199 氷令嬢は全てを凍らせ国を去る。婚約破棄して結界がなくなり祈りで結界が再生しないせいで魔物に侵入されて王都が火の海?兵に見捨てられ泥にまみれ逃げ惑い国を支える結界を捨て私欲に戦争を仕掛けて敗北
卒業パーティーの喧騒が、一瞬にして静まり返った。豪華なシャンデリアの下、王太子ジュリアンが傍らの震える令嬢であり真の聖女と持て囃されるケーレアを抱き寄せ、指差したからだ。
「ミスカ・リストゥー!ケーレアへの執拗な嫌がらせ、挙句の果てには毒殺未遂……貴様のような冷酷な女、もはや婚約者とは認めん。今この場をもって婚約破棄し、国外追放を命ずる!」
手に持っていた扇をゆっくりと閉じた。周囲からは「やはり」「あの氷の魔女ならやりかねない」という、根も葉もない囁きが聞こえてくる。
「冷酷ですかジュリアン殿下」
声は自分でも驚くほど冷えていた。魔力特性は氷。感情の高ぶりに合わせ会場の床が薄らと白く霜降り始める。しんしんと。
「証拠もない罪を並べ立て、公衆の面前で一族の誇りを傷つける。それこそが冷酷な振る舞いとは思いません?」
「黙れこの期に及んで見苦しい。ケーレアの清らかな涙を見ても、お前の心は痛まないのか」
殿下が放った威圧の火属性魔法が熱風となって襲いかかるが、熱が私に届くことはなかった。目の前で奔流のような水が壁となり、炎を霧散させたのだ。
「……そこまでにしておけ。見苦しいのは貴公の方だジュリアン」
低く心地よく響く声。現れたのは、隣国の若き大公ドーマ・アクアリオス。世界でも稀な水の極致を操る最強の魔術師。
「ドーマ大公!?なぜ貴殿が庇う……!」
「魔力は濁り一つない純粋な氷。悪意に染まった者にこれほど美しい結晶は作れない」
ドーマ様は歩み寄ると凍りついた手を取り、温かなそれでいて底知れない深海のような魔力を流し込んだ。氷は水に守られ、心に灯っていた怒りが静かな決意へと変わる。
「ミスカ嬢。凍土のような国に貴女の美しさは相応しくない。だから……私の国へ来ませんか?貴女の氷が私の水をより高みへと導いてくれる」
呆然とするジュリアンと勝ち誇った顔から一転して青ざめたケーレアを見据えた。今さら維持していた国境の結界が、出国とともに消えることに気づいたのだろうか。まあ、気づかないかな。
「喜んでドーマ様。さようなら殿下。これからは聖女様の温かな愛で北方の吹雪から国を守れるといいですね」
優雅に一礼し、踵を返した後には美しい氷の薔薇が咲き乱れ、誰も追いつけないほどに会場の出口を閉ざしていく。これが後に氷結の聖女と呼ばれる彼女を救った水神の大公の始まりの夜。
隣国アクアリオス大公領へと続く国境の峠は年中深い霧に包まれ、凶悪な魔獣が潜む沈黙の森として恐れられていた。
「ミスカ嬢、馬車の中は寒くないか」
ドーマが馬車の対面に座る私に穏やかな視線を向ける。周囲には常に清らかな水の精霊が漂い、空気を潤している。
「腐った国にいた時よりもずっと呼吸がしやすいです」
答えると突然馬車が大きく揺れ、御者の悲鳴が上がった。森の奥から炎を纏った巨大な魔獣フレイムベアが三体、行く手を阻むように現れたのだと知る。
「元婚約者が追手を放ったようですね。魔獣をけしかけてまで連れ戻そうとするなんて」
冷笑を浮かべ、馬車の扉を開けた。王国にとって、私の氷の魔力は国境の防壁として不可欠なものだった。失った焦りが愚かな策を招いたのだろう。失策極まりない
「君の手を汚すまでもない。が……君の力を貸してくれるか」
ドーマが優雅に馬車を降り、右手を差し出す手を取り、指先を絡めた。
「私の氷はあなたの水の一部」
ドーマが魔力を解放すると周囲の霧が一気に凝縮し、巨大な水の檻となって魔獣たちを閉じ込めた。激しい炎が水を蒸発させようとするがドーマの魔力は尽きることのない大河のように、檻を補強し続ける。
「今だ」
「はい。絶対零度の静寂。アブソリュート・サイレンス」
ドーマの操る水に氷の魔力を流し込む。次の瞬間、魔獣を閉じ込めていた水は一滴の隙間もなく瞬時に巨大な氷塊へと変貌。
炎の魔獣は熱を放つ暇さえなく氷の中で彫像のように静止。水が氷になる際の膨張と硬化はどんな硬い鎧も内側から粉砕する、絶大な破壊力を持つ。
「素晴らしい。水が冷気でこれほどまでに強固な刃になるとは」
ドーマは腰を引き寄せ、耳元で囁いた。距離の近さに氷のような心臓がわずかに熱を帯びるのを感じる。
その頃、国境の向こう側。結界が消えたことで魔物の侵攻を許し、火の海となった王都でジュリアンは絶叫していた。
「な、なぜだ!なぜケーレアの祈りで結界が再生しない!?ミスカを……あいつ、ミスカを今すぐ連れ戻せ!」
