200 【前編】子供だけ奪って捨てると?前世の記憶が戻ったのであなた達の家門ごと破滅させるために生かさず殺さず飼い殺させていただきます。夜会で公開処刑をしながらもおもちゃとしては脆い夫と愛人に嘲笑う
冷たい石造りの離れ。窓の外は激しい雷雨が轟いている。
豪華な侯爵邸の敷地内とは思えないほど粗末なその部屋で、侯爵夫人であるエリツィアは産まれたばかりの我が子を抱きしめて震えていた。
「……あぁ、なんて可愛いの私の赤ちゃん」
腕の中で眠る赤ん坊は、奇跡のように温かかった。
難産だった。体力を使い果たし、出血も酷かったが、医師も助産師もすでに部屋を出て行ってしまった。手当は最低限。「死んでも構わない」と言わんばかりの扱いだった。
ガチャリ、と無遠慮にドアが開くと現れたのは、夫であるベネヘビウ侯爵と母である先代夫人。背後には、見知らぬ豊満な美女が控えている。
「エリツィア、無事に産んだようだな」
ベネヘビウの声には、妻を労る響きなど微塵もない。あるのは品定めをするような冷徹な響きだけだ。
「はい、旦那様……。元気な男の子です……」
「そうか男児か。それは重畳。魔力量はどうだ?」
「え……?」
「鑑定士見ろ」
ベネヘビウの合図で影から現れた男が赤ん坊に魔道具をかざすと、水晶が眩い金色に輝いた。
「素晴らしい!稀代の魔力持ちですぞ!」
「でかした!これで我が侯爵家は安泰だ!」
義母が歓喜の声を上げ、ベネヘビウも満足げに頷き冷酷に言い放った。
「よし、子供をこちらへ渡せ」
「は……はい?今、なんと……?」
「聞こえなかったか?子を渡せと言っているんだ。お前のような無能な女に家の跡取りは育てられん」
エリツィアの血の気が引いた。政略結婚だった。実家が没落し、金と引き換えに売られるように嫁いできた。魔力を持たず、地味で大人しいエリツィアは家で使用人以下の扱いを受けてきた。それでも、子供ができれば変わると信じていたのに。
「嫌です……!この子は私が産んだんです!」
「ふん、魔力なしの能無し女が。腹は優秀な種を残すための器として借りてやっただけだ」
ベネヘビウは蔑むような目で見下ろす。背後の美女愛人のラシエラが、勝ち誇ったように笑った。
「あらあら、可哀想なエリツィア様。安心してくださいな。子は私が、次期侯爵として立派に育て上げますわ。お役御免のあなたは北の修道院へ送られることになっていますの」
「修道院……?そんなのあんまりです!」
「黙れ!衛兵、その女から子供を取り上げろ!抵抗するなら斬り捨てても構わん!」
夫の命令で武装した兵士たちがエリツィアに歩み寄ると無理やり腕を掴まれ、引き剥がされそうになる。
「やめて!返して!私の赤ちゃん!いやっ!」
赤ん坊が火がついたように泣き出した。泣き声が雷鳴と重なる。兵士の粗雑な手がエリツィアを突き飛ばしたので頭を床に強く打ち付ける。
「う!」
ガツンッ。
「がはっ!?……わたし、の、子」
激痛と共に、視界が明滅した。薄れゆく意識の中で夫たちの嘲笑が聞こえる。
まったく無様だな。
子供さえ手に入ればあとはゴミ同然よ。
早く捨ててしまいなさい。
悔しい憎い許せない。全てを奪い、踏みにじる男たちが。愛しい我が子を道具としてしか見ていないこの家が。
強烈な怒りが、鍵となった。脳裏にかかっていた分厚い霧が一瞬にして晴れ渡る。奔流のように流れ込んでくる記憶。知識。魔法術式。大陸全土を震え上がらせた二つ名。
(思い、出した)
なぜ自分が無能な女として生きていたのか。前世で強すぎた力を封じるため、自ら記憶と魔力を封印して転生したからだ。殲滅の魔女と恐れられ、裏切った帝国をたった一人で一夜にして滅ぼした最強の魔術師。
それが正体。
「……へえ」
床に伏していたエリツィアの口から今までとは全く違う、冷ややかな声が漏れた。
「なんだ?まだ文句があるのか」
ベネヘビウが赤ん坊を抱きかかえ、不快そうに振り返る。ゆっくりとエリツィアが立ち上がった。打ち付けた額から血が流れているがそれを気にする素振りもない。
伏せていた瞳がゆっくりと持ち上がる。瞳は先ほどまでの怯えた琥珀色ではない。魔力を帯びて妖しく輝く、鮮血のような真紅に染まっていた。
「随分と……好き勝手をしてくれたものねえ」
ドッ、と部屋の空気が重くなる。窓ガラスがビリビリと振動し、室内の照明が一斉に明滅を始めた。
「な、なんだ!?何が起きている!?」
「衛兵!早く女を捕らえろ!」
兵士たちが剣を抜いて襲いかかるが、エリツィアは指一本動かさない。冷たい目で彼らを見つめただけ。
「跪きなさい」
ドンッ!!
