196 婚約を今日限りで破棄お前の作る薬は苦くて理屈っぽく夢がないから聖女がもたらした愛と癒やしの輝き液を広め真実の愛を育むことに決めたと言われて生体維持用の中和剤の供給も停止したからすぐ死にます
万能薬という曖昧な言葉で無知な大衆から金を巻き上げられるわけがない。
王都最大の広場。隣に座る婚約者の侯爵嫡男のリュリューは、民衆を前に偽の聖なる万能薬を掲げ、一級魔導調剤師のティフロに対し、冷酷な宣告を突きつけた。
「ティフロ、婚約を今日限りで破棄する。お前の作る薬は苦くて理屈っぽく、夢がない。私は聖女がもたらした愛と癒やしの輝き液を広め、真実の愛を育むことに決めた」
隣にいる自称聖女は調剤技術を効率重視の冷血な呪いと呼び、勝ち誇ったように微笑んでいる。
「婚約破棄?それなら、貴方の心臓疾患に合わせて独自に調合し、毎朝の紅茶に混ぜていた生体維持用の中和剤の供給も停止するが、構わない?」
「フン、古臭い薬など聖女の万能薬があれば不要なんだ!」
すり鉢を片付け、白衣の襟を正した。男の心拍数というバイタルが、あと数分で理論上の限界を迎えることを科学者として見届けたいだけだし。追い払っては手がなくなるのに。
リュリューは知らないっぽいな。万能薬と信じている液体は強心作用のある麻薬草を水で薄めただけの毒物。中和剤で抑えていた持病は毒によって爆発的に悪化するなんてことを。
「癒やしと呼ぶ液体は化学的に言えば死への加速剤。あと三分、心拍数が超えた瞬間に血管は圧力に耐えかねて悲鳴を上げる。聖女の愛とやらで破裂した血管を縫い合わせられるといいね」
「つべこべ言わずに早く行け」
三分後。演説の途中でリュリューは胸をかきむしり、泡を吹いて倒れ込んだ。聖女が慌てて万能薬を飲ませるが火に油を注ぐだけの結果となり、彼 症状はさらに悪化。ほら、やっぱり。
周りからの「詐欺師!」「人殺し!」という群衆の罵声の中、リュリューの社会的地位と健康は同時に崩壊した。
自分は会場を去り、影で控えていた一人の男に合図を送った。毒物学の権威であり、理論の熱狂的な支持者ニノーという男に微笑む。
「……お疲れ様、ティフロ。完璧な薬理的処刑だった。彼は自分の無知を自分の命で支払うことになったみたいだね」
「当然の結果なんだよニノー、私の新しい中央研究所の立ち上げを急いで。偽薬のプラセボではなく、真実で国の病を治したい」
「君が処方する未来を僕が死ぬまで守り抜く。これは僕たち二人の不滅の共生契約だからね」
「徹夜で研究して疲れたら、膝で強制的に休眠さて?」
「最高に甘い処方箋だ。喜んで専属の安らぎと鎮静剤になろう」
背後で「嘘だ、万能薬のはずだ!」と叫ぶ元婚約者の声が聞こえるが、ゴミ箱に捨てるべき有害な廃棄物に過ぎないのである。
万能薬という名の甘い毒が、論理の前に敗北してから半年。設立した中央理化学研究所は、現在王都で最も信頼される医療の心臓部となっていた。
あの日、偽りの聖女と元婚約者がバラ撒いた薬害を一つひとつの成分を分解し、完璧な解毒剤を処方することで沈静化した。真実に基づいた治療こそが国の新しい生存戦略。
「今日の症例データもすべて正常値だ。検品所の医療廃棄物用シュレッダーの横で、識別不能が這いつくばっている」
ニノーが試験管を振りながら冷徹な視線を窓の外へ向けたそこには、元婚約者リュリューの無惨な姿があった。偽薬の副作用で全身の毛が抜け落ち、肌は土気色に汚れ、震える手で門扉を叩いている。
「ティフロ……っ、頼む薬を……薬をっ!毎日体が燃えるように痛いんだ!昔の仲だろ、一滴でいいから苦い薬を飲ませてくれ!」
「識別不能な有害廃棄物。ニノー、彼の生存維持コストを算出してから投資価値があるか判断してみて」
私は顕微鏡から目を離さず、無機質な声で命じた。
リュリュー。残存寿命は極めて短期間。循環器系の不可逆的な損傷、精神的な腐敗。延命させるために必要なコストは当研究所の年間予算の三パーセントを浪費し、得られるリターンは零……救済の論理的妥当性は認められない。
マイクを介し、地面に這いつくばる彼へ最後の診断結果を突きつけた。カルテを見てから。
「リュリューに処方できる薬は、この世界には存在しない。苦くて理屈っぽいと捨てた私の調剤こそが、命を繋いでいた唯一の糸だった。なのに糸を自ら断ち切り、毒を飲み続けた体は再生不可能」
嘘だ……!聖女は愛があれば救われると言った!助けてくれよティフロ!
「愛で血管がつながるなら、勝手にやって……警備員排除。ここは生命を科学する場所。腐った死体を置くスペースはないんだから」
無機質な防護服を着た職員に引きずられ、ゴミのように路上へ捨てられたリュリューはもう二度と、清潔な空気の中に踏み入ることはできない。
「ティフロ。特別研究の時間を始めようか」
ニノーが白衣の裾を優しく引き、自分の方へ向かせた瞳は、どんな複雑な化学式よりも深く甘く捉える。
「今夜は幸福を最大値で固定する僕特製のデザートの臨床試験だ。……君の唇の温度が上がるごとに、愛の濃度を上げていく精密なテストなんだけど」
「試験結果は非公開ね。私と君だけの門外不出の機密事項にすること」
「……最高に甘い契約だね。君満足するまで、何度でも再試験させてあげる」
甘い言葉と偽薬に溺れた者は永遠に続く副作用という名の苦しみに沈んだ。残ったのは、確かな科学と、互いの心音を最も信頼する二人の研究所。新しい特効薬の味を確認するように毎日を積み重ねるのだ。




