207美しさは生存戦略の表層に過ぎない。裏に隠された牙を知らない無知な者ほど救いようのない獲物はないわ。背後で「花を止めて!誰か!」と叫ぶ声が聞こえるが森を豊かにする堆肥にすらならない雑音である
王宮の空中庭園。きらびやかなドレスを纏った第一王女ナリザアは、隣に座る着飾った騎士を扇子で指し示し、宮廷植物学者のピルニーナに嘲笑を浴びせた。
「ピルニーナ、お前との婚約を……お前のような根暗な女は婚約者ですらなかったわね。今日限りで、植物園の管理権を剥奪するわ。お前は光合成がとか土壌菌がとか、泥臭い話ばかり。私は、この彼女が持ってきた、一年中枯れずに光り輝く魔法の薔薇だけでこの庭を埋め尽くすことに決めたのよ」
「管理権の剥奪、受理いたしますナリザア王女。ですが、庭園の地下に張り巡らされていた有害花粉の中和魔導陣と根の暴走を抑える成長抑制触媒の散布も停止します」
「ええ、構わないわ!古臭い仕組み、愛の光でどうにでもなるもの!」
剪定鋏を置き、冷徹に一礼した。植物は人間を喜ばせるために咲いているのではない。魔法の薔薇という名の外来種が、抑制を失えば周囲のあらゆる養分を吸い尽くし、捕食者の本能を剥き出しにすることを科学者として知っているだけなんだけど。
「ナリザア様。愛の光と呼ぶそれは、植物にとっては際限なき増殖への合図。あと十分、抑えていた生態系のバランスが崩れれば自慢の庭は文字通り飲み込む檻に変わる。美しい花に絞め殺される気分を存分に味わうといいでしょう」
罵られた十分後。ナリザアが新しい恋人と庭園でシャンパンを開けた瞬間、魔法の薔薇が不気味に脈打ち、爆発的な速度で蔓を伸ばし始めた。
光り輝く花弁からは、吸うだけで思考を麻痺させる猛毒の胞子が噴き出し、美しいはずの庭園は一瞬で生きた迷宮へと変貌した。
ナリザアのドレスは茨に引き裂かれ、自慢の薔薇に絡め取られて身動きが取れなくなる。醜態は王宮中の貴族たちの目に焼き付けられた。
混乱する庭園を去り、門の外で待っていた男に視線を送る。菌類と土壌の魔導物理学者であり、生態学エコロジを誰よりも理解してくれる彼。
「……お疲れ様ピルニーナ。すごい環境崩壊だったね。彼女は自然を飾りだと思い込みすぎたんだね」
「当然よアッスル、それより私たちの新大陸植物研究所へ行きましょう。見栄のための花ではなく、真実の生命を育む場所へね」
「守るべき種を最高の土壌で支えよう。二人の共生進化契約だ」
「研究で手が土まみれになったら、私の顔を洗って、そのまま抱きしめてね、アッスル?」
「……最高にだね。君のすべてを愛で芽吹かせてみせる」
背後で「花を止めて!誰か!」と叫ぶナリザアの声が聞こえるが、森を豊かにする堆肥にすらならない雑音である。
美しさという名の虚飾に溺れ、植物の生存本能に飲み込まれてから半年。新大陸に築いた真理の温室は、不毛の地を一夜にして緑の楽園へと変える生命の鼓動が鳴り響く聖域となっていた。
ここでは植物は搾取される飾りではない。理論と魔力に応え、共に進化する対等なパートナー。
「実験区画の大気浄化樹の定着率はいいみたいだ。防壁の外にある汚泥ピットの近くで、不快な腐敗臭を放つ寄生虫が喚いている」
アッスルが最新の魔導スキャナーを操作しながら目を泥の湿地へ向けた。第一王女、ナリザアの無惨な姿。
自慢の庭園は猛毒の茨に覆われ、国から環境汚染源として完全に隔離された彼女は見る影もなくやつれ、泥にまみれて這いずっている。
「ピルニーナ助けて!肌が薔薇の毒で火傷したみたいに痛いの!お願いよ、一滴でいいから研究室にある解毒剤をちょうだいよぉ!」
「……識別不能な枯死個体みたい。資源価値を算出して。土に還すメリットがあるかどうか」
実験用のピンセットを置き、氷のような声で命じる。ナリザアの体内毒素濃度致死量。彼女の精神は依然として支配という名の害虫に侵されており、治療を施しても周囲の生態系を乱すリスクが極めて高い。救うための解毒触媒は、絶滅危惧種の苗木一万本を育てるエネルギーに匹敵。救済の論理的妥当性は、零
拡声魔法を使い、泥に縋る彼女へ最後通告という引導を突きつけた。
「あげられる解毒剤なんて、霧吹きの一吹き分だって残っていない。泥臭いと切り捨てた学問こそが、命を守る唯一の盾だったのに。自然の摂理を無視し、自分勝手な美しさだけを求めた結果、植物たちに養分としてすら拒絶されている」
「嫌よ!私は王女なのよ!美しい花に囲まれて生きる権利があるわ!」
「権利?ふ!笑わせないで。植物に選ばれなかった奴に庭を語る資格はない。アッスル、洗浄を開始して。温室に腐った思考と胞子を入れさせたくない」
「はいはい」
アッスルがスイッチを押すと清浄な空気の奔流が巻き起こり、ナリザアをゴミのように湿地の外へと押し流した。
「きゃああああ!?」
彼女が手にするのは自分の傲慢が咲かせた毒という名の結末だけ。
「本日の二人だけの実験の時間だ」
白衣のボタンを揺らし、熱を帯びた瞳で捉えた腕の中はどんな光合成よりも力強く、生命力を活性化させてくれる。
「今夜は幸福感を最大化するための、特別な栄養分の愛を補給する予定だ。肌が触れるたび独占欲という名の根が二度と逃げられないように絡め取っていく設計なんだけど、どうだ?」
「ふふ、根が心臓まで届くくらい深く愛してみせて」
「唯一の花を庭で一生守り抜く」
「楽しみね」
飾り物としての美しさに固執した者は、自らが撒いた毒の森で朽ち果てていった。あとに残ったのは生態学と互いを生存の光と決めた二人の楽園で芽吹き。