見えない巨大なハンマーで殴られたかのように、兵士たちが一斉に床に叩きつけられた。床石がひび割れ、白目を剥いて泡を吹く。
「な……っ!?」
「ひぃッ!」
ベネヘビウと義母、愛人が悲鳴を上げて後ずさる。エリツィアは優雅な足取りで、夫。いいや、元夫へと歩み寄る。
「あ、悪魔……!お前魔力がないはずじゃ……!」
「ええ、まあ、なかったわね。今の今まで封じていたから」
エリツィアは艶やかに微笑んだ笑みは美しく、凍えるほどに恐ろしい。
「可愛い坊やを返してくださる?汚い手で触らないで。ゴミが」
スッと手を伸ばすとベネヘビウの腕が勝手に開き、赤ん坊がふわりと宙に浮いてエリツィアの腕の中へと戻ってきた。母の腕に戻った途端に赤ん坊は泣き止み、安らかな寝息を立て始める。
「よしよし、いい子ね」
エリツィアは愛おしそうに子の頬を撫で、再び顔を上げた。瞳には、明確な殺意と愉悦が宿っている。
「さて、ベネヘビウ様。それに皆様?」
部屋全体を包み込むような圧倒的な殺気を放ちながら宣言した。
「そこらの、ただの器扱いしてから用済みとして捨てようとした罪……死よりも重い絶望で償っていただきますわ」
屋敷全体が魔力に呼応して軋み音を上げた。
「うふふ」
侯爵家の離れは異様な静寂に包まれていた。床には屈強な衛兵たちが泡を吹いて倒れており、部屋の中央では、支配者として振る舞っていた三人の男女がガタガタと震えながら縮こまっている。
「ひぃっ、あ、あ……」
先代夫人は腰が抜けて立ち上がれず、愛人のラシエラは顔面蒼白で化粧が崩れるのも構わずに涙を流している。そして、夫であるベネヘビウは目の前の現実を受け入れられずにいた。
「ば、馬鹿な……お前は魔力のない無能な女だったはずだ……!なぜ、これほどの力が……ある!」
「無能と決めつけていたのはあなた達でしょう?一言も、使えないとは言っていないのにね」
エリツィアは赤ん坊をあやしながら、椅子に優雅に腰掛けた。額の傷は指先で撫でた瞬間に光となって消え失せていた。最高位の治癒魔法だ。
「先ほどの続きですけれど」
エリツィアは歌うような声色で告げる。
「今ここでひねり潰すのは簡単。指をパチンと鳴らせば屋敷ごと塵にできる。でも、それじゃあつまらないわよね」
瞳が赤く明滅する。
「一番恐れていることは何かしら?死?違うわね」
エリツィアは視線をベネヘビウから、部屋の豪華な調度品、窓の外に広がる広大な領地へと向けた。
「侯爵家という地位。湯水のように使える資産。周囲から羨望される名誉。これらを失うことこそが、あなた達にとっての本当の地獄」
ベネヘビウが息を呑んだ。図星。名誉欲と金銭欲の塊のような男だ。貧乏貴族に落ちぶれるくらいなら、死んだほうがマシだと常々口にしている。
「だ、だからなんだ!殺せば貴族殺しの罪で王家が黙っていないぞ!」
「あら、誰が殺すと言ったの?」
エリツィアはふふっと笑い、人差し指を立てた指先からどす黒い霧のような魔力が溢れ出し、三人の胸元へと吸い込まれていく。
「うわ!な、なんだこれは!?何をした!!」
「隷属の呪印。私が滅ぼした帝国の皇帝にも刻んであげたものだわ」
エリツィアは淡々と説明する。
「これからあなた達の命は私の機嫌ひとつでどうにでもなる。苦しめと思えば内臓が焼け付くほどの激痛が走り、黙れと思えば口もきけなくなる。許可なく屋敷から出ることも、誰かに助けを求めることもできない」
「そ、そんな馬鹿なことが……!」
「お試しになる?かまわないわ」
エリツィアが目を細めた瞬間、ベネヘビウは喉を掻きむしって床を転げ回った。
「がぁっ!?ぐ、ぐぎゃああああっ!ぎゃああ!ぐるじっ」
「ベネヘビウ様!?」
「いやだ!ひぃいっ!お許しを!お許しくださいエリツィア様ぁ!!」
義母とラシエラが悲鳴を上げて土下座をする。数秒後、痛みが引くとベネヘビウは汗だくで荒い息を吐き、恐怖に引きつった顔でエリツィアを見上げたそこにはもう、傲慢な夫の姿はない。あるのは、主人に怯える負け犬の姿。無様。
「理解できたかしら?今日から家の序列は変わったの」
エリツィアは我が子。すやすやと眠る息子に優しい視線を落とし、宣言する。
「表向き、これまで通り大人しい侯爵夫人を演じてあげる。あなた達も仲睦まじい家族を演じなさい。その裏で」
彼女の唇が三日月のように歪む。
「持っている権限、資産、人脈……すべて管理します。領地経営の不正の証拠も、裏帳簿もすべて吐き出してもらう。積み上げてきた嘘と虚飾を社交界のど真ん中で一枚ずつ剥がしてあげるのよ」
「そ、そんなことをしたら侯爵家は終わりだ……!」
「そう。終わらせるの。私の可愛い息子に傷がつかない形で綺麗に」
エリツィアは立ち上がり、凍りついた三人の横を通り過ぎる。
「手始めに……明日の夜会を楽しみにしているわね、ベネヘビウ様?」
扉を開け放つと嵐は嘘のように止んでいた。




