202【後編】子供だけ奪って捨てると?前世の記憶が戻ったのであなた達の家門ごと破滅させるために生かさず殺さず飼い殺させていただきます。夜会で公開処刑をしながらもおもちゃとしては脆い夫と愛人に嘲笑う
残されたベネヘビウは魂が抜けたように立ち尽くしている。妻は王弟公爵に求愛され、公爵は妻のお掃除に加担すると言った。
(お掃除……?私を、私たちの家を滅ぼすつもりなのか!?)
ベネヘビウは全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。
エリツィアは満足げに残酷な笑みを浮かべ、夫の顔を覗き込んだ。
「ベネヘビウ様。お顔色が悪いようです。もしかして、公爵様と駆け落ちしてしまうとでも?」
「……ッ」
ベネヘビウは何も言えない。ただ、恐怖に歪んだ顔で妻を見つめることしかできない。
「ご安心なさい。まだ、あなたへのお仕置きが終わっていませんもの」
エリツィアは我が子を抱き上げ、ベネヘビウの腕に無理やり押し付けると周囲に聞こえる声量で言った。
「この子をあなた方の家系が背負ってきた負の遺産から解放してあげるのが、母親としての私の務めですから」
夜会から戻った翌日。侯爵邸の執務室には重苦しい空気が流れていた。ベネヘビウ侯爵の傍らには彼の腹心であり、侯爵家の財政を預かる事務官のベネットが立っている。
「閣下、昨夜の公爵様のお言葉……穏やかではありませんな」
「黙れベネット!あの女が……エリツィアが何かを企んでいるのは間違いなのだ!」
ベネヘビウは爪を噛みながら、落ち着きなく部屋を歩き回る。その時、ノックもなしに扉が開いた。
「お仕事中失礼いたします皆様」
現れたのは乳母に預けた我が子を慈しむように見守りながら、優雅なティーセットを運ばせたエリツィア。その後ろには、昨夜の屈辱でやつれきった愛人ラシエラが、エリツィアの侍女代わりとして震える手でトレイを捧げ持っている。
「エリツィア何の用だ!」
「差し入れですわ。特にベネット様……あなたには、お疲れのようですから特別なお茶を用意いたしましたの」
エリツィアはベネットの前に透き通った琥珀色の茶を置いた。ベネットは不審そうに眉をひそめる。
「……これは、何ですかな?」
「ハーブティーです。嘘だと思うなら鑑定なさって?」
ベネットは魔道具のルーペを向けたが反応はない。ただの茶だ。喉の渇きを覚えた。主人の狂乱とエリツィアの豹変に、神経をすり減らしていたのだ。彼は一口、茶を啜る。
「……ほう。香りがよろしい」
「ええ、真実の種という珍しい香料を混ぜてありますの」
エリツィアの瞳がスッと細くなる瞬間、ベネットの視界がぐにゃりと歪んだ。
「な……が、あ……っ!?」
「な、ベネット!?どうした!」
ベネットは自分の喉を掻きむしった。声が出ない。いや、出そうとすると喉が焼け付くように熱い。エリツィアは優雅に椅子に腰掛け、脚を組んだ。
「ベネット様。あなたはベネヘビウ様の指示で、領地の税を3割上乗せして徴収し、差額を王都の賭博場へと流していますわね?」
「……ッ!!」
ベネットは首を激しく横に振ろうとした。しかし、エリツィアが指をパチンと鳴らすと口は勝手に動き出した。
「仰せの通りです。裏帳簿は執務室の暖炉の裏にある隠し金庫に保管しております」
「ベネット!?何を吐いている!」
ベネヘビウが絶叫し、ベネットを殴りつけようとするが、拳は空中で見えない壁に阻まれた。
「行儀がよろしくありませんわねベネット様、続けて?」
エリツィアの真実の吐露の呪いはベネットの精神を支配した。涙を流しながら、止まらない告白を続ける。
「ベネヘビウ様は、王都の商人と結託して粗悪な武具を騎士団に納入し、浮いた金を着服しました。また、先代夫人の宝飾品を売り払い、偽物とすり替えたのも私の手引き。すべて手帳に記録してあります……!」
ベネットは胸元から一冊の小さな黒い手帳を取り出したそれは、ベネヘビウが「これさえあれば、いつか主人を裏切って脅せる」とベネットに持たせていた命よりも大事な証拠。
「返せ!返せ!!」
ベネヘビウが執念深く這い寄るが手帳はふわふわと浮き上がり、エリツィアの手元へと収まった。