だが、声が届くことは二度とない。過去への道を完全に閉ざしたのだから。
水の都アクアリオスの城に到着した女を待っていたのは、歓迎の調べではなく突き刺さるような拒絶の視線。
「大公閣下正気ですか?滅びゆく国から追放された氷の魔女など我が国の清らかな水を汚すだけです」
声を荒らげたのは保守派の重鎮ギルズ伯爵。背後では他の貴族たちが「氷など死の属性だ」「不吉な」と口々に囁いている。
「汚す?」
ドーマが止めるよりも早く一歩前へ出た。扇の先で中庭の干上がった噴水を指し示す。この地は今、異様な猛暑による深刻な干ばつに見舞われているらしい。
「皆様は水が枯れ果てるのを眺めているのが清らかだと仰るの?」
「なっ……な!無礼な!貴様に何ができるというのだ!」
隣に立つドーマに視線を送ったら彼はすべてを見通したような笑みを浮かべ、腰に手を添える。
「こいつらに見せてやるといい。君の氷がどれほど慈愛に満ちているかを」
ドーマが天に向けて腕を掲げると地下深くからわずかに残った水脈が吸い上げられ、空中に巨大な水の球体が形成されたがそれだけではすぐに蒸発してしまう。
「私の番ですね。万物を育む氷華の棺。アイシクル・リバイバル」
水に触れる瞬間、巨大な水の球体は数万個の極小の氷の結晶へと形を変えた。宝石のようにキラキラと輝きながら枯れ果てた大地へと降り注ぐ。
「氷!?そんなものを撒けば作物が死んで……」
ギルズ伯爵の罵声は驚愕へと変わった。地面に触れた氷の粒は、周囲の熱を奪って地表を適温に冷やしつつ良質な水へと戻り、土の奥深くへと浸透していったのだ。
一気に冷やされた大気から恵みの雨が降り出し、茶色く枯れていた平原が、瞬く間に瑞々しい緑へと蘇っていく。
「もしや、氷ではないのか。魔力を込めて溶ける速度を制御しているのか!?」
「その通り。氷はドーマ様の水を守り、必要な場所へ届けるための器なのです」
呆然と立ち尽くす貴族たちにドーマは追い打ちをかけた。
「ギルズ伯爵。侮辱することは彼女を認めた私を、この地の救済を拒むことと同義……分かっているな?」
「ひ、ひぃっ……申し訳ございません!」
伯爵たちが這いつくばって許しを請う中、ドーマはこちらにだけに見える優しい笑みを浮かべた。
「さすがだミスカ。……だが、少し魔力を使いすぎたようだな」
ふらりとよろけたら力強く抱きしめる。胸の鼓動に初めて安らぎを覚えた。
「ありがとうございます」
平穏を切り裂くように、一羽の伝書鳥が舞い降りると届けられたのは王国にいるジュリアン王子からの、なりふり構わぬ宣戦布告。
国境線には婚約者ジュリアン王子が率いる数千の兵が布陣していた。手には王国の禁忌とされる魔道具焦熱の心臓、プロメテウスが握られている。
「ミスカ、男から離れろ!お前は私の所有物。戻らぬというのなら、この地の水をすべて蒸発させ不毛の地にしてくれる」
ジュリアンが魔道具を起動させると空が血のように赤く染まり、アクアリオス領を支える大河が激しく沸騰し始めた。これでは、領民たちの命である水が失われてしまう。
「どこまでも浅ましい……愛ではなく執着で世界を焼こうとするなど」
歩み出た隣には常に支えるドーマ様の温かな手がある。
「準備はいいか?君の静止と私の流転。二つの力が合わされば神の領域さえ超えられる」
「はい、ドーマ様……真実を見せつけましょう」
ドーマ様が天に腕を伸ばすと沸騰していた大河が巨大な龍の形となって空へ昇ったら全魔力を注ぎ込む。凍らせるのではない。ドーマの水と魂のレベルで同調させるのだ。
「天上の氷晶城クリスタル・パレス・オーバードライブ」
一瞬、世界から音が消えた。ジュリアンが放った焦熱の炎は作り出した決して溶けない氷に触れた瞬間、熱を奪われ逆に炎の形のまま凍りついた。
「な……!?炎が凍るだと……!?馬鹿なことが……!」
氷の龍が咆哮を上げるとジュリアンの魔道具は砕け散り、魔力回路を逆流して完全に焼き切った。魔力を失い、人間となったジュリアンはその場に崩れ落ちる。
「ヒッ、ヒイィッ!助けてくれケーレア!お前の聖なる力で……!」
しかし、彼の背後にいたはずの自称聖女ケーレアはすでに兵たちに見捨てられ、泥にまみれて逃げ惑っていた。国を支える結界を捨て、私欲のために戦争を仕掛けた王子の末路はやはり惨めということなのだろう。
「終わりましたねドーマ様」
「いや、これは始まりだ」
ドーマが抱き寄せ、瞳をじっと見つめる。氷の龍が空で砕け、輝く粉雪となって降り注ぐ。
微笑み、胸に顔を埋めた。小さな裏切りなどどうでもいい。隣には冷たい氷を愛として受け入れてくれる、最高のパートナーがいるのだから。




