。まだここで本気を出してはいけない。普通の土魔法ではない前世の知識と混ざり合い、大地そのものの記憶とリンクする星の息吹そのものに変質し始めているのだから。
「さようなら栄光の王国」
扉を開けると夜風が吹き込んできた。風に乗って遠い北の地から誰かが呼ぶ声が聞こえた気がした。
待っていたぞ。我が愛しき半身よ。
人間のものではないもっと古く、強大なモノの響き。国が干上がり、飢えに苦しむ頃には北の大地で本当の豊穣を手に入れる。
王都を出発して二週間。馬車の窓から見える景色は緑豊かな平原から、次第に荒涼とした灰色の岩肌へと変わっていった。
北の辺境、アットルド領。一年を通して雪と氷に閉ざされ、作物は育たず魔獣が徘徊する死の荒野。
「……着きましたよハサウェ様」
御者の震える声でまどろみから覚めた。馬車が止まったのは断崖の上にそびえ立つ黒い城の前。城壁は氷柱で覆われ、周囲の空気は肌が切れそうなほど冷たい。
「ふう……寒い」
薄手のショールを羽織り、馬車を降りた。御者は荷物を降ろすと「それでは、私はこれで!」と逃げるように馬車を走らせて去っていく。化け物の巣窟から逃げ出すように。残されたのは私とトランク一つ。そして、目の前に広がる広大な荒野。
「……ふふっ」
しゃがみ込み、足元の地面に素手で触れた。冷たい。カチコチに凍っている。感触に胸は高鳴った。
やっぱり予想通り。王都の土は長年の過剰な魔力供給で魔力焼けを起こし、疲れ切っていた。ここの土地の土は違う。
厳しい寒さに耐え、養分を内側にぎゅっと溜め込んでいる。休眠状態にあるだけで死んでいるわけではない。
適切な処置、土魔法で耕し、微生物を活性化させれば王都よりも遥かに豊かな爆発力を秘めている。
「最高級の未開拓土壌!」
思わず頬が緩む。早くスコップを持ってここを掘り返したい。堆肥を混ぜて団粒構造を作りたい!
「何がおかしい」
不意に、頭上から絶対零度の声が降ってきた。あまりの冷たさに興奮した頭が一瞬で冷える。顔を上げると、いつの間にか城門が開いていた。そこに立っていたのは一人の青年。
夜の闇を溶かしたような漆黒の髪。血のように赤い瞳。整いすぎた顔立ちは彫刻のように美しかったが全身から漂う冷気は尋常ではなかった。息を吐くたび空気が白く凍りつき、足元の石畳がピキピキと音を立てて霜に覆われていく。
アットルド辺境伯、ネイ・アットルド。
噂通りの氷の怪物。
「追放された令嬢が絶望して気が触れたか?寒さに幻覚でも見ているのか」
見下ろし、侮蔑を含んだ瞳で言い放った。威圧感に普通の令嬢なら悲鳴を上げて気絶していただろうが違う。
土魔法。もっと言えば、中の土の声が、彼を見てざわめいた。
(ああ、なんて……可哀想な土壌……)
体内では強大すぎる魔力が暴風雪のように吹き荒れていた。