「ふふ、ご苦労様。これで、あなた達が王室から賜った地位を剥奪されるための弾丸が揃いました」
エリツィアは手帳をパラパラとめくり、満足げに微笑むと床に崩れ落ちたベネットを見下ろした。
「自分を賢いと思っていたようだけれど……私の蜘蛛の巣に、自分から飛び込んできたことに気づかなかったのね」
「あ、あ、ああ……!」
ベネットは廃人のように虚空を見つめた。エリツィアの魔術は彼の嘘をつく能力そのものを完全に破壊したのだ。これからは、自分に不利なことでも全て正直に話してしまう歩く証拠品となる。エリツィアは絶望に染まる執務室を見渡し、最後にベネヘビウを冷たく一瞥した。
「外ではフエルラーン公爵様が派遣した監査官の方々がお待ちです。扉、開けてさしあげて?ラシエラさん」
ラシエラは悲鳴のような声を上げながら、震える手で重厚な扉を開いた。鉄のような顔をした騎士たちと、公爵の紋章をつけた男たちが立っている。
「……ベネヘビウ侯爵。領地における横領、不正取引の容疑で調査に伺いました」
ベネヘビウの膝が折れ、崩れ落ちた。エリツィアは泣き出した我が子を優しく抱き上げ、静かに微笑む。
「おやすみなさい、ベネヘビウ様。……明日からは鉄格子の中での生活を楽しんでくださいね」
ベネヘビウ侯爵が王都の地下牢へと連行されてから、一ヶ月。荒廃しきっていた侯爵領は驚天動地の変貌を遂げていた。
「奥様見てください!今年は例年の五倍……いえ、十倍以上の収穫です!」
領民たちが歓喜の声を上げ、黄金色に輝く麦畑で踊っている。エリツィアはすくすくと育つ我が子を腕に抱き、高台から領地を見渡していた。
最初に行ったのはベネヘビウが私腹を肥やすために課していた重税の撤廃。前世の知識を用いた土壌改変魔法による枯れた大地の再生。
「当然よ。あの男は土地を搾取することしか考えていなかった。大地も領民の心も慈しめばそれに応えてくれる」
さらに魔導具による灌漑システムを導入し、特産品として魔法の効力を高めるハーブの栽培を開始した。領民たちの生活は劇的に向上し、今やエリツィアは聖女として崇められている。
一方、王都の地下牢。栄華はどこへやら、ベネヘビウは泥にまみれた不潔な牢獄でカビの生えたパンをかじっていた。
「くそっ、何かの間違いだ……!侯爵だぞ!あの女が……エリツィアが何か細工をしたに決まっている!」
そこへ、軽やかな足音が響く。現れたのは光り輝くようなドレスを纏い、神々しいまでの美しさを放つエリツィア。後ろには従順に控えるフエルラーン公爵の姿もある。
「ごきげんよう、ベネヘビウ様。今はただの罪人でしたかしら?」
「エリツィア!貴様よくも私をこんな目に!早くここから出せ!私がいなければ領地は立ち行かなくなるんだぞ!」
ベネヘビウは鉄格子にしがみつき、叫んだ。エリツィアはそれを憐れむような目で見つめ、一通の報告書を差し出した。
「あなたがいない今の領地の現状、ご存知ないのね?……はい、これは今年の決算報告書」
ベネヘビウは奪い取るように報告書を読み、目を見開いた。
「な……なんだ、この数字は!?収益が前年の数百倍……!?ありえん、こんなこと!」
「ありえるのよ。横領を止め、無能な采配を止め、いなくなっただけで領地はこれほどまでに豊かになったの」
エリツィアは冷たく言い放つ。
「必死に守ろうとしていた権威も財産も、あなたという毒を取り除いただけで驚くほど簡単に増え続けている。大切にしていた領民たちは今、あなたの名前を聞くだけで唾を吐き捨てているけれど」
「ぐ、あああああ……っ!!」
ベネヘビウは叫び、床にのたうち回った。自分が必要とされていないどころか、自分こそが諸悪の根源であったという事実。プライドの高い彼にとって、死よりも辛い精神的処刑。
「……満足かエリツィア」
後ろで見ていた公爵が低く心地よい声で問いかけた。
「ええ。でも、まだ序章に過ぎないので、これからですわ」
隣の牢に押し込められている義母と愛人ラシエラを一瞥した。互いの醜態を罵り合いながら泥水をすすっている。
「彼らには繁栄のニュースを毎日届けてあげて。自分たちが捨てた場所が、自分たちがいないことでどれほど幸せになったかを死ぬまで聞き続けるのが、彼らへの最後のプレゼントよ」




